疑い
「何か気づいたんですか?」
タカさんは小便器で用を足している。この世界に水道はない。汲み取り式の小便器からは、ひどい悪臭が漂っていた。
「山本君。ウサギの手、見た?」
「ウサギの手?」
思い出す。ウサギの手は全体が毛で覆われていた。
「フサフサしてましたね。いかにもウサギらしい手だったかと。」
「だよな。山本君、ウサギって肉球無いの知ってた?」
タカさんはこちらを見ないまま質問を続ける。
「へえ、そうなんですか?知らなかったです。」
質問の意図が分からない。何を言いたいのだろう。
「ウサギは肉球が無い代わりに手の平にも毛が生えているんだよ」
たしかに、アイツの手の平にも毛が生えていたように思える。
「それがどうしたんですか?」
「指だよ指。アイツの指も本来は毛で覆われていて、フサフサじゃなければおかしいんだよ」
ウサギの指か。対局中は豚男を注視していた。ウサギの指がどうなっていたかなど、大して覚えていない。
「何が言いたいのですか。」
じれったい会話だ。何か気づいているのなら、すっと教えてくれればいいのに。
「アイツの指の先、表側だけ毛が異様に短かった」
少し考える。
「麻雀のせいじゃないですか。ここで働いていて、毎日牌に触れていれば、指の表面だけ毛が薄くなってもおかしくないかと。」
タカさんはこちらを向いた。核心を告げるためだろう。
「左手も、か?」
左手も?ウサギは右手で麻雀を打っていた。基本的に牌に触れるのは右手のみ。牌を握る手には力が入りやすい。それならば、右手の指の毛が薄くなるのは分かる。
だが、左手となると、極端に牌に触れる機会は減る。洗牌、牌山を積む時、手牌を整える時。左手でも牌に触れることはもちろんあるが、右手よりも回数は少なく、力も入れる必要はない。
タカさんが言いたいことに察しがついた。
「まさか、そういうことですか。」
「だろうな」
左手の指まで毛が薄い理由。それは簡単だ。左手の指にも力を入れて牌に触れているからだろう。だが、それは不自然。対局中、牌を握る指に力が入る事はよくある。盲牌をする癖がある者ならなおさらだ。しかし、左手は通常卓の上には置かない。これはどこの雀荘でも共通するマナーだ。ならば、いつ左手の指に力を入れて牌に触れているのか。
洗牌時。牌を裏返しながら四人で牌を混ぜる。そうしながら、牌山を積むための17枚を手元に寄せる。その時だとしたら。
「積み込みですか。」
「ああ、そういうことだ」
唖然とする。そして、この可能性を見落としていた自分に腹が立つ。
俺は豚男を注視していた。ヤツのイカサマが疑われるようになってからは、さらにだ。
ヤツはイカサマをしていて、それ故にあがり続ける。それを食い止めようと、見破ろうと、必死に頭を働かせていた。
だが、そのせいで視野が狭くなっていた。
ヤツの、ヤツだけのワンマンプレーでない可能性を見落としていた。
積み込みはイカサマの一種で、牌山を積むときに特定の牌を仕込む。牌山のどの位置に仕込むかや、どの牌を仕込むかでさらに分類がされる。
もしも、ウサギがそれの熟練者で、豚男に協力していたのだとしたら。ヤツらのイカサマの精度は相当なモノになるだろう。
「いつからそれを?」
タカさんは、匂いガン牌説に納得していたのではないのか?
「気づいたのは卓を移動する前、新しいおしぼりを手渡された時だよ。アイツは相当積み込みの練習をしているだろう」
ああ、あの時か。俺が茶を卓にぶちまけ、タカさんはその飛沫をおしぼりで拭いていた。
その後すぐに新しいおしぼりをウサギから受け取っていた。その時にウサギの手に違和感を持ったのか。
「山本君のガン牌説が違うと分かった今、次に積み込みを疑うのは自然な推理の流れだ。そして、ウサギの手。それはヤツも加担していると考えるための要素としては十分じゃないか。豚男とウサギが、協力して積み込みを行っている可能性は高い。だが、その先はわからない。ヤツらの積み込みの種類も、打開策も」
タカさんの語気は弱まった。そして俺を見つめる目がグッと大きくなった。
「あとは任せた」
まじかよ、おっさん。
肝心なところで放り投げやがった。
だが、いいだろう。ウサギは黒の可能性が高い。そのヒントを得られたおかげで、より緻密な推理ができるだろう。
トイレの個室のドアにもたれ掛かり、考え込む。
ずっと推理の中心にいるのは豚男だった。今、容疑者が2人に増えた。
ウサギのこれまでの振る舞いを思い出す。
東一局、俺は速攻を仕掛けた。
俺はタカさんが切った3ピンをチー、その2巡後に豚男が切った北をウサギがポン。
そして、豚男のツモ切りリーチ。そして一発ツモ。6000オール。
一本場では、俺は8,9巡目に連続でチー。その2巡後にタカさんが切った8ピンをウサギがポン。そしてまた、豚男のツモ切りリーチ。4巡後にツモあがり、2700オール。
二本場では、タカさんから動き始めた。ウサギが切った牌をポン。そして俺はチー。ウサギもチー。全員が速攻の構えを見せるが、直後に豚男のツモ切りリーチ。2巡後にツモあがり4200オール。
そして三本場、俺はタカさんから中をポン。同巡、タカさんはウサギから8マンをポン。その後、ウサギがチーをして、豚男のツモ切りリーチ。すぐに、俺は豚男のツモ筋をずらすために、無理やりチー。一発ツモは逃れたが、豚男の3マンをウサギが鳴き、直後に豚男のツモあがり。12300オール。
はははは。何故俺はこんな簡単なことに気付けなかったのだろう。自分の視野の狭さにうんざりする。
前の半荘、俺の構えは一貫していた。親を蹴るための速攻。そのために、鳴きを重ね早いテンパイを目指していた。それは、タカさんにも、ウサギにも共通した考えなのだろうと考えていた。
しかし、ウサギに限ってはそうではないようだ。俺かタカさんが仕掛けると、決まってウサギが後を追って仕掛ける。豚男のリーチやあがりの直前に鳴いていたのは、常にウサギだった。
それだけなら偶然もあるかもしれない。問題なのはウサギの鳴き方だ。
東一局一本場がわかりやすい。俺は2回チーをして、その後ウサギがタカさんからポン。チー一回でツモ筋は1つ前にずれる。俺は2回チーしているから、2つ前にずれたわけだ。その後ウサギのポンはタカさんから鳴いているため、ツモ筋は2つ後ろにずれる。つまりプラマイゼロ。ツモ筋のずれはウサギのポンで帳消しにされていた。
これはウサギの鳴き全てに共通する。ウサギは俺やタカさんの動きに合わせ、自分も動く。ツモ筋のずれをゼロにするために。
これだけを見ても、ウサギが豚男とグルなのは明確じゃないか。
そして、これはもう一つの事実を示している。奴らの積み込み位置は常に決まっているということだ。
俺は初め、ガン牌を疑っていた。豚男はガン牌を山の中から一つ、あるいは複数見つけ出し、それが自分のツモ筋に来たらリーチをかける。そう考えていた。つまり、豚男の狙うツモ筋は局によって異なると。
しかし、ウサギは毎回豚男のリーチの前に、それまでのツモ筋のずれを打ち消すように鳴いていることが分かった。すなわち、豚男の狙うツモ筋は常に一定。初期位置だ。
各人のツモ筋は配牌を取る前の賽の目がいくつであろうと固定されている。豚男は自分の初期ツモ筋を執拗に狙っていたことになる。もしもそれがずれたら、ウサギに調整させて。
仮説を立てる。その仮説が正しいとするために、念のため確認しておきたいことがある。
「タカさん。豚男があがった時の山、覚えていますか?」
「山?」
タカさんは少しキョトンとしたが、すぐに少し上を向いて考え始めた。
「たしか、最後のあがりは豚男の自山。その前の3つのあがりはウサギの山だったかな」
「やはりですか。」
これで推理のパーツは出揃った。
俺は頭の中で思考をまとめた後、もう一度タカさんの方を向いた。
「タカさん、分かりましたよ。ヤツらの手口。」
「流石だな山本君。で、その手口って?」
タカさんは興味津々といった表情でこちらを見つめている。
「千鳥積みですよ。」
「ああ~」
千鳥積み。積み込みの一種だ。特定のツモ筋に牌を複数枚積み込む。例えば、マンズばかりを仕込めば、そのツモ筋の人間は毎巡マンズを引くことになる。今回、豚男はずっと親だった。親のツモ筋に特定の牌を仕込み続けたのだろう。
「そして、それはウサギと豚男両方が仕込んでいます。」
豚男があがった山は必ずウサギか豚男の山。つまり千鳥積みは二人ともが行っていることになる。
「ウサギは俺たちがいくらツモ筋をずらす鳴きをしても、そのずれを打ち消すために鳴いていました。つまり、積み込みは二人で、あがる役は豚男、そのサポートにウサギ。そういう役割分担でしょう。」
タカさんは、小さくうなずきながら話を聞いていた。
「ウサギが豚男に協力している理由はわかりませんが。」
俺が最後にそう付け加えると、タカさんが口を開いた。
「弱みを握られているとか金を借りているとか、そんなところだろう。まあ、それは今はいいじゃないか」
一息入れた。
タカさんは俺をまっすぐ見つめる。
「で、打開策は?」
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