第6話

 翌日、ルゥはレストに連れられて竜の元へと赴いた。

 行き方を教えるよ、と言われて連れてこられたのは住まいの隣の建物だった。

 昨日まではなかった。どうもこの不思議空間、花嫁の心のキャパシティ的なものを考慮してか、順繰りに色々なものを「目に見えるように」表出させているらしい。

 受け入れる心の準備を待ってくれるのは優しい反面、見える様になれば即受け入れ開始なのは割とスパルタだ。


 そこはこの庭の入り口と良く似た場所だった。大きく武骨な門があり、それを潜るとガランとした空間、そして先へと伸びる廊下。

 その先にあったのは、やはり巨大な扉だった。白い扉は大きすぎて、とても開けるような気がしない。


「開けて」


 レストが扉を見上げたままでそう言うと、ルコラがそっと扉の前に進み出た。

 流石は竜の子というべきか。か弱い見た目とは違い、その身には竜の力が宿っているのか。彼女の小さな手のひらが扉を押すと、白い扉は素直に開いた。


「行こう」


 振り向いてルゥを瞳に収めたレストから声を掛けられ、彼女の後に続いて扉の中へ足を踏み入れる。扉を押さえてくれているルコラに小さく会釈すると、ほんの一瞬、ほんの少しだけ、彼女は驚いたように目を開いて、それから微笑むように目をすがめた。


 入った先にも庭が広がっているのかなと思ったが、そんなことはなかった。

 そこには、草一本さえ生えていない荒野の中、ただ一本の道だけが続いていた。


「……なんです、ここ」

「そのまま進んで。君1人で」

「僕1人で?」

「そう」

「……どこまで行けば良いんですか?」

「行けば分かるよ」


 要領を得ない言葉に首を傾げながらも、ルゥは彼女に言われた通り歩き出した。

 足音は地面に吸い込まれでもするのか、何も聞こえない。無音の空間で聞こえるのは自分の呼吸と耳奥で聞こえるさざ波のような音ばかりだ。

 不安になって振り返れば、思っていたより遠くにレストとルコラの姿があった。

 まだ歩かなければいけないのだろうか?

 ルゥの疑問に応えるように、レストが手を振った。行け、という様に。


 歩く。歩く。……歩く。


 歩いても果ては見えない。音は相変わらず聞こえない。早く終わらせたくて、少しずつ足が速くなっていく。速くなると今度は不安が押し寄せて、ゆっくり歩くように自分をいさめる。振り返る度にレストたちの姿は遠のいて、今は小指の先ほどだ。


「……どこまで歩けばいいんだよ」


 不安に言葉が零れた。

 脳裏に奴隷仲間達の、上役だった使用人頭の声が、甦った。


 ――お前ごときにお嬢様の身代わりなんて大層なもん務まるのかよ。

 ――まぁ散々旦那様やお仲間様お貴族様の精を腹に注がれたんだ、ちっとは魔力も宿ろうってもんだよなぁ。良かったなぁ、使い道が増えてよ。

 ――余所者が居なくなって清々するぜ。お前みたいなヤツ、どうせ死んでも誰も悲しみゃしねぇんだよ。


 父を支えられる男になりたかった。

 母を失いそれでも前を向いて生きていた愛情深い人だった。たくさん、可愛がって貰った。母親似だったルゥは行く先々で似てない親子だとずいぶん多くの人に揶揄からかわれたものだった。ルゥを見る父の目は時折ひどく悲しそうで、それだけは好きになれなかった。

 父は良く眠るルゥの頭を撫でながら何度も「ごめんな」と囁いた。泣きそうな声で何度も何度も。「手放してやれなくてごめんな」「本当ならなぁ、ごめんなぁ」と。どうしてそんなことを言うのか問いたい気持ちはあったけれど、一度もそれを父に聞いたことはない。聞いてしまえばなにかが変わってしまうような、終わってしまうような、どうしようもない予感が、ルゥの口を塞いでいた。

 野盗に襲われたときも、ルゥを逃がそうと大勢に1人で向かっていって、抵抗して、酷い殺され方をした。それでも最後の最後までルゥを庇い続けてくれた。


 父に救われた命だった。「生きろ」が父の最後の言葉だった。

 だから生きた。踏みにじられて踏み荒らされてどんなに死にたくなったときも歯を食いしばって耐えてきた。


 自分の死を悲しんでくれる人はもうこの世にはいない。

 悼んで欲しいと思う人もいない。


「父さん……」


 頭を撫でてくれる大きくてゴツゴツとした手が好きだった。温かな身体に抱きしめられて眠るのが幸せだった。名前を呼んでくれる声が、ルゥを見つめるときの少し眇めた愛おしげな眼差しが、たまらなく、大好きだった。

 ――己のただまっすぐでひたすらな親愛に別の感情が交ざり始めたのはいつ頃からだったか。


 歩く。歩く。……歩く。


 振り返る。不思議な事に、レストたちの姿は先ほどからあまり変わらず、そこにあった。あれから随分歩いたはずなのに――ちっとも、進んでいない――……?


 早足で歩き続けているからだろう。軽く息が上がってきた。早く終わらせたくて気が焦る。いっそ走ればと思って小走りに前へ進むが、見える景色に変化はなかった。随分走っただろうと足を止めて振り返る。やはり、2人の姿に変わりはなかった。


「なんだよこれ」


 どこまで行けば竜に会える?

 前を睨んで、猛然と歩いた。

 歩いて、歩いて――歩いて、止まる。振り返る。見える景色は変わらない。


「竜! いるんだろ! さっさと出てこいよ!」


 れて叫んだ声は、自分で思ったよりもずっと小さく聞こえた。叫んだつもりが、まるで囁く様な声だった。


 写し身を得る。そして、生きる。レストの言葉を信じるのなら、自分には魔力があるという。

 それならここで生きられる。生き延びられる。父の、最後の言葉の通りに。


「竜!!! 出てきてくれ!!!」


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