アキラとヒオ
陸
「アキラ、お茶」
ちゃぶ台にノートパソコンを置き、黙々と報告書を作成しているアキラに声をかけたが、彼女は全く気付いていない。
本来なら帰宅してから作業するのだが、引っ越し業者の都合がつかず、仕事が終了したにも関わらずまだふたりは例の山間地区に足止めされていた。
仕方なくアキラは報告書を先に作成することにしたのだが、なにぶんちゃぶ台なのでイスは使えず、正座だ。背筋正しく座り、パチパチとキーボードを打つアキラ。なんだか見ていてちょっと可笑しい。
ただ本人は別に関係ないようだ。
頭には愛用のヘッドホンをつけている。きっと大音量でなにか音楽をかけているのだろう。眼鏡にはパソコンの文字が反射していて、それはすごい勢いで量を増している。
「アキラ」
とんとん、と軽く肩を小突くと、ようやく彼女はまばたきをした。
それまでほとんどまばたきをしないのだから、そりゃあ眼精疲労にもなるよなぁとヒオは思った。
「なに?」
ようやくヘッドホンを外し、アキラが顔を向ける。
「紅茶いれたよ。飲む?」
「飲む。待って」
お盆からマグカップを取り上げ、ちゃぶ台に置こうとしたらアキラは手早く記録を保存し、ノートパソコンを閉じた。眼鏡をはずし、くるくるとコンセントを巻き取ってちゃぶ台から離れたところにノートパソコンを置く。こういうところもマメだなぁといつも感心する。
もちろんアキラもヒオもパソコンにお茶をこぼしてどうこうした、などということはない。だけどアキラはとても気にする。海外ドラマなんかのシーンで機器の中、コーヒーを飲んだりしていると口には出さないがアキラがいつもハラハラしているのをヒオは知っていた。そんなところもとても好ましい。
「ありがとう」
片付けたちゃぶ台の上にマグカップをふたつ置くと、アキラは礼を言って自分のマグカップを手に取った。
ヒオもそんな彼女の向かいに座り、自分専用のマグカップに手を伸ばす。いつの間にか彼女に感化されてヒオもすっかり紅茶派だ。
「引っ越し屋、明日には段ボール持ってくるって言ってたね」
「そうだな。まあ……軽貨物一台で十分なんだけど」
そもそも家具は移動させる必要がない。衣類や電子機器、ちょっとした生活用品を送るだけだ。
「宅配便でもよかったんだけど」
「思いのほか農産物がね……」
ふたりして顔を見合わせて苦笑する。
引っ越し業者の予定がつかないとわかった段階で宅配便を手配しようとしたのだが、地区の人たちが「世話になったから」とたくさんの農産物を持参してくれるのだ。起きたら玄関に積まれているときもあって、まるでかさ地蔵だ。
「あのさ、アキラ」
「ん?」
マグカップを覗き込み、湯気に顔をくゆらせていたアキラが顔を上げる。
「この家に来た初日、アキラがぼくに言ったじゃない。自由にしていい、とか、自分は織部西條の代わりじゃないって」
「うん」
紅茶を飲むアキラの様子を見つめ、ヒオは言う。
「あれからずーっと考えてたんだけどね」
「へぇ。ただ会合で飯食って、酔っぱらって二日酔いになっているだけかと」
「それもあったけど」
む、と眉根を寄せながらもヒオはアキラを見る。
「ぼくさ、アキラを織部西條と重ねたことなんてないよ」
「ああ、そう」
「信じてないみたいだけどさ」
ため息交じりに吐きだすと、ヒオは自分も紅茶を飲んだ。渋みはなくすっきりとしている。いい香りと味だ。我ながら素晴らしい。
「ぼくが西條に引き取られたのは10歳ぐらいのときで……。まあ、そのときからベタベタよく触るひとではあったけど。そっからどんどんエスカレートしてきてさ。15歳とかになったら普通に夜はそういうことさせるし、なんなら昼間も迫って来るしさ。ぼくにはもちろん拒否権なんてなくって。そんな生活をずーっとしてたら、なんかこう、性欲なんてまったくなくなってさ」
だから、とヒオはつづけた。
「そういうもんだと思って生活してたけど。アキラを見たときから違うんだよねぇ。触れたいし、抱きしめたいし、キスしたいし」
「キスしたい、じゃなくて、してくるだろう、お前は」
「織部西條にキスしたいなんて一度も思ったことないよ、ぼく。というかあの人にさわられたりしてるとき、ぼく、意識飛ばしてたもん。だけどさ、アキラの裸はめちゃくちゃ見たいんだよ」
「お前、何言ってんだ」
若干引き気味でアキラが言う。
「いや、マジで。本当に。アキラを抱きたいっていうか。アキラとそんなことしたらどれだけ幸せかなとか考える」
ヒオはアキラに尋ねた。
「これって、ぼくがアキラを愛してるってことだろう?」
「……それは、自分の命が危ないときに私が現れたからじゃないか? 別に愛とは違うと思う。こう……ほら、殻が割れて初めて見た動くものを追いかけるヒナみたいに……」
「自分を顧みずにぼくを助けてくれる人なんて……この世界にそんなにいる?」
アキラの言葉をヒオは遮る。
「ぼくに価値があるときならいざ知らず……。あのときのぼくはほぼ無価値だった。織部西條が死んだら、ぼくなんて仏前にお供えするぐらいの価値しかなかった。だから生き埋めにされかかったんだから。そんなぼくを救ってくれてさ。そのあとずっと守ってくれてさ。日本人としてこの国に存在させてくれて。仕事と家を与えてくれてさ。それでなに?」
ヒオは眉根を寄せた。
「惚れるなっておかしくない? 惚れさせるようなことしててさ」
口ごもっているアキラに、ヒオはちゃぶ台に肘をつき、ずいと身を乗り出した。
「責任とってよ。前に言ってたよね。責任とって結婚してくれるって」
「……まあ、その」
「織部西條なんかぜんぜん好きじゃなかった。ぼくはアキラを愛している。アキラは?」
ヒオは首をかしげてアキラの瞳を覗き込む。
「アキラはぼくを愛してないの?」
「まあ……その。うん」
「ちゃんと言ってよ」
「わかってるよ。責任とるよ」
ヒオが迫る分、アキラが身をのけぞらせた。
「責任とって結婚する」
「言い方が気に入らないなぁ」
「ってか、お前もあれだぞ? 私と結婚したらずっと共働きだからな?」
アキラはマグカップを両手で持ち、嚙みつかんばかりにヒオに言う。
「働けよ、しっかり」
「働く、働く。働くし、尽くす。いい夫を捕まえたね、アキラ」
にこにこ笑ってヒオは言う。
「それにアキラになにかあっても織部西條の遺産があるから。あれで生活すればいいよ。ぼくの退職金みたいなもんだから」
あきれたように見つめるアキラに、ヒオは笑顔のまま尋ねた。
「でさ。アキラは結婚するまで純潔を守るタイプ? それとも婚前交渉はあり?」
「……それを聞いてどうするんだ」
「返事如何についてはいまから交渉に入るんだ。この前ははぐらかされたから」
にっこり笑ってヒオは言う。
「で、どっち?」
返事に戸惑っているアキラをアシストするように、いきなりスマホの着信音が鳴り始めた。
「電話だ!」
嬉々としてアキラはデニムのパンツからスマホを引き出す。
「ちょっとアキラ」
「うるさい、だまれ。あ、香取のおっさんだ」
スマホのパネルをなぞり、耳にあてるアキラを恨めし気にみつめ、ヒオは「アキラー」とよびかける。アキラは無視してしばらく香取と話をしていたが、不意ににやりと笑ってヒオを見た。
「仕事だ、ヒオ。次の化け物退治にでかけようじゃないか」
彼女の瞳が
はいはい、とヒオは肩をすくめた。
今日のところは気持ちを確かめ合っただけでいいかと自分に言い聞かせる。
急ぐことはない。時間はたくさんあるのだ。
自分を取り囲む壁は壊され、自分をつかむ腕はもうない。
明日も明後日も。
こうやってアキラと一緒に仕事をしてくのだから。
《了》
炯々とした目の彼女が語るには 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます