第17話:なぞはとべてすけたカモ
カモはどんと地を強く蹴った。
下からの天を裂く太刀筋が、小鬼娘の着物を切り裂く。
ぱっくりと裂けた着物よりわずかに露わとなった胸は、なかなかに大きかった。
それを恥ずかしがる様子は、小鬼娘には微塵にもない。
これは彼女に羞恥心がないのではなく、余裕がまるでないからに他ならない。
(さっきよりもずっと迅い……!)
と、小鬼娘は思った。
顔からは血の気がさっと引いて青く、頬には一筋の脂汗がつっと流れる。
折れたはずの刀が元通りになった、これだけでも十分に驚愕に値しよう。
それがまったくの別物になったのに付け加えて、カモの身体能力にも大きな影響を与えたならばより一層凄烈なものと化そう。
「き、君本当に何者なの!?」
と、小鬼娘はたまらず言及した。
「さぁ、ただの新撰組隊士とだけ言っておく」
と、カモは静かにそう返した。
縦横無尽に迫る刃が、徐々に戦況を覆していく。
二人掛かりでもやっとのだったのが、今やたった一人の人間によって追い詰められている。
「ただのって絶対に嘘でしょ!!」
「嘘を言ったってお前にも俺にもなんの得もないだろうが」
「絶対に嘘! わっち嘘吐きは大嫌いだよ!」
「それがどうした。今はなんの関係もないだろうに……」
真剣を振るう姿は、なさがら鬼のごとく。
一切の容赦がなく、ただ無心に命を刈らんとする者の瞳は氷のようにとても冷たい。
冷酷無比という言葉がなによりも適していようカモだが、口調はいつものままであった。
「嘘吐きはお仕置きしなくちゃね!」
と、小鬼娘が十文字槍を振り下ろした。
カモはそれを、最小限の動きだけでひょいと軽やかに回避した。
虚空を斬った穂先に一瞬だけ映る彼のその横顔は、不敵な笑みを示していた。
カモの剣はそのまま流れるように空を走る。
斬、という音が鳴った。
(浅いな)
と、カモは思った。
確かに小鬼娘を斬った、が肝心の手応えはほぼなかったに等しい。
というのも、小鬼娘は辛うじて後ろに大きく身体を逸らしたのである。
攻撃した直後というだけあって、体勢が極めて不安定であったにも関わらずそれをやってのけた。
これもひとえに、彼女が人非ざる者であればこそ成せる業と言えよう。
あくまでも致命傷ではないが、負傷したことにはなんら変わらない。
額よりぽたぽたと滴り落ちる赤い雫によって、同じく赤に染まる小鬼娘の表情は――不敵な笑みである。
「わっちに一太刀浴びせられる人間がいたなんて……これはちょっと予想外かな」
「そいつはどうも。そして俺が、人生ではじめての鬼切を果たした男になる」
「言ってくれるじゃない。これはちょっとわっちも本気でいかないといけないかなぁ」
「まだ本気じゃなかったというのか?」
と、カモはわずかに眉をしかめた。
どうやらまだ先があの小鬼娘にはあるらしく、カモにはそれが手加減をされたと感じざるを得なかった。
当然ながら侮辱以外の何物でもなく、しかし人外に本気を出させたことは大きな一歩とも言えよう。
ここからが本番である。カモは静かに大上段に構えた。
次の一太刀で決める――振り下ろした時にはきっと、相手は目を閉じてくれるだろう。
「だめぇぇぇぇ!」
不意にわっと部屋に殺到したその者達に、カモはぎょっと目を丸くした。
わらわらと子供達が集まってくる。そしてあろうことか、一様にしてカモを悪者扱いし始めた。
彼らが小鬼の仲間であったならば、カモも状況を飲み込めただろう。
歳に多少の差こそあれど子供たちは皆、等しく人間である。
(このガキどもは……こいつらが行方不明になったっていうガキか?)
と、カモはジッと子供たちを見やった。
小鬼娘を守るように対峙し、ある者は果敢にもカモの足を叩いている。
もちろん、体格や身体能力に圧倒的な差があるのでカモはなんの痛みもない。
ぽかぽかと叩かれる感触は、むしろ逆によいほぐしにもなった。
「お姉ちゃんをいじめちゃだめ!」
「お姉ちゃんをイジメる奴は許さないぞ!」
「ぼぼぼ、僕が相手だ……!」
「ちょ、カモさんこれってどういうことですか!?」
「いや、俺に聞くなよ……」
と、カモは静かに納刀した。
もはや周囲を支配していた殺伐とした空気はどこにもない。
子供という予期せぬ登場によって乱された場は、刃を振るうに適切とはお世辞にも言い難い。
よってカモは刃を納めることを選んだ。これ以上はさっきのように戦えそうにもなかった。
付け加えるならば、子供たちの慕う様子からこの小鬼娘は悪ではない。そう判断したためでもある。
「いったい、なにがどうなってるですか?」
「少なくとも、こいつが本気でガキどもをさらったという感じじゃないな」
「みたい、ですね。う~ん、でもそれじゃあどうしてここに子供たちがいるんでしょう」
キヨミツがはて、と小首をひねった。
「この子達はただの友達みたいなもんだよ。まぁ年齢は離れてるから保護者に近いかも」
と、小鬼娘が答えた。
手当が施される中で、カモは頭を抱え静かに溜息をもらした。
事の詳細は、こういうことであった。
各々、親と喧嘩をしたがために家を飛び出してきたのだという。
早い話が家出で、行き先がたまたま小鬼娘――名を、茨木アカネというらしい――の住処だった。
「元々、わっちはこのイブキ山に住んでいたんだよ。まぁわっちは妖怪で鬼だし、わざわざ尋ねにくるヒトなんていなかったからねぇ。ちょうど退屈もしてたから、保護してたってわけ」
「じゃあ、あの道中にあった骸骨はなんだ?」
「あれは作り物のオブジェ。あぁやって飾ってると雰囲気が出てかっこいいかなぁって」
「紛らわしすぎるだろ」
「でも、騙されるぐらい上手にできてたってことだよね?」
「こいつ……」
と、カモは小さく溜息を吐いた。
「親子喧嘩で家出をしたのが事の真相だったみたいですね……」
「馬鹿馬鹿しいな……」
勉強をしろ、とは親であれば誰しもが必ず口にする言葉である。
親が持つ権限は、子供からすれば絶対的なものだ。
そこにある支配力は凄まじいものであるし、抑制される子供の精神的負担は極めて大きい。
それを如何にしてバランスを均等に保つか。これは誰しもが直面する課題だと断言してもよかろう。
(まぁ、俺も昔は勉学は嫌いな方だったがな)
と、カモは内心で自嘲気味に小さく笑った。
「まぁ、あれだ。お前らの気持ちもわかる。誰にだってやりたくないことをやれって強制されれば嫌気も差すもんだ。だけどな、大人になってから習っててよかったって思えることはこの先必ず出てくるぞ」
礼儀作法が欠落していたがために、士官先を蹴落とされたという話はいくつも事例として存在する。
質の高い生活と身分を欲するのであれば、勉学はとても大切なものなのだ。
「……とりあえず、報告だけは一応しておくか」
「そうですねぇ。でも、なんて報告すればいいんですか?」
「ありのままで大丈夫だろう」
「ところで、君はとっても強いんだね! わっち驚いちゃった」
「……お前もお前で、自分をさっきまで斬ろうとしていた相手によく普通に話しかけられるな」
と、カモは苦笑いを浮かべた。
ついさっきまで、事情を知らなかったためとは言えど斬り合ってきたばかりである。
少なくともアカネに関しては、一太刀まで浴びせられているのだ。
それなのに、その件に関してアカネが気にしている様子はまるでない。
からからと笑って、それこそ友人と接するかのように気軽に絡むアカネにカモは困惑すらしていた。
(鬼にもいろんな性格のやつがいるもんだな……俺の中にあった想像とは全然違うぞ)
と、カモは改めてまじまじとアカネを見やった。
「ん? どうかしたの? もしかして……わっちに惚れちゃったりする?」
「はっ」
思わず、鼻で一笑に伏してしまった。
「なんなんだよその態度はー! わっちほどかわいくてプリティーな鬼はいないんだぞ!!」
「まぁ、確かにな」
「え?」
カモはあっさりと、アカネの主張を肯定した。
カモの中にあった鬼という存在は、もっとおどろおどろしく強者としてのイメージが強くあった。
絵巻にも度々登場する鬼を見れば、彼らがどういった姿形をしているかは一目瞭然である。
アカネにはそれらの要素が皆無に等しく、それこそ彼女が口走ったようにとてもかわいらしい。
(それに、こいつは圧倒的に強いしな)
唯一、この戦いの心残りはやはりアカネの本気を見れなかったことだろう。
手違いによって斬らずに済んだのは不幸中の幸いではある。
あるのだが、一人の剣客として今回の結末にカモはやや不服さを憶えてもいた。
(許されるのであれば――)
また、いずれかの形で刃を交えたい。
カモは納刀した愛刀にそっと、視線を落とした。
「ねぇねぇ、ところで君はなんていう名前なの?」
と、アカネが顔をずいっと下から覗き込んだ。
「俺か? 俺は……芹沢カモという」
「カモ? なんか……変な名前ね」
「言うな。だいだい、このカモ呼びは俺じゃなくて勝手にこいつらがそう呼んでるだけだ。俺の本当の名前は――」
「カモさん、いつまでその鬼と仲良くお話してるんですか?」
不意に、周囲の空気ががらりと変わった。
子供たちは純粋無垢であるが故か、空気の変質にまるで気付いていない。
きょとん、と不可思議そうな顔を浮かべてきょろきょろと三人を忙しなく視線を動かしている。
その傍らでカモとアカネだけは、蒼白い顔をして滝のような冷や汗を流してすらいた。
「ねぇ、カモさん答えてくださいよ。今、僕は冷静さを欠こうとしてます」
キヨミツがにこり、と微笑んだ。
その大変かわいらしい笑顔には、男ならばころりと篭絡されてもなんら違和感はない。
ただし、笑顔の奥底に潜む怒りに気付けなければ手痛い目に遭うだろう。
キヨミツが不機嫌なのは、火を見るよりも明らかである。
目は一切笑っておらず、沼のようにひどくドロドロとしていた。
「お、おいキヨミツ落ち着け。別に名前を教え合っただけだろ」
「そうですか? 僕にはそれ以上のように見えちゃいましたけどねぇ」
「それは、いくらなんでも偏見だ」
「本当に偏見なんでしょうかねぇ」
いつの間にかキヨミツの右手が、柄にかかっている。
(終わったのにまた抜くつもりか……!?)
と、カモはひどく困惑した。
「そこまでにしておけキヨミツ。これ以上はこっちが悪者になる」
「……じゃあ、僕を今すぐハグしてください」
「……なんだって?」
知らない言葉である。
怪訝な表情をして、小首をひねるカモにキヨミツは言葉を紡ぐ。
いうまでもなく、キヨミツの顔には依然笑顔は皆無である。
「抱きしめろってことです」
「……そんなことでいいのなら」
と、カモはキヨミツを優しく抱きしめた。
元が刀であるとは思えないぐらい、キヨミツはとても暖かかった。
甘い匂いがふわりと香り、鼻腔をそっとくすぐっていく。
(俺は何をやってるんだろうなぁ……)
と、カモはすこぶる本気でそう思った。
「はぁぁぁぁ……カモさんの身体、ポカポカして落ち着きますね」
「そうか?」
この身には、どちらかと言えば血と死臭がべったりと染みついている。
臭いについては言うまでもなし。温もりも優しさや穏やかさといったものはない。
言うなれば一振りの刀も同じである。あるいは、妖刀というべきか。
それなのにキヨミツはすべてを委ねていた。
さっきまで恐ろしい笑みを浮かべていた顔は、だらしなく緩んでいる始末である。
「とりあえず、今日のところはこれで許してあげるとしましょう」
「ねぇカモ。この女ちょっとヤバいんじゃない?」
「……俺もそう思ってきた」
カモは深い溜息をもらした。
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