第0話②:浦島太郎ってレベルじゃねーかも

 どくん、と心臓が大きくはねた。


(ここは……どこだ?)


 と、男は辺りを一瞥した。


 男が目覚めたその場所は、とても殺風景だった。

 特にこれといって変わったものはなく。

 浸水した広々とした空間の中央に、棺がちょこんと鎮座しているのみ。

 その棺より、男はゆっくりと身体を起こしたのである。


「どうして俺は……こんなところにいるんだ?」


 よく、思い出せない。

 頭にはまるで霞がかかったかのようにひどくもやもやとする。

 いずれにしても、このまま二度寝をする気など男には毛頭なかった。

 殺風景なその場所から離れ、長く続く階段を上り切った先で男は――驚愕からぎょっと目を丸くした。


「な……なんだ、ここは?」


 と、男は愕然とした。


 視界いっぱいに広がる光景は、一言で表すならばまさに地獄と呼ぶに相応しかった。

 かつては繁栄していたであろう街並みは、今や瓦礫と不気味な静寂のみが支配している。

 男を除いて人の気配は皆無であり、凍てつくような冷たい風が寂しく吹き抜けていく。

 皮肉にも、その冷たさが男の奥底に眠る記憶を爆発的に覚醒させた。


(そうだ、確か俺はあいつに刺されたんだったな……)


 胸をそっと擦る。

 幸いにも痛みはなく、ましてや穿たれた傷らしきものもない。

 とはいえ、あれが夢の中の出来事でないことは男が一番よく知っている。


「とにかく、まずはどうなっているか調べないとな……」


 着の身着のままの状態であることは、男にとって幸運だった。

 しんとした廃墟の群れを、男がしばし道なりに進んでいた時のことだった。


「――、なんだ?」


 不意に鼓膜に響くその音は、男にとって大変馴染みあるものだった。

 刃が交わる音である。


(誰かが戦っているのか?)


 音がする方へと向かえば、そこには確かに人がいた。

 もっとも、人のみならずおどろおどろしい怪物の姿もそこにある。

 怪物の肉体は、さながら深淵の闇のごとく黒い。ぎらぎらと輝く眼は血のように不気味だ。

 鎧武者を彷彿とする容姿は、時代錯誤を思わせるがいずれにせよ。その太刀筋は決して素人ではない。

 一方で、相対するのは一人の少女だった。

 さらりとなびく金色の長髪をなびかせては、目まぐるしい凶刃に果敢にも立ち向かう。

 剣の腕前は、男から見ても悪くはなかった。

 なかったのだが、実戦経験が乏しいのであろう。

 あどけなさが残るが端正な顔立ちには焦りが滲み、翡翠色の瞳には恐怖すら渦巻いている。


「くっ……!」

「これは、さすがに助太刀に入ったほうがよさそうだな……」


 少女と怪物との攻勢は、徐々に後者に傾きつつある。

 遅かれ早かれ、あの少女に勝ち目はあるまい。

 そう判断した男は、腰の太刀を静かに抜いた。


「……何故だろうな。お前を抜くのがものすごく久しぶりな気がする」


 と、男はふっと頬を緩めた。


「わ、私は……こんなところで負けるわけには――」

「おい」


 男は横から怪物の右胴に刃を滑らせた。

 本来ならば、男がした行為は卑怯だと断じられよう。

 とはいえ、怪物を相手にした場合では卑怯もなにもない。

 感情はおろか思考はなく、どちらかといえば本能のままに動く獣に近い。

 その本能も、人間に対する激しい憎悪より生じた殺戮衝動という極めて危険なものだ。

 だからこそ、男は怪物に対しての容赦が一切なかった。


「危なかったな」

「あ、あなたは……?」


 と、少女が訝し気な眼差しを送った。


 突然現れて、怪物を斬ったのだからこの少女が警戒するのも無理はなかった。

 男は静かに納刀をして、身嗜みを軽く整える。

 こういう時は、第一印象が大切であるとかつて教えられたのを思い出しての行動だった。


「俺は――芹沢カモという」


 と、男は名乗った。


(こいつからは俺に対しての憎悪とかが一切ない……呪いが効かなかったのか、それとも――)


 呪いがようやく解けたのか。

 とにもかくにも、男――芹沢カモにとって少女は貴重な情報源である。

 色々と尋ねたいことが山のようにあった。


「芹沢カモ……それじゃあ、あなたが!?」


 少女はひどく驚いた様子である。


「あ、あぁ……」

「あぁ、こうしてお会いすることができるなんて光栄です……!」

「そ、そうなのか? ところで、お前は?」

「あ、申し遅れました! 私の名前は蜂須賀コテツと言います!」

「蜂須賀コテツ……? コテツって、まさか」


 少女が口にした名前は、男にとっては大変馴染み深いものだった。


「はい。私は……新撰組局長だった長曽祢コテツの子供です」


 と、そう口にした少女の笑みはどこか悲し気なものだった。

 対するカモはというと、唖然としたまま固まってしまう。

 開いた口が塞がらない、とは今正にこの状況のことを差す。


(おいおい、嘘だろ……あのコテツが結婚して子供を産んだっていうのか!?)


 カモには、この話が到底信じられなかった。

 かつての上司にして仲間であった女性が、結婚して子を成したのである。

 むろん、カモの胸中そこに絶望感といった感情はまったくなかった。

 親しい間柄であったのは紛れもない事実ではあるものの、恋仲だったとはお世辞にも言い難い。


(そうかぁ、あいつがねぇ……結婚したのか)


 人生とは、何が起きるかわからないものである。

 カモはすこぶる本気でそう思った。


「しかし、ようやくお目覚めになられたのですね」

「え?」

「カモさん、あなたはカミ様……カエデ様によって仮死状態になっていたんです」

「仮死状態……?」

「カエデ様は、カモさんが生きている限り呪いは解けないと判断されました。そこで死ぬことで呪いが解けるかもしれないとお考えになられ、仮死状態にしたんです」

「……なるほど。そういうことだったのか」


 と、カモは納得した。


 だが、同時に新しい疑問が彼の中で浮上する。


「……俺が今の今まで眠っている間にいったいなにがあったんだ?」


 それはいうまでもなく、この町の有様についてだ。

 すごした時間は長い方ではないけれど、第二の故郷であるといってもそれは過言ではなかった。

 そんな故郷が今や、誰もいないゴーストタウンと化しているのは何故か。

 カモはどうしても、そこが知りたかった。


「カモさんが100年もの間、眠っている間――」

「ちょっと待て!」


 と、カモは激しく驚愕した。


「え? なんだ、俺……100年間もずっと仮死状態だったのか?」

「はい」


 あっけらかんと答えた蜂須賀コテツに、カモは愕然とする他なかった。


(100年って……そんなにも長い時間が経っていたのか!? 嘘だろ!?)


 到底信じられたものではない。


「カエデ様が時間設定を間違えたらしくて、それで100年間ずっと仮死状態だったみたいです」

「間違えた!?」

「は、はい。本当はひと月ぐらいのつもりだったそいうで……」

「あんの駄狐神がぁ……なにをどうすればひと月と100年を間違えられるんだ?」


 カモ自身としては、長くてもせいぜいが一年ぐらいだろうと思っていた。

 その倍以上の時が経過したとしれば、例えカモでなくとも大いに驚愕しよう。

 卒倒しそうになった己をどうにか気力で奮い立たせ、カモは改めて蜂須賀コテツのほうを見やった。

 心なしか、少女の頬はほんのりと赤い。


「……それで、あいつはどうしている?」

「あいつ?」

「お前の母親……つまり、長曾祢コテツだ」

「……母はもういません」


 と、蜂須賀コテツはそっと顔を俯かせた。


「……そうか」


 と、カモはそれだけ言うと踵をくるりと返した。


(あいつ……逝ってしまったのか。最後に顔ぐらいは見たかったがな……)


 あのような出来事があったとは言え、大切な仲間であったことにはなんら変わらない。

 その仲間はもういない。覆しようのない事実を目前に、カモは口を閉ざすしかできなかった。

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