第4話
ケリガン公爵とラースの首を討ち取ると、すぐに王妃のいる部屋に向かった。
そこはエデンが使うはずだった部屋だ。もう来るはずのない未来だが。勝手に改装していいだろうか。王配になるマリクが使う部屋にでもすればいい。
王妃であるオリヴィアがイスに腰掛けていた。入って来たエデンを見ると、両手を上げた状態で立ち上がって礼をする。
「あなたがオリヴィア王妃殿下か」
「はい」
特に忠誠心のある使用人だけが残ったようで三名の侍女が同じように両手を上げて部屋の隅にいた。騎士に調べさせてから使用人たちは部屋から出す。
「宝石はこちらにまとめてあります。そして、売れそうな服はすべてあちらの部屋にございます」
エデンは注意深くオリヴィアを観察した。現時点ではとても彼女は冷静だ。
抵抗することもなく、華美に着飾っていないことから死ぬことも受け入れているように見える。
エデンはイスを持ってきて彼女の側に座った。困惑した表情になったオリヴィアを座らせる。最初は冷静だと思ったが、近付くとオリヴィアの目には諦めが色濃く漂っていた。
「どうせ死ぬのだから急ぐことはない。少しくらい話に付き合ってくれてもいいだろう」
「宝石やドレスは復興のためにお役立てください。私の命はどうなっても構いません」
ラースの妻となった、オリヴィア・ケリガン元公爵令嬢。エデンは結婚式に行かなかったので、近くで彼女をしげしげと観察する。
エデンと彼女はまさに正反対だ。オリヴィアは金髪碧眼で儚げな印象を受ける。エデンの外見は残念ながら儚さからは程遠い。それに、普通の令嬢や王女ならば剣を振り回すことはない。オリヴィアの白く細い腕を眺めてから彼女の顔に視線を戻した。
「ケリガン公爵はみっともなくあがいて命乞いをしたらしいが、王妃殿下はとても潔い」
自分の父親が死んだと聞いて、オリヴィアはほんの少し目を伏せた。
「父が。左様でございますか」
さすが王妃となった女性だ。みっともなく取り乱すわけでもない。エデンは内心で感心していた。
「ラース国王は死ぬ前に王妃殿下の命乞いをした」
「……左様でございますか」
オリヴィアは全く同じ言葉をやや詰まりながら口にして、今度は悲し気に笑った。父親と夫の死では少しばかり違うらしい。
ラースはオリヴィアを愛していないと言った。しかし、オリヴィアはどうだろうか。
「なぜ笑う?」
「おかしくて」
「それはなぜ?」
「陛下が愛していらっしゃったのは、エデン王女殿下だけではありませんか」
エデンは何度か瞬きした。
オリヴィアはエデンと視線を合わせることなく俯き、膝の上で拳を作ったり開いたりしている。エデンとラースの関係は知る人ぞ知るものであったはず。
「あいつは最低な男だったようだ」
ある可能性に行きついて思わずエデンは吐き捨てた。まさか、ラースが王妃にそのようなことまで話す男だったとは見損なった。
「父が勝手に調べただけです。陛下は私には何も。ただ、カークライトのことを話すときは……陛下は明らかに様子が違いました。よくカークライトの方角を眺めておいででした」
「そうか」
「エデン王女殿下も……陛下のことがお好きだったのではないですか」
何の温度も感じさせない目で、オリヴィアはエデンに視線を寄越した。
「あなたはラースを愛していなかったのか」
オリヴィアの座は、エデンはずっと恋焦がれたものだった。それなのに、そこに座っている女は少しも幸せそうな顔をしていない。エデンの求めていて手に入らなかったものがとんでもなく無価値に見えてくる。
「私には婚約者がおりました。しかし、父が勝手に解消して王妃に……」
「あぁ、なるほど。それでその元婚約者は?」
「他の方と婚約したはずです」
この女はラースを愛していたわけでも、好きだったわけでもないようだ。元婚約者のことを愛しているのか。とても公爵令嬢や王妃らしくない。それをエデンはことさら気に入った。不安定で形のない愛に縋って生きていたのが、自分だけではない気がした。
「私はラースを愛していた。結婚するのだと思っていた。ただ、それだけだ。私だけが信じていた幻でしかない。それを口実にあの男があなたに不誠実な態度を取っていいわけでもない」
「陛下は不誠実ではありませんでした。私がお飾りの妻だっただけです。良くはしてくださいました」
「そうか、なら良かった。死んだ後でさらに嫌いになりたくないからな」
エデンは騎士たちに命じて、宝石やドレスを鍵の厳重にかかる場所に移動させる。
「さて、そろそろお喋りは終わりだ」
「はい」
オリヴィアはすでに諦めの先に覚悟を決めているようだったが、エデンはさっさと立ち上がって扉のところまで歩いた。
「王女殿下。私は牢に入るのでしょうか? それとも公開処刑ですか?」
後ろからオリヴィアの困惑した声がした。この場で殺されると思っていたらしい。そう思わせるのも無理はない。エデンの体には返り血がついている。
エデンは笑って振り返る。この部屋に入る寸前まで首を落とそうと思っていた女の顔をひたと正面から見た。
「私はこの国の女王になるだろう。だから命令する。あなたはケリガン公爵となって公爵領を良く治めるように」
オリヴィアは理解が追いついていないようだった。影のようにエデンについてきたマリクも訝しく思っているのだろう。表情は変わらないものの、そんな雰囲気が漂ってくる。「王妃も殺すんじゃなかったのか」そう言いたげだ。
「貴族を全員殺していては大変だ。あなたには広大なケリガン公爵領を治めてもらう。きっと大変だぞ? ここで死んでおいた方が良かったと思うかもしれない」
「……なぜ、王女殿下はそのようなことを……」
「私はあなたが気に入ったからな。死なすのは惜しいから今日より生まれ変わるといい」
エデンは作り笑いではなく、本当に心から笑った。ついでにこう付け加える。
「ラースもそれを望んだはずだ」
「ラース様を殺さずとも良かったのではないですか」
部屋から出て影のようについてきたマリクが、人気のなくなった廊下でぽつりと漏らす。
「それだけはできない」
「なぜですか。身代わりでもたてて殺した風にして匿っておけば……殿下は……」
「マリクは私の夫になりたいと言った口で、元恋人を生かしておけば良かったと言うのか」
マリクが黙って目を伏せたのを見て、エデンは再び歩き始める。
「マリク、それだけは絶対にできない。やってはいけない。困窮し国境を無断で超えて暴徒化したアンブロシオ人たちに略奪され、家族を殺された者たちがいるのだ。ここに来るまでに死んでいった者たちのためにも絶対にできない。カークライトの民たちのためにラースの首は必要だった」
マリクは黙ったまま、後ろからついてくる。
「私のバカげた愛など守るべき民の前では塵芥に等しい。ラースも玉座を手に入れる時にそう思ったに違いない。私も今分かった」
「……申し訳ありませんでした」
マリクはそれ以上、何も言わなかった。
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