第10話 井本精神神経科病院 


 6月4日の午前10時から、相川亜矢の葬儀が始まった。都合があって、今日は、井本医師や研修医の井本一医師は葬儀には出席できないとの事。



 さて、荘厳な読経が済んだ後、喪主の挨拶という事で、相川の父親が挨拶をしたのだが、その中で相川の父親は、相川本人も今まで知らなかった事実を耳にしたのである。



 それは、相川の父親が、死んだ娘の亜矢の話に及んだ時に、



「私の娘の亜矢は、あまり器量がよく無かったもんで、大学卒業後、歯科技工士と言う立派な仕事は持っていたものの、結納直前までいっていた話が破談になってしまいました。



 そのため、その一時期、精神的に随分まいっており、長い間病院に通っておりました。が、ようやく最近、その失恋の痛手から立ち直った時に、このような悲惨な事件に巻き込まれたのです。それが、とても愛しくて残念でならないがです」との話であった。



 しかし、この話は、兄である相川も初めて聞いた話であり、直ぐに、何処の病院に通っていたのか、両親に説い質したところ、これが何と井本精神神経科病院であったのだ。

 


 何と、今までの全ての事件のキーは、やはり、井本精神神経科病院にあったのではないか?



 相川の妹の亜矢は、井本精神神経科病院通院中に、何らかの事件に巻き込まれたに間違いない。それは、恐怖の館と化した井本精神神経科病院で、何かを見たかあるいは発見したか、ともかく本人の予想外の出来事に遭遇し、殺されたのは間違いないのだ。



 今度こそ、相川は、麻美とともに、最後の賭けに打って出なければならない。



ただ、これは麻美にとっては苦渋の決断でもあった。



 もしかしたら、自分の実の父親が、連続猟奇殺人事件と何らかの関係がある。

 いや、もしかしたら、その最大の首謀者かもしれないのだ。気丈な麻美もこの時は随分と弱気になってしまったほどだった。


 

 6月5日の午前中、相川は、妹の亜矢の葬儀後の後始末に追われていた。その場には麻美も出席していた。相川は、親戚一同の前で麻美は自分の婚約者であると宣言したため、親戚の中に入れてもらえたのである。



 相川は、香典の整理や、礼状の発送は、親戚連中に任せておいて、今まで、自分が全く聞かされてなかった、妹の亜矢の通院記録や、妹の日誌、その他今回の事件に関連ありそうな資料を、妹の亜矢の部屋で警察と合同で行っていたのである。



しかし、これといって目ぼしい資料は、何ひとつ残っていなかった。



警察が帰った後のその日の午後4時頃である。相川は、普段、使っている自分のノートパソコンを何気なく開いてみたのである。何か、妹からメールが来ているかもしれないと、フト、思ったからだ。

(普通、妹からのメールは自分のスマホに来るため、ノートパソコンには滅多に開かないのだった)



 しかし、その感は的中した。なんと、そのノートパソコンには、「極秘・至急」と言うメール名で、妹からのメールが届いていたのだった。

 しかも、それには妹のスマホで写されている数枚の写真が添付されていたのだが、その画面とは、何とおぞましい、えぐりとられた人間(たぶん例の幼児のものであろう)の肉片が大きなビンに入れてられて、多分、ホルマリン漬けで、大型の冷蔵庫で保存されている写真であった。



 しかもそのビンには○○○○と名前がシールで張られていたが、その名前は5月15日に石川県の能登半島の海岸付近で、最初の事件の幼児の死体を更に上まわる残虐な死体が発見された例の4歳の女の子の名前だったではないか!



 その冷蔵庫は、業務用や医療用の大型のものであり、撮影場所は数枚の写真の妙に白っぽい周囲の風景から、どうも何処かの病院内で撮影されたような感じであった。



 妹は、どういう事情でかは定かではないが、何らかの理由で殺害された幼児の「ホルマリン漬け」のビンを発見していたのだ。で、その病院とは、両親からの話から推測すれば、また相川の乏しい記憶からして、どうも井本精神神経科病院である可能性が非常に高いのだ。



 妹の亜矢は、何かの間違いでこの部屋に入り込んでしまい、この幼児の死体(肉片)を発見してしまったのだ。それほど、井本精神神経科病院は、床面積は、大きかったのである。



 そして、多分、この事がバレて殺されたのでは無いのだろうか?



 しかし、万が一そうだとすれば、麻美の父親で、今では大病院を経営し、何の不自由もなさそうな井本医師が、何でまたこんな馬鹿げた事をしでかしたのだろう。



 もしこの妹の写真メールがインチキ(生成AI等による偽造)でないなら、それこそ、井本医師こそ人肉嗜好症の典型的な症状を有した今までの連続猟奇殺人事件の犯人、あるいは百歩譲っても、当該真犯人と非常に密接な関係を持っている事になってしまう。



 しかし、そんな馬鹿な!



 井本医師は、20年ぶりに自分の血を分けた娘の麻美とも再会を果たした訳であるし、一体、何の不満があってあんな残虐な事件を引き起こさなければならないというのだろう。



それに例え、松木医師の本の話(学生時代に人肉を食べていた学生がK大学に居たのを目撃した事)が仮に本当であったとしても、何で、今さら、二十年近くも押さえてきた人肉嗜好症が急に発現したと言うのだろう。



相川は麻美と相談の上、この重大な証拠は、妹の形見として、警察には提出せず、自分ら自ら、真犯人逮捕に乗り出す決意を語ったのだった。



 麻美にしたところで、このままいけば、自分の父親が、今度の連続猟奇殺人事件と密接な関係を持っている事を認めざるを得ない。しかし、それは娘の心情としても耐え難い事であったから、相川が打ち明けた作戦に同意してくれたのであった。



 葬儀のゴタゴタが終わって、麻美が大阪に帰る時の事である。



その時、相川は、意を決して、とんでも無い事を、麻美に言ったのだった。



「なあ、麻美ちゃん、妹の亜矢からの最後のスマホのメールから考えれば、どうも一番怪しいのは、麻美ちゃんのお父さんの井本医師になってしまうのやが、その動機がどうにも、僕には、理解できないがいちゃ。



 そっで、色々と考えていたんやが、これは、僕のあくまで憶測でしかないんやけど、この井本医師の煙草の吸い殻と麻美ちゃんの毛髪と、それとこれは僕が例の私立探偵社の友人から手に入れた松木医師の毛髪やが、これらを麻美ちゃんの大学の医学部の誰かにこっそり頼んでDNA鑑定をしてもらいたいんや。



 僕が逢った交通事故にしても、急に眠気が来た事を考えると、何かの薬物を飲まさせられたのが原因としか思え無いんや。そうすると僕が薬物を飲む機会があったのは、井本精神神経科病院でしかないかやろが……。

 とすれば、当該病院関係者の誰かが、この大事件に関与しているのは間違いが無い!



 これは、非常に大胆な推理なんやけど、今までの総ての経緯を整理してみると、どうも、僕の直感では、麻美ちゃんは、もしかしたら、本当は、井本医師の実の子供では無いのではないか?

 松木医師こそ、実は、本当のお父さんじゃないのかなあ?



 そして、井本医師自身、その事実を薄々知っていて、麻美ちゃんの実際の出現により、心理的な極限状態に追い込まれ、かねてから無理矢理に押さえてきた人肉嗜好症が出現したのではないんかな……?」



「じゃ、真之介さんは、結局私の実の父親は、井本医師では無くて、あの松木医師だと言うのね」




「それも色々と考えてみたんやけど、麻美ちゃんのお母さんの恵子さんが死ぬ間際に、麻美ちゃんの父親は「精神科医」だとだけ言ったって言っていたね。

 だから、もしかしたら井本医師が毛嫌いしている松木医師こそが真実のお父さんじゃないがじゃないのかな?僕としては、何とか、これを裏付ける証拠が欲しいんやが」



「もの凄い推理ね。でも、万一、その話が事実だったら、今までの猟奇殺人の動機にはなるわね。


 

 お父さん、いえ井本医師には完璧なアリバイはあるらしいんやけど、それは殺人そのものを誰かに依頼するか、あるいは入院患者か通院患者の誰かをうまく催眠術等で利用するとかすれば、作り出す事は不可能じゃないもんね」



「ああ、そのとおり。それは法律用語で言えば間接正犯とか教唆犯とか言うんやが、それに例の私立探偵事務所の友人によれば、K大学医学部には、昔から極秘のカルト・サークル「パラケルルス同盟」と呼ばれる秘密組織が昔から有るとか無いとか言われていた程だから、かっての大学仲間の誰か、その中の一人に、頼んだかもしれないやろう」



 パラケルルスとは、中世のスイス生まれの医師であるが、本人が今でも歴史的に有名なのは、オカルトの世界の関係で、一説に、「ホムンクルス」と言う人工生命体をフラスコの中で作り出したとされている人物なのだ。

 要するに、黒魔術の世界に通ずる組織らしいのである。



「ただ、解らないのは、もし本当に、私のお父さんが井本医師でなく、松木医師だったとしたら、何で、わざわざ私の認知までしたんやろ?」




「それは確かに難しい問題やけど、多分、もしかしたら、麻美ちゃんの真の父親かもしれない松木医師に対してのジェラシーつまり、異常で猛烈な嫉妬からじゃないのかな?



 

 何しろあんな猟奇殺人事件を引き起こす真犯人だったら、まともな理屈は通用しないもんね。この異常な嫉妬心が今回の事件の、大きな動機なのでは?」




……麻美は、黙り込んでしまった。しかし、相川のこの推理には、もの凄い説得力と、今は亡き妹の亜矢の最後のメールと言う証拠もある。




 あの写真に写っている場所が、現実に、井本精神神経科病院の中に存在する事を確かめさえすれば、これはこれで完全な動かぬ証拠となってしまうのだ。




「ともかくもし僕のこの推理が正しければ、真犯人の最終的な獲物は血の繋がっていない麻美ちゃん本人となってしまうのだから、一時も早く、大阪に戻ったほうがいい、そうしないと危ないよ!」




「ええ、とても信じたくないんやけど、用心だけはしておくわ、ともかく一刻も早く大阪へ戻るから心配せんといて」




「大阪へ帰っても安心できんから帽子や濃いサングラスをかけて、なるべく人目に付かんように気を付けてね。麻美ちゃん、特にもの凄い美人やから特に目立つやろし」




「うん、そうしてみる」




 麻美が大阪に帰ってから、約1週間、猟奇殺人犯は、新たな動きを見せなかった。




だが、その間、相川にとっては驚愕的なニュースが新聞に発表された。


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