第2話 ヤンキーのゲンコツは今も昔も痛い。
五時限目の授業とホームルームが終わり、やれやれ、といった感じでクラスメイト達はそれぞれに帰り支度をしていた。
僕は弁当箱だけが入った鞄を机の上に置き、一緒に帰る約束をしている松木と、さて今日はどこへ寄り道して帰ろうかなどと考えていた。
どさり、と乱暴に隣の席に座る男がいる。松木だ。鞄を手にしていた。
「ふうううう」
彼はわざとらしく大きなため息をついた。
憮然とした表情だ。「どうしたんや?」と訊ねてほしくてたまらない、といった表情だ。その表情一つで、何があったのかもう聞くのもいやになった。
「今そっち行こうと思てたんや」
僕は松木のため息を無視して明るく言った。「出ようや。ハトヤでアイス食って、飲みもんと食べもん買って、その後おまえん家。こち亀の続き読ましてくれや」
ハトヤとは文房具屋と駄菓子屋が合体したような小さな店で、こういった店は当時小学校や中学校のそばには必ず一軒はあった。ノートや鉛筆や消しゴムといった小中学生に必要な文房具は言うに及ばず、おはじきやビー玉やメンコ(関西ではベッタンという)、箱がぼろぼろになったプラモデル(『ガンガル』とか『ザブ』といったガンダムのパチもんが多かった)、百連発の巻弾銃、銀玉鉄砲、ゲイラカイトといったごしゃごしゃとしたおもちゃいろいろ、駄菓子全般などが売られている。
そういえば僕が子供の頃おばちゃんだった女主人が、ほんの五年ほど前お店に訪れた際、当時とほとんど変わらない老け方でそのまんまおばちゃんだったのには驚いた。これは駄菓子屋あるあるというよりはもはや都市伝説の一つといえる。
「墨田、今日はアイスもこち亀もなしや」
松木は暗い声で僕の話を遮った。そしてまた「ふうううう」と重いため息をついた。
「……何で?」
全然訊ねたくなかったが、こんなため息を真横でつかれて無視していられるハートの持ち主なんてゴルゴ13か霞拳志郎かレイザーラモンRGくらいだろう。
「アオチューの奴ら。四人くらいで校門に来てるって。高本がゆうてた」
鉛を呑んだように胃が重くなった。
やっぱり来たか。そろそろ来る頃だと思ってはいたが、案の定気持ちが沈んだ。
「こないだのリベンジや。なんか山根が仲介みたいになってるらしいわ」
「山根が?」僕は吐き捨てるように言った。「あいつ、ほんまどっちの味方やっちゅうねん。腹立つわ」
「山根はまあええ。今度高本と三人でじっくり詰めよや。問題は今日や」
松木は淡々と言った。
「裏から出るか?」
「山根が仲介になってるんやったら今逃げても無駄やな。夜に家まで来られそうや。山根がおれらの住所、あいつらに教えるやろ」
「夜に家まで……」
夕飯を食べ終わり、家族でテレビを見ながらくつろいでいる夜八時半頃に、よその学校のチンピラが金属バットを持って我が家を訪ねてくるシーンを想像した。その時の両親の顔を想像した。もっと気分が悪くなった。
「それはめんどくさいな……」
「せやろ? だから今日はちょっと真っ向から話そうや」
「話だけで終わる気がちょっともせえへんけどな」
「……そん時はしゃあないな。いつかこうなるとは思っとったけど」
「高本は?」
「部活でがっつりしぼられてる。ほな行こか」
松木は勢いよく立ち上がって歩き出した。
彼は既にきっちりと戦闘モードに入っており、背中から立ち昇る深紅のオーラが昇り龍の形になっている。松木はこういうシーンで妙に突っかかってゆく姿勢を持つ男で、そういう男を友人に持つとこちらがとても困ることになる。
先に立って大股で歩く松木を見ながら、僕はこの男との出会いを思い出していた。
最初に会ったのは小学校の入学式だ。同じクラスで、僕の後ろの席に座っていたのが松木だった。
松木はカマキリのような逆三角形の顔をしていて、あごが尖り、大きな優しい目をしている。すぐに僕の方から話しかけ、仲良くなった。放課後は毎日一緒に遊んだ。映画やマンガや音楽、小説といったサブカルチャーからミリタリー関係、世界情勢、科学、物理などいろいろなものに興味を持つ男で、会話の引き出しがとにかく多い。
手先もとても器用で、殺虫剤や潤滑スプレーやその他簡単に手に入る薬品、そして固形燃料や爆竹花火や鉛、ガスバーナーやライターなどといった、『危険』と記載されているあらゆる素材を使って非常にデンジャラスな、武器のようなおもちゃをよく密造していた。松木いわく、
「『危険』と書かれていたらもうそれだけで、どれだけ危険か試したくてたまらなくなる」らしい。言ってみれば好奇心なのだ。少々いびつだけれど。
そういえば、
「エアソフトガンを改造して、ダーツの矢を三百メートル以上も飛ばすボウガンを作ったんや」
と僕にこっそりと耳打ちしたこともある。
それの試射式をやるというので、放課後に二人で空き地に行き、そいつの試射に付き合った。十メートルくらい離れた所から古ドラム缶に向かって、「がいーん」という鋭い音と共に射出されたダーツの矢は、どういう機構になっているのか僕には想像もつかないが、いとも簡単にドラム缶を貫通して後ろのコンクリートブロックの塀に深々と突き刺さった。洒落にならない殺人兵器を作るな、とその時は本気で説教した。
そういえばちょっとした口喧嘩はしばしばあったが、それが殴り合いにまで発展したのはただの一度きりだ。些細な言い合いが怒鳴り合いになり、とうとう彼は足の甲で僕の太股を蹴ったのだ。蹴った後、両手で僕の肩を突いた。松木は手足が、まっこと羨ましいことにとても細いのに底知れぬ馬力を持っていて、肩を突かれた僕は大きくよろめいた。それにかっとなった僕は左ストレートを彼の胸に叩き込んだ。どむ、というくぐもった音がして、
「うぐ」
と呻きながら松木はその場に座り込み、俯いた。そして小さく肩を震わせて泣き出した。そばで見ていた友人達が青い顔をしていた。
大変なことをしてしまった、と僕は大いに動揺し、もしかしたらこの大切な友人を失ってしまうかもしれないな、そして先生や親にこっぴどく叱られるだろうな、と色々な覚悟をした。
しかし松木は誰にも告げ口をせず、僕は誰からも叱られなかった。その日の放課後には松木はけろりとした顔で、
「墨田、一緒に帰ろうや」
と声をかけてきた。
そしてその日を境に、この喧嘩の一部始終を見守っていた友人達の中に、
「墨田は、やるときはやる」
という妙なフォーマットみたいなものができてしまい、友人間での僕の扱われ方が微妙に変った。他校とのちょっとしたもめ事や修羅場に駆り出される機会が増えてしまったのだ。勝ったり負けたりで、トータルでの戦績は五分といったところだ。
僕達は上靴を履き替え、一つ深呼吸をして校舎を出た。校門の外の道路に面したガードレールに、一目でそれとわかる五人の不良が腰かけていた。不良の一人はアスファルトに唾を吐き、吸っていた煙草をその唾で消した。
そばに、申し訳なさそうな情けない顔をした山根が立っている。ああ、五人に殴られると痛いんやろうな……という僕の予想は見事に的中した。
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