第11話 たまには他校と本気のケンカもした。

 古館がバンドの練習に音楽室を使いたい、と吹奏楽部の顧問である肥野という女の先生に進言すると、ことのほかいい返事をもらえた。

「練習のない火・金と日曜なら使ってもええよ」

 肥野先生は言った。

「ええんですか?」

 古館はあっさりとした肥野先生の返事にちょっと驚いた。

「うん。機材も使ってええけど、壊さんようにだけな。ま、君やったら大丈夫やろ」肥野先生はにっこり笑った。「――なんか嬉しいんよ。部活もあんまり出てくれへん君が、形は違っても音楽に興味持ってくれてるのが。先生、協力するで」

「はあ」

「三月のパーティーに出るための練習やろ?」

「まあ、そのつもりですけど」

「じゃあなおさらや。まあきばりぃや」

「なんか贔屓されてるみたいですね」

「やる気ある子には贔屓してもええと思うねん、先生は」

 とまあこんなやりとりがあったらしく、とりあえず火・金の放課後と日曜は練習場を確保することができた。古館から報告を受けた僕達が、万歳しながら飛び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもない。

 かくして僕達は学校の音楽室という立派な練習場を手に入れ、本格的に練習をはじめたのだが、まともに演奏できたのは大方の予想通り、古館だけだった。

 これでも前に高本の家で合わせた時よりは少しましになっていたのだが、それでも古館はやはり露骨に焦りの表情を見せた。

「これはかなりの練習、というか基礎知識が必要やな」

 古館は唸るように言った。

 今は十一月。お披露目は四ヵ月後の三月十五日。

「いやあ、まだ四ヶ月あるし」

 僕はへらへらと力なく笑った。

「四ヶ月しかないんや」古館は厳しい顔で言った。「よし、もっぺん最初から合わせてみよか!」

 古館は張りのある声でワン、ツー、スリー、フォーとカウントした。

「いやあ。バンマスってかっこええな」

 松木が他人事のように呟いた。同感だ。

 僕達はいつの間にか古館をリーダーとして奉っていた。



 それぞれが自宅でこつこつと練習を積み重ねる、という日が続いた。

 それにしても高本という男はやはりこつこつ何かを続けるという作業に向いているようで、ドラムに合わせて一定のペースでピッキングする、という単純な練習を地味に粘り強く続け、着実にパンクロックのシンプルなリズムを体の中に叩き込んでいった。

 実際に高本の家に行き、ヴォーカルとベースだけで何度かジャムセッションなどをしたが(もちろん前段の反省を踏まえ、ベースアンプのボリュームも僕の声のボリュームもごくごく小さく絞ってのことだ)、少しテンポはスローだったがリズムが狂うということはなかった。

「おお。腕上げてるやん」

「まあな」

「地道にやっとんなー」

ここはええからな。覚えだしたらすぐやで」

 高本はにやりと笑った。

「それにしてもおまえのベース、ノイズが多いな」

「ああ、これは――」高本はベースアンプのスイッチを切り、ベース本体とつながっていたシールドを抜いてジャックの部分を僕に見せた。「多分こいつが原因や」

 なるほど、所々に緑色のサビがぽつぽつと浮いているのがわかる。

 シールドは消耗品である。もちろん劣化もするし、劣化するとノイズが増える。高本の場合はシールドも姉ちゃんのお下がりなのだ。

「寿命なんかな」

「姉貴も長いことほったらかしてたみたいやからな」

「買いに行くか? 安いもんやろ」

「この辺で楽器屋なんかないぞ」

 僕は得意げに言った。「ああ、この辺にはないな。でもおれは楽器屋知ってるぞ」

 もちろん、一方的に馴染みの北野レコードのことである。

「ほんまか? どこにあんねん」

「駅でゆうたら、淡路や」

「へー。意外と顔でかいな」

「それを言うなら広い、や」

 というわけで僕と高本は四十分後、北野レコードの例のショウウインドウの前にいた。

 久しぶりに会ったグレコ社製・黒のレスポールカスタムは僕の姿を見るなり、

「兄さん。ちょいと久しぶりでんな。長いこと顔も見してくれんと何してましてん?」

「ほんまや、兄さんや。わいら、首なごぉして待ってましてんで」

 と、横に吊られているストラトキャスターと夫婦漫才を始めた。

「実は友達とバンドはじめましてん。でもわてはヴォーカルやさかい、とりあえずはお宅さんらと一緒に商いすることはなさそうですわ。残念でっけど」

 ショウウインドウをぼうっと見ていた高本は、突然ぶつぶつと一人で喋りだした僕を見てぎょっとした。

「何や。誰に喋っとんねん」

「独り言や」

「えらいはっきりした独り言やな。びっくりするやんけ」

「気にせんといてくれ。ここに来たらおれはこうなる」

「ほんま不気味な男やで」

 ともかく今日は大手を振って北野レコードの敷居をまたぐことができる。僕達はドアを押して店内に入った。

「いらっしゃい」

 雑誌を読んでいた例の眼光鋭い四十がらみの店主は僕の姿を見るなりびく、と体を硬直させた。

 ――来た。いつもショウウインドウを覗き込んではよだれをたらしながら白目を剥いていたあいつが、ついにうちの敷居をまたぎやがった。今日は友達も連れている。一体何しに来やがったんや。

 店主の目は今にもそう言い出さんばかりにぎらついていた。

 店内に入ると、レスポールとストラトキャスターは背中を向け、急によそよそしい表情を覗かせた。

「店の中に入ってもろたらわいらの仕事は終わりでんねん。あくまで仕事はキャッチやさかいにな」

 蛍光灯の光をびかり、と反射させたレスポールの背中はそう語っていた。

 ふふ。そうでっか。そんな態度とりまっか。かましまへんで。あいにく今日は別の用事で来ましてん。

 僕はレスポールの背中めがけて余裕たっぷりの笑みを一つ送り、高本と狭い店内をうろうろしはじめた。

「あった。これや」

 高本はレジ横の壁面に架けられているシールドの束から『3m』とパッケージに書かれているものを選んだ。

「何や。君ら、もうギター持ってるんか?」

 実に意外そうに、店主が声をかけてきた。

「いや。僕が持ってるんはベースです」

 高本が財布を出しながら答えた。

「ふーん。そうやったんか。そっちの君は?」

「僕はヴォーカルです」

 僕は意識して下唇を噛み、「ヴォ」と発音した。そしてすぐにそんな自分が恥ずかしくなって赤面した。

「そうか。いやな、ちょいちょい君はウインドウを覗きに来てたやろ。そん時に山崎ハコみたいな情念こもった恐ろしい目でレスポール見てたからな。まだ楽器は持ってないんやと思てた。そうかそうか、君はギタリストやないんやな」

 けっこう話好きの親父だ。いかん。これ以上話していると僕が馴染みでも何でもない一見さんであることが高本にばれてしまう。僕の鼓動は急速に高まった。

「ほな、また来ます」

 僕はきびすを返し、出入り口のドアに急いだ。

「何や急に」

 高本は紙袋に包んでもらったシールドと財布を鞄にしまい、不思議そうな顔をして僕についてきた。

「兄ちゃんら、また来てや。あのレスポール、ええ音で鳴るで」

 店主の声が背中に投げかけられた。僕はドアを開けながら軽く店主に会釈した。

 ふう。危なかった。くそ、おしゃべり親父め。

「墨田ぁ」

 商店街を駅に向かって歩きながら高本が話しかけてきた。

「何や」

「おまえ、ほんまに馴染みか? あの店」

「そうや」

「何かあんまりそんな感じに見えへんかったけどな」

「馴染みの店や。北野さんは、ちょっとそういうとぼけたことを言うとこが味なんや」

 北野さん、という所に少し力を入れて僕は言った。しかし北野レコードの店主だからといって彼が北野さんであるかどうかはわからない。

「ふーん。まあどっちでもええけど」

 軽い口調で言いながら、高本は僕より先にその視線に気づいた。

 僕達の真正面二十メートルほど先に、坊主頭が三人立っていた。

 年は僕達とたぶん同じくらいだろう。身長も僕達とあまり変わらない。

 その内二人はにやにやしながら、一人は口をへの字にしっかり結んで刺すような視線を叩きつけてきている。僕はうんざりした。

「墨田」

「うん」

「まともにメンチきられてるんやけど」

「きられてるな」

「どうする」

「どうするも何もおれらの進行方向や。無視したらええやろ」

「ちっ」

 話しているうちに、僕達と坊主頭達との距離は二メートルほどになった。僕と高本は絡みついてくる彼らの視線を無視し、その横をすり抜けようとした。

「おい。ちょっと」

 やっぱりだ。背中に声をかけられた。僕はため息をついた。

「待てや。聞こえてるやろ、こら」

 無視するのも限界だ。僕達は振り向いた。

 にやにや笑いの二人はひょろりとしていて、顔がそっくりだった。双子なのかもしれない。一人は相変わらず口をきっちりとへの字に結び、凶悪な目つきを向けている。両眉がなく、蟹の甲羅を思わせる造作をしていた。

「何や?」

 僕が言葉になるべく険を込めないようにして言った。

「おまえら、この辺のやつらちゃうやろ」

「おう。違う」

「どこや」

「千里や」

「千里ぃ? どこやねんそれ? えらいご大層で遠そうな名前でんな」

 双子の一人がひゃひゃ、と下卑た笑い声を上げた。

 その笑い声で、高本のハートにスイッチが入った。

「おい。こっちかてな、おまえらみたいなはげしかおらんぼんさん学校知らんのんじゃ。なめとったらいてまうぞ、あほんだらぼけかす」

 高本がずいっと前に出た。顔が紅潮していた。高本の言葉に反応し、双子の表情が変わった。

「おまえら……赤潮中知らんねやろ」

「けっ知るかいや。お経でも唱えとけ」

「地元帰れや大江千里さん。ここらででかい顔すんな」

「何や、この商店街はおまえらのもんか。ここは天下の往来ちゃうんか。いちいちおまえらに頭下げてから歩かなあかんのかい、おお⁉」

「――おい。おれらは用事あってここに来ただけや。もう帰るからかまわんといてくれ」

 僕は両者をなだめに入ろうとしたが、もう手遅れだった。蟹の顔も高本に負けず劣らずほぼ朱色に染まっており、先ほどより一層本物の蟹に近づいていた。

「このぼけが……!」

 蟹が近づいてきた。

「あ~あ、岸田怒らせてもうた」

 双子の片割れが言った。

 僕は諦めた。もうだめだ。こうなったら先手必勝だ。

 どう考えても一番強そうなのは、この岸田とかいう蟹だ。

「――おおおおっ‼」

 僕は一声腹から叫ぶと、蟹の顔面に全体重を乗せた左ストレートを叩き込んだ。

 蟹は、先に手を出すとしたら高本だと思い込んでいたのだろう。僕のパンチに対しては完全に無防備だった。

「ぐっ」

 蟹は小さくうめき、両手で鼻を押さえて片膝をついた。

 僕の左ストレートが合図だった。

「……うらぁ‼」

 高本が足の甲で蟹の顔を、押さえた両手の上から力いっぱい蹴った。蟹は顔を押さえたまま、後ろに倒れた。

 指の隙間から血が吹きこぼれている。高本はそのまま蹴った方の足で蟹の腹を思い切り踏みつけた。

 蟹は体をくの字に曲げ、無言で苦しんでいた。

 双子は蒼白になり、ぽかんと口を開けていた。完全に戦闘不能状態だ。

 思った通りだ。強いのは蟹だけだ。この双子は蟹の取り巻きだ。

 そう思った途端、腹の底から怒りがマグマのように噴き上がってきた。

「おまえらもやったんどらぁ‼」

 高本が叫んだ。その声で、ふと我にかえった。

「高本。――行くぞ」

 引き時だ。僕は高本の肩を掴んで強引に駅の方に歩き出した。ぐずぐずしていてこいつらの仲間にでも出くわしたら面倒なことになる。

 高本は完全に怒りで自分を見失っていた。ふーふー、と肩で息をしていた。

 僕は高本の肩に手を廻し、急ぎすぎないないように、でも遅くなりすぎないように歩いた。そして駅の切符売り場で二人分の切符を買い、改札を通った。

 幸いにも電車はすぐに来た。僕達は無言で電車に乗った。

「くそ。あんの二人組」高本は悔しそうに、固く握り締めた拳で自分の膝を殴った。「偉そうにしゃあがってくそ。あいつらもしばきたかったわ。くそ」

「あれ以上はやばかったって」

「先におちょくってきたんはあの二人や!」高本は吐き捨てるように言った。

「勝ったからええやんけ」

 僕は努めて穏やかに言った。

「くそ。あの二人、どつきたかった。くそ」

 高本は諦めきれないようだった。車窓から外の景色を睨みながら、「くそ。くそ、くそ」と何度も呟いていた。

 僕は自分のとった大胆な行動に驚きながらも、これで当分は北野レコードにあの黒のレスポールを見に行くことはできなくなったな、などと考えていた。



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