第3話

 扉が背後で閉まる音を聞きながら、まぶしい光に目を眇める。

 扉を潜った先は、驚くほど、扉の向こう側とは異なる世界が広がっていた。


「庭だ……」


 どこかで小鳥の鳴く愛らしい声が響く。爽やかな風がベールを揺らし、まぶしいほどの陽光が白いドレスを輝かせた。

 歩む足下で鳴るのは綺麗に道に敷き詰められた砂利だ。その道の左右には色とりどりの花が咲き乱れる花壇が広がる。どこを見ても緑と花に彩られ、目にまぶしい。

 思わずベールをまくり上げ、周囲を見回した。


「……扉が」


 消えていた。

 おかしい。僕は扉を潜ってここに来たはずなのに。

 ルゥの背後には何もなく、ただ前面同様花壇に挟まれた道が続くばかりだ。彼方に見えるのは地平で、ただ穏やかで美しいだけの庭が果てなく広がっていた。


「ようこそ、新任さん」


 聞こえてきた声に前を向いた。

 そこに立つ人物に、ルゥは声もなく目を見開いた。開きすぎてちょっとだけ目の端が痛む。


「初めまして、私はレスト。君の前任のだよ。後ろにいるのが私の娘、ルコラ」


 ルゥの前に立っていたのは、すっきりとしたズボン姿の女性だった。髪が、驚くほどに短い。まるで男のような短髪だ――と言っても良いだろう。貴族女性ならば余程の事情でもないかぎりは、腰まで届く長い髪なのが普通だ。それなのに今目の前にいる人は、肩に届くか届かないかほどの長さの髪を楽しげに揺らしていた。


 娘と紹介されたのは、こちらは小柄な少女だった。レストとはまるで似ていない、純粋にを集めて煮詰めたような、愛らしい少女だった。クリーム色のふわふわとした巻き毛を緩く纏め、編み上げている。髪をあげているのならば年齢的には成人しているのだろうが、とてもそうとは見えなかった。パッと見た印象で言うなら、自分より大分下に見える。穏やかな微笑みを讃え、ただ静かに優雅な礼を見せてくれた。


「は、はじめ、まして……わ、わたくし、は…………アーネスト、と」

「ああ、良いから良いから。そんなにかしこまらないで。私と君は同じだろう?」

「いえ、で、ですが、王族の姫君に、対して――……」

「ん? おうぞく? 誰が?」

「……あの、レスト殿下……が……?」

「………………私? え? 私が王族? ………………………………ああ! ああああぁ~~~……なるほど? ああぁ、あぁ! はいはい、は~、あぁ……なるほどねぇ……そう来たか。はいはい……へ~、いやまぁ、なるほど、そうなるかぁ……ってか、そうしたのか……あの野郎共……」

「あ、あの……? レスト殿下……?」

「ああ、いやいや、殿下は止めてくれないかな。レスト。ただのレストで」

「いえ、そのような、わけには……」

「だって私、王族ではないもの。ただの下級貴族の娘だよ」

「……え、っと?」


 彼女の声は爽やかだった。


「逃げたのは王女! 身代わりになったのは私! どうせあいつら自分たちの体面のために事実をねじ曲げて伝えたんでしょ! 気にすんな!」


 朗らかに笑い飛ばされてどうしようかと思った。




 レストは「そんなことはどうでも良いから、この庭を案内しよう」と先に立って歩き出した。一歩が大きい。足が速い。置いて行かれないように小走りになるが、彼女はすぐにそれに気付いたのだろう、すぐに歩調を緩めてくれた。


「ここは良い所だろう?」

「はぁ、そう、ですね……?」

「ここは境の庭でね、現世と結界の狭間に存在している。この世の法則からはやや外れた空間だ」

「はぁ」

「気候は一年中安定している。気温もね。結界が無事である限り、ずっと同じだ」

「それはすごいですね」

「あちらには野菜を育てている畑があるよ。ゴーレム達が世話も収穫もしてくれる。料理もゴーレムがしてくれる。掃除も洗濯も、それ用のゴーレムが存在している」

「す、すごい、ですね……?」

「うん。私の2~3代前の花嫁が魔術、特にゴーレム生成と使役関連の魔術に長けた方でね。研究書も沢山残して下さっているから、興味があるなら読むと良い。図書室においてあるから」

「は、はぁ。……魔術」

「私の先代は農業関係、作物の改良がお好きな方だったな。お陰様で、ここで育てている野菜はどれもとびきり美味しいよ。外から来てすぐなら、きっと感動すると思う」

「そうなんですか……」

「私は主に肉体強化系の魔術が得手でね。残念ながらあまり成果を残せていない。ただ、暇に飽かせて散々身体も剣術も鍛えはしたから、多分そこそこ強いだろう。もし君が剣術に興味があるなら、いくらでもお相手するよ。なにせこれから10年間は一緒に暮らすんだ、時間ならたっぷりある」

「なる、ほど……」

「君は何か得手な魔術はあるかい? 花嫁に選出されるだけあって、魔力量はそうとう多そうだ」

「そんな、ことは……」

「ところでその演技はいつまで続けるつもりだい?」


 ひゅ、と喉がおかしな音を立てた。

 引きずらないようにドレスの生地をたくし上げ握りしめた手のひらに汗が滲んだ。


「な、何を、おっしゃっているのか……」

「言ったろう? 私は肉体強化系の魔術が得意だと。視覚、聴覚、そして嗅覚。私のそれは常人よりうんと鋭いんだよ。例えば、見ただけで相手の性別を判別出来るくらいには」

「わ、わたくし、は……」

「声も口調も、ああそれとさっき名乗った名前もそうだね。この辺りは全部偽りだ。そうだろう?」


 視線が泳ぐ。左右にぶれた視界は、目の前の女性を上手く視野に収められない。

 釘を刺されたのだ。主人に。秘密は必ず守り抜けと。万が一露見した時は、――死ね、と。


 バレてしまったのならば、僕は、死ななければならないのだろうか。


 ルゥは唇を噛みしめながら、胸元に吊されたペンダントヘッドを握りしめた。

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