第10話 3人での初音合わせはあまりにひどいレベルだった。

 それにしてもトレイン・トレインの初練習はまあひどかった。

 吹奏楽部の古館が、

「音楽室を練習に貸してもらえるか、顧問の先生に聞いてみるわ」

 と言ってくれたので、それは古館に任せた。

 僕と松木と高本の三人はまあとりあえず、という感じで高本の部屋に集まった。一番広い高本の家なら、まあ一戸建てだから雨戸を閉め切って演奏すれば隣近所にもあまり迷惑にならないんじゃないか、というのが僕達の考えだった。

 担任の松井先生が、

「パーティーの出演者は、一組あたりの持ち時間は十分くらいだぞ」

 と言っていたので、ちょっとしたMCを挿んだとしても演奏できるのはせいぜい二曲といったところだ。というわけなので四人で話し合い、曲は〈リンダ・リンダ〉と〈TRAIN-TRAIN〉でいこうと決めた。

 それぞれ自宅で猛練習しておくように、と古館に厳命されていた。

 当時、リリースされたばかりの〈TRAIN-TRAIN〉はスコア(譜面)がまだ出回っていなかったので、さあ困った! と僕達が言っていると、

「おれが耳コピ(スコアを見ずに耳で曲を聞いて音を拾うこと)して譜面に起こすわ」

 などとかっこいいことを古館が言い、本当に譜面を自分で書いてきた。しかも僕達はオタマジャクシが一切読めないので、タブ譜(指で押さえるべき弦の場所が書いてある、初心者用の譜面)まで書いてくれたのだ。

 なんと粋なことをする男だ、と僕は心底感心した。

 そのスコアが事前に配られていたので(この時点で僕は古館の本気さにかなり驚き、そして喜んでいた)、僕達はそれぞれ自宅で猛練習、してきたはずだった。

 それなのに、だ。

 ドラムが無いのでリズムは高本のベースに合わせようとするのだが、このベースがまた速くなったり遅くなったり。ピッキングやフィンガリングは思ったほど問題はなかったのだが、とにかくリズム感が悪い。ちなみに高本という男、走るのは速いがなぜかスキップができない。無理にさせると縄文人の雨乞いを思わせる不気味な動きになる。さすがに僕も苦言を呈した。

「おまえスポーツマンやろ。スポーツとリズム感は切っても切れん関係なはずやろうが。あほんだらぼけかす」

「ほんまじゃおまえ。そんなんで女の子をキャーキャー言わせられるか」

 と言った松木はハイコードをきっちりとセーハする(人差し指を指板にぺったりと寝かせて六弦全部を一気に押さえつける)ことができなかった。だからFコードをストロークする時は「ジャラーン!」ではなく「ぺけぺけぺけぺけぺけぺけ」というベンチャーズが風邪をひいたような音が出る。もちろん高本のベースにも合わせることができない。そしてそもそもギター、ベースともに正しくチューニングができていないので、思わず背筋が寒くなるような微妙で不愉快な不協和音を奏でる。これでキャーキャー言うのは縄張りを侵されたニホンザルくらいのものだ。

「うーん、どうしょうもならん!」

 僕は唸った。という僕もかなり酷かった。

 ブルースハープという楽器をいわゆるハーモニカ(学校で配られたブルーのやつ)とまったく同じに考えていて、ブルースハープが『キー』ごとに分けて作られているということを知らずに、練習曲の〈TRAIN-TRAIN〉とはまったく別のキーのブルースハープを買ってきてしまったのだ。だから僕のハープのパートだけがいびつに異なる調を奏でている。

 そしてブルースっぽい音色を奏でたい時は、クロスポジションといってあえてキーをずらしたハープを吹くのだ、ということも古館に教えられるまでまったく知らなかった。八歳の頃に、可愛がって育てていたカブトムシ(名前はイチ。最初に飼ったカブトムシだからだ)が死んだ時のことを思い出し、とびっきり悲しい気持ちで、かつ往年のジャン・ギャバンを彷彿とさせるとびっきり哀愁ただよう表情で吹けばおのずとブルースっぽく仕上がる、要は気持ちの問題だと強く信じていた。

 そんなわけで、一回音を合わせただけで僕達の疲労はピークにきた。

「アンプも通さずにぺけぺけ弾いてても感じ掴めんな。アンプつないでみるか」

 高本が提案した。

「よし。つないでみよう」

 松木が同意し、サミック製の小さなアンプ一台にギターとベースのシールド(ケーブル)を両方突っ込んだ。

 電源を入れて、まったくわかりもしないので適当にボリュームやトーンなどのツマミをいじる。

「ようし。いくでえー」

 松木がにやりと笑い、弦をぶっ叩くように勢いよくストロークした。

 ぐわあああん‼ と轟音が家中に鳴り響いた。

「あかん。でかすぎた」

 松木が焦ってあたふたとツマミをいじくりまわしている間もきゅわわわいーんよいんよいん、とアンプとギター、ベースは大音量でハウリングを起こす。時代が時代なら空襲警報と間違えられてもおかしくないくらいの音だ。

「じゃかましわい‼」

 ドスの利いた声とともに隣の部屋からどご、と壁を殴る音が聞こえた。高本の姉ちゃんだ。この姉ちゃんも元ヤンキーで、バンドを組んでいた。高本のベースはこの姉ちゃんから譲ってもらったものだ。

「高本。――おまえ、今日姉ちゃんおるやんけ!」

「先ゆうとけよ!」

 僕と松木は小声で高本に抗議した。

「いやあ、おれもこんなでかい音鳴るとは思ってへんかったし……」

 高本は口を尖らせて静かに言い返した。

「やめやめ! アンプ切れや」

 僕はしつこくツマミをいじっている松木に言った。松木は、なぜかしぶしぶ、という感じでアンプの電源をオンにしたまま、シールドをひっこ抜いた。当然、ばつん! という耳を覆いたくなるほどの大きな音がした。

「おまえらマジええ加減にせえよ‼」

 ドスの利いた声とともに再び隣の部屋からどご、と壁が殴られた。

 この姉ちゃんは本当に恐ろしい。高本より五つ年上のこの人物は、当時吹田市をほぼ制圧していたレディース連合の総長にも顔が利く、というもっぱらの噂だった。十九歳になっていた当時はもうヤンキーは卒業していて、真面目に簿記の専門学校に通っていたらしいが、それでもそのドスの利いたハスキーボイスは巻き舌にしなくても十分恐ろしかった。レディースの集会に出ていた時の、フルメイクで木刀を持った写真を見たことがあるが、元女子プロレスラーの北斗晶の現役時代に酷似していた。というよりもう北斗晶だった。

 高本の部屋はしん、と静まり返った。

「……北斗晶、おるってゆうとけよ」

 松木がごく小さな声で言った。

「……ごめん」

 高本はすっかり小さくなっていた。

「しかしまあ、雨戸閉めても自宅でアンプ使った音合わせはやっぱり無理あるわ」と僕。

「うん……頼みの綱は古館の音楽室やな」

 松木が小刻みに頷きながら言った。

「とにかく、自宅ではやっぱりちくちく小さい音で練習するしかないな」

「無理か……うーん」

 高本が唸った。

 僕達はアンプを切ったその後も、まるで在りし日のカヒミ・カリィのようなウィスパーボイスと音で〈リンダ・リンダ〉と〈TRAIN-TRAIN〉を二時間きっちり練習した。幸いなことにそれ以降は隣からの「やかましわい‼」と壁殴りは無かった。

 そしてひそひそ二時間練習した僕達はしずしずと楽器をしまい、高本の家を後にした。

 後日聞いた話だが、僕達が帰った十五分後に高本は、

「あのごっつい音がきっかけでどうしても昼寝ができなくなった」

 という至極当たり前の理由で姉ちゃんから強烈な往復ビンタをきっちり四往復分喰らったらしい。

 そして腰痛が原因で寝たきりだった(二階にいたらしい)高本のじいさまは、あの轟音で掛け布団ごと十センチほど空中に飛び上がり、その後なぜか腰痛がすっかり治ったという。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る