第7話 ドラマー候補はとびきり問題児だった。

 誰がどのパートを担当するかしっかり決めよう、という話になって、僕達はとある日曜日に高本の家に集まることになった。

 まず松木の家に寄ると、すでに黒いストラトタイプのギターがでんと置かれていた。僕はクラシカルなコミックスよろしくズッコケそうになった。

「どうや。おれのエレキギター様の淫靡な輝きは」

 松木は自慢げに鼻をひくつかせた。「アンプやらソフトケースやら教則本やらのフルセットで19800円や」

「おい松木」

「何や」

 パートの話は? と心底訊ねたかったが、高級仏壇のような深い光沢を放つ新品のギターを、まるでお釈迦様でも拝むがごとくうっとりと仰ぎ見る松木の横顔からは、

「マーシー(当時はブルーハーツのギタリスト)のポジションは誰にも渡さん!」

 という強い意志の力がそこはかとなく感じられた。そういえば、松木はBOOWYでも布袋寅泰派だった。

 そんなわけで僕はとりあえずギタリストへの道を断念した。

 そして鼻歌混じりの松木を伴って高本の家へ行った。

 高本の部屋にはちゃっかりと赤いベースがスタンドに立てかけられていた。

「姉貴のお古や。アンプと一緒に5000円で譲ってもらった」

 それが何か? とでも言いたげな表情で高本はさらりと言った。僕は今度こそハトヤの逆三段スライド方式でコケてしまった。

 だからパートの話は? と二人の瞳を真正面から覗き込んで訊ねたかったが、やがてきっぱりあきらめた。高本はBOOWYでもマイノリティな松井恒松派だった。

 高本も上機嫌だ。

「墨田。おまえドラム叩けるか?」

「そんなもん叩けるかいな」

「でもドラムキャラやしなあ」

 松木が小刻みに頷きながら賛同した。

「あのな、体格とか雰囲気とかで決めるなよそんな大事なこと。ややデブが歌ったらあかんのか? え、ヴォーカルとったらあかんのか? ビジュアルも、そらあ大事やけどシロウト集団のおれらの場合はテクの方が大事なんちゃうんか?」

 僕は一気に熱い想いをまくし立てた。

 松木が「あ」と言った。

「そういえば墨田は声がでかい」

 高本も「あ」と言った。

「ほんまや。合唱コンクールの時、ソロパート与えられてたなおまえ。ほんまにでかい声やった」

 決して「歌がうまい」と言わない。

 そう、僕は声がでかい。決して歌がうまいわけではない、が。

「じゃあ、割と小マシに歌えるかもしれんな」

「今からドラムの練習するよりはな」

「というわけで墨田君。ヴォーカル就任、おめでとう!」

 高本はからりと笑って言った。

 高本の悪声は校内でも有名だった。その酷さたるやリサイタル時のジャイアンよろしく、聴かされた者は悶絶必至発狂寸前、件の合唱コンクールの時も「横で歌われると頭痛・吐き気・目まい・寒気・その他ひどい倦怠感におそわれる」とクラスメイトからクレームを受けた。

 僕にドラムを叩けるテクニックも設備もなかったので、半自動的にヴォーカルを担当することになった。まあ本意ではあったので文句はないけれど。

「ドラマーの心当たり、あるか?」

 僕は二人に訊ねた。

 ヴォーカル、ギター、ベースは決まった。だがドラムがいないと話にならない。

 素人バンドを結成する時に最も見つかりづらいパートがドラマーだ。設備を揃えると金もかかるし場所も取る。生音もうるさいので、自宅でしこしこ練習できないのがドラムの難点だ。だからドラマーはいつの時代も絶対数が少ない。一番多いのはヴォーカルだ。楽器の練習が面倒で、ただ歌ってみたい、という僕のようなやつは佃煮にするほどたくさんいる。

 ヴォーカルは何より目立つ。手軽だ。かっこいい。特別な練習がいらない(というわけでは決してないが、さして頭が良くない中学生はそう考える傾向にあったと思われる)。

「吹奏楽部の古館ふるたちはどうや」

 高本はぼんぼん、とベースの弦を弾きながら言った。僕は眉をひそめた。

「古館? あいつドラムできるんか」

「あいつはドラムが叩きたいがために入りたくもない吹奏楽部に入部したんや。おれ、スカウトしてみるわ。ちょいちょい音楽の話とかしてるからな」

 高本は我がことのように胸を張って「自慢やないが腕は確かやで」と、にやりと笑いながら言った。まったく腕が確かじゃないおまえの台詞ではない、と文句の一つも言いたかったが、僕も松木もここはおとなしく高本のコネクションに甘えることにした。

「うーん。古館か」

 松木が腕組みして唸った。僕はそんな松木をちら、と見た。松木の考えていることは大体わかった。

 僕も松木も、古館に対しては一抹の不安があった。



 古館は猛禽類のような鋭い目をしている。

 彫りが深く、鼻も顎も尖ったシャープな顔立ちで、オリエンタルな雰囲気を持っている。けっこう二枚目だ。手足も長い。と、書くといかにも女の子にモテそうだ。

 ところが実際モテるか、というとそうでもない。

 なぜなら、古館は僕達のようなぺらぺらの『なんちゃって不良』的存在ではなく、れっきとした『硬派の不良』だったからだ。前述したような、松木が怒った時に放つ魔闘気のようなものを常に身に纏っており、近づきがたいのだ。

 古館の兄貴がまた近隣に名を轟かせている超のつく不良で、文化祭の時に他校の生徒を呼び込んで校庭をバイクで走り回っただの、髪の長さを注意された腹いせに「行儀良く真面目なんてくそくらえ」と言いながら職員室のガラスを一枚残らず破壊しただの、中学生にして地元の最大勢力を誇る暴走族の総長と懇意であるだの、ウラでシンナーの売買をしているだの、中高生の少女を集めて売春させているだの様々な伝説を我が中学校に残していた。

 古館も兄貴を通じて高校生の不良グループとつるんでいる、という噂がまことしやかに流れていた。授業にもあまり出ず、休み時間は教室の隅で居眠りをしたり、何か達観したような遠い目をしてクラス内をゆっくりと見回したりしていた。どこか大人びた空気を持っていて、

「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、食べるとしたらどっち選ぶ?」などといったバカがスパークしたような話を振りづらい、とっつきにくい雰囲気のある男だった。

 そんな古館だったので、同じクラスであるにも関わらず僕達からもあまり積極的には話しかけなかった。アオチューをはじめとした他校との抗争に関してもどこ吹く風、といった感じだったのだ。

「そんな小競り合いにいちいち付き合っているほど暇じゃあないんですよ」

 と、その背中が語っているような……まあその時の僕達にはそんなふうに見えた。

 そんなわけだからバンドへのスカウトも気が進まなかった。

「バンド入れぇ? おまえ誰にゆうてるかわかっとんかコラぁ!」

 といきなり怒鳴られたり、

「おれを拘束するには特別料金が発生するで」

 などとニヒルな笑みを浮かべながら言われたらどうリアクションとればいいのか? と本気で考えた。これがきっかけとなって古館とさらなる深い溝が生まれるかもしれんな……とA型石橋叩き主義の僕は少し心配し、背中に汗をにじませた。

 しかし、意外や意外。

 高本から話を聞いた古館はにっこりと人懐こい笑顔を見せた。

「バンド? ああ、ええよ。ヒマしとったし」

 まさかまさかの快諾だったらしい。しかも高本曰く、「ロックなんかうまく叩けるかなあ。部活でやってんのはブラバンやからなあ。おれ、足引っ張るかもやでぇ」との謙遜まであったという。

 いやいやいやいやいやいや足引っ張るのは間違いなくおれらですよ古館君‼ という言葉を僕達は際どいところでぐっと飲み込んだ。

 ともあれ、メンバーが揃ったわけだ。

 ヴォーカル、墨田。

 ギター、松木。

 ベース、高本。

 ドラム、古館。

 とりあえずはこの四人で始動することになった。

「よーしよし、揃ったな。ええぞええぞ」

 古館の快諾に、僕達三人はすっかり気を良くした。スロースタートではあるが、ずるずると動き出している確かな手応えが感じられた。



 その日の帰り道、僕はちょっと足を伸ばして駅前の本屋に寄った。

 目当ては音楽雑誌。その名も高きロッキン・オンJAPANだ。今月号のロッキン・オンJAPANでブルーハーツの特集が組まれている、とクラスの誰かから漏れ伝わってきたのだ。

 ロッキン・オンJAPANは一九八六年の十月に創刊された音楽雑誌で、一九七二年に創刊されている洋楽中心のロッキン・オンに対し、邦楽を専門に扱う雑誌として作られた。『2万字インタビュー』という評論家による長いインタビューが同誌の名物だ。当時の僕達バンドキッズは、このインタビューに書かれたひとことひとことに大いに影響されていたのだ。

 天井から釣り下げられた『音楽/カメラ/車/バイク』という看板を目当てに店内をずんずん進む。

 発見。ロッキン・オンJAPANがあった。

 発売されて間もないらしく、平積みで大量に置かれていた。表紙を飾っているのは布袋寅泰だった。

 僕は本を手に取り、ぺらぺらとめくって目次からブルーハーツの特集ページを探す。

 あった。早速開いてみた。モノクロのページにヴォーカル・甲本ヒロトをはじめとするメンバー四人の大きな写真が載っており、数ページに亘るインタビュー記事が掲載されていた。

 僕はむさぼるように読んだ。ページのいたる所に、ザ・ブルーハーツのヴォーカリストの黄金のようなきらびやかな言葉がこれでもか、とちりばめられていた。



『セックスピストルズのシド・ヴィシャスに憧れてたんですよ。だからベースをやりたいなって思ったんですが、結局ヴォーカルを選びました。理由? 誰にでもできそうだったからかな』

『子供の頃のあだ名はボケ作。ろくでもない、何でもないやつだったんですよ』

『中一の頃、ラジオからマンフレッド・マンの曲が流れてきて。聞いてるうちに涙が流れてきて。それまでに、こんなに好きになったものってなかったんですよね』

『基本的に、守るものを持ってしまう、ということがきらいなんです』

『周囲のことなんか気にせず、おれにとってこれが最高! って開き直ってまっすぐ進めるやつが、結局夢を掴むようなやつなんじゃないかな』

『僕には音楽しかやりたいことがなかったんですよ』



 音楽しかやりたいことがなかった。

 中でもこの言葉は特に胸にぶっすりと突き刺さった。

 比べるのも、本当に今考えると顔から湯気が出るほど恥ずかしいが、この頃の僕は自分と甲本ヒロトを等身大で比べていた。あの甲本ヒロトと自分とを、だ。

 まさに月とスッポン、ちくわとステーキ、レースのパンティとおっさんのブリーフ。……ちょっといい形容が思いつかないが、つまりそれほどの差がある二人を、『若さ』と書いて『バカさ』とルビがうたれた少年はいともたやすく比較していた。

 そして思った。おれにとってロックとは、少なくとも「音楽しかなかった」と胸を張って言えるほどのものじゃないな、と。発想自体があまりに幼く、青々とした臭気がぷんぷん漂ってきて照れてしまう。

 気がつけば僕は買いもしないロッキン・オンJAPANをぎゅっ、と握りしめていた。店員の茶髪の兄ちゃんが不審者を見る目つきで僕を凝視していた。


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