第3話 それはBOOWYよりカッコよく聴こえた。

 三十分後、僕達二人はとぼとぼとドブ川沿いを歩いていた。

「五対二は話にならんな……」

 松木が赤くあざのついた頬を擦りながら言った。

「手ぇ出さんかったんは正解やって。こっちが一切手ぇ出さんてわかったから向こうもあの程度しかやらんかったんや」

 松木と僕は一発ずつ、青中の不良の一人に強烈なビンタを張られた。だがこちらから手を出したわけでもなく謝ったわけでもなく「話し合いでカタをつけよう」という強固な姿勢を崩さなかった。

 結局睨み合ったまま、何となく互いに引き下がった。

「山根もなんやかんやゆうて仲裁っぽいことしてたし。アオチューともこれでちょっと落ち着くんちゃうか」

「かもな」

 松木は少し悔しそうに、「明日にでも山根、詰めたる。くそったれが」

 と付け加えた。

 ドブ川沿いから商店街に入り、ジュースやスナック菓子を買い込んで、松木の家に向かった。

 松木の家は団地の四階だ。殴られた頬はかっと熱くなっていたが、口の中は切れていなかった。とはいえ、四階までの足取りはいつもより重かった。

 松木の両親は共働きで、いつ行っても家には誰もいない。勝手知ったる我が家のように、僕はどかどかと松木の四畳半の部屋に踏み込み、畳の上にどかりと座り込んだ。

 松木はCDコンポのスイッチを入れ、BOOWYのファーストアルバム〈MORAL〉をかけた。

 僕は松木の本棚からこち亀の続きを引っ張り出した。松木も僕も無言だった。

〈IMAGE DOWN〉のイントロがスタートした。



 格好がいいよ おまえはいつでも

 心も体も バラ売りしてさ

 数をこなすのともててることとは

 同じじゃないんだぜ

 尻軽TEENAGE GIRL



「なあ墨田」

 松木はリモコンをベッドに放り投げ、ごろりと横になった。

「何や」

「おれらって不良やなあ」

「だから何やねん」

「だから世間から見たら、や。不良に見えてんねやろな、っちゅうこっちゃ」

 松木は天井を睨んでいた。僕は少しだけ考え、

「多少な。中途半端な不良の、ただの中学生やろな」

 と、こち亀から目を離さないふりをして答えた。コミックスの中では、眉毛のつながったがに股の警官が道端でパンツ一丁になって水浴びをしていた。

「ちょっとだけか」

「まあちょっとだけやな。あとロックが好きでマンガが好き」

「他は」

「べつになんもないやろ」

「守るもんも残すもんも、まだないんか」

「あるわけないやろそんなもん」

 松木はロマンチストでもある。ヒロイックなファンタジーに憧れている。いつも熱いもの、かっこいいものにすぐ影響される。そういえば当時は誰もが少年ジャンプを愛読していたが、松木は熱きジャンプキャラのセリフや口癖をすぐ自分のものにしたがっていた。

 その一例↓↓↓

「オラ、強いやつと戦いてえ」某サルのような尻尾の生えた青年格闘家。のちに極めて好戦的なエイリアンだという事実が発覚する。「燃え尽きるほどヒート」某イギリス紳士でマッチョのラガーメン。のちに波紋という正体不明の生体エネルギーを駆使し、最期はバンパイアと化した幼馴染みと抱き合って自殺する。「てめえらの血は何色だ」某手で真空波を作って何でも切断することのできるイケメン格闘家。このマンガの通例で、最初はイヤなやつなのだが結構早い段階でイイやつになる。あと妹がすごく大事。

「中学生で守るもん持ってるやつ、あんまおらんと思うぞ」

「それもそうか」

 松木がリモコンに手を伸ばした。曲を飛ばし、〈ON MY BEAT〉をスタートさせた。



 自分を守るのは何かを残した後だぜ

 形にこだわっちゃ古びたものしか見えない

 やたらと計算するのは

 棺桶に近くなってからでも十分できるぜ



「おれ達ロックとマンガ、好きな中途半端の不良〜♪」

 松木が〈ON MY BEAT〉のメロディーに乗せて、呟くように歌った。

 松木が言いたいことはわかっていた。

 その頃の僕達は、自分が何者なのか、何ができる人間なのかが無性に知りたかった。いずれは世間に必要とされて、立派に社会貢献ができてそれなりに収入も高い人間に本当になれるのかが知りたかった。何か偉大で、他の誰も真似できない唯一無二の素晴らしいものを形として世に残すことができるのかどうかが知りたかった。自分の気持ちの水面に浮かぶ、もやもやした赤や青の極彩色のまだら模様がいつしか一つに混じり合い、美しく鮮やかな光彩を放つと信じていた。といって本当は自分が何者でもない、ただのありふれたどこにでもいる十四歳男子であることを認めていた。しかし、自分が一般大衆とは決定的に違う何かキラリと光るものを持っている、と闇雲に信じようとしていた。

 そしてそれらを狡猾に理解し、あがくでも何か特別に行動を起こすでもなく、ただ日々ぼんやりと過ごしていた。時間を無駄に喰らい、ただ今日が平穏無事に終わることだけを心のどこかで祈っていた。

 僕はあぐらをかいたまま顔だけを松木の方に向けた。

 右手に、松木の親父さんが数ヶ月かけて精魂込めて作った不気味なほどリアルなモデルガン、コルト・ガバメントを握っていた。

 僕は松木に向かって銃を撃つふりをした。「ビンタ痛かったな」

「痛かったよ、マジで」

 松木はベッドに横になったまま殴られた方の頬を擦った。「これが青春の痛みよ」

 松木がこの問いかけに対する答えなんか持っているわけがない、と知っていながらも僕は訊ねてみた。「しゃあないやろ。おれら、ロックとマンガ好きなハンパ不良中学生やねんから」

「……ロックとマンガとモデルガンかぁ」ごろり、と松木は寝返りを打ち、「BOOWYも解散したことやしなあ」

 と言いながら片ひじをついてこっちを向いた。ひじがぐりり、とコンポのリモコンのスイッチに触れた。

『……しています。このザ・ブルーハーツに関しては十一月にニューシングルのリリースも予定されていますね。こちらももちろん要チェックです』

 氷室京介の伸びのあるハイトーンボイスが、ディスクジョッキーの軽妙なトークに切り替わった。

「くそ。ラジオになってもうた」

 松木がリモコンを探った。

『それでは、間もなくリリースされるザ・ブルーハーツのニューシングル……』

「松木、ちょっと待って」

 リモコンをいじくっている松木を、僕は手で制した。

『……〈トレイン・トレイン〉です!』

 イントロが流れた。

 ピアノの美しい旋律だ。そこにヴォーカルの声が重なった。



 栄光に向かって走る

 あの列車に乗っていこう

 裸足のままで飛び出して

 あの列車に乗っていこう

 弱い者たちが夕暮れ

 さらに弱い者を叩く

 その音が響き渡れば

 ブルースは加速していく

 見えない自由が欲しくて

 見えない銃を撃ちまくる

 本当の声を聞かせておくれよ



 二十秒で十分だった。

 たったの二十秒で完全に心を奪われた。体に電流が流れ、頭が空っぽになった。

 こんな音楽もあるのだということをはじめて知った。

 こんな歌唱法アリなのか、どうして乱暴な歌い方なのに繊細に聴こえるんだろうと思った。同時に、僕の胸の端っこを陣取る一掴みの謎の塊りが固形入浴剤のようにしゅわしゅわ音を立てながら溶けていった。

 そしてそれは僕の人生においてもとびっきり眩い輝きを放つ、あの宝石のような半年間がスタートした瞬間だった。

「……ブルーハーツ……」

 僕と松木はほぼ同時に呟いた。

 時はまさに第二次バンドブーム前夜。きらびやかなロックスターたちは時に怪しく、時に熱いメッセージや独自のインナースペースを僕達の脳裏にぶちまけていた。




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