第4話 父親は精神科医
例の幼児惨殺事件の勃発後、合同捜査本部では、懸命な捜査を続けていた。自殺した母親の交友関係は勿論、父親の仕事先とのトラブルによる怨恨の線でも捜査が行われたが、捜査をすればするほど、両夫婦やその祖父母の人柄の良さがわかるだけで、怨恨による事件の可能性は非常に低いように思われたのである。
事件発見後の1週間後の5月10日、両県警合同捜査本部では、捜査員全員を集めての緊急会議を開いていた。しかし、その各班からの報告は、どれも犯人を特定できるような調査結果は、ただの一つも無かったのである。
ここにおいて、合同捜査本部長は、被害者の家族への怨恨の線から、変質者の犯行に焦点を変更し、特に、当初の百人体制から一挙に200人に増員し、O市や近隣の市のみならず、富山・石川・新潟・福井・岐阜・長野県にまで範囲を拡大して、変質者や過去の犯罪記録の見直しに全力を挙げる事としたのである。
しかし、次なる事件がまたも勃発した。
5月15日。今度は、石川県の能登半島の海岸付近で、最初の事件の幼児の死体を更に上まわる残虐な死体が発見された。今度の被害者は女の子で年齢は4歳、頭部は割られ全身に蛇によるような咬み傷が数箇所あったのは前と同じだが、今度は腹部まで貪られていた。幼児の死体からは、脳みそどころか大腸や小腸まで露出しており、第一発見者の漁師のお婆さんは腰が抜けてしまい、這うようにして自宅まで帰り、警察に電話したというのだ。
今度の事件は、さすがに写真週刊誌には掲載されなかったが、やはりそのあまりの非道い幼児の殺害方法に日本中が戦慄したのである。
更に、次の日の5月16日。今度は富山県のS川の河川敷で、ほぼ、同様の幼児の死体が発見された。が、今度は今までのような惨殺状態に加え、何と幼児の体に男性の精液までが付着していたと言う。
ままさに、こ、これこそ、完全な変質者による犯行ではないか!
富山県や石川県では、号外が発行され、テレビやラジオ、新聞社では、猟奇殺人犯の恐怖と、児童の一人遊びの危険性が大々的に報道された。
石川県や富山県では、5月16日を境に公園で遊ぶ児童が全くいなくなってしまった程だったのだ。
日本中が、この北陸連続幼児猟奇殺人事件の話題で持ちきりとなっていた。相川自身も、蛇谷村の大蛇伝説と、今回の連続幼児猟奇殺人事件と、何らかの関係があるのではないかとそう考え初めた頃である。
5月20日。勤務先のO市役所総務課市史編纂室に井本医師から相川に電話があった。
どうしても相川君に会いたいと言うのである。そこで、相川は、午後から年次有給休暇を申請して、井本医師に会い行った。
井本精神神経科病院の応接室に案内されて少し待っていると、井本医師が遅れて部屋に入ってきた。だが、その顔からは以前のようなもの悲しさは一掃されていた。あの温厚な表情に、更に、何とも言えない幸福感があふれていたのである。
「いや、急に、呼び出して失礼だった。ただ、どうしても、相川君に会ってもらいたい人がおってな。勤務時間中とは思ったが、夕方には、大阪へ帰ってしまうんでの」
「それって、まさかあの麻美さんじゃ」
「そう、そのとおり。私は、相川君に麻美の住所を聞いてから、直ぐに、大阪まで会いに行った。そこで親子の対面をした。祖母も祖父も総てを承知していた。何しろ麻美の母親が亡くなる直前に「父親は精神科医」」とだけ言い残してなくなったのだ。
で、麻美が大学を卒業したら、やんわりと父親の話をするつもりだったらしい。
私が、その精神科医であると言うと、祖母の祖父も、ビックリしていたよ。
一家が蛇谷村から転出したのは、恵子が麻美を身ごもった事を知った為で、こんな北陸の片田舎で未婚のままでは世間体が悪いと思ったからだそうなんだらしいのだが……。まあ、そんな話は置いておいて、ともかく麻美に会ってみてくれないか」
「勿論ですとも。僕も、あれ程綺麗な人に会えるんなら、もっともっとカッコつけて来れば良かったなあ」
その時である。応接室のドアをノックする音が聞こえた。
井本医師が「入りなさい」と言うと、ドアが開いて、麻美が入ってきた。
おお!しかし、この前のカラー写真よりも実物はもっともっと綺麗だった。相川の瞳孔は大きく拡散して、相手が目映くて見えない程であった。
ギャグ漫画で言う「目ん玉が飛び出した」ような状態である。
当の麻美は、ピンク色のスーツをさらりと着こなしており、ほぼスッピンに近い化粧ながらも、いやそれだからこそ、なおの事その美しさが際だっていたのだ。
しかし、絶世の美女でありながら、その声や話し方は、単に普通の女子学生だった。
「あなたが、相川君ね。私の事を、お父さんに最初に教えてくれた人なんやね。
ありがとう。私、お母さんが死んでいく前に、たった一言、「父親は精神科医」だと、それだけしか聞いてなかったんよ。
でも、こうやって本当のお父さんに会えるようになったのは、間違いなく相川君のおかげなんやから、感謝してるわ」
「いやあ、あなたのように美しい女性に、感謝してもらえるなんて光栄です。ただ、僕は、あくまで蛇谷村の大蛇伝説にまるわる話を調査中に、守護麻美さんの件に辿りついただけながです」
「あら、私、もうお父さんに認知届けを出してもらってるから、戸籍は守護麻美だけど、気分はもう井本麻美になってるんよ」
「そうですか、それはおめでとうございます。これで、一件落着、すべてが丸く収まりましたね。後は、例の大蛇の牙が、本物か偽物か判別すればOKと言う事ですちゃね」
「そこなんだよ。
その蛇谷村の大蛇伝説の件の話が、どうも、今、日本中を騒がしている連続幼児猟奇殺人事件と、何かつながりがあるような気がしてならんのやがなあ……」と井本医師が口を挟んできた。
「それは、僕もそう薄々感じてきたところながです。さいけど、一体どういう接点があるのか?
あるとすれば、幼児の体に残された無数の大蛇らしき牙の跡が、そう感じさせるのですが、この点が警察も、犯人の犯罪動機を図りかねて、判断に苦慮しているところながです。
ただ……」
「ただ、何だね、何か犯人に繋がる接点でも相川君は知っているんかね?」
「ええ、例の私立探偵社の友人からによる極秘情報によれば、幼児の体内に残された犯人のものと思われる唾液や精液を分析した結果、血液型はAB型で男性だと言うところまで分かっているそうです。勿論、これはマスコミには一切公表されていませんけど」
「AB型で、男性か?すると、まさか、あいつかも?しかし、幾らなんでもそんな馬鹿な事がある訳がないと思うが?」
「井本先生、何か、思い当たる人でもいるんですか?」と相川が聞いた。
「ああ、私の大学生時代の同級生に、松木清という医者がいて、今、石川県金沢市で、私と同じような病院を経営しているんやが、この男も私と同じAB型やったのや」
「そんな、血液型だけで、簡単に犯人とは特定できないやろ。お父さんの推理も無茶苦茶やわ」
「いや、麻美や。事はそう簡単でもないんや。この松木清は、常にK大学で私とライバル争いをしていた男で、私が一番、松木は二番で大学を卒業している。
その松木が、K大学医学部付属病院勤務時代に『パルス波電流発生装置による電極埋め込み方式における脳内神経伝達物質の制御実験の効果について』という自分の研究目的のため、入院中の患者に、一応、本人の同意は取ったとは言うものの、半強制的に人体実験を行い、私の聞いた話だけでも二名の患者を死亡させているのだ。
それでK大学病院を追放されたと言う曰わく付きの人物なのだよ」
「そのパルス波電流発生装置とは、接骨院にあるような、肩や腰に当てたら、ビクンビクンとするあの機械の事ですか?」
「まあ、そんな物だと思ってもらえればいい。私は、精神分析理論から入って、実存分析、催眠分析、そして交流分析や森田療法等と、精神療法を主体とした治療法が大事だと考えていたのに対し、松木は、もっと直接的な療法、例えば脳の一部を切り取ると言うあの悪名高きロボトミー実験の必要性や効果を、常々、訴えるなど、学生時代から超過激な思想の持ち主だったのだ。そやから、同級生やゼミの担任の先生からも疎んじられていた程や。
それに、今から二年前にあった大学の同窓会での時の事なんやが、松木は、既に上前歯が入れ歯になっておっての。その時に、「この入れ歯の歯を違う動物の歯に替えれば、狼男でも、蛇人間にでも何にでもなれるんやぞ」とか言って、奇声を上げて笑ったのを覚えているのやが、今思い出してみてもぞっとする程だよ」
「そう言えば、松木医師は、人類の人肉嗜好症、つまりカニバリズム研究の日本の最高の権威者で、確かM書房から『カニバリズムの起源と終焉』等々、数冊の本を出していた筈だったわ。
それに数年前の暮れの精神神経学会誌に『映画の中でのカニバリズムの検証:ハンニバルより』とかいう論文を載せていたけど、その最後の文章が、
「今まで述べてきたように、食欲・性欲は人間の二大本能なのだが、その食欲の中に隠蔽された人肉嗜好という欲望こそ、人間の根元的かつ最も潜在的な欲望である。
よって、もし私が映画監督だったら、出演者に本当に人肉を食わせ、迫真の演技を演出し、この人間の持つ究極の潜在的願望を映像表現したかもしれない」という不気味な文章で終わっていたんよ」と、麻美も言い出した。
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