第7話

 突然、身体が熱を帯びた。


「……ッ!? あ、あつ……!?」


 腹が熱い。疼く。

 思わず腹を抱えてうずくまる。立っていることもままならない。

 なにかが腹に注ぎ込まれる。


「……ッ、……っ、う、ぐ……っ」


 うめき声が噛みしめた唇から零れる。発熱したときのような倦怠感と、全ての感覚にぼんやりと幕の掛かったような奇妙な乖離感に襲われた。

 ドクドクと耳元で心臓の脈打つ音がする。視界に虹色が滲み、全てが歪む。


「竜、なのか……?」


 尋ねる声に応えはない。


 腹が熱い。熱くて、熱くて――……ゆっくりと、質感を伴って、熱は重みを増していく。重さがつのると、同時に痛みも。身体の全てが注がれるなにかに耐えきれずに軋んで、歪む。

 注ぎ込まれる熱は、勢いが止まらない。緩まない。すでに限界に近い身体に、更に重ねて注がれていく。


 いやだ、と言う代わりに、腕が宙を搔いた。

 助けて、という代わりに、唇が小さく動いて、愛しい人の名を呼んだ。




「やぁ、大丈夫かい?」

「………………ぜんぜんだいじょうぶじゃないですが」


 目が覚めたのは、自室として与えられた部屋だった。寝台には心配そうに濡らしたハンカチを手にしたルコラと、楽しそうに笑うレストが両脇に腰掛けていた。

 水で湿された冷たいハンカチで額や頬を拭われる。気持ち良い。


「口がきけるんだから大丈夫だよ。私の時はもっとすごかったんだ」

「そんなの自慢でもなんでもないでしょうに……」

「誇りなよ。それだけ君の魔力が多いってことさ。子の受け入れは魔力が多いほど楽なんだって。そう先代から聞いてたからさ、君のことは全然心配していなかった」

「……僕、奴隷なのに?」

「君の魔力は多いって言ったろ。っていうか、私はてっきりまた王家が花嫁に選ばれた姫か王子の身代わりに、市井の落とし胤かなにかを奴隷に落として紋で縛って差しだしたのかと思ってたんだが……違うのか?」

「残念ながら、親は隣国の行商人です。貴族ですらありませんよ」

「うーん。まぁ突然変異的なものか、先祖返り的なものか……ご先祖のどこかに貴族がいたのかもしれないね」


 魔力は貴族にしか発現しないんだが、とレストは言うが、それは初耳だった。もっとも、魔力はあっても発動含めて使い方は学ばなければ使えないものらしいので、実際は、魔力持ち自体は平民にも結構いるんじゃないかなと思う。学ぶだけの環境や資金がないから使えないだけで。何しろ本一冊だってひどく高価だ。


 父は行商人だったが読み書きも計算も出来た人だった。ルゥも幼い頃から父に教わり読み書きも計算も出来た。けれど同時に、父はそれらが出来ることは、誰にも言ってはいけないよとルゥによく言い聞かせた。少なくとも大人になるまでは言わないように、と。

 高い教育があるというのは価値となる。立場の低い行商の身でそれが出来ることをひけらかすのは危険なのだと。


 …………そう言えば、父の親族の話も、母の親族の話も、聞いたことはなかったな。父は極端に自分のことは話さない人だった。世界でたった2人きりの家族だったのに、思えばルゥは父のことをほとんど知らない。


 隣国出身の行商人で読み書きも計算も出来て、少しだけ剣術も使えて、誰に対しても愛想が良くいつも笑っていて、商売はあまり上手くなくてよく人に騙されていた。いつもお金がなくてカツカツの貧乏暮らしで、それをルゥに「こんな生活しかさせてやれなくてごめんな」と謝るような人だった。

 ……どこの街の出身かも、聞いたことはなかった。主に巡っていたのはヴァルマール国との境である隣国の南東地方とヴァルマール国の南西地方だ。大きな街は避けて小さな街ばかりを巡っていた。

 野宿も多く、けれど幼い頃はまだ荷馬車があったから、ルゥは大抵その荷台で眠っていた記憶がある。やがてそれは騙されて取られしまい、最後の方は2人で寝袋に包まって暖を取り野宿をしていた。


 少しだけ剣術も使えた父は、最後まで柄をボロ布で巻いた鉄剣を手放さず、それが故に野盗を追い払えたりもしていたけれど、結局その為に最後は殺されて徹底的に切り刻まれた。凄惨すぎるほどに凄惨な最後だった。


 頭を振った。思いだしたくない光景を振り払うように。


「レスト様は、竜を見ましたか?」


 体内に熱を注がれた。それは分かる。けれどそれ以上が分からなかった。

 確かになにかを注がれたが、注いだものの正体は見えなかった――ルゥの視点では。では、レストの視点からならば? 離れた場所にいた彼女からなら、なにかが見えていたかもしれない。


「残念ながら、見えなかった」

「……見ていないのですか」

「――んだ。私が見たのは、ただ君が苦しそうに悶えている姿だけだったよ。腹を抱えて、宙に手を差し伸べていた。君こそ何か見えていたのではなかったの?」


 ルゥは静かに首を振った。

 ルゥからは何も見えなかった。レストからも何も見えなかった。

 それでは、竜とは不可視なのか。

 ……――あれは本当にだったのか?


 ふとルコラを見れば、彼女は不思議そうな顔でルゥを見ていた。


「ルコラ様は、竜を見ましたか?」


 人の身であるルゥとレストには見えなくとも、写し身であるルコラならば、あるいは。

 期待を込めて見つめれば、ルコラは微かに微笑んで、そっと首を音もなく傾げた。

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