第5話 プロファイリング

「そうか。麻美までそこまで言うか。それに、こんな話は、単なる私情だと言われるかもしれないが、私の診療室に足繁く通う麻美の母親の恵子を見て、あの松木がこの私を鬼のような形相でにらんでいたのも覚えているんだよ。



 私が、守護一家が、蛇谷村から転出したのを機に蛇谷村に踏査調査に入った頃、あの松木もまた、同じように蛇谷村付近で色々と聞き込み調査をしていたのだよ。これは、まぎれも無い事実なのだ」



「つまり、松木医師も恵子さんに何らかの感情つまり恋心を抱いていた。それが井本先生に寝取られてしまったので、その怨念が、今頃になって爆発したと言うふうに考えてもいい訳ですね?」



「とすれば、心理学的手法を重視するアメリカのFBI方式のプロファイリング(犯罪情報分析)の技法から言えば、どうもその松木医師が一番怪しそうね。



 だって、普通の人間だったら、同じ幼児を殺害するにしても、あれほどまで残虐な方法は取らないと思わへん?



 それに、さっきのお父さんの話やったら、その松木医師は、蛇谷村にも出かけていたんでしょう?だったら、当然、大蛇伝説の話も知っている筈だし、幼児殺害を大蛇の仕業に見せ掛ける事ぐらい、簡単に実行できたんじゃないかしらね?」




「わかりました。じゃ、ここで今までの要点をまとめてみましょう。

・犯人は、血液型がAB型で男性である。松木医師はこれに当てはまる。

・犯人は、幼児殺害を大蛇伝説に結び付けている。つまり蛇谷村の大蛇伝説を知ってい る者である。松木医師はこれに当てはまる。

・犯人は、その残虐な手口、特に、幼児の脳や腸を食べた形跡がある。松木医師はカニ バリズムに異常な興味がある事からこの点も松木医師には当てはまると考えられる。

・犯人は、入れ歯をしている可能性がある。この場合、入れ歯の歯形を替える事によ  って、幼児への大蛇の傷跡を残す事が可能と考えられる。松木医師は、上の歯が総入 れ歯であり、この点も当てはまると考えてよい。



 以上となります。



 ただ、まだ確認しなければならないものが二点あります。


 それは、松木医師の今回の事件前後のアリバイと、特に、今回の総ての事件に使用されたと思われる蛇の牙に似せて作ったと思われる入れ歯のような物体の存在でしょう。この二点の問題が、完全に解明されない限り、真犯人には到達できないと思うがです」



「わかった。ところで相川君、君が雑誌社勤務時代に、麻美の事を調べてくれた私立探偵社を紹介してくれないか?そこで、松木のアリバイが証明されなければ、その時は、警察への告発も考えなくてはなるまいが」



「わかりました。僕の現在の安月給では、どうしようもありませんが、その費用を井本先生が出してくださるのなら、即、引き受けてくれるでしょう」



「あの、それと、近隣の歯科医師とかに誰か変死者がいないか当たってみるべきと思わない?犯罪心理学の教科書的には、これだけ用意周到の犯罪者だったら、その大蛇に似せた入れ歯を作る際に、犯罪の実行前に証拠隠滅のためこの事件に関わったであろう人間をも、きっと殺害しているんじゃないかと思うんよ」と、麻美が言う。



「つまり最初の事件が起きた5月3日から半年、いやもっと前の1年ぐらい前にまで遡って調べてみるべきだと言うのですね?」



「ええ、そうじゃないと、私も安心して大学へはよう戻られへんもん。何しろ、私の家は、先祖代々、蛇谷村で蛇神様を奉ってきた家柄なんやそうやし……。

 私、大学へは1週間ほど休暇願いを出すわ。そして、相川さんと一緒に、真犯人探しに協力します」



 そして、話はトントン拍子に進み、ここに、一市役所職員と国立大学医学部精神神経科専攻の現役の女子学生との奇妙なコンビの、私立探偵事務所が(勿論、現実には「事務所」など何処にも無いのだが……)設立されたのである。



「ところで、今回の事件とは何の関係も無い話ですけど、麻美さんには、当然、彼氏がおるがでしょう?」と、病院の前で、別れ際に相川がおそるおそる聞いた。



「いいえ、私、生まれてから今まで只の一度もコクられた事ないの。そんなにお高くとまっているつもりなんかないんやけどねぇ」



「その話、マジ?」



「勿論、マジよ、嘘なんかつかへんわ」



 それを聞いて、麻美より遙かに背が高く体格のがっしりした相川は咄嗟に麻美にキスをして別れた。こんなチャンスは一生に一度あるかないかそう思ったからだ。

 麻美は、頬を染めながら明日また会おうと言ってくれた。



 5月21日。その日の朝のテレビニュースで衝撃的な報道があった。何と、例の蛇谷村の区長、その名を藤本正と言うが、今回の連続幼児猟奇殺人事件の重要参考人として警察の任意調査を受けているというのだ。



 その根拠となったのは、この藤本区長が、高校教師だった約二十数年程前の時代に、学級崩壊に直面し精神を病み約二ヶ月近くの入院歴がある事、また退院後、急に人格が変わったようになり、蛇谷村の大蛇を現代に復活させるべく高校の理科室や自宅に大きな蛇小屋を造り、日本の在来種による大蛇製造のためのバイオ実験を繰り返していた事。



 で、本人の血液型はAB型、しかも、事件当日の前後の自分のアリバイを忘却して思い出せないと言うのである。ちなみに、この区長の奥さんは3年前に死んでいない。藤本区長のアリバイを証明してくれる者は誰もいなかったのだ。



 さっそく、当日の夜7時に井本精神神経科病院に、3人が集まって、今後のなりゆきを相談しあった。



「ねえ、今朝のニュースを見た?テレビのワイドショーであんな理路整然とした返答をしていた藤本区長が犯人だったとは、私には信じられへんけど」と、麻美。



「それは私も同感だよ。ここだけの話だが、例の藤本区長が入院していたという病院とは、実は、私が勤務していたあのK大学医学部付属病院の事でね。

 その時のレセプト(診療書の事)もうまくいけば残っていればの話だが、実際は5年間が保存の法定条件ながですが、彼が担任であった時に出会った学級崩壊がショックで、強度の不安神経症状と、それが高じての鬱症の合併症で、退院するのに二ヶ月近くかかってしまったのだ。



 ただ、その担当医は私ではなく、例の松木清で、この点が少し気にかかるのは確かだが……。だが、病名から診断して、完治後にあんな凶悪な事件を引き起こすだけの性格は、普通の場合は持ち合わせていなのだよ。多分、捜査上のミスか、警察の勇み足じゃないのかな?まあ、DNA鑑定をすれば直ぐに分かる事でもあるのだが……。



 私の考えでは、かってよく言われたサイコパス(精神病質者)の犯罪だと確信しているんやが」



「お父さんの言うサイコパスの学説は、既に、過去の遺物で、現在の精神神経学会では、その概念は使われていないんよ……」



 昨日に増して、麻美は、今日も美しい。



「とは言え、やはり、私の同窓生の松木清が一番怪しいんじゃないんかな。



 何しろ、仮に、麻美の言うように今ではサイコパスの概念は否定されているとは言え、あんな残虐な事件を引き起こすのは正常と異常の区別ができない人間。


 

 つまりかってのサイコパスと言われるような人間じゃないのかというのが、精神医学を学んだ私の推論なのだが。ところで相川君の知り合いの私立探偵社の方へは、連絡はついたのかね?」



「ええ、昨日のうちにメールで、大体の依頼内容を送ってありますから、今日の昼ぐらいから石川県K市に来て、既に、何らかの調査を始めていると思うがです」



「ところで、また、私のプロファイリングの理論を持ち出してなんやけど、その理論からすれば大変重要と考えられる、歯科医師の記事はどうなったん?」



「今日、勤務時間中に最近の三箇月間の新聞の三面記事に目を通してきたものの、特に変わった記事は目につきませんでした」と相川。



「ただ、この藤本区長の件も、それ程、的はずれな事情聴取では無いらしいです。

 と言うのも、藤本区長が高校の教師だった時、今で言う学級崩壊になった最大の原因は、麻美さんのお母さんの恵子さんの担任だった時に、あまりに恵子さんへの依怙贔屓が度が過ぎて、それが最大の原因だったと聞いてきましたから。


 僕の職場の先輩に、恵子さんの同級生だった職員の方が勤務しており、その人から直接聞いてきたからこの話は真実なんですよ」




「そうか。では、この藤本区長も蛇谷村の大蛇伝説にどっぷりと漬かっているという訳なんだな。あの松木清と同じように」と、井本医師が呟く。



「そう言う事です。ところで、最近の地元のニュースで一つだけ気になったものがあります。それは、富山県T市の歯科技工工場が何者かによって放火され、工場は無論、その個人経営者一家3人が焼死した記事が載っていました。それは、今年の3月30日の新聞に載っていたのですが、これがほんの少しばかり、僕の気になった記事ながですよ……」



「歯科技工工場?」と、聞いて、麻美がほんの少しだけ首を傾げた。



 

「麻美さん、何か、思い当たる事ありました?」



「いえ、今のところは、まだ何にも、でも少し気になるわね」 


「とりあえず、今日は、これまでにしないか?」と、井本医師が言った。

 相川と麻美は、玄関まで出て、熱いキスを繰り返して別れた。



 5月22日、事件は再び振り出しに戻った。



 幼児に残された犯人のものと思われる唾液や精液のDNAと、重用参考人とされた藤本区長のDNAは、100%別人と判定されたからだ。よって、どれほど状況証拠らしき物が腐る程あっても、藤本区長は全く無実なのであった。


 それに、藤本区長が自分のアリバイを証明できなかったその理由も判明した。

 かっての教え子で、現在人妻である40歳代の女性と某モーテルで逢い引きをしていたらしいのだ。



 この話は、井本医師が既に予想していたとおりであり、その日の夜、集まった麻美や相川は、別に驚きもしなかった。それとは別に、松木医師のほうが、アリバイがはっきりしないと言う情報もつかんだのである。


 これは、相川が依頼した東京の私立探偵社が、5月2日の松木医師の行動を追ったところ、石川県K市のホテルで開催される医師会の会合に行くと行って病院を出たはずの松木医師が、何と、当日のその会合には出席していなかった事が判明。




 また、5月の中旬に立て続けにおきた二件の幼児惨殺事件当時のアリバイも、実は、松木医師は、ストレス解消にと言う名目で、能登半島の中腹にある某温泉に泊まりに行っているのだ。




 松木医師は、井本医師と同様、現在も独身だったから、日頃の行動は自分でいつも決めていたらしいのである。



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