【3話】消えた慈しみの心


 逃げていくゴブリンの集団を、マリアは追おうとはしなかった。

 マリアが望むのは、血沸き肉躍る楽しい戦いだ。意味のない殺しなら、しようと思わない。

 

 とはいえ、これでは消化不良もいいところ。

 その気持ちを満たすためには、新たな相手を探す必要がある。

 

「散策してみましょうか」


 目を光らせながら、堂々と歩いていく。

 泣く子も黙る危険なモンスターフォレストだが、今のマリアにとっては格好の遊び場となっていた。

 

 

「よし、これで五十体!」

 

 突き入れた拳が、ゴブリンの命を奪う。

 

 目に入った魔物に戦いを挑み、どんどん勝利を積み上げていくマリア。

 戦いに使っているのは、とんでもない破壊力を持つ自分の拳のみだ。

 

 だが、このやり方ではどうしても一度に相手できる数に限りが出てしまう。

 相手が一体ならば問題ないのだが、群れを作っている魔物を相手にするときは時間がかってしまう。

 そのせいで、一体を相手している間に、他の個体が逃げてしまうという事象が発生している。なんともったいないことか。

 

 全ての魔法を使える今なら、広範囲に効果のある高威力魔法を使って殲滅した方が良いように思える。

 

 しかし、こと戦闘に関しては自分の体ひとつで戦いたいという気持ちがあった。

 

(きっと奏ならそうしていたはずだもの)


 自由な体で存分に戦いたい。

 奏の最期の願いを叶えるためにも、この方針を貫いていきたい気持ちがある。

 だからマリアは、戦闘中に故意的な魔法を使わない、と自分ルールを決めた。

 

 だが、理由は決してそれだけではない。

 マリア自身も、自分の拳で勝利を掴み取ることに快感を覚えていたのだ。

 魔法で一掃するという方法では味気なくて、勝利の手応えみたいなものが得られなかったと思う。

 

「さぁ、次はどんな相手が私を待っているのかしら――ん、あれって」


 堂々と歩いていくマリアの足を止めさせたのは、大破した赤色の馬車だ。

 見覚えのあるそれは、数時間前までマリアが乗っていた馬車だった。


 車体には、大きな拳の跡が残っている。

 めちゃくちゃに殴りつけられたようで、いたるところに凹みがいくつもある。

 

 車体を引っ張っていた馬は地面にぐったりと寝転び、息絶えている。

 そして、馬の横では髭を生やした男性が無惨な姿で倒れていた。

 

「あ、この人も死んじゃったのね」


 見覚えのある髭面は、あのぶっきらぼうな御者だった。

 

 大きな拳で殴りつけられた跡が、体中にくっきりと残っていた。

 車体と同じように、何発も殴られたのだろう。

 

 拳の大きさと車体ごと破壊するという大それた行為からして、人間がやったとは思えない。

 モンスターフォレストから脱出する前に、魔物に襲われたのだろう。

 

 変わり果てた御者を見るマリアだったが、特に心が動かされることはなかった。


(あれ、おかしいわね)

 

 以前であれば、人の死に対してこんなに無関心ということはなかった。

 

 負傷者の治癒を行うという聖女の仕事柄、人の死とは常に隣り合わせだった。

 傷が深くて助けられなかったことや、すでに手遅れで手の施しようがなかったことは、一度や二度ではない。

 

 その度に、マリアの心は深く傷ついていた。

 その人がどんなに嫌な人だったとしても、助けられなかった時は悲しかった。

 自分の非力さが悔しくて、何度も涙を流したものだ。

 

 しかし、今はもうその気持ちはどこにもない。

 心に浮かぶのは、馬車を襲った魔物はどんな魔物だったのか、という興味だけだ。

 

(私の慈しみの心と引き換えって、こういうことだったのかしら)


 失神している時に暗闇の中で聞こえた、無機質な声が言った意味。

 それを今、ようやく理解できた気がした。

 

「なんだかスッキリしたわ!」

 

 慈しみの気持ちがなくなったことを、悲しいとは思わない。

 

 むしろ、逆。

 その感情があれば、戦いの最中に無意識に手を抜いてしまうかもしれない。

 それは奏の願いにも、マリアの楽しみにも反する行いだ。

 

 だから、そんな心はいならい。

 力を与えてくれたこと、余計な感情を消してくれたこと。

 暗闇の声の正体は不明だが、声の主にマリアは深く感謝した。

 

「再開しましょうか」

 

 そうして、また歩き出そうした時だった。

 

 木々の間から緑色の魔物が現れる。

 ゴブリンと似たような顔をしているが、体格がまったく違う。

 

 小柄なマリアより頭三つほど大きい体躯。

 腹がぶよっと飛び出ただらしない体型をしているが、四肢を見れば結構な筋肉がついている。

 

 ゴブリンの上位種である、ホブゴブリンだ。

 危険度は下位種であるゴブリンに比べて、かなり高い。

 剣を握ってすぐの人間が挑めば、瞬く間に殺されてしまうだろう。

 

 拳にはべったりと血の跡がついていた。

 もしかしたら、このホブゴブリンが馬車を襲ったのかもしれない。

 

 マリアの口角がグイっと上がる。


(楽しい戦いになりそうだわ!)


 道中で討ち取ってきた相手は、どれも弱小な魔物ばかりだった。

 それらに比べたら、ホブゴブリンは戦い甲斐がありそうだ。

 

「いくわよっ!」


 懐に潜り込んだマリアは、ふくよかな腹に軽いパンチを入れる。

 

 ホブゴブリンは苦悶の声を上げる。

 仰向けでどさっと地面に倒れたが、まだ辛うじて息はあった。

 

「普通のゴブリンとは違って丈夫なのね!」

 

 これまでに戦った魔物は、全て一撃加えただけで息絶えてしまった。

 マリアの拳を食らっても息があるのは、このホブゴブリンが初めてだ。

 

「これならもう少し強くしても良さそうね!」


 地に伏せるホブゴブリンに、拳を振り上げるマリア。

 口元には、ゾクゾクとた笑みが浮かんでいる。

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