第2話 「蛇人間」 


 事件の発見から2日後の5月5日。通夜が終わり、その子の葬儀の時であった。



 当該児童への事件の残虐性は、あの宮崎勤事件、神戸の酒鬼薔薇聖徒斗事件、あるいは池田小学校児童連続殺傷事件にも匹敵する。そう考えて殺到した多くのテレビ局のレポーターがテレビカメラを回している最中、丁度、午後のワイドーショーの時間帯でもあり、全国に生放送されている、正にその時であった。



 突然、



「こ、こ、これは、へ、へ、蛇神様のたたりやああああ……」と、殺された児童の母親が絶叫した。



 自らの髪を振り乱し半狂乱になりながら、あっけにとられているテレビカメラマンのその目前で、隠しもっていた包丁で自分の喉を刺して、あっという間に自殺してしまったのだ。



 その瞬間、頸動脈から噴出した鮮血は数メートルも噴出し、生放送中のテレビカメラのレンズにグッチャリ付着した。

 全国の各家庭のテレビに、レンズに付着した鮮血がそのままダラダラと滴っていくさまが流されてしまったのだ。


 

 あまりに瞬間的な出来事であり、編集も中止もできなかった。



 更に、この時、例の東京の写真週刊誌の編集長がその場面を見ていた。

 実は、編集長は第一発見者の兄からデジカメのメールを入手した直後であり、今まさに、編集局員全員を集めて、当該写真を発表するかどうか議論をしようとしていたところだった。

 

 しかし、殺害された児童の母親の、その自殺場面が全国に生放送されるに及んで、自分の一存で決断した。



 直ちに、最新号に掲載された。5月7日の発売だった。


「北陸児童猟奇殺人事件の現場写真を独占入手!」


 等々の、派手な中吊り広告で、全国の書店やコンビニで大々的に、宣伝し、当該写真週刊誌は書店やコンビニに山積みとなった。過去最高の売り上げとなった事は当然である。



 しかも、問題は、それだけでは収まらなかったのである。興味本意で、この写真週刊誌を手にした70歳代の女性と男性2人が、そのあまりのグロテスクな幼児の惨殺写真を見て卒倒し、そのまま2人があいついで心臓麻痺で死亡した事から、マスコミの報道とその限界について、全国的な非難が当該写真週刊誌に集中したのである。

 当然、この写真週刊誌は、直ちに、発禁扱いとなった。



 しかしながら、この編集長は、逃げなかった。堂々と記者会見を開催し、逆に次のような正論を述べて、5月8日の夕方に緊急記者会見を開き、世間の批判に真っ向から対決したのである。



「私は、決して、金儲け主義で、当該北陸幼児現場写真を掲載したのではない。

 かって、日本は世界一、治安の良い国であった筈だ。

 しかるに、この悲惨な幼児殺害事件とその母親の自殺等の一連の事実は、あまりと言えばあまりの残酷さではないか!



 私は、もし犯人がいるなら、訴えたい。



 君には良心というものが無いのか! 自殺した母親の無念さが解らないのか!



 当紙は、全精力を上げて、当該幼児殺人事件の解決に、微力ながらも全面協力する覚悟である。例え、どんな小さな情報でも、まず地元警察、もし色々な事情により警察が無理なら、当社の私宛へご報告願いたい。

 当紙は、この極悪非道の犯人が検挙されるまで、例え当局からいくら圧力を受けようとも、徹底的に戦う所存である!」



 母親の全国生放送中の狂乱自殺や、当該写真週刊誌の現場写真の掲載が日本中で、物議を呼んでいる頃、当該事件は更に混迷の度を深めていた。




 石川県警と富山県警の合同操作本部に、当該幼児の遺体を司法解剖した大学病院からの検死結果報告が届いていた。



 しかも、当初の警察側の見解とは大きく違う、非常に大きな問題点が報告されていたのである。



 何と、幼児の死体の、まるで蛇に咬まれたような五カ所程度の傷跡や、割られた脳髄の中から、明らかに人間のものと断定された唾液が発見されていたからである。



 しかしそれだけではなく、大学病院の検死報告書によれば、その咬み傷の歯形は、犬歯や大鷹(おおたか)等のくちばしでというより、蛇に最も近い、しかも相当に大型の蛇に近い歯形であって、明らかに野犬や野鳥の嘴の形状とは違うとされたのである。


 これでは、当初の殺害後の野犬等による捕食行為の結果の惨状という話と根本的に違ってきており、まるで漫画にでも出てくるような「蛇人間」が現れて、当該幼児を殺害後その死体にムシャぶりついたという事になってしまうではないか!



「ちゅう事は、人間が、この幼児の脳を食べたという事か?そして、全身に噛みついたという事か?



 現在は、既に21世紀なんやぞ。そんな、「蛇人間」が、この世にいる訳がないやろうが……?ええ、一体、私はどう判断すればいいんや。」


 と、合同本部長は頭を抱え捜査本部で呻いた。



「本部長殿」



 ある捜査員が、いみじくも述べた。



「私の聞いた話では、あのO市の蛇谷村には、かって大蛇が存在したという伝説があるそうです。幼児の殺害自体は人間の仕業としても、また、何かの原因で、その大蛇が現代に復活したのではないでしょうか?」




「いい年をして、馬鹿な事を言うな。それなら、死体に付着していた人間のものと思われる唾液の存在は、どう、説明するのだ!


 大蛇伝説は、あくまで伝説に過ぎない。犯人は、必ず、人間だ。どこかに潜んでいるに違いない。もしかしたら、蛇谷村の大蛇伝説に見せかけて、殺人事件の捜査の混乱を狙ったのかもしれない。


 ともかく、ガイシャの両親か何かに、恨みを持っている人間に焦点を絞って、全力で調査に当たってくれ。



 それと、初動捜査の誤りが、事件を迷宮入りにしたケースは全国に山ほどある。



 次善の策も当然必要だ。まず、幼児の遊んでいた児童公園付近での目撃証言を集めろ!


 それに、児童公園と死体の発見現場までは、道が入り組んでいるから車でも30分以上はかかる。と、言う事は、犯人は車で移動した事は間違いがない。その当時、付近に不審な車を見た者がいないかも、徹底的に調べるのだ。


 それと、舟本と今井は、O市周辺での変質者の情報収集と、過去の変質者リストの洗い直しを大至急行ってくれ。



 なお、これ以上話を大きくしないためにも、今回の事実は、マスコミには、当分口にチャックやぞ」それだけ言い残して、本部長は席を立った。



「蛇人間。食人事件。そんな事がこの現代に起きるなど、とても信じられない。


 これじゃ、まるで映画の『羊たちの沈黙』や『ハンニバル』そのものではないか。何やこうや言うても、ここは、日本のど真ん中の富山県やぞ。映画や小説の中での現場じゃないがやぞ!」



 そう、叫んでから、本部長は家路に着いた。深夜の2時であった。




 母親の自殺の生中継、及び、例の写真週刊誌への掲載事件により、全国のテレビ局やマスコミ各社は、今まで以上に南北の両蛇谷村に集結していた。


 

 そして、南北の各蛇谷村で取材合戦を始めた。しかし、あまりに悲惨な事件故、村人全員が貝のようになってしまった。ほとんど全員がテレビのインタビュー等にまともに答えようとしなかったのである。



 唯一、南蛇谷村の区長をしている元高校の教頭先生が、テレビ局の取材に応じてくれた。しかし、これも加熱する取材合戦に、村人達が頼むから代表してワシらの代わりにテレビに出てくれと押し掛けてきたので、仕方なくインタビューに応じたというのが本音であったろう……。



 5月9日の午後。さっそく、某テレビ局の女性レポーターが口火を切った。


 

「区長さん、早速ですが、今回の事件をどう思われますか?」


「どう思うも思わんも、あなた、そんな、ただただ、殺された子供の両親の無念さに。心が痛むだけですちゃ。あなた達も、そんなくだらない質問しておらんと、少しでも犯人探しに努力されたらどうですけ?」


「それは、私どもも色々とやっておりますが、事件の捜査そのものは警察がちゃんと行っておられますよ。


 

 それより、全国の視聴者の皆さんが、是非、ここで聞きたいと思ってらっしゃるのは、多分、あの母親が自殺された時の直前に叫ばれた「蛇神様」の話だと思うのですが、聞くところによりますと、この蛇谷村には、『蛇舞祭り』または『蛇舞盆』とか言われている奇祭があるそうですね。それと今回の幼児惨殺事件と、一体どんな関係があると思われますか?」



「いやあ、そんな大した祭りでもなければ、今あなたがたが言われるような奇祭でも何でもないんですちゃ。単に、他の町でも村でもやっている、いわゆる獅子舞の獅子頭の代わりに、大蛇の頭を付けた踊り子が踊るだけの祭りながです。


 そんなもんがどうして奇祭なのか、私には理解できませんんね。私らには、昔から伝わっている祭りなんで、そんなものやと思うておりますがいけれどね」



「しかし、聞くところによりますと、祭りに参加する全員が白装束と言いますか、死に装束をまとって『蛇神様のお通りじゃああ、道あけろ、道あけろ、シューシュシュシュ!』、とかなんとか叫びながら、村中を練り歩く、大変に奇怪な祭りとか聞いておりますが」



「その衣装には深い意味があって、約千年前に、この村に大蛇が現れた時、それも多分全長10mはあろうかという大蛇やったそうですが、それを、村の若衆3人が大蛇退治の決死隊に自ら志願して、その大蛇退治に行った時に、もう生きて戻らん覚悟の意味で、白装束を着て出発したという伝説からきているだけながでして……。



 しかし、あなた方も現代人なら常識的に考えてもらえれば解ると思いますが、そんな巨大な蛇がこんな北陸の片田舎におった筈がないでしょうが……。


 私は、つい最近まで高校の教頭をしておりましたし、高校では生物を教えておりましたから、生物学的な点からしても絶対にありえん話やと思っておるがです。



まあさしずめ現代ならば、ペットで飼っていたニシキヘビやアナコンダが大きくなりすぎて、飼えなくなったため、車で運んで来て、この蛇谷村近辺に捨てていったという話もありえない事は無いががでしょうが、何分、今から千年以上も前の事でしたら、そんな事も不可能でしょうが……。



 ですから、これは私個人の見解ですが、地形的に考えますと、この北・南蛇谷村は石川県との県境にある事から、ここを通らないとどうしても行き来ができなかった筈です。 そうしますと、多分今から千年以上も前の事、その旅人を狙って強盗を働く輩がいたとしてもおいかしくないでは無いですか?


 その中に、特に、「大蛇(おろち)」のように残忍な強盗を家業とする個人や集団がおって、それを見かねた当時の若衆3人が、命がけでやっつけに行ったんじゃろうというのが真実だと思っておりますちゃ。




 その話に、尾ひれがついて、先程あなたの言った『蛇舞盆』や「蛇神様」になったがでしょう……。ですから、何度も言うように、「蛇神様」なんかちゃ、あれは一種の作り話やと、そう、考えてもらったら良いと思うておりますちゃ」




 と、実に理路整然と話しをされた。しかしながら、そのインタビューの答弁はまるで作文の棒読みのようであり、少しも真実味が感じれなかったのである。



 さて、この日本犯罪史上まれにみる幼児惨殺事件が起る、丁度2ケ月前の3月3日、市史の内容が、いよいよ例の蛇谷村の大蛇伝説のところにさしかかってきた時だった。


 

 相川は、村人達は大蛇の実在を今でも真剣に信じ、今でも蛇神様を信じていると聞いていた。その事は『蛇谷村大蛇伝説考』にもはっきりと書いてあったと記憶していた。

 大蛇を祭る「蛇谷神社」も、現在も存在すると言う。



 ただその理由が分からない。なぜ、こんな御伽話のような話を村人達が、真剣に、現代になっても信じているのか?


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