第5話 バンドメンバー候補はわりと近くにいた。

「バンド組んで、卒業生お別れパーティーで演奏しよう」

 と持ちかけたのは、僕の方からだったか、松木の方からだったかは憶えていない。だが、その日の帰り道ではすでに二人の気持ちは一つになっていた。

「メンバー探さなあかんな」

「音楽性が先やろ」

「それもそうか」

「オリジナルか?」

「そらあな。恥ずかしくなるほどの初心者にオリジナルは荷が重すぎるやろ」

「じゃあコピーバンドやな」

「……うーん。じゃあBOOWYか」

「……うーん……BOOWYかなあ」

 僕達はああだこうだ言いながら、とぼとぼと高本の家に向かった。

「松木」

「何や」

「こないだおまえん家のラジオで聞いたやつ、良くなかったか?」

「ブルーハーツか?」

「うん」

「……かっこよかったな」

「何かハジけてる感じしたよな」

「……したな」

「どうやろう。あれ、やってみいひんか?」

「……うーん」

 松木は大きな目を細めて何か考え込んでいた。



 高本は二年の時に隣の学区から転校してきた。

 一学期の始業式の日、職員室から教室へと教科書を運ぶ役に、僕と高本がたまたま抜擢された。

 ひょろりと細長い体で、重そうによたよたと大量の教科書を抱えて少し前を歩く高本の尻を僕がぽん、と軽く蹴った。高本は大いに動揺しつつも虚勢を張った、何だか複雑な顔をして僕を睨んだ。

 僕は高本の目の鋭さに少々たじろぎながらもにっこり笑って、

「よろしくな」

 と言った。すると高本も、

「……おう。よろしく」

 と曖昧かつ複雑な笑顔で返した。

「どこの学校から来たん?」

 と僕が訊ね、教室へとゆっくり歩きながら話すうちに、僕達はあっという間に仲良くなった。

 高本はその日のうちに陸上部に入部した。理由は、

「ひょろ長い体に太い筋肉をつけたかったから」

 だそうだ。ロッカーに不可欠なひょろ長さを、僕がノドから手が出るほど欲しがっていることは言わなかった。

 そういえば松木も陸上部だった。ただし幽霊部員だ。

 二年からはほとんど部活にも顔を出さず、僕と遊びほうけていた。高本もまた妙な部分で熱い男気を持っている奴なので、そういっただらけた松木の姿勢もあってか、最初松木と高本はあまり仲が良くなかった。二人の豪快な殴り合いも見たことがある。

 しかし、往年の青春映画ではないが、拳を交えることによって少しは解りあえたのか、二人は音楽やマンガや映画やカルト的エロといった様々なサブカルチャーについて趣味がとても合うことに気付いた。

 そこに僕も入り、三人でつるむことが多くなった。高本が部活をさぼらない日は松木の家、部活をさぼる日は高本の家を三人のたまり場にする、という形がいつしかごく自然に定着していた。

 高本に関して特筆すべきは、性に関する知識の豊富さだろう。

 高本はひょろ長かったが、細いなりに筋肉質で体もできていた。股間の御子息も完全に成人男子のそれの形状をしており、それはもう大変に立派だった。何というか、イチモツという語感がしっくりくる感じだ。一つの物、一物という感じなのだ。だからというわけでもないだろうが、性への渇望も人一倍強かった。

「どこへ何をどうすればどう気持ちよくなって、そしてどうなって結果どうなるか?」

 という、十四歳男子最大最高の関心事にして誰もが薄もやの中を手探りで模索して得ている情報を、高本はがっちりパーフェクトに手中に収めていた。たとえ誰にどんなことを質問されても、

「それはやな、こうなって、ここをこうして……、とまあこうなることをゆうとるんや」

 と、大変に納得のいく答えを理路整然と導き出すことができた。

 といってもそれらの情報は彼自身の性交渉の賜物などではまったくなく、すべては彼が膨大に所有するエロ本から得たものだった。高本の六畳間には巨大な押し入れがあり、そこには押し入れの半分がたを占める、これまたばかでかい本棚が強引にこじ入れられていた。それはA4大の雑誌が縦に三列くらい入る奥行きのあるもので、その本棚に彼のエロ本コレクションがびっしりと隙間なく並べられていた。あまりの重量で押入れ全体がたわんでしまい、襖が上下から圧迫されて開閉しづらかった。まさにエロスの情報発信基地だ。

 一見すると、そこは十四歳男子、いやあすごいなあ……と興味津々で棚のあちこちから興味をひかれる本を引っ張り出してぱらぱらやるのだが、一時間もするともうお腹がいっぱいになってくる。そのどろどろと情念渦巻くコレクションの禍々しい瘴気にあてられて胸ヤケがしてくる。それは本当にもう呆れるほどの数で、専門的な古書店でも開業できるんじゃなかろうかというほどの、冗談抜きで古今東西あらゆる国、あらゆる時代すべてのエロ本があるんじゃないかと思ったほどだ(まあ実際は僕もその幅広いコレクションを大いに楽しんだクチなのだけれど)。

 高本曰く、中学に入るまではとても品行方正、勉強にいそしみ、スポーツに汗する実に真面目な紅顔の美少年だったそうだ。

 中学に入って間もない頃、学校帰りにふらりと寄った古本屋で一冊のエロ本と運命的に出会った。それは彼の複雑に入り組んだ現代社会のような性癖にジャストミートする、本当に宝物のような本だったそうだ。ぱらぱらとやった途端、稲妻に打たれたような衝撃を全身に感じたらしい。その衝撃を彼は後に『愛欲の神エロスからの啓示』や『洗礼』、『ゼウスのいかづち』と呼ぶ。それがどんな類いの本だったのか興味は尽きないが、以降彼はエロスの国に住民票を移し、月に与えられる小遣いの大半を古本屋でのエロ本購入費にあてた。そしてありあまる体力と精力を勉強と部活と己が愚息とのデスマッチにぶつけた。

 かくして彼は膨大なコレクションを保有するに至り、エロ情報のご意見番的人物となったのだ。



 話を戻そう。その日高本は案の定、部活をさぼって家にいた。

「おう。まあずいっと上がってつかあさいや」

 スウェット姿でくつろいでいた高本の、あきらかに七十年代広島やくざ映画などを意識した言葉使いを完全に無視して僕と松木は勝手に家に上がり込み、勝手に冷蔵庫や戸棚などを物色しはじめた。

「何や、この家にはロクなもんがないな」

「この欠食児童が」

 僕達は毒づき、コーラやジュースなどを勝手に取り出して高本の部屋に入った。

 高本の家は少し金持ちである。

 ゆえに僕達のような団地組ではなく、一戸建て組だ。古い家だったが広く、高本の六畳間も静かで居心地が良かった。

「やっぱ部活さぼっとったな」

「おう。あんなしんどいもん、毎日出てられるかい」

「旨いもん出せや旨いもん」

「冷蔵庫にあるもんが我が家のすべてや」

「エロいもん出せやエロいもん」

「こら。エロ本はそこにはないそこには。こらふすまを開けるな。ジュウタンをめくるな。自由に探すな。あっそこだけはあかん。姉ちゃんの部屋や」

「――違う違う。違うぞ。こんなことしに来たんやなかったわ、おれら」

 僕と松木ははっと気付いて、取りあえず高本と三人で車座になった。

「部活おもろいか。あんな、ただ走ってるだけの部活」と僕。

「陸上を馬鹿にするな。あれにはロマンがある」と高本。

「どんなロマンや」と松木。

「人間鍛えればこんな凄い記録を出すことができる。人間の可能性は素晴らしいというロマンや」と高本。

「ふーん。しんどいもんとかゆうといて」と松木。

「そんな日もあるやろ」と高本。

「ふーん。知らんけど」と僕。

「おまえら、一体何しに来た」

 松木はにやり、と笑った。

「これや。部活よりも多分、熱くなれるぞ」

 松木は今日もらったばかりのプリントを鞄から出し、人さし指でとんとん、と叩いた。

「ああこれか。終礼の後目ぇ覚ましたら机に置かれてた」

 僕と松木はなぜか勝ち誇ったような笑みをたたえて高本を見た。

「これがどうしてん。おまえら出る気か?」

「出る気や」

漫才ザイマンでもするんか」

「あほか。バンドやバンド。ロックバンドで出るんや」

 高本はいぶかしげに僕の顔を見た。

「楽器なんか持ってへんやろ、おまえら」

「これから買うんや」

「買ぉても弾かれへんやろ」

「これから練習するんや」

「何もかもこれからやないか。三月のパーティーに間に合うんか」

「間に合わすんやがな。三人で」

「三人?」

 高本が不思議そうな顔をした。「さてはおれを勧誘しに来たか」

 松木は口元に好色そうな笑みを浮かべ、高本ににじり寄った。

「そういうことや。一緒にバンド、やらへんか?」

 高本がゆっくりと僕の方を向いた。

「バンド。……やろうぜ」

 バンドやろうぜ。そんな名前の雑誌も当時愛読していたが、自分が口にするとなんともこっ恥ずかしい。しかし僕が言うしかなかった。

「おれらが? バンド? ……うーん……バンドねえ」

 高本は渋い顔をした。「おれも部活やなんや忙しいからなあ」

「自由自在にさぼりやがってからに、どの口がゆうてんねん」

「受験勉強もあるしなあ」

 高本は僕達と同じ『ちょい不良』のくせに成績がいい。有名進学校を狙っている。僕はため息をついた。

「さぶいこと言うな。三月までのことや。勉強なんか合間にせえ合間に」

 高本は大げさな仕草で、腕を胸の前で組んだ。

「うーん……せやな……。どんなんやる気や?」

 僕と松木は一瞬だけ顔を見合わせた。

「墨田と考えてんけどな、おまえブルーハーツ知ってるやろ」

「リンダリンダー、やろ」

 僕と松木は何度も小刻みに頷いた。

「それやそれそれ。ブルーハーツ、やりたいなって思って」

「ふーん。ブルーハーツか」

 高本はなぜかさらに渋い顔をした。

「ちょっとだけ、考えさしてくれ」

「おまえに考える余地はない」と松木。

「頼む」と僕。

 僕と松木は高本を拝んだ。

「むーん。ブルーハーツね……」

 僕が松木を誘った時のように、高本は目を細めて何か考え込んだ。



 高本の家を出ると、空は真っ赤だった。

「陽ぃ落ちるのも早やなってきたな」

 松木が呟いた。

「うん」

「墨田ぁ」

「ん?」

「高本、オチるかな」

「あいつのひょろ長さはシド・ヴィシャスそのものや。我がバンドに必要な人材や」

「おまえはもうちょい痩せろや」

「無理や。食うたら片っ端から脂になる体質やもん」

「はは、難儀な体質やなあ」

「待てよ」

「何や」

「体型的には、おれはドラマー候補やな」

「かっこええやんけ。屋台骨」

「おれは目立ちたいねん」

「知らんがな」

 ドブ川を越えて商店街が見えてきた辺りで、刺すような視線を感じた。

 先に気付いたのは松木だった。

 商店街の入り口で、アオチューの不良どもが車座になってこっちを見ていた。にやにやしている奴、あえてぼうっと見ている奴、まともに睨んできている奴と色々だったが、間違いなく敵意はあった。

「くそアオチューが。しつこいの」

 松木が睨まないように、目を逸らさないようにしながら囁いた。

「こないだの奴らやな。無視するぞ、松木」

 僕は松木の肩に手を廻した。松木は悔しそうに目を逸らした。

「あのビンタは絶対忘れへんからな」

 真っ正面を見据えた松木の目は怒りにどろりと充血していた。

 商店街を通り過ぎると、後ろから追いかけてくるように哄笑が聞こえた。

「……いつかやったる」

 松木は呪いの言葉を吐き出すように呟いた。




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