第8話 「蛇舞盆」の奇祭


「何とか自損事故で済んで、誰も怪我させてないわ」と、麻美。



「そうか、そりゃ、まだ良かった。でも、井本先生、病院があんな大火災になってしまって、大変でしたね?で、渡辺婦長は捕まりましたか?」



「えっ、病院?病院は何ともないし、渡辺婦長には病院の事を頼んできたところだが、あはは、どうも相川君、少し、夢を見ているようだね」

 とそこまで話して、相川の瞳孔を覗き込んだ。



「えっ、病院は放火されてないんですか?じゃ、渡辺婦長は真犯人じゃないのですか?」



 相川の話を手で遮って、井本医師は、患者を諭すように言った。



「どうも、君はまだ、夢の中にいるようだね。完全には意識が戻っていない可能性がある。直ぐに主治医を呼んでくれ」と、周りの者に指図した。



「では、今日は一体いつなんですか?」と、相川はボーとした頭で考えた。



「今日は、5月23日の日曜日、相川君が事故に遇ったのは、昨日、私の病院を出た直ぐ後の事だったのだよ」



「えっ、じゃ、今まで、僕が体験した病院の火災や、渡辺婦長の殺人事件の事は、夢の中の出来事だったと言う事なのですか?」



「まあ、そういう事になるのかな。

 それにしても渡辺婦長が真犯人だとは、これはまた、ぶっ飛んだ推理だがね。君が私の病院を出る時に犯人が解ったと言って小説を書くと言っていたが、あの渡辺婦長が真犯人の小説でも書く気でいたんやな」



「いや、井本先生にメールで確認したところ、渡辺婦長はかってK大学医学部付属病院に勤務していたというメールの返事をもらったので、てっきり僕は……」



「そんなメールは私は送っていないよ。渡辺婦長がかってK大学病院勤務だったとの話は事実だが、メールの話は事実じゃ無い。

 その話は、きっと、事故後の君の夢の中での話なのではないのかな?」



「そうですか。そうすると、じゃ、あの井本先生の応接室の中にあった超小型の盗聴器は、一体、誰が取り付けたんでしょうか?」



「超小型の盗聴器だって?それも変な話だね。と言うのも、数年前の話だが、私も、物騒な世の中だからと私立探偵者に盗聴器が設置されていないかのチェックをお願いしたところだし、今までよりも更に安全だと評判の高い新たな警備会社にも警備委託したところだから、そんな不審者が出入りできる筈はないんだが……」



 丁度、その時、看護師と一緒に主治医の医者が病室に入ってきた。直ちに、瞳孔、血圧等の検査を始めた。



「あ、あのう、そろそろ、みんなここらで帰りませんか。

 兄も何とか意識が戻ったとは言え、まだまだ完全に回復しているんじゃないもんで」と、相川の妹が言った。

 名前は、亜矢と言うが、麻美に比べると、まあ、お世辞にも美人とは言えなかった。ただ、兄思いの真面目な妹である事だけは間違いはない。


 

 皆が、病室から出て行った後、相川は、推理の完全修正を迫られる事になった。



 自分の5月22日の夜の思いでは、かってK大学医学部付属病院に勤務していたであろうと推理した渡辺婦長が、今から20年以上も前の井本医師と麻美の母親恵子との、例のあの行為をこっそりと目撃したであろうとまず推測。


 

 そして井本医師に恋愛感情を抱いていた渡辺婦長がこれに猛烈に嫉妬、更に、今になって相川が麻美の話を井本医師に持ちだした事によって、渡辺婦長の内面の狂気が炸裂し、あの連続幼児猟奇殺人事件へと繋がったのであろうと、こう推理したのだった。



 その推理は、交通事故に遭った時に、うまく融合して、相川が見た夢となって現れたのだろう。



 だが、これが、完全な夢だったとなると、真犯人は、全く、別の人間を考えなければならないが、そうなると、例の松木医師が最も怪しいと言う事になるが……。しかし麻美が言うように、松木医師などあまりに犯人然としていて、そのままを鵜呑みにできないではないか。



 では、一体、誰がどんな目的で、このような猟奇的な事件を引き起こしているのであろうか?



ここで、痛む頭を抱えながら、相川は、再度、今までの事件を時系列に置き換えて見直してみる事とした。



 正に、麻美がかって言ったように、本当にベッドデティクティブの探偵小説のようになってしまった。しかし、痛む頭で病室の白い天井を眺めていたその時、どうしても解けない、非常に大きな問題点が脳裏に浮び上がってきたのである。



 つまり、今回の事件は、蛇谷村の大蛇伝説が大きく関与しているのは100%間違いがない。だが、何故、それが今になって出てきたか、である。



 松木医師や蛇之道医師にしたところで、確かに、蛇谷村の大蛇伝説に少々の接点がある事は事実である。しかし、それが何故今頃になって連続幼児虐殺事件となってその思いを爆発させねばならなかったのか?その点の説明が、どうしても出来ないのだ。



 これだけの大事件を連続して引き起こすという事は、ある何かをきっかけにした核爆発にも近い怨念か何かが存在しなければならないではないか?



その日の夕方、麻美が、花束と果物を持って、相川に会いに来た。

 夜の汽車で大阪に戻ると言う。そのお別れに来たのだった。明日からまた大学の授業に顔を出すというのである。相川は、麻美に今回の事件の捜査を引き続き頼む事として、再会を誓いあった。



 この際と思い、相川は、麻美にプロポーズをした。麻美はそれに頷いて、相川の右手を自分の大きな左胸に押し当てた。




 麻美が帰った後、相川は、再び、推理を続けた。




 先ほども考えていたように、今回、事件が起きたのは、今年の5月のゴールデンウィーク中である。では、それよりも前に特に変わった事があったのであろうか?



 結局、何も考えつかなかったが、一つだけ言える事は、今回の事件が起きる前に、相川のとった行動で特に記憶に残るものとしては、井本医師に麻美の母親の話をして、更に、麻美の写真を見せた事ぐらいであった。



 これによって、井本医師は、目出度く麻美と親子の対面を行えたのである。それ自体は、大変に喜ばしい事であった筈だ。



 どうも、ここらあたりにどこか、心に引っかかるものがあるのだが、それ以上はどうしても考えつかなかったのだ。

 痛む頭を抱え、その日は、相川はそのまま眠ってしまった。



 全ては明日からだが、少しでも早く退院しなければならない。そのためにも、今は我慢の時であった。しかし、一体、どうして居眠り運転なんかしたのだろう。睡眠時間はいつも短かくてもほとんど平気な筈だったのだが……。



 だが、狂気の事件は更に進化を遂げる。



 6月2日。ようやく、頭の傷も快方に向かい、MRI検査やCT検査でも脳内の異常は全く無かった事から、そろそろ退院も間近だと医者が口に出し始めた頃でもあった。



その日の新聞の朝刊で、午後のワイドショーが次のようなセンセーショナルな番組、つまり、

「実況生中継、奇祭!あの蛇谷村の蛇舞盆の実態」の見出しに、相川は注目した。

 話には聞いていたものの、相川自身は蛇谷村に古くから伝わると言われる「蛇舞盆」の奇祭は、実際には見た事が無かったからだ。



 相川が市史編纂の課程で集めた資料によれば、6月初旬の決められた日に、白装束(頭に三角頭巾を巻いた、正に「死に装束」である)の格好をした村人十数人が、大蛇の木彫りの頭部と全長十数メートルはあろうかという大蛇に見立てた細長い布を支え、北蛇谷村・南蛇谷村の一軒一軒を回って歩くのである。




『蛇神様のお通りじゃああ、蛇神様のお通りじゃああ、

 道あけろ、道あけろ、

 シューシュシュシュ!シューシュシュシュ!』と、



 何とも訳のわからない呪文と言うか奇声を上げて、一軒一軒、村を廻って歩くのである。



 その際、木彫りの大蛇の訪問を受けた村人達は、大蛇除けという事で、気持ち分のみのお布施を包んで、集金役の村人達に渡すのである。少し形式は違うものの、東北地方のナマハゲ祭りにも何処か似ているかもしれない。



 その前日の様子が録画されたビデオで放映された後、いよいよ、この奇祭「蛇舞盆」のクライマックスが今日の午後からスタートするのであった。



それは、「大蛇殺し」という儀式で、これが、この奇祭の最大の売り物でもあった。



 まず、綺麗に化粧した5・6歳の少女一人が生け贄の役となり、蛇神様の祠の前に座っているのである。

 そこに、例の大蛇の役をした村人十人近くが、今、正に、少女に襲いかかる寸前、天狗の面を着けた村の若者三人が、それぞれ、手に手に、一人は鎖鎌、一人は長刀、一人は槍を持ち、この大蛇の約の村人十人近くと死闘を繰り広げたあと、約1時間もの踊りの後、手に鎖鎌を持った若者が、この大蛇の首に飛びつき、鎖鎌で大蛇の胴体である細長い布から蛇頭(へびがしら)を切り離し、「蛇谷神社」の蛇神様の祠の扉を開けて、恭(うやうや)しく奉納するという祭りである。




 ある意味、どこの村にでもありそうな祭りの一つではあるのだが、これが奇祭とされるのは、例の大蛇の囃し言葉や、笛や太鼓の音が、あまりに不気味で気味が悪く、特に、生け贄役の少女に襲いかかる寸前の行為や踊りが、あたかも児童虐待を連想させるような内容のため、長らく村人以外には、一切、公開されなかったという、曰く付きの内容であったからである。




 と言うのも、この生け贄役の少女は、この時の記憶がトラウマとなり、大きくなった後に、精神に異常を来した者が多かった事が、実は昔から大きな問題であったからだ。

 それが、遂に、テレビ中継の元、全国に発信されると言う。



 相川自身も、テレビのワイドショーの生中継に夢中になった程であった。確かに、普通のお祭りというよりは、大蛇の怨念を彷彿とさせるような、オドロオドロしい不気味な祭りであった。



(しかし、当日のテレビに映し出されている画像そのもは、相川の聞いて話よりは、随分と大人しいような感じを受けた。多分テレビ中継を意識して、相当に温厚な内容に変更されていたようである。)



 それであってすら、これは、祭りの名を借りた、一種のカルト教団の儀式に近いような、異様な雰囲気を醸(かも)し出していたのである。



 さて、祭りもいよいよ最後の段階に達した。例の「大蛇殺し」の舞がいよいよ終わりに達し、細長い布から蛇頭(へびがしら)が、大きな鎌で切り取られた後、「蛇神神社」の蛇神様の祠の扉を開けた、まさにその瞬間であった。



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