第2話

 エデンの前には、拘束されてボロボロの男が騎士マリクによって押さえつけられていた。マリクはなぜか全身白っぽくなっている。


「隠し通路の中に隠れていました」

「マリク、その恰好はどうした」

「壁を破壊しましたので」

「そうか」


 エデンが合図をすると、彼女に忠実な騎士は男を押さえつけていた手を放す。

 男はゆっくりと顔を上げた。そしてエデンを見てやっぱりとでも言いたげに穏やかに笑う。まとっている服は煤けて破れてボロボロだが、端正な顔立ちは顔が汚れていても大して損なわれていない。エデンの好きだった彼そのままだ。


「久しぶりだ。エデン」


 掠れているが、その声も記憶の中の彼と寸分も違わない。一瞬、過去に引き戻されかける。


「久しぶりだ、ラース」

「来るなら、君だと思っていた」

「伝令くらい来て知っていただろうに」

「……こんなことを言える立場じゃないが、王妃は助けてくれないか」

「夫婦は運命共同体だろう? お前が死ぬのなら、あの女も死ぬ。神の前で式の時に誓ったはず」

「彼女とは政略上の結婚だ。全く愛していないし、白い結婚だった」

「関係ない。私を捨ててあの女と結婚したのなら、あの女も殺す。同罪だ」


 笑みを浮かべてエデンが言うと、アンブロシオ王国の国王ラースは諦めたように笑った。


「……そうか」

「せめて苦しまないようにすっぱり殺してやろう」


 陰のある笑い方は、エデンの知る彼と寸分も変わっていない。王子から国王になっても。もっと偉そうな笑い方をしているのかと思っていた。



 エデンとラースの出会いは、アンブロシオ王国の王子だったラースがカークライト王国に留学してきたのが始まりだ。


 エデンはカークライト王国の第一王女。

 勉強よりも剣を振り回すのが好きで、騎士団に潜り込んでは国王と王妃を嘆かせていた。


 しかし、ラースと出会って二人は恋に落ちた。

 本当に恋に落ちるという表現がぴったりだった。何の理屈もなく、ここが好きだのあそこが好きだの批評する時間も要らなかった。

 まるでもともと一つだったものに出会ったかのように、お互いがお互いのために存在すると分かったのだ。


 しかし、二人の時間は長くは続かなかった。

 ラースの父が急死し、ラースの弟たちが王位をめぐって争いを始めたのだ。アンブロシオ王国は荒れに荒れた。王太子を決めていなかったことも要因の一つだろう。もちろん、第一王子であるラースが王太子だと目されていたわけではあるが。


 ラースは支持者たちに乞われ、留学を切り上げて母国の争いを終結させるために帰国した。エデンは今でも馬車の前で彼とした約束を鮮明に思い出せる。


「必ず、争いを終わらせて結婚のための使者を君に送る。その時は私と結婚して欲しい」


 彼と約束した。指輪も何もなかったが、お互いの手を固く握って口付けをして誓ったのだ。


 アンブロシオ王国の王妃になるのなら剣の腕だけでは駄目だと、周囲が目を見張るほどエデンは勉強に目覚めた。


 アンブロシオ王国の王位争いは予想よりも長引いた。三年経ってやっとラースが王位に就いた時にはアンブロシオはかなり疲弊していた。


 それでも、エデンは祈って待っていた。

 王位争いなのでいくら隣国でも介入できなかった。


 争いはようやく終わりを迎えたが、しばらくして公表されたのはラースとアンブロシオ王国のケリガン公爵令嬢との結婚だった。かの公爵家は他の王子の支持者だったが、強大なケリガン公爵家がラース側に寝返ったことで争いは終結したのだ。つまり、公爵は娘と国王になるラースとの婚姻を見返りとして要求しラースは承諾したのだ。


 エデンはずっと約束が果たされるのを待っていたが、ラースは裏切った。手紙も詫びも来なかった。エデンはずっと手紙を送っていたのに。


 ラースと公爵令嬢の結婚式には王太子である兄が行った。

 帰って来た兄からラースより預かった手紙だと渡されたが、読まずに捨てた。



「お前は私を裏切った」

「君には……ずっと手紙を送っていた。争いの間もずっと欠かさずに」

「届いていないが。私も手紙を送っていた」

「エデンの手紙も届いていない。おそらくケリガン公爵に邪魔されたな」


 アンブロシオ国内で手紙が止められていたなら、エデンの元に届くわけがない。


「そう、もうどうでもいい。お前が他の女と結婚した事実は変わらない」

「あと二年で離婚して、君を迎えるつもりだった」

「一度、他の女と式で愛を誓っておいて? お前の愛はなんと安いのか。側室だってその二年で政権安定のために入れるだろうに。私は何度お前が他の女と愛を交わすのを見れば良かったのか」



 アンブロシオの王位争いの爪痕は深かった。

 死者は多数。物価は上がって民は飢え、さらに魔物の被害まで重なった。他王子の残党争いだって続いており、ラースが即位しても小競り合いがあって治世は安定しなかった。民が飢えて略奪があり、カークライトにまで被害が及んだのでエデンの父は腰を上げたのだ。


「お前を裏切り、わが国の民まで傷つけるあの男の国を取ってこい」


 と、エデンは進軍を任された。

 お飾りの指揮官にされたのかと思ったが、意外にもエデンはそこで才覚を発揮してしまった。ゴードン団長はエデンの思いついた案の数々に手を叩いて喜んでいた。


 侵略は予想よりも簡単だった。

 民は疲れ果てていてカークライトの軍に次々と道を開ける。カークライトの旗を掲げている地には反抗の意思なしとみなすように通達していた。もちろん、すべての貴族と国民が従順だったわけではない。魔物をそこの領地に追い込んで攻撃したこともある。


 反抗の意思がない土地では、魔物を倒して食料を与えれば民は喜んで飛びついた。王都に近くなればラース国王に対してクーデターが起きており、民衆の味方も得てエデンは想定よりもずっと簡単に城に乗り込んだのだ。

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