第3話 絶世の美女 


そこで、相川は、この本を出版した精神科の先生に会ってみようと思いたった。早速、電話をかけて自分の名前と用件を言った。



 その先生は、井本医師という人で、井本精神神経科病院を、隣のT市で開設していた。早速、パソコンでホームページを開き電話番号を調べて、面会できないか問い合わせてみた。



 運良く井本医師本人に電話がつながり、今度の土曜日の午後に、会える事となった。用件は、O市市史編纂に係る蛇谷村の大蛇伝説の件であった。



 3月6日。相川にとっては待望の井本医師に会う事ができたのだ。相川は、かっての出版社に努めていた時に出版されていた雑誌『アトランティス』数冊を持参していった。 

 この雑誌と、かっての自分の雑誌者時代の名刺を見せる事によって、華々しいマスコミ関係の職に努めていた事をアピールするつもりであった。



 しかし、井本精神神経科病院の応接間に通された時に、相川は自身の努めていた雑誌社が発行していた雑誌『アトランティス』のバックナンバー全冊がそろっているのを見て、びっくりしてしまった。もう既に倒産してしまった出版社のオカルト本である。



 井本医師は、相川が思っていた以上にオカルト関連についての造詣も深いと直感したのである。これを見て、相川は、回りくどい話しを止めて、かねてから疑問に感じていた事を素直に質問する事にしたのである。



 井本医師は、大柄で落ち着いた風貌であり、目には柔和な光をたたえていた。しかし、大病院の院長にしては、どこかもの悲しい感じも受けたのである。不思議だった。



 相川は、早速、前から疑問に思っていた蛇谷村の大蛇伝説、特に、何故、精神病理学の専門家が、かようなお伽噺に近いような話の研究をされたのか聞いてみた。



 しかし、井本医師はもの悲しそうな表情をするだけで、なかなか、その理由を答えなかった。



 そこで相川は、自分の雑誌社勤務時代に取材活動中に知り得た、蛇谷村の守護家の話を持ち出してみた。この守護家とは、代々、蛇谷村の「蛇谷神社」で蛇神様を奉ってきた家柄であった事をである。


 しかし、井本医師が例の『蛇谷村大蛇伝説考』を出版した今から二十年程前に、一家して、蛇谷村から突如転出してしまっていたのだ。更に、その『蛇谷村大蛇伝説考』の最初の一ページの冒頭の文章が、「愛する守護恵子に捧ぐ」となっていた事を相川は記憶していたのである。




この話を持ち出した時、温厚な井本医師は、大変に動揺した。



「恵子。守護恵子か。一体、今何処で何をしているのやら……」




「そう言われると思って、実は、僕、既に雑誌社勤務時代に、守護家の転出先を私立探偵社に依頼して、調べてあるがです」


 その話を聞いて、井本医師の顔が急に明るくなった。これはいけると感じた相川は更に追い打ちをかけるように、井本医師と守護恵子の話の経緯を問いただしてみたのである。



 井本医師は、ボソボソとその当時の話をし始めたのである。



 それは丁度、今から二十年程前のある日の事だった。井本医師は、当時、K大学医学部付属病院の精神神経科へ勤務していたと言う。



 その日、井本医師は、自分の人生の中で今までに逢った事も見た事も無いような美しい女性患者の訪問を受けたと言う。彼女は、最初は、母親と一緒に大学病院にやってきたのであるが、そのあまりの美しさに自分が医師である事すら忘れてしまい、単なる独身男性として赤面した程であったと言うのだ。


 この井本医師の話に、相川は、ウンウンとうなづいた。その辺の話は、相川も充分に理解できたからだ。



 さて、母親の話によれば、自分の一人娘に突如として、蛇神様が憑依するようになったと言うのだ。しかもその症状が、あまりに苦しそうなので見ていられないと言うのである。


 その美女こそ、守護恵子であったと言うのである。


そして、もと雑誌社勤務の相川は、井本医師が今でも独身な事や、更に例の本の冒頭の文章から推測して、井本医師と守護恵子との間には、きっと、何らかの関係があったに違いないと踏んだのだった。


 そうでなければ、生物学者でもなければ、文化人類学者でもなく、ましてや民俗学者でもない精神科医が、何故、今から約千年も前の大蛇伝説を、執拗に研究し、本まで出版する理由がないではないか?




 ……それに、この相川の推理を裏付ける決定的な証拠を相川は持参して来ていたのである。



相川は、更に詳しい大蛇伝説の話を聞き出すためにもと、ここで、持参してきた写真一枚を、応接机の上に差し出した。



その写真は、カラー写真でそこに写っていたのは、20歳前後の背の高いスラリとしたこれも絶世の美女だった。この写真を見て、井本医師は、完全に自分を見失ってしまったのだ。



「こ、これは、恵子、恵子じゃないか!」



「いやいや、違います。このお嬢さんは、守護恵子さんの一人娘の守護麻美さんながです」



「何やと!じゃ、恵子は、恵子はどうしておるがや?」



「守護恵子さんは、麻美さんが中学二年生の時に、急性前骨髄球性白血病で急に亡くならているのです。その死の直前に、麻美さんの実の父親は「精神科医」だったと打ち明けてそのまま亡くなられたそうです。そういう訳で、麻美さんは、その時から医者を目指されたとのだと、かっての同級生に語っていたそうです。




 ところで井本先生は、小中高大と総て総代で出ておられる英才と聞いておりますが、この麻美さんも先生と同じように小中高は総てトップで卒業、今、大阪の国立大学医学部の現役学生ながです。



 そこで、私の推測なのですが、井本先生。この麻美さんは、顔立ちは母親の恵子さんから受け継ぎ、頭脳は井本先生の血を引き継いでいるのではないがですか?つまり、井本先生と守護恵子さんとの間には、その、ちょっと言いにくのですけどお、子供が生まれるような関係があったのではないがですか?そう、僕はここに来る前から推理していたがです」




「そうか、恵子は既に死んでしまっていたのか…。




 しかし、実は、まさに君の言うとおり、私は守護恵子の治療中に、私の下半身を恵子に無理矢理、挿入する事によって、守護恵子の病つまり蛇神様の憑依を治そうとしたのだ……。



 これは医者としてのモラルを完全に逸脱している事は間違い無いのだが、それでもあの時の私は、恵子があまりに美人であったため、自分が医者なのか、単なる性に飢えた男なのか、分からなくなってしまったのだ。



 ただ、決して弁解する訳ではないが、その後、恵子の病は急激に良くなったと聞いている。だから、私の選択や荒療治とも言える治療法はそれ程間違っていたとは思っていないのだが、その後、恵子に会いに蛇谷村に出向いていったところ、既に、守護家一家は蛇谷村から何処かへ転出してしまっていたのだ。



 

 私は、必死で、色んな人や、守護家の親戚の人にも、その行き先を聞いて廻ったのだが、結局、分からなかったのだよ。」




「それで、それが原因で、蛇谷村の大蛇伝説ほうも研究に目が向いていったという訳ですね。でも、先生、それだけ守護恵子さんを愛していたのなら、僕みたいに私立探偵社に調査を依頼するとか考えてみなかったのですか?」




「いや、その事なんだが、私は医者で、別に自慢する訳ではないが、医学的な知識なら他人に負ける気がしないのだが、ただ、世間一般の知識は薄かったのだよ。うーん、それは気がつかなったな。




 それに、ここだけの話だが、私が蛇谷村の大蛇伝説にのめり込んだのには、実はもう一つの理由があって、それは何かと言うと、守護家には、約千年前に三人の若者によって退治されたと言われる例の大蛇の牙の一本が先祖代々伝えられてきたのだよ。見てみるかい?」



 そう言って、井本医師は、金庫の中から、薄汚れた桐の箱を取り出してきた。



「これは、最初の来院の時に、恵子の母親が蛇神様の話の説明をするために、持参してきたものだよ。その後、一家が失踪してしまったので返しそびれてしまったのだが………、 

 これを見て私は、蛇谷村の大蛇伝説は、実話ではないか?とそう、考えはじめたのや。



 ただ、これは、私と恵子を結ぶ唯一の品物だから、大学の研究機関にも、その真偽を依頼せずに、こうやって今まで金庫に入れて保管していたのや。


 さてそこで、これは私からの提案だが、相川君も相当に蛇谷村の大蛇伝説にご熱心のようだから、この大蛇の牙と引き替えに、是非、私に、麻美の住所や近況を教えて貰いたいのだ」



「僕は、先生に会えて、こんな貴重な物まで見せていただいただけでもう充分です。麻美さんの住所やプロフィールのコピーも持参しましたから、そのまま差し上げますよ。



 その大蛇の牙は、先生のほうでこのままお持ち下さい。それを近いうちに大学の研究室で徹底的に調査すれば、現代の科学技術なら、その牙が、本当に日本に生息するアオダイショウ等が突然変異で巨大化したものなのか、ニシキヘビやアナコンダのもので約千先年ほど前に日本に持ち込まれたものなのか、あるいは鮫のような巨大な魚のものなのか、あるいは虎等の大型獣の牙なのか一発で鑑定されるでしょうから。


 それで、蛇谷村の大蛇伝説の本当に真偽が証明されるでしょう。


 そしてその結果を真っ先にお知らせ下さい。



 で、万一、あくまで万が一ですが、最初に述べたように、本当に日本に生息するアオダイショウ等の突然変異等で、巨大化したものであったなら、それを元に僕は自分で『蛇谷村大蛇伝説は実話だった』とか何とか題名を付けた本を緊急出版しますよ。



 ただ、僕の究極の目標は、ネッシー(イギリスのネス湖に棲んでいると言われている怪獣で、首長竜の生き残りとされている)やモケーレムベンベ(アフリカのコンゴの奥地のテレ湖に棲んでいると言われている怪獣で、小型の竜脚類の恐竜の生き残りではないかとされている)等々の実在を証明する事ながです。




 つまり、現代における恐竜の存在の証明ながです。現在では、ほとんど、インチキ扱いされていますが、それが残念でならいのです。



 ですから、その本がベストセラーになってくれれば、そのお金を元に、ネス湖等へ行ってネッシーや他の未確認動物等の調査をしたいがです」



「相川君の話を聞いていると、まるでトロイ遺跡を発掘したシュリーマンの話を聞いてるように感じなるな…。いや、それはともかくとして、誠にありがとう。私は、直ぐにでも、麻美に会いに行ってみるよ。生活費も心配やしな」



「そのほうは、祖父と祖母が手助けをして、結構な暮らしをしているそうです。特に、麻美さんの祖父は、財テクの才があったようで、株で巨万の富を得ていたようですから。それは心配ないでしょう」



 その時である。応接室のドアをノックして、40代中頃の看護師が部屋に入ってきた。



「先生、13号室の木村さんがまた発作を起こしています。直ぐに見ていただけないでしょうか?今、鎮静剤と注射器を小森看護師が用意して13号室の前で待機しています」


「わかった、直ぐに行く。後、研修医の井本一(はじめ)医師にも連絡して、即、病室に来るように伝えてくれ」と、テキパキと命令した。ちなみに、この研修医の井本一医師か、井本医師の甥っ子であると言う。



井本先生は、応接室を飛び出していった。



 替わりに入って来た看護師は、胸に渡辺婦長という名札を付けていた。落ち着いた柔和な顔をしていた。



 机の上の写真を見て、

「まあ、何と綺麗なお嬢さんやちゃね……」と一言発して、自分も直ぐ応接室を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る