【8話】初めての依頼


 翌朝七時、マリアとエリックはギルドを訪れる。

 

 依頼書が発行されるのは朝の六時前後。

 依頼書発行から一時間と経っていないのに、依頼受付カウンターには長蛇の列ができていた。

 

 二人は列の一番後ろに並ぶ。

 

「もうこんなに人が来ているのね。驚きだわ」

「みんな条件の良い依頼を取ろうと必死なんですよ、きっと」

「それじゃ、私達も明日からは早く来ましょうか」


 そんな話をしているうちに列は進んで行き、いつの間にかマリアたちの番になった。

 

「おはようございます。こちらが、現在受注可能な依頼となっております」


 綺麗な黒髪をした受付嬢から、マリアは依頼書の束を受け取る。

 

 それに一通り目を通したマリアは、顔をひそめた。

 

(何よこれ……どれもこれもショボすぎるんだけど)


 薬草採取にウサギ狩り、中には、老夫婦の買い物の荷物持ち、なんてものまである始末。

 まともな依頼がほとんどない。

 

「……もう少し難度の高い依頼はないのかしら?」

「申し訳ございません。Fランク冒険者のお二人に紹介できるのは、これで全てです」

「そう」


 マリアはガックリと肩を落とす。

 冒険者になれば楽しい戦いが待っていると思っていただけに、さっそく出鼻をくじかれた気分だ。

 

「ギルドに実績を認められてランクが上がれば、受けられる依頼も増えますよ。ですから、あまり落ち込まないでください!」

 

 ニッコリ笑った受付嬢が、胸の前で両手をグッと握って励ましてくれる。

 なんという溢れ出るサービス精神だろうか。

 

(私と同い年くらいなのに、とてもしっかりしてるわ。流石はプロね)

 

 うんうん、とマリアは感心する。

 

「ありがとう。無茶を言ってごめんなさいね」

「いいえ、お気になさらないでください。それで、依頼の方はどうしいたしますか?」

「そうね……それじゃ、この依頼を受けることにするわ」


 渡された束の中から、一枚の依頼書を取り出す。

 

 マリアが選んだ依頼は、行商人の護送依頼だった。

 

 依頼主の行商人は、国外れにある小さな山、ガルボ山を通りたいらしい。

 そこには小さなイノシシ型のモンスター――レッサーボアが時折出現する。

 

 レッサーボアの危険度はゴブリンと同程度なので、少しでも腕に覚えがあれば問題にならない。

 しかしこの商人は戦闘に関してまったく自信がないそうなので、ガルボ山を通る間の護送を頼みたいそうだ。

 

 本当は護送依頼ではなく、討伐依頼を受けたかった。

 だが、受けられる討伐依頼はウサギ狩りくらいしかない。

 

 ウサギの危険度は、あのゴブリンよりもずっと低い。せいぜい爪で引っ掻いてくるくらいだ。

 そんな相手をいくら討伐したところで、面白くもなんともないだろう。

 

 そうなると、レッサーボアと出会える可能性があるこの依頼が、一番マシだったという訳だ。

 

「承知いたしました。行商人の方と合流する時間とポイントは、依頼発注書に記載されています。ご確認をお願いします」

「分かったわ。ありがとうね」


 マリアは軽く会釈する。

 それに合わせて、エリックも頭を下げた。

 

「いってらっしゃいませ」


 うやうやしく頭を下げる受付嬢に見送られながら、マリアとエリックはギルドを出た。

 

 

 行商人との合流ポイントは、ガルボ山の入り口だった。

 時間通りにそこに着くと、既に行商人が待っていた。

 

「君たちが僕の護衛をしてくれる冒険者だよね。今日はよろしく」


 人の良さそうな中年男性が、にこやかに挨拶をする。

 背負った大きなリュックは、ふくよかなお腹と同じくらいパンパンに膨らんでいる。

 

 挨拶を返すマリアとエリック。

 続いてエリックが、依頼の流れについて説明する。

 

「僕たちが護衛するのは、この地点から反対側の山の麓までです。麓に着いたら、依頼完了の証明として依頼書にサインをいただきます」

「うん、分かった」

 

 一切のトラブルもなく事前説明は終了。

 三人は、ガルボ山の中に入っていった。

 

 

「その年で冒険者として頑張っているなんて、エリック君は偉いね! おじさん尊敬しちゃうよ」

「いえいえ、僕はまだまだです」

「おじさんにも君と同じくらいの息子がいるんだけどね、これがまた――」


 前を歩く二人が話に花を咲かせている一方、マリアは非常に苛立っていた。

 

(どうしてレッサーボアと遭遇しないのよ!)


 折り返し地点はとっくに過ぎ、もうすぐ目的地に着こうとしている。

 それなのに、まだ一体たりとも遭遇していないとはどういうことか。

 

 ぐぬぬと唇を嚙みしめながら歩いていると、突然、前を歩いていた二人が足を止めた。

 

「どうしたの?」


 エリックに聞いてみると、彼は自分の口元に人差し指をそっと当てた。

 そして、「マリアさん、あれを見て下さい」と小声で口にした。

 

 エリックの視線の先には、茶色い毛皮をしたイノシシ型のモンスターがいる。

 あれがレッサーボアだろう。

 

 体格はかなり大きく、馬ほどあろうかという体つきをしている。

 小さなイノシシ型の魔物と聞いていた割には、大きな体躯をしていた。

 

「ようやくお出ましって訳ね、レッサーボア」

「違いますよ、マリアさん。よく見て下さい! レッサーボアより全然大きいじゃないですか」

「え、やっぱり違うの?」


 大きいとは思っていたが、やっぱり違っていたみたいだ。

 

「あれはレッサーボアの上位種、ビッグボア。Cランク冒険者でも手を焼く危険な魔物です。ここは遠回りを――」

「私、結構鬱憤が溜まっているのよね」


 エリックの言葉を制止したマリア。

 ボキボキと拳を鳴らしながら、ビッグボアに向かっていく。

 

「ちょっと、何やっているんですかマリアさん! 僕の話聞いてました!?」

「そうですよ! 早く戻って下さい!」


 後ろから二人の警告の声が飛んでくるが、構わず前進し続ける。

 

 少し大きさが違うようだが、そんなことは小さな問題だ。

 感じているイライラを、マリアは早く解き放ちたくてしょうがない。逃げるなんてもってのほかだ。


 ビッグボアが不機嫌そうに声を上げた。

 近づいてきたマリアの気配に気づいたのかもしれない。

 小さな黒目がギラリと光る。

 

「いいわよ大きなイノシシさん。いつでもかかっていらっしゃい」

「ブモォォォオ!!」


 言葉の意味を理解したのか分からないが、ビッグボアが突進してきた。

 

 突き出た巨大な牙の先端は、刃物ように鋭く尖っている。

 人間の体など、いとも簡単に串刺しにしてしまうだろう。

 

 危険極まりない突進だが、マリアは避けようとはしない。

 腰を落とし、スッと拳を構える。

 

「ふんっ!」

 

 接触の瞬間、息を一気に吐いてから右の拳を繰り出した。

 苛立っている分、いつもに比べて少しだけ力が入っている。

 

 マリアの拳は牙を砕き、ビッグボアの体を遠くまで吹き飛ばした。

 そびえ立つ巨大な崖に、大きな体がぶつかった。

 

 その一撃で、ビッグボアは息絶えた。

 

「ふぅ、ちょっとだけスッキリしたわね」


 上を見上げながら、マリアはポツリと呟いた。

 

 その後ろで、瞳を輝かせているエリック。

 マリアに向けて、感嘆の声を漏らす。

 

「マリアさん、やっぱり凄いです!」

「可愛らしい見かけと違って、随分とたくましい子なんだね。あはは」


 愛想笑いを浮かべる行商人は、カタカタと体を震わせている。

 それは、ビッグボアに遭遇した時よりも、ずっと大きくて激しかった。

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