豚男
俺が突きつけたそれには、箱の裏面いっぱいの大きさで魔法陣が描かれていた。
タカさんと、ばあさんも、驚いた表情で覗き込んでくる。
「そ、それがなんだよ。ただの魔法陣じゃねぇが。どこにでもある」
男は慌てふためき、反論しようとするが、それが俺をより一層勢いづける。
「お前はこれで牌のすり替えをした。」
「てきとー言うな!証拠がないだろ!」
男に熟考する余裕はない。卓の状況も確認しないままに反射で言い返したのだろう。
愚かだ。
「証拠ならある。
おばあさん、この局でこの男に鳴かせた牌を覚えていますか?」
「え……と、たしか8ピン…あ……」
おばあさんはその時を思い出すと同時に、視線を卓の隅に向けた。
同時にタカさんもそちらを向く。
「ない、8ピンが」
タカさんは驚きを隠せないようだ。
ばあさんは最後に口を開いたまま固まっている。
「もういいだろ。諦めろ。」
俺は諭すように言い放つ。
「う、……そんな……」
男は椅子にへたり込んだ。
「どうした、トラブルか?」
騒ぎを聞いてライオンが早足でやってきた。
面倒事はやめてくれよ、と顔に書いてある。
「コイツがイカサマを」
タカさんが、男を指差す。
「確かか?」
ライオンが聞き返す。
「ええ」
「はい。」
俺とばあさんは直ぐに返答した。
ライオンは少し考えたあと、その場の裁定を下した。
「この半荘の負け分は、うちが全額負担する。ゲーム代も結構。
この男は今後うちでの遊戯を禁止する。
迷惑かけたな。すまなかった」
ライオンは軽く頭を下げた。
男はライオンの言葉に反応しない。
卓に肘をつき頭を抱えている。
何やら小さな声でぶつぶつ言っているが聞き取れない。
ライオンの振る舞いは、非常事態の対応に慣れているようだった。
この店では日常茶飯事なのかもしれない。
「待ってな」
ライオンは各点棒を数えてカウンターに戻り、俺の勝ち分4400ゴールドを持ってきた。
それを俺に渡すと、男をひょいと肩に担いぎ、店の外に消えた。
「よく気づいたなー、いつから?」
タカさんがとぼけた顔で聞いてくる。
「すり替えに気づいたのは南一局ですよ。
ヤツは僕らが入った局からやっていたようですがね。」
「まじかよ、全くわからんかった」
このおっさん大丈夫か?
まあ、普通はイカサマしてるだろうなんて発想自体持たないか。
その時、店の奥から大きな音がした。
ガタンッ!ガガッー!
「「やってられるか!!!」」
音のした方に振り向くと、屈強なゴブリン2人がこちらに向かって走ってくる。
俺は半身横にそれ、それをかわす。
ドン!
ゴブリンたちは店のドアを勢いよく開け、それを閉めないまま走り去った。
「なんだ?」
俺とタカさんはゴブリンたちが向かってきた方向を振り返る。
そこでは豚男が諸手を挙げて高笑いしていた。
「フガー、ガ、ガ、ガ!
弱いのお、ワシが強すぎるのかぁ!?」
広い店内に、誰が聞いても耳障りな大声がこだまする。
「なんだ今の?」
開けたままのドアからライオンが戻ってきた。
店の外で走り去っていくゴブリンたちを見たのだろうか。
すぐにライオンの下へウサギが小走りでやってきた。
「卓が割れてしまいました。あのお客さんの全勝です……。しかも全部東場で……」
ウサギは豚男がいる卓を指差し、ライオンもそちらを向く。
「そうか、困ったなあ。」
ライオンは右手の人差し指と親指で顎の下を擦って何やら考え込んでいる。
突然、豚男が座ったまま大声で話しかけてきた。
「お兄さん方、さっきの男のイカサマを見抜いたのだろう?なかなかの熟練者とお見受けする。ぜひ手合わせ願いたい」
大きな目玉で俺たちをギョッと見つめたまま続ける。
「レートは1000点100000ゴールド。わしはこいつ等を賭ける」
顎で少女たちを示した。
豚男の席の後ろには人間の娘2人が首輪を繋がれ、床に座っている。
「こいつ等の市場価格はもっと上。姉妹揃っての商品はなかなか出回らないぞ」
妹は俯き表情が見えない。姉は救けを求めるような目でこちらを見つめている。
片手には妹の手。安心させるように手を覆うように握っている。
「勝てば十分釣りがくる。どうだぁ?」
豚男は挑発するかのような口調で俺たちを誘う。
とんでもないことを言い出した。1000点100000ゴールド?姉妹を賭ける?
ふざけているとしか思えない。常軌を逸したレート設定に人身売買。
勝っても負けても数百万ゴールドが動く。この街の住民の平均的な年収くらいが1ゲームで行き来すると考えていいだろう。そんな金、あるはずがない。馬鹿げている。
そもそも、俺たちがそんな大金持っているように見えるのか?
こちらで買った安物のシャツにズボン。頻繁に買い替えるわけにもいかないため、ヨレヨレでも我慢して着続けている。アクセサリーなど1つも持っていない。タカさんに至っては、サンダル姿だ。ほつれた糸が飛び出ているボロボロのサンダル。
そんななりを見て、誰が金を持っていると考えるだろう。
ヤツの狙いは何だ?俺たちに膨大な借金を負わせ、それを理由に、人身売買の商品として扱うつもりか。
それともただのギャンブル狂い。数字が大きくなればなるほど、賭けるモノの価値が高くなればなるほど、勝負に熱狂しやすくなる変態か。
どちらにせよ、こんな話を受ける必要はない。断ろう。
俺よりも先に、ライオンが口を開いた。
「そ、それはだめだ。
この人たちは今日初めて来たばっかりだ。そんなハチャメチャなレート……」
言い切る前にタカさんが割って入った。
「いいよ、乗った」
「ええ〜!!!!」
タカさんの不意の一言につい大声でリアクションをとってしまった。
ライオンも驚いて口と目が大きく開いたままになっている。
「いいじゃん、あの娘たちかなりのべっぴんだぜ?」
「え、それが理由ですか!?でも負けたらどうするんです?そんな金ないっすよ!」
俺は勢いよく反論する。
タカさんは動じない。そして、豚男に聞こえないように小声で囁いた。
「負けたら負けた時に考える。最悪店を売ればいい」
俺も小声で返す。
「そんな無茶苦茶な。」
呆れて次の言葉が出ない。
そんな簡単な話ではないだろ。店を売ったらどうなる。
店は俺たち唯一の財産。それを失ったら、本当の一文無し。住むところさえ失ってしまう。
毎日の肉体労働に疲れても、店に帰れば電気ガス水道があり、清潔で文明的な生活を送ることができる。それは、何もかもが今までの常識とは異なるこの世界で、心の拠り所となっていた。それを失うリスクは、いかなるリターンがあっても許容しきれない。
「俺たちこのまま日雇いでいいのか?
金貯まんねーよこのままじゃ。
俺にいい考えがある」
タカさんはそう言った後、ニッと口角をあげた。
主張は間違っていない。確かにこのままでは、日々の生活を補うだけに必死な毎日で、余裕のある暮らしなど、夢のまた夢。
それを打開する案があるというなら聞いておきたい。しかし、そんなものがあるなら、ここに来るまでにもいくらでも話す機会はあっただろう。
ただの思い付きで、とんでもない事を言い出すに決まっている。
深く考えた末の案は期待できないだろう。
が、一応聞いておく。
「なんすか。」
「俺たちの店をオープンする」
「は?」
直ぐには理解できなかった。
「俺たちの雀荘だよ。"きんたろう"を再オープンするんだ」
「……。」
いきなりの提案だったために脳内の整理に時間がかかる。
豚男は俺たちの会話には興味がないようだ。手持ち無沙汰に卓上の牌を指でいじっている。
俺が思考に入ったのを、押し込むチャンスだと考えたのだろうか。タカさんは一気にまくし立てた。
「いいか、俺たちの店は間違いなく成功する。こっちの世界でも雀荘の需要があるようじゃないか。この店がその証拠だ。そして、うちには全自動卓がある、こっちの世界にはない代物だ。これは強みになる。俺と山本くんがいれば無難な営業ができるだろう」
タカさんは大きく垂れた目を見開き、俺を真っ直ぐ見つめている。
真剣なときにしか見られない顔だ。
「しかし、それだけじゃ足りない。雀荘には必要不可欠なものが足りていない」
「まさか。」
「看板娘だ」
「言うと思った。」
このおっさんの冗談はたまに分かりづらいときがある。でも、今回は冗談ではないのだろう。顔に"本気マジ"と書いてある。
この状態のタカさんを茶化すことはしない。
しかし、慎重にリスクリターンを考えるべきだ。
確かにタカさんの言う通り、俺たちの店の再稼働には十分な勝機があると思える。
店がある、雀卓がある、俺たちがいる、雀荘をオープンするためのパーツは初めから全てそろっていた。しかし、今までこの考えにたどり着かなかったのは、そもそもこの世界に麻雀が存在するとは思いもしなかったからだ。
この世界に順応するためには、この世界の常識を学ばなければならない。
常識といっても幅は広い。金の常識、食の常識、労働の常識、優先して学ばなければならないことは、非常に多い。娯楽の常識など後回しだった。
だから、この店の発見も遅れた。
この店の様子を見るに、麻雀はこの世界で、多種族間でも親しまれる娯楽として、地位を築いているようだった。そしてこの店は長く続いている。店のたたずまいや、常連客に見える人々の年齢層で想像はつく。
ならば、この世界での雀荘の需要に関しては不安はない。
そして全自動卓が強みになることも間違いではない。需要があるということは、他店と戦わなければならないということだ。ならば、他には無い何かをアピールする必要がある。
全自動卓はそれに十分力を発揮してくれる代物だろう。それで打てば、麻雀における無駄な時間を大幅にカットできる。これは、大きなストレス低減になる。全自動卓で一度打ったならば、二度と手積みでは打ちたくなくなるだろう。
店舗、道具、人材、アピールポイント、必要なものは全て揃っているように感じる。
だが、タカさんはそれだけでは足りないと言う。まだ必要不可欠なものが欠けていると。
俺はある一人の女性を思い出していた。
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