第16話:鬼娘と手合わせするカモ

 小鬼娘の十文字槍は、すべてが朱色に染まっていた。

 その柄はもちろん、穂までもがすべてが朱色である。

 それが不気味でもあるし、しかしカモの目には美しく映っていた。

 かような得物が実在するのも、きっとこの世界ならではなのだろう。

 あのような刀があれば是非ともほしいところである。カモはそう思った。


「それじゃあ、いっくよー!」


 大気がごうと唸りをあげた。

 空を穿つ刺突は、恐ろしくはやくそれでいてとても力強い。


(受けるのは得策じゃないか!)


 犠牲となった柱にぽっかりと空いた風穴に、カモは肝を冷やした。

 鬼という元々強者であるうえに、極みに達した槍の技量は脅威と言う他ない。

 槍と言えば種田流、もしくは宝蔵院流――この二つが主流である。

 槍を使う武人であれば、知らない者は一人としていない。

 実際カモも、過去に槍使いと死合った経験が何度かあった。

 槍とは間合いの武術である。圧倒的長さはそれだけで敵を容易に近づけさせない。

 もっとも、間合いに入られればそこで絶命するという大変大きな危険性をある。


(間合いにさえ入れれば、こっちのもんなんだがな……!)


 相手は、小娘とはいえど鬼である。

 槍の技量については、過去これまでに死合ったどの猛者よりも遥かに強い。


「ちっ!」


 思わず、舌打ちがもれてしまう。


「へぇ~人間なのにやるじゃん。わっちの槍をここまで捌ききったヒトは多分いなかったかも」

「そいつはどうも」

「だけど、そんなんじゃあわっちのこの首はあげられないってね!」

「くっ……!」


 近付こうにも小鬼娘の槍がそれを拒み、間合いに入ることを許さない。

 そして鋭く強烈な技を容赦なく返してくる。

 難攻不落の城砦を落すかのような心境にさえカモは陥っていた。

 その一方で、キヨミツは――唯一小鬼娘の槍に適応していた。


「なかなかやりますね。こんなに強い槍の使い手とやるのははじめてですよ」


 と、キヨミツが不敵な笑みを静かに浮かべた。


 彼女らがやっているのは言うまでもなく、殺し合いである。

 ちょっとした判断の遅れが、死へと直結しかねない。

 とても危ない橋を渡っているにも等しい。

 そう言った状況下に身を置くにも関わらず、キヨミツの顔からは笑みが消えない。

 危機的状況を誰よりも心から楽しんでいるのは明白で、対する小鬼娘もまた然り。


「君もやるねぇ! わっちの間合いにこう何度も入ってきた人、今までいなかったかな!」

「そっちこそ、槍使いにとって死の間合いにこっちは何度も入っているのに一太刀をぜんぜん浴びせさせてくれない……。どれだけ修練を積んだらできるんですか!」

「わっちだからかな」

「うわぁムカつきますねぇ、その顔。ボッコボコにして歪ませてやりたくなりますよ本当に!」


 戦いの最中であるにも関わらず、無駄口を二人は叩き合う。

 それだけの余裕があるとまざまざと見せつけられて、カモはぎゅっと下唇を噛んだ。

 自分だけが、この戦いにまるでついていけていない。それが悔しくて仕方がなかった。

 数多くの武人と死合ってきた。修練も毎日欠かさずやってきた。

 そうして培ってきたものすべてが、まるで通用しない。


(情けない……俺は、こんなもんじゃなかっただろう!)


 と、カモは己を強く叱責した。


「…………」


 カモはそっと目を閉じた。

 天城神道流あまぎしんどうりゅう、その初歩にして第一の奥義である無心剣は雑念をすべて取り払うことより始まる。

 人間が持つ感情を一切排除し、斬ることだけにすべてを捧げる。

 いわば、己の一振りの真剣とすることでためらいはもちろん、心理的制御を外す。

 そうすることで天城の剣士は、常人離れした身体能力を発揮するのである。


(さて、やるか……)


 気が吹き荒れる。

 それは真冬のように凍てつくほど冷たく、それでいて日本刀のように極めて鋭い。

 常人ならばこの禍々しすぎる気に触れただけで卒倒しよう。

 そうでないものにとっても、思わずその手を止めてしまうほど。


「カ、カモさん!?」

「おぉっとぉ? これはちょっとさすがにヤバいかぁ?」


 カモが発した剣気はそれだけ強大にして、凄烈なものであった。


「いくぞ」


 と、カモはとんと地を蹴った。


 軽やかな音と共に始まったその一歩は、たちまちカモを小鬼娘の間合いへと運ぶ。

 そして白刃が跳ね上がった。地から天へと昇る一陣の銀閃は、小鬼娘の前髪をかすめ取っていく。


「あぶなっ! 今の完全に殺すつもりだったでしょ!」


 と、小鬼娘ががぁっと吼えた。


 刃がくんと翻り、今度は横薙ぎに走った。白刃が狙うは、小鬼娘の首である。


(ちょ、この人間……なんかヤバいかも!)


 と、小鬼娘はぞっとした。


 血の気がさぁっと引いた青い顔で、どうにか柄で斬撃を受け止める。

 立て続けに唐竹に白刃が打ち落とされる。からくもそれをバックステップの要領で辛うじて回避した。

 いつの間にか、どんどん圧されている自分がいる。

 その事実にはたと気付いた小鬼娘は――それまでの表情はもはやどこにもない。

 不敵な笑みをにぃっと浮かべ――再び距離を取る。

 むろん、カモは小鬼娘が逃げるのをよしとはしない。それを許すなどもっての外である。


(槍は間合いの武術……距離を取られたらこっちが圧倒的に不利だ。だから――絶対に逃がさない)


 カモは小鬼娘へと肉薄する。


「なかなかやるねニンゲン。だけどね、わっちが鬼ってこと忘れてないかな?」


 次の瞬間、十文字槍に炎が宿った。

 それは決して比喩表現などではなく、本当に穂より炎が燃え盛ったのである。

 更には炎の色は赤ではなく、黒紫――この世のものとは思えない色合いは皮肉にも神秘的でとても美しい。


(あの炎も“すきる”ってやつなのか……!?)


 カモは戦慄した。


「それじゃあ受けてみろニンゲン! これがわっちの必殺――鬼突ほおづきだ!」

「カモさん、危ない!」


 キヨミツが叫んだ、のよりわずかに速く。けたたましい破砕音が室内に反響した。


「なっ……」


 カモの眼前では、いくつもの破片となった愛刀の見るも無残な姿があった。

 粉砕された刀が宙を舞い、程なくしてあちこちに四散する。

 中ほどから強引にへし折られた刀身に、本来の美しさや機能はもうどこにもない。

 恐ろしく速く、それでいて強烈な刺突はキヨミツよりも上だといっても過言ではあるまい。

 いずれにせよ、ムラマサに打ち直してもらったはずの愛刀はいとも容易く壊れてしまった。


(おいおい……嘘だろう!?)


 と、カモはひどく驚愕した。


 得物を失った今、カモの戦力は著しく低下した。

 彼にはまだ一本――脇差が腰に残っている。

 その脇差だけでどうこうできる相手であったならばともかく、相手は小娘と言えど鬼である。

 万事休すとは正に、このことをいう。


「カモさん下がってください! 後は僕がこの鬼を斬りますから!」

「いやいや、間に合わないでしょって」


 小鬼娘の穂先が、カモの眼前まで迫った。


(俺は……ここで死ぬのか?)


 と、カモはすこぶる本気でそう思った。


 カモは――あろうことか折れた方の大刀で穂先を弾いた。

 けたたましい金打音が周囲に反響する。

 中ほどからへし折れた刀では、小鬼娘の刺突を防ぐなどいかに達人であろうと不可能である。

 折れたままの状態であったならば、の話ではあるが。


「な、なんで……!?」

「うっそー! 折った刀が、元通りになる・・・・・・なんてそれなんてスキルなの!?」

「こ、こいつは……!?」


 いつの間にか、折れたはずの刀が元通りになっていた。

 より厳密にいうなれば、以前とは少々異なる形になっている。

 刃長はおよそ二尺四寸一分約74cmで、重ねが厚い。

 それでいて以前よりもずしりとした重みが手中へとはっきりと伝わる。

 剛刀と呼ぶに相応しい出来栄えは、見事な業物と断言してもいいだろう。


(折れた刀が突然変化しやがった……いったいどうなってるんだ?)


 と、カモは内心ではて、と小首をひねった。


「でもまぁ、そんなことは後回しでいい。今の俺にとっては、こいつは地獄に仏よ」


 カモは新しくなった太刀を正眼にそっと構えた。


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