第9話:新しい出会いをするカモ

 翌朝、カモは一人町へと赴いた。

 空はまだ東雲色しののめいろであり、人の気配もまばらである。

 しんとした静寂の中に吹く朝風は、いつもより冷たい。

 それが逆に眠気を吹き飛ばすよい起爆剤となった。


「昨日は全然眠れなかったな……」


 コテツらの誤解は、未だ解けていない状態である。

 表面上こそカモの潔白を信じた彼女らであったが、裏では彼への監視が強化された。


(あいつら、事あるごとに俺のところにきやがる……おかげで気がまったく休まりゃしない)


 と、カモは深く溜息を吐いた。


 偶然も、そう何度も続けば必然である。

 なにかと偶然を装い、何気ない世間話や修練と、とにもかくにもカモは一人きりになる時間がなかった。

 よもや睡眠の時でさえも突撃してくるとは、さしものカモも予想すらしていなかった。

 美しい女が添い寝を所望する――男であるならば、これはまたとない絶好の機会でもあろう。

 ただし、かつての宿敵であり異様なぐらい執着心を宿す輩はカモの許容範囲外である。


(あれは、俺の趣味じゃないわ)


 と、カモは自嘲気味にふっと鼻で一笑に伏した。


 しばらくして、カモは廃寺へと着いた。

 鬱蒼とした竹林の奥にひっそりと佇むそれは、今にも出そうな雰囲気をひしひしとかもし出す。

 明朝ということもあるだろうが、人里からやや離れた場所にあるので周囲の空気は不気味なぐらいしんと静まり返っている。そこに加えて廃寺という要素が、より一層不気味さを強めてもいた。


「こんなところに廃寺があるとはな……」


 これはいい物を見つけた。

 大抵の人間であれば避けて通るであろうその場所に、カモはあろうことか不敵な笑みを浮かべた。

 廃寺であるので案の定、本堂は中も外もひどい有様である。

 辛うじて形が残ってこそいるものの、いつ崩壊してもなんら違和感はあるまい。

 中央に座す仏像も、かつてはさぞ立派だったろうが現在となっては蜘蛛の巣や埃にまみれ威光は皆無である。

 だからこそ、カモはここが最適な場所であると痛く気に入った。


「ここだったら、誰にも邪魔されずに稽古ができそうだな」


 と、カモは早速腰の刀をすらりと抜いた。


 強さを求めるため、稽古をするのは至極当然である。

 そう言う意味では、カモという男は剣に関してはとにもかくにも生真面目だった。

 修練を欠かしたことは一度としてなく、例え絶対安静の怪我をしようとも気にも留めない。

 すべては、己が強くなるため。それ以外の思考は一切不要である。

 そして、その修練にカモは人気のない場所を比較的選んだ。

 これは言うまでもなく、技の情報が流出するのを未然に防ぐための配慮であった。

 技とは、初見であるからこそはじめてその真価を発揮する。

 情報が知られてしまえば、そこからは如何様にも対応策が練られよう。

 だからこそカモは、この廃寺が修練をするのに適している、とそう判断したのである。

 基本的な型から始まり、技へと移行する。

 それがカモの、いつもの流れであった――今回は、予期せぬ乱入者によって中止となってしまったが。


「あれ? こんなところに人がいるなんて珍しいやん」


 一人の少女が、いつの間にかカモの背後に立っていた。


「誰だ?」


 と、カモはゆっくりと声の主へと身体ごと向ける。


 その少女を目前にした途端、カモの胸中にあった警戒心は一気に消失した。

 これが戦場であったならば、振り返りざまに刃を振るっていただろう。

 少女については、カモは今日はじめて対面したばかりである。

 であれば当然面識がなく、警戒心を解く理由としてはお世辞にも至らない。

 切っ掛けは、彼女が羽織っているだんだら模様の羽織だった。


(どうやらこいつも、新撰組の一員らしいな……)


 と、カモはそう思った。


 さて、改めて少女はというと、特徴的な要素がいくつもあった。

 独特な喋り方は、大阪の地方でよくみられる喋り方である。

 一見すると京都弁に近しい雰囲気があるが、こちらには雅さというよりは庶民としての親しみやすさの方が強い。

 あくまでもカモの個人的な見解にすぎないが……――それはさておき。

 左目を覆う眼帯と、鉢金の一部には異様に長い突起物が設けられている。


「あれ? その羽織って新撰組ウチのやつやん。なんでアンタがそれを纏ってるんや?」

「つい先日、新撰組の一員として雇われた身だ。名は……カモっていう」

「カモ? なんや見かけによらずめっちゃかわいらしい名前してるやん。それやったらウチも自己紹介せなな!」


 少女はどこか得意げな顔をすると共に胸を張って――


「ウチの名前は鬼神丸クニシゲ! みんなからはよくーちゃん、とかマルマルって呼ばれとるわ。アンタもウチのことは好きに言うてくれたらいいで」

「鬼神丸……確か、あいつのか」


 カモは、この男についてはあまりこれと言った情報がない。

 というのも、実際に対面する機会がなかったのだから当然刃すらも交えた経験がない。

 三番隊隊長……斎藤一さいとうはじめ。かの愛刀が鬼神丸国重きじんまるくにしげであるという情報を除けば、後はよく知らなかった。


「しかし、コテツたち以外にも新撰組の隊士がいたんだな」

「そりゃそうやで。まぁいるっちゅーても実際はまだまだ少ない方やし。それに今は皆任務やらなんやらで方々を走り回っとるからなぁ。ウチは一足先に終わらせて帰ってきたけど、なんや疲れてここで眠ってしもたんや」

「……よくこんな場所で眠れるな」


 と、からからと笑うクニシゲにカモは呆れた様子である。


 しかし、当の本人はそれについてまるで気に留めてすらいない。


「しゃーないやん。長距離移動でめっちゃ疲れてしもたんやから」


 と、クニシゲがあっけらかんと答えた。


「――、それよりもカモやんカモやん」

「カ、カモやん?」

「せや。これからアンタのことはカモやんって呼ばせてもらうわ」


 なんとも独特極まりない呼び名に、カモはひくりと頬を引きつらせる。


「てなわけで、カモやんはこんなところで朝から稽古かいな。めちゃくちゃ真面目やん」

「修練は俺にとって日課だからな。欠かさないのは当然だ」

「ほへ~せやったらちょうどえぇわ。ウチと今からいっしょに稽古せぇへん?」

「お前とか?」

「せや、ウチとやで」


 にかりと笑うクニシゲの手には、いつの間にか木刀がしっかりと握られている。

 ご丁寧に反対の手にも同様の代物があり、それを彼女はひょいとカモへと投げ渡した。

 どうやら使えとのことらしい。カモは軽くその場で素振りをした。


「それで、勝敗の方はどうする?」

「そりゃあもちろん、先に参ったしたほうやろ」

「あぁ、それでいい。わかりやすいのが一番だ」


 と、カモはふっと不敵な笑みを作った。


 互いに構えてから数秒と経たず内に、カモの目つきががらりと変わった。

 これは仕合であって、決して死合ではない。

 されど相手を斬るごとく真剣に、全身全霊で挑む気概にはなんら変わらない。

 特に新撰組……三番隊隊長、斎藤一のその愛刀であるのならば尚更のこと。

 手加減をしてどうこうできる、だけの相手であったならばどれだけ楽なことか。


(最初から全力で行くぞ……)


 と、カモはじりじりと間合いを詰めた。


 瞬間、カモの気が爆ぜた。

 放たれた弾丸のごとく、たちまち間合いを己の物とすると一気に木刀を打ち落とす。

 けたたましい木打音が静寂を切った。

 クニシゲは上段でしっかりと受け止めているが――不敵な笑みの中に、わずかな焦燥感が孕んでいる。


「あっぶなぁ! アンタ、めちゃくちゃ遠慮なく打ってくるやん!」

「当たり前だろうが」


 縦と次は横、更に斜めとカモの木刃が縦横無尽に走る。

 どれもが必殺の領域に達しており、いかに木刀であろうと最悪死に至りかねない。

 呼吸を図らせず、反撃の隙が一切ない連撃はたちまち、クニシゲを追い詰める。


「アンタ強いなぁ! せやけど、ウチの方がもっと強いで!」


 クニシゲによる前蹴りは、大した威力はない。

 せいぜいが間合いを開かれた程度に留まり、肝心のカモは依然ピンピンとしている。

 もっともそれこそが、クニシゲの狙いなのである。これより彼女が繰り出す技には、十分な距離が必要なのだ。


「刺突……聞いたことがあるぞ。斎藤一の得意技が確か刺突だってな」


 刀身を水平にして繰り出すそれは、平突きといって新撰組の中で主流であるらしい。

 らしい、というのはカモが生前に手合わせした沖田総司からの情報である。

 果たしてそれが真実であるか否かは、もう確かめる術はカモにはない。

 同様に、己が速度で勝るならばあの人の刺突それは破壊力で勝る、とも。

 左片手による平突き――あるいは、左一本突き――こそ、斎藤一がもっとも得意とする技である。


(沖田の野郎が言っていたとおりなら、こいつの左片手平突きも間違いなくやばいはずだ)


 と、カモは静かに呼吸を整えた。


 そして、目を限界まで見開き正眼を維持したままクニシゲをジッと見据える。


「ほんなら、ちょいと本気見せたるわ。怪我したらごめんやでぇ!」


 けたたましい破砕音が、廃寺に響く。

 まるで稲妻でも降ってきたか、とカモは大いに驚愕した。

 本日は雲一つない快晴だ。雨雲は一つとしてなく、東雲色だった空にも清々しい青が帯び始めている。

 そのため晴れの日に稲妻という表現……事象はまずありえない。起こらない。

 クニシゲのそれは、その不可能を体現したかのような技であった。


「これはさすがにウチの勝ちやろ?」


 屈託のない笑みを前に――


「……あぁ、言い訳するつもりはない。俺の負けだわなこりゃ」


 と、カモは中ほどから折れた木刀をぽいと捨てた。

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