第8話:上司がヤンデレと化したカモ

 カモは町中をぶらぶらと歩いていた。

 特にこれと言った目的はなく、言うなればただの観光に近しい。

 むろん地理をしっかりと記憶するという目的がしっかりあってのことだ。


(コテツたちもまだ戻ってくる気配がないし、町をぶらっと見て回るぐらい罰は当たらないだろ……)


 しばらくして、カモは一件の建物の前でふと立ち止まった。

 店の外にまで反響するその音色は、鉄を打つ音である。

 それもそのはず。彼がいるそこは鍛冶屋だった。

 定期的に刻む金打音は、大変心地が良い。

 真っ赤に熱された鉄を、刀匠が汗水を流し一心不乱に鉄槌を振るっているのだ。

 こう思うと、それだけでカモの心は大いに高揚した。


「――、ん? いらっしゃい、よくきたな」

「邪魔をするぞ店主」


 店主は白髪が目立ち始めた初老の男だった。

 齢はもうとうに60歳は過ぎているであろう。

 腕などは、まるで枯れ枝のようにすらりとして実に細い。

 力をこめればそれこそ、簡単にぽきりと折れてしまいそうだった。


「アンタがここの店主か?」

「いかにも。ワシが刀匠のムラマサじゃ」

「村正だと!?」


 と、カモは声を荒げていたく驚愕した。


 千子村正は伊勢國桑名郡(現代で言う三重県桑名市)の生まれの刀匠だ。

 彼の打つ刀は、それはもう大変よく斬れるとして数多くの剣客の心を魅了した。

 だがその魅力は、幕府の命令によってすべて廃棄処分されたという。

 曰く、時の天下人にことごとくこの村正が災いをもたらしたのが原因であるらしい。

 もちろん偶然に偶然が重なって起きた事象にすぎぬが、けれども人々は次第に村正は呪われている、とそう錯覚し始めたのだった。以降より村正の製造はおろか、所持しているだけでも重罪として時に死罪に処されるという事例も少なからずあった。


「村正って売ってたりするか?」


 と、カモがあちこちの質屋やいかにも怪しげな店に度々出向いた。


(ここは俺が知る世界じゃない……が、まさかあの村正と出会えるなんてついてるぞ!)


 と、カモは内心でほくそ笑んだ。


「お前さん、よい刀を持っておるな」

「わかるのか?」

「どれ、ちょっと見せてみろ」

「あぁ、大切に扱ってくれよ?」


 と、カモは素直に腰の得物を差し出した。


 剣客が半身に等しき刀を離すなど、これはあってはならないことである。

 しかし、この時のカモにそれについてなんの躊躇いもなかった。

 それは村正と名乗る老人を、彼が信じたからに他ならない。


(このじいさんは……明らかにただのじいさんじゃない)


 カモがここで注視したのは、村正の瞳であった。

 もう老い先短いであろうはずの老体からは、とても信じ難いほどの生命力がひしひしとあふれ出している。

 なにより刀を見つめる村正の瞳は、ぎらぎらとまるで炎のように力強い輝きを発していたのだ。

 だからこそカモは彼であるならば安心できる、と判断したのだった。


「ふむ……まだまだ伸びしろがありそうだな」


 不意にそう呟いた老人が、おもむろに刀を解体した。

 慣れた手つきであるのは、それだけ彼が刀という物に携わってきたからこそ得た技術である。

 あっという間に刀身だけになった愛刀に、しかしカモは微動だにしない。

 カモはこの後、老人がなにをするかなんとなくながらも理解していたのである。


「生憎と今の俺には手持ちがないぞ」

「構わんさ。ワシも長い間いろんな刀を打ったり見たりしてきたが、これほどいいモンを見たのははじめてだ。アンタ、よっぽどこいつのことを大切にしてきたんだろうね」

「もちろんだ。己の半身を大切にしない剣客が、いったいどこにいる?」

「だからさ。これほどの代物を生きている間に視れたんだ。その礼ってわけじゃあないが、ワシが鍛え直してやる。そこに座って待ってろ」

「そいつはありがたい。ぜひよろしく頼む」


 そわそわと落ち着かない様子で村正が鉄を打つ姿を見届けてから、数刻ほど。

 青かった空もいつしか色鮮やかな茜色へと変わっていた。

 辺りからは食欲をそそるなんともいい匂いが立ち込めてくる。ちょうど夕餉ゆうげ時なのだろう。


「へへっ」


 町中をのんびりとした足取りで歩くカモは、おもむろに頬を緩めた。

 それだけで彼が如何に上機嫌であるかを周囲に伝えている。

 果たして何をそんなに嬉しそうなのか、と不思議がる人々は決して少なくはない。

 もちろん、彼がこうも嬉々としている理由などたった一つしかないのだが。


「まさか、あの村正に打ってもらえるとはな」


 と、思わず抜刀しそうになった手をカモはハッとした顔をすると共に離した。


(村正が妖刀だっていう話は……あながち間違いじゃないかもしれないな)


 一度、カモは鍛冶屋で新しくなった愛刀を抜いている。

 それはとても美しい刃だった。うっすらと青みがかった刀身に燃え盛る焔のような刃文が特徴的である。

 独特極まりない刃はそれこそ、かの刀が妖刀であると告げているも同じだった。

 切れ味についても、まるで問題なし。強いて言うのであれば、斬った際の感覚がほぼなかったことだろう。

 まるで豆腐を斬るかのような感触だった、とカモは思い出して手をかすかに戦慄わななかせた。


(早くこいつで、【禍鬼まがつき】の野郎とやりあってみたいもんだ!)


 と、カモは内心でそう不敵に笑った。


「――、いったいどこをほっつき歩いてたのかなぁ?」


 クズノハ神社へ続く道中、コテツとばったりと出くわした。

 どうやらもう任務は終わっていたらしく、ずっと正門前で待っていたらしい。

 腕を組みにこにこと笑みを作っているが、瞳の奥はまるで笑っていない。


(これは……さすがにまずったよなぁ)


 と、カモは頬に一筋の脂汗をつっと流した。


「それでカモくん~我らを放っていったいどこに遊びにいってたのかなぁ?」

「貴様……返答次第では隊律違反と見做すぞ」

「カモさん僕もカモさんがどこでなにしてたのか気になるなぁ、だから教えてほしいなぁ」

「あー……」


 静かな三つの怒りを目前に、カモの目線はひどく右往左往する。

 素直に打ち明けることが、まず正解であろう。

 別段、やましいことは一切していないのであるのだから堂々としてればそれでよい。


「えっとだな、俺は――」

「まさか、女の子を引っ掻けに言ってたの?」

「貴様……私達以外の女に――いや、女に現を抜かすのは隊律違反だと、そう教えたはずだぞ」

「へぇ~カモさん女の子と遊びにいってたんですかぁ。ちなみにその方ってどこにいます? いえ、純粋に僕よりも強いのかどうかちょ~っとだけ確かめておきたいなぁって。だって僕達新撰組は皆強いことが共通なんです、だから弱い人だと釣り合わないので」

「お、落ち着け……!」


 三人の様子がおかしいのは明白である。

 うつろな目をして、正気を保っているとは思えない。

 ことカネサダについては、そのような隊律があるとはカモは一度も聞いたことがない。

 キヨミツについては、もはや狂気さえしかなかった。


(ど、どうする? どう返答したらいいんだ!? というかこいつら、怖すぎるだろう!)


 と、カモは大いに狼狽した。


「と、とりあえず落ち着け! 俺はこの町にある鍛冶屋で刀を修繕してもらっただけだ!」


 叫ぶように言い放つと、カモは腰のそれを素早く抜き放った。

 すらり、と鞘より射出された刀身が夕陽を浴びて美しく、それでいてどこか怪し気に輝く。

 相変わらずほれぼれとする刃だ。強いて言うならば、このようなことで抜きたくはなかった。

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