第2話

 竜の花嫁。


 ヴァルマール国の結界を担う竜に捧げられる乙女の呼称。

 役割は至って簡単、竜の分け身をその身に宿し、竜を育むことだ。


 乙女はその身を竜に差し出し、分け身を受け入れ、卵として宿す。宿った卵は10年の月日を掛けて乙女の内で乙女の魔力を食らい育つ。時が満ち竜の卵が育った後には、竜としてこの世に生まれ落ちる。

 生まれ落ちた竜は、その後百年、母たる乙女と共にこの国を守る結界へ新たな力を送り、維持するのだ。


 竜が分け身を送るのは、はじまりの乙女との約束によるものだという。乙女は竜に身を捧げ国の守りをこいねがい、その在りようが気に入った竜は願いに応えて分け身を与えた。乙女は分け身と共に結界を築き、生涯をその維持に捧げたという。なお大変はた迷惑なことに、乙女の約束には「以後、赤き月空に揃いし年に生まれ落ちたものの内より、高き魔力を持ったものを捧げます」というものが含まれていた。

 ルゥは思う。勝手に捧げるなと。自分が出来る範囲だけにしといてくれよと!


 勝手にその後の子孫までまとめてセットで捧げてしまった初代の乙女は、王家の末の姫だったそうだ。以降もなんだかんだと王家や王家に連なる上位貴族から出されることが大半で、そういう意味では、真なる貴族の義務ノブレス・オブリージュであったかもしれない。

 ……そう。あっ、だ。

 奴隷の自分が選出された時点でグダグダだよ、ほんと。

 主人の娘が大人しく生贄になっていたら、貴族の義務ノブレス・オブリージュのままだったのにな。一応主人は王家に連なるかなり上位の貴族家だったはずだから。確か先代の王妹が降嫁したとかなんとか? 詳しくは知らない。


 なお、役目を終えるまで残り10年という頃合いにはまた次の乙女が送られてくるので、その乙女への導きや手助けも役目となる。


 ……男でも妊娠、大丈夫……とは、一応、聞いたけどさ。


 ルゥはだんだん胃が痛くなってきた。キツい。


 卵を宿す――のは勿論腹だが、あくまでも象徴としてのらしい。本当に腹の中に卵が産み付けられるわけではないから安心しろと主人からは言い含められた。勿論安心なんて出来るわけない。

 だって男だ。たとえ見た目が中性的だと言われようが、栄養不足から身長が伸びず世間一般の同年代の男よりも小柄だろうが、筋肉の付きにくい体質も手伝ったガリだろうが、ルゥは歴とした男なのだ。


 どうして僕がこんな目に。いや分かってるよ、奴隷だもんな。

 身体に刻まれた服従紋の影響で、主人の言葉に逆らうことなど許されない身の上だ。これでどうして奴隷じゃないなんて言えるのか、本気でまったく理解出来ない。100%奴隷そのものでしかあり得ないじゃないか。


 声に出さずに己の境遇を罵りながら、ルゥは地面に下ろされた輿の上に立ち上がった。主人の手が差し出され、その手に手を重ねれば、丁重にエスコートされる。逃げるなよ、と念押しでもされている心地だった。


 じろりと主人がルゥの顔を覗き込む。傍目には、愛する娘を案じる父の顔を取り繕いながら。反吐が出そうだ。


「大丈夫か?」

「………………はい」


 か細く、高く、作った声で返事した。周囲にはさぞ深窓のご令嬢が恐怖を押し隠し健気に己が身を差し出そうとしている……かのように見えるのだろう。所々から小さくすすり泣く声が聞こえ、中には赤く色づいた目元を上品にハンカチで押さえる夫人の姿もあった。お見送りという名の、ここまで来たら逃げるなよという監視にしか思えなかった。

 なお高くか細い声の演技は本意ではない。自発じゃない。この男からの命令だ。


 実際、結界が壊れたのは100年ほど前、つまり、今代の花嫁こそが逃げ出した花嫁の代わりに己が身を差しだした救国の乙女であり、国を救った王女なのだ。そんな人の元へ、身を偽った身代わりの自分が赴くのだ。本当に、反吐が出そう。


 ……10年間、男の身であることを隠し続けなくちゃいけないって、かなりのハードモードじゃなかろうか。

 零れそうになるため息を飲み込みながら、ルゥは主人に連れられるまま、結界の要である神殿へと足を踏み入れた。


 神殿内は、想像していたよりもずっと静謐な場所だった。


 武骨な印象のある巨大な門を潜ると、外と内とを隔絶するようなガランとした空間がそこにあった。石壁で覆われ灯りもないそこは意外な程に明るい。不思議に思って見上げると、呆れるほど高いそこは上の限りが見えなかった。その空間が、ぼんやりと光を放っている。


 まるで知らない世界に来たみたいだ。……この世じゃない、みたいな。


 そこには、恐らく神官なのだろう、3人の男が控えていた。裾の長い神官服を身にまとい、高さのある神官帽と、顔の上半分を黒いベールで覆った男だ。3人とも口元には立派な髭を蓄えていた。

 こちらの姿を認めると、男達は一様に立ち上がり礼をした。そして無言のまま、先導してその空間の先に延びる廊下を歩き出した。


 主人に手を引かれるまま、ルゥもゆっくりと彼らの後を歩いて行く。


 どれくらい歩いたろうか、やがて男達は足を止めた。

 ほんの数分とも、ひどく長い時間が過ぎたようにも思える奇妙な時間だった。


 男達の前には、大きな白い扉があった。およそ、1人の力では開けることも叶わないような、巨大な扉だ。男3人がぶつからぬよう両手を広げていても通れそうなほどの幅があり、高さもまた然り。


 男達は1人が中央に、残る2人が左右に分かれた。3人が力を合わせて、扉を引いた。ゆっくりと扉が動く。真ん中に人1人が辛うじて通れるほどの隙間が開いた。


「こちらへ来なさい」


 主人から声を掛けられ、指示された通り彼の横へと歩み寄る。

 男はルゥの耳元に口を寄せ、他には聞こえない様小さく呟いた。そうして、胸元に吊した、彼から送られたネックレスのヘッドを、軽く指先で突いた。


「全て事前に話したとおりだ。秘密は必ず守り抜け。万が一の時は、――死ね」

「…………はい」


 ヘッド部分はロケットになっており、本当の花嫁の家族写真が入っている。そしてその裏には、自死用の毒薬が。

 冗談じゃない。絶対嫌だ。

 男の言葉に、ルゥの脳裏に父親の死に姿が浮かんだ。無惨に嬲られ、血まみれで事切れた父の姿は、今も時折夢に見る。

 強く奥歯を噛みしめた。


 逆らうことが出来なくても、どうにか、こいつの言葉の穴を突かなくてはならない。死ぬなんてごめんだ。


「花嫁はこちらへ」


 中央の男が花嫁を呼んだ。


「ここから先は、花嫁しか赴くことができません」

「ここから先は、花嫁と竜の庭園です」

「ここから先は、前代の言葉のままにお過ごしください」


 男達の声は不自然なほどに高く、まるで子供の声のようだった。

 それに小さく頷いて、ルゥは扉の中へと踏みだした。


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