第三章 赤き救世主に星は落ちる
第1話
両手を天に突き上げて大声で神への感謝を叫ぶ怪しい神官をキーファたちに任せ、エデンはラースが立っていた場所の地面を確認しに行った。
そこには確かに誰かがいた痕跡があった。
「……幽霊ではなかったのか」
瞼の裏にあの姿がこびりついている。見間違えるはずがない。ラースの遺体は盗まれた上になぜ立って歩いていたのだろうか。
「陛下」
後ろにいつの間にか音もなくマリクが立っていた。
「あの者はユルゲンという、カリスト聖王国の神官だそうです」
「なぜ、聖王国の神官がわざわざこんな場所に? 二つ国を隔てているだろう。まさかアンブロシオのどこぞの貴族が浄化を勝手に頼んだのか?」
カリスト聖王国はこの世界で最も信仰されている宗教の聖地のある国だ。王国と言いながら神殿が最も力を持ち、実質的に教皇が治める国でもある。そこの神官たちは魔法とは異なる不思議な力を持っていて、癒しと浄化を行うのだ。
もちろん魔物の発生の原因となる澱みも浄化できるが、神官の派遣にとんでもなく高額な謝礼を要求されるので魔物との戦いに慣れている国は派遣など頼まない。先代教皇の時はそんなことはなかったらしいが、代替わりしてから高額な謝礼とは別にさらに寄付をするようにちらつかされるのだそうだ。
熱心な信者なら別だが、エデンは正直あの国とは関わりたくない。
「いえ、そうではないようです。ただ、口にしているのがよく分からないことばかりで。とにかく陛下と話をしたいと」
「まぁ、命の恩人であることに変わりはないから話はするが……分かった。飛行型の魔物は残らず討ち取れ」
マリクは頷いてから、エデンの見ていた地面に視線をやった。
「誰かいたようですね。土がここだけ不自然に盛り上がっていますし、足跡もあります」
「あぁ」
「……本当にここに立っていたのはラース様でしたか?」
エデンは猛烈に頷きたかったが、やめておいた。
「……見間違いかもしれない」
「いえ、陛下がラース様を見間違えるわけはありませんでしたね」
まだラースがカークライトに留学中、二人で変装してお互いを見つける遊びをしたことがあった。エデンはラースが髪色をどんなに変えようと服装をどんなものにしようと、彼を見つけることができた。
しかし、それをマリクの前では言えなかった。そこまで無神経になることはできなかった。
「ラース様は死んだのに、なぜこんなところに」
「分からない。化けて出たのかもしれないな」
「それにしても不可解です。この場所で澱みが発生したことといい」
マリクの視線が自分の頬に注がれるのを感じながら、エデンはマリクではなく遠くを見つめた。ラースが去ったであろう方向を。
「もし、ラース様が生きていらっしゃったら次は私が殺してもよろしいですか?」
「いや。私が殺す」
「陛下に二度も愛する者を殺させるわけにはいきません」
エデンはその言葉で初めてマリクを見上げた。
最初から好んでいた赤い目がエデンをしっかりと捉えている。
「陛下の夫は私です」
「あぁ、その通りだ」
「式も挙げましたし、初夜も済ませました」
「そうだな」
エデンは敢えてラースを殺す云々の話はもうしなかった。マリクは自身の指輪に目を落としている。そのいじらしい様子にエデンは若干くすぐったくなる。これでは、男女が逆転しているようだ。
マリクの手を引いてキーファたちのところに戻ると、水色の髪の男ユルゲンは輝かんばかりの表情をエデンに見せた。そしてまた何か叫ぼうとするので、手で押しとどめる。
「ユルゲン。礼を言う。そなたのおかげで助かった」
「我が君のためですから!」
輝く笑顔を向けられて、エデンはその眩しさにやや目を細めた。
これほど底抜けに明るい男はエデンの周囲にはいなかった。貴族にはそもそもこんなに分かりやすい男はいないだろう。
「ユルゲンはなぜアンブロシオのこんなところに? 誰かに浄化の依頼でも?」
「いえ、私は神殿長に盾突いたということで聖王国を追放になったのです」
頭が痛くなってきた。よりによって目の前の男は聖王国を追放されたらしい。
「どんな罪を犯したのだ」
「神殿長の判断に異を唱えました。他にも弱みはいろいろ握っていたのですが! どこのシスターとできているだの、美少年が好きでいけるだの」
エデンはまた手で押しとどめる必要があった。そんな笑顔で話す内容ではない。
「では、ここにいたのは追放されてどこかに行く途中だったのか? 偶然か?」
「いえ、偶然ではありません。この方角に星が瞬いて落ちたのでそれを目指して歩いてきました」
エデンはまたも頭が重くなった。確かにユルゲンの言っていることは訳が分からない。しかも悪意やこちらをバカにする様子など微塵も感じさせず、ずっと明るい朗らかな調子で喋っている。
「そうしたら、やっとあなたに会えました。エデン女王陛下。いえ、我が君」
「なぜ、我が君などと呼ぶ。神官のそなたは神以外をそう呼んではいけないのではないか」
「いいえ、私はずっとあなたに会うために生きてきました。だって、あなたは今世の救世主なのですから」
ユルゲンは一言で言えば、太陽の光を集めて作った人懐こい犬のようだった。今も彼の後ろに尻尾が見えそうだ。
「救世主だと? 何かの間違いだろう」
「はい、何百年か周期で復活する救世主です」
「そなたは頭でもおかしいのか?」
「いいえ、きわめて正常です!」
「追放されておいてか?」
「あぁ、神殿長は救世主が別の国の王だと言うからです。私は絶対にエデン女王陛下だと思いました。なぜって星がそう言っておりましたから。しかし、神殿長の星読みでは違うと。しかし、エデン女王陛下にお会いしてすぐに分かりました。あなたが救世主です。我が君。だって、あなたの周りには救世主を守るために生まれてきた三人の騎士もいるのですから」
エデンは壮大な話についていけず、こめかみに手を当てた。後ろではマリクとキーファも怪訝な表情である。
エデンはそこで気付いた。ユルゲンの手にはメリケンサックが嵌められていた。聖王国の神官は魔物と戦うこともあると聞いたことがあるが、まさか剣でも魔法のような恩寵でもなく素手なのか。
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