第17話 物語の幕切れはいつの時代も劇的だ。
古館が死んだという報せを聞いたのは、それからたったの一週間後だった。
日曜の朝に、松木から電話がかかってきたのだ。
『もしもし……墨田?』
「おう、早いな。どうした。練習出られへんのか」
『古館が死んだ』
「え?」
『古館が死んだ』
「ほう。今からドラマー探すの難儀やな」
『聞け、墨田。冗談やないねん。古館が死んだ。昨日』松木の声は小さく震えていた。『死んだんや。古館が』
「…………真に迫ってるぞ」
『嘘やない。バイク事故や。学校のすぐそばで』
「…………いやあ、嘘や」
『嘘やない』
「嘘や」
『嘘やない』
「嘘やって」
『嘘やないねん』
「嘘つくな‼ しばくぞおまえ、こら」
『…………墨田…………』
松木の声以上に僕の足もがたがたと震え、立っているのが困難なほどだった。
その後はぼんやりとしか、松木の話を憶えていない。
古館は深夜、高校生の先輩から借りたバイクに乗っていた。スピードを出し過ぎていたようで、コーナーを曲がりきれずにガードレールに激突して首の骨を折ったらしい。即死だった。
松木は、だいたいそんなようなことを話していた。
電話を切ったのが僕からだったのか、松木からだったのかも憶えていない。気がつくと電話は切れていて、僕は受話器を架台に置いて立ち尽くしていた。のどがからからに渇き、唇がひび割れていた。
『古館が死んだ』
そうか。古館は死んだんか。
『古館が死んだ』
そうか。嘘やないんやな。
そのフレーズだけが何度も頭の中でリフレインし、実際に古館がこの世からいなくなってしまったという事実とはまったくリンクしなかった。
「そうか。古館、死んでもうたんか」
そう口にしても、やはり現実の『古館の死』とは頭で結びつかず、どこまでも乖離しているように感じた。
身近な人が死ぬ、ということ自体、その頃の僕達にはまだリアリティーなど無かった。
告別式は、町の小さな公民館で行われた。
うちのクラスの生徒はもちろん全員来ていた。他校のいかにも不良、といった感じの見たことのない生徒も何人か来ていた。なぜかアオチューの不良どもも、一様にふて腐れたような沈痛な面持ちで参列していた。
先生達も涙を流していた。悦居洋子は号泣していた。その場にいる全員がしゃくりあげていた。……僕達三人以外は。
僕達三人はというと、なぜか泣くことができずにいた。
古館が死んだ。あの古館が死んだのだ。まだ現実を受け入れられずにいた。
あの強い古館。恐ろしい古館。賢い古館。ロックな古館。優しい古館。大人びた古館。そして誰よりも友達や仲間を想う気持ちが強く、それゆえに周囲に壁を作らざるをえなかった古館。
その古館が、この世から消えてなくなったのだ。あまりに劇的な環境の変化に、気持ちの整理がまったくついていかなかった。
何も考えられなかった。僕と松木、高本の三人はただ漠然と、古館の遺影だけを見るともなく見ていた。
結局『卒業生お別れパーティー』のステージに、僕達トレイン・トレインは立たなかった。本番のたった二週間前からドラマーを探しても見つかるはずもなかったし、古館がいないのなら僕達はもはやトレイン・トレインではないからだ。
ヴォーカル墨田。ギター松木。ベース高本。そして、ドラム古館。
それがトレイン・トレインの編成だ。それだけは永遠に変わらない。トレイン・トレインにメンバーチェンジはないのだ。
つまり、僕達の半年間はまったくの無駄に終わった。
ふと高本を見ると、古館の棺にそっとドラムのスティックを入れていた。
それからの数ヶ月間は、あまり記憶に残っていない。書くべきこともあまり残っていない。
残された僕達は以前のような状況に戻ったものの、松木は新しくできたバイク好きの友達と遊ぶことが多くなった。古館をバイクで失くしたのに馬鹿なやつだ、と僕は思ったが、それでも週に一度は松木の部屋に行き、BOOWYやブルーハーツを聞きながら馬鹿な話をしていた。しかし会話が以前ほどの熱を帯びることはなかったように思う。
高本はまだ三年にもなっていないというのに、徐々に本格的な受験勉強をはじめたようだった。そもそも三月まではバンドに付き合う、という話だったので、これには反論のしようもない。学校が終わると家にすっ飛んで帰り、黙々と勉強をしているようだ。陸上部の顧問の先生が、
「たまには部活にも顔出すように墨田からもゆうといてくれ」
などと口を尖らせて言っていた。
そして不思議なことに、古館が死んでからアオチューがちょっかいをかけてくることもなくなった。それこそ潮が引くように、だ。因果関係は不明である。
僕はというと……以前よくしていたように、学校の図書室にこもって小説を読んで過ごす時間が多くなっていた。星新一や眉村卓、筒井康隆といったSF入門書や、江戸川乱歩、コナン・ドイルといったあたりのミステリー入門書を飽きることなく、下校時刻になるまでずっと読んでいた。
三人がそれぞれ、まったく別々の時間を過ごすようになっていた。
すっかり歳をとった今でもふと、やっぱりあの半年間は夢か幻か、それとも妄想か何かだったんじゃないかと思うことがある。
現実味が薄いのだ。今までに僕が過ごしてきた人生においても、あの時間はあまりに鮮烈で美し過ぎる。
僕はぼんやり読んでいた星新一の文庫本を閉じ、窓の外を見た。下校時刻が迫り、雲一つない空が青から鮮やかな紫色に近づいていた。
「――むらさきいろ」
僕ははっきりと声に出して言ってみた。
紫色を作るために必要な色は赤と青だ。同量の赤と青の絵の具を混ぜ合わせればいい。ただそれだけのことだ。
しかし、僕の気持ちの水面に浮かぶ赤と青のまだら模様は混じり合うことも、美しい紫色になることもなかった。
鮮やかな光彩を放つと信じていたサイケデリックな二つの色は、混じり合いかけたものの一つには融けあわず、水面を微妙に揺らめきながらゆっくりと離れ、やがて正反対の方向にそれぞれ流れ去っていった。
わかっていた。そうなることはわかっていたのだ。
空の紫色は濃くなっていた。星が一つ強く輝いていた。
あれがたぶん金星なんだろうな、と僕は何となく思った。
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