第3話
「それでも、君だけを愛してる。エデン」
「愛よりも玉座を選んでおいて?」
「あの時は仕方がなかった。だが、王妃を愛したことはない。君に宛てた手紙にも何度も書いた」
「気持ちは分かる。私だって王ならそうする。だが許すかどうかは別で、そもそも手紙は読んでいない」
エデンは騎士マリクに合図をした。
すぐにマリクはエデンの愛用の剣を恭しく差し出してくれる。
「最期の言葉くらい聞いてやろう」
「ありがとう、エデン」
ラースはこれから殺されるというのに笑った。彼にも王族の矜持はあるのだろう。彼のグリーンの目がそっと細められる様子は、エデンの最も好きな瞬間だった。
「これで、君だけを愛する男にやっとなれる」
「お前に王は向いていなかったようだ」
「本当に君だけを愛していた」
エデンはラースに首の後ろを見せるように指示した。彼は抵抗もせずにその通りにする。
自分の愛用の剣の刃を確認してから、ラースの首に振り下ろした。
「私だって愛していた」
剣についた血を払い、落ちたラースの首を拾い上げる。彼の目はきちんと閉じられていてなぜか微笑んでいた。きっと彼も辛かったのだろう、治世が安定しなくて。ここまで乱れてしまえばもう他国が介入しないと駄目だ。
エデンは自分こそがアンブロシオ王国の王妃になるのだと思っていた。だからこそ、ラースのためにこれまであまり力を入れてこなかった勉強にも取り組んだ。
まさか、軍服を着て軍を率いて城に入るとは予想もしていなかったのだ。嫁入り道具と一緒に、彼が似合うと言ってくれたグリーンのドレスでラースの腕に飛び込むのだと思っていた。
ラースにそっと口付ける。
約束を守らず、結婚の使者を送ってくれなかった男に。
そこで、エデンはやっと部屋の隅に影のようにひっそり佇むマリクの存在を思い出した。
「あぁ、そうだった。マリクの願いを聞いてやらないと」
ラース国王を捕らえた者には許される限り何でも褒美をやると伝え、軍の士気を高めていた。
結局、ラースを捕らえたのはエデンの腹心の騎士マリクだった。平民出の騎士マリクはエデンが騎士団の訓練中に見つけ出し、ワガママとごり押しで自分の腹心に据えた男だ。
「褒美は何がいい?」
「本当に何でもよろしいのですか」
マリクは膝をついてエデンに問う。
「この国を寄越せ、ではない限り。何がいいだろうか。金貨? 豪邸? 美女? 爵位や土地?」
「では、私をエデン王女殿下の夫にしてください」
意外すぎる願いにマリクを凝視した。マリクは膝をつきながらも、赤い目でエデンを射抜いている。この赤い目と太々しい態度が気に入って、自分の側に置いたのだ。
「お前は無欲だと思っていたが、強欲だったのか」
「何でもとおっしゃったのは殿下です」
「父と兄はこのアンブロシオ王国を私にくれる。つまり、私はこの国の女王。私の夫はこの国では王配となる」
「存じております」
「お前が権力を欲していたなどとは知らなかった。王配とはなかなか強欲だ」
「私が欲するのはエデン王女殿下だけです。殿下の夫が王配という立場で呼ばれるだけのこと」
「そういえば、お前。父はアンブロシオ人だと言っていたな?」
「その通りでございます」
「ではちょうどいい。アンブロシオの血が入った男と結婚した方がいいと思っていたところだ。あぁ、これでは私に利点ばかりあってお前への褒美にはならないだろうか」
「殿下の夫になれることは私にとってこの上もない喜びです」
「お前、まさか私が好きなのか?」
マリクはゆっくり首を縦に振った。
表情を変えない男だ。本当かどうか分からないが、媚びてエデンにこんなことを言う人間ではない。
「殿下に恋をしないことは難しいです」
「お前、相当趣味が悪いと言われないか? 私は愛した男の首を落としたばかりだ」
「あの男は殿下を手酷く裏切りました。私は裏切りません」
「それはどうだか。いくらお前でも信用できない」
あれほど運命を感じたラースでさえ、エデンを裏切ったのだから。
「私の一生をかけて証明させてください」
「まぁ、いい。お前なら私を殺せるだろう」
「なぜ、私が殿下を殺す必要が?」
「……私はラースを愛していなかったら、自分の手で殺さなかった」
マリクはエデンの答えに目を伏せ、片手を恭しく取って口付けた。
「私は殿下と道を違えません」
「そう期待しているが、どうだか」
「殿下に永遠の愛と忠誠を誓います」
エデンはマリクの目に今まで見たことのない熱を確認したが、無視した。
「そんなものはない、マリク。今なら褒美内容の変更を聞いてやる。さぁ」
「しません」
「私はお前に不幸になって欲しいわけではないのだが。王配は大変だ。マナーだの社交だの騎士の時とは違うのだぞ? 貴族たちに足を引っ張られるだろうし」
そう促してもマリクは頑として褒美内容の変更を申し出ない。なんて頑固な奴だ。
「お前が私の夫となるのならば愛する努力はするが、私はお前を心から愛することはないだろう。それでもいいのか?」
一時期流行っていた、男のようなセリフを言う羽目になった。
「私が殿下を愛しているから大丈夫です」
エデンは思わず笑う。つい大声が出てしまった。自分の心と等しく、それは明らかな嘲りを含んでいた。
「お前は幸せ者だ。自分だけが愛しているから何とかなると考えるなど」
「いけませんか」
「いいや、だがそれは傲慢だ。私は嫌というほど知っている、自分だけが相手を愛していればいいなんて、ただの思い上がりであったということを。世界はそう簡単に変わらん。お前だって私とラースを見ていただろうに」
マリクは目をぎゅっと瞑ってそして開いた。後悔しているのだろうか。
「取り消すなら今しかないぞ」
「いいえ、取り消しません」
エデンは頑ななマリクを見て、ため息を堪えた。
「分かった。だがマリク、お前はきっと後悔するだろう。後悔した時は私を殺すと良い」
それは、エデンにとって初めてのマリクとの不毛な会話だった。
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