第11話 「倍数体」


 それは、例の井本医師が持っていたあの大蛇の牙らしきものの生物学的な検証結果(今のところはあくまで中間発表の段階であるが)が出たと、新聞に小さく出ていた事である。



 その話を要約すると、井本医師が持っていたあの大蛇の牙らしきものを、K大学理学部と国立爬虫類研究所が共同で検証した結果、どうも、その牙は、日本在来種のアオダイショウの巨大化したものである可能性が非常に大きいとあり、牙の大きさから逆算して推計すると、全長10mから12mに達する大きさであったと言うのである。



 そのような巨大なアオダイショウは現実には存在しないため、あくまで仮設ではあるが、このアオダイショウが巨大化したと思われる石川県と富山県の境にある硫黄山の山麓には、今でもコンコンと湧き出るラジウム鉱泉がある事から、これが何らかの作用をしたのではないか?



 そしてアオダイショウの受精卵が「倍数体」(ばいすうたい)となっていたため、一挙に(2~3年で)に大蛇に進化したのではないか、との仮設が中間発表の説で唱えられた。

 また、硫黄山の麓には、冬でも暖かい洞穴も多く、寒い冬場はその中で冬眠もせずに巨大化したのだろう、と言う話であった。



 ここで「倍数体」の話を極簡単に説明すると、要するに通常の場合1個の受精卵から生物が細胞分裂し発達していく自然界の現象が、非常に稀なケースではあるが、時として受精卵そのものが何らかの理由で初めの段階で既に分裂していて、2倍体、3倍体、4倍体等の数からようやく細胞分裂がスタートすると言うケースの話なのだ。



 ただ、魚類や両生類では確認されているが、爬虫類ではその例は今ままでのところほとんど確認されていないと学説上は言われているのだが……。



 ともかく、この仮設を元に、更に、詳しく科学的に検証し、遅くとも年末までに某科学雑誌に研究結果を掲載する予定とあった。



 この記事を読んで、相川は全身が震えた。ああ、確かに蛇谷村の大蛇は実在したのだ!これは何と言う事なのだろう。今まで、自分がネッシーやモケーレムベンベ等々の探求に自分の人生を賭けていたのだが、何と、自分のふるさとの伝承に、巨大爬虫類の実在が記されていたとは……。



 灯台もと暗しとは正にこの事である。



 相川は、その研究雑誌の発表が待ち遠しくてならなくなった。


 また、この記事を受けて、マスコミも、今までの「北陸連続幼児猟奇殺人事件」と言う事件名から、『大蛇伝説連続幼児殺人事件』と言うふうに、その名称を変えてきたのだ。

 ただ、名称がどのように変わろうとも、やはり、真犯人の特定は未だに完全にはできなかったのだが…。



 6月12日の夕方、相川は、思いもかけない人物の訪問を受けた。



 大学時代の先輩で、相川が所属していた「未成物探求同好会」の初代会長であり、大学3年生の時に、3人の同好会員を引き連れて、イギリスのネス湖まで実際に出向きネッシーの捕獲作戦に乗り出したという、相川の卒業した大学では伝説的な人物なのである。



 相川の丁度25歳年上であり、かって出版された『我ら、ネッシー探検隊』は、当時、大ベストセラーになったのだった。



 

彼の名は、神谷吾郎といい、大学卒業後、大手の新聞社に勤務していたが、十年程前に某私立大学の法学部の教授にスカウトされ、授業の傍ら、主にオカルト関連の本も既に三十冊以上は出版していると言う。



 神谷が、相川の話を知ったのは、久々に出身大学の同窓会に顔を出したところ、「未成物探求同好会」の後輩会員であった相川の妹が虐殺された事を聞いたからである。



 相川は、例の倒産した雑誌社勤務中に、同社が発刊していた雑誌『アトランティス』に「ネッシー伝説は果たしてインチキか?」という論文調の文章も発表しており、それを読んで感激した神谷から、激励の手紙をもらった事もあったのだ。



 この神谷の思いがけない訪問に、相川は、地獄で仏に会ったように感じた。



 相川は、今までの事件の経緯や、蛇谷村の大蛇伝説までの話まで、事細かく話をして、神谷の考えを聞いてみたかったのである。



 その正に話が佳境に入った時、大阪の麻美から、相川のスマホにメールがあった。

 何と相川の予言したとおり、麻美の実の父親は、DNA鑑定の結果、井本医師では無くて、井本医師が毛嫌いしていた松木医師なのである言う。

 それの結果を聞いて、麻美はショックで、今は、とても富山県まで行けないというメールであった。



「なるほどなあ、すると今回の事件の真犯人は、もしかしたら井本医師自身である可能性が非常に高くなるなあ?」と神谷が言う。



「ええ、その線も実は考えたくは無かったのですが、僕の推理ではやはり井本医師が一番怪しいと思っているんです。



 ただ、ここでの最大の難問は、井本医師には、総ての事件が起きた当日にはアリバイがあるのです。となると、なかなか真犯人と断定するのは難しい面もあるがです。また、現場に残された精液のDNA検査の結果でも、井本医師のDNAとは一致しなかった。



 ……ただ、妹の最後に僕宛に送られてきた写メールには、明らかに病院の一画と思われる場所が写っていたので、その場所が、現実に井本精神神経科病院内にあるのを確かめたいと思っているがです。



 もし、その写メールと同じような背景や場所があれば、真犯人は確実に井本医師かその協力者となりますからね、勿論、本人自体が動いたとは考え難いですがね」



「誰かを手先に使った、つまり間接正犯か、あるいは共謀共同正犯の可能性が高いなあ……」と、神谷は独り言を言った。



「何か、神谷教授の話を聞いていると、井本医師は真犯人ではないように感じられますが、確かに実行犯ではアリバイの件からも不可能でしょうけど……」



「ああ、正に、相川君の言うとおりで、今ほどの君の彼女の麻美さんのメールからしても、井本医師と守護麻美さんが、実の親子で無い事は、多分、警察が本格的に動けば、一発で発見される事だから、そのような点からも、井本医師が少なくとも裏で糸を引いているにせよ、実行犯である可能性は低いと思うのだよ」



「でも、僕の交通事故の件においても、どうも井本精神神経科病院で何らかの薬物を飲まされた事が原因だとすれば、その時に、僕に薬を盛る事ができたのは、多分、井本医師か渡辺婦長のどちらかでしょう。どうも、この辺当たりに真実の臭いが、プンプンするがですけど……」



「しかし、相川君は、その病院内の応接セットの下で盗聴器を発見したと言うじゃないか?

 井本医師や渡辺婦長がグルになって、君を葬ろうとするのなら、敢えてそこに盗聴器をしかける必要など全く無い。何しろ、総ての情報は自分たちが聞いたまま手に入れる事ができんだからね」




「じゃ、神谷教授は、別の第三者が真犯人だと、そう、考えられる訳ですね」



「そうじゃ無いと、話のつじつまが合わないだろう。無論、井本精神神経科病院内の誰かが何らかの役割分担を負っていた事は、100%、間違い無いだろうがね……」



「僕が、交通事故の入院中に見た夢では、あの渡辺婦長が一枚噛んでいるとにらんでいるんです」



「渡辺婦長は、若い時K大学医学部付属病院にいて、井本医師と一緒に仕事をしていた。 また、松木医師もその当時、同じK大学医学部附属病院にいた。しかして、大蛇伝説と密接な関係にある守護恵子はK大学医学部附属病院に通院していた。

 そして、井本医師は守護恵子の娘の守護麻美の父親ではなく、松木医師が本当の父親だった。

 と言う事は、実際には、守護恵子の治療を、井本医師が行っていたのだろう……。



 しかも、松木医師は、守護麻美の存在を果たして知っているのだろうか?

 もし、知ったとしたも、自分の娘だと思うだろうか?実に、複雑な人間関係だね」



「しかし、神谷教授、これは僕と麻美ちゃんと同じ意見なんですけど、松木医師は異常で変態的な論文を多く発表はしていますが、人間的には非常に高潔でいかにも写真を見るからには、学者然としており、とてもあんな連続猟奇殺人事件と関係があるようには考えられないがですが?」



「もう一人、私たちがあまり注目していない人物で、どうも、蛇谷村の大蛇伝説殺人事件に関係のある者が、いるようだな?」



そう神谷教授は言い放った。



 しかし、あと一人、敢えて怪しい人物の名前を挙げるとすれば、例の変態、蛇之道医師ぐらいしか思いつかない。勿論、この医者も相当に変人や変態である事には間違いが無いが、それでも、決定的な証拠や強烈な殺害動機は、あまり無いように思われたのだ。



 では、一体、誰が、何故、かような残虐な事件を引き起こしたと言うのであろう。

相川は、ここで、本当に分からなくなってしまった。



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