第21話 恋人に求める条件(汐亜side)

 夏と聞いてイメージするものは海、あるいは花火大会。では、実際に彼女とやってみたいことは何か。


 ツブヤイターに届いたメッセージを読み上げて、僕はふうと息をついた。


「クイズだと思わせておいて、ちゃっかり私の私生活の情報を聞き出すつもりですか?」


 :きゃあああ!

 :耳が溶ける!

 :ご褒美もらっちゃったあああっ!


 もっとそういうのちょうだいとコメント欄は盛り上がる。


 しがないゲーム配信者に、期待しすぎじゃないの?

 僕は柊と違って、イケボで売り出そうだなんて思っていないのに。敬語だけで黄色い声を上げられるのは複雑だ。本物のイケボはこんなもんじゃないよと諭したくなる。


 肩をすくめながら、本題に戻った。


「せっかくなので、心理テストを出されたつもりで答えますね」


 僕の彼女も、リスナーに混じって聴いているはずだ。メープルを短くしてメルという名前にした紅葉が。

 彼氏の要望を呆れながら聞いた後で、実践しようかうだうだ悩んでほしいな。


 その翌日。紅葉とすみだ水族館に来ていた。

 正真正銘デートである。誰かさんは二人きりの修学旅行ということにして、絶賛デート進行中だった。はぐれないように手を繋いだり、間違えた人について行こうとする相方を止めたり、距離が縮まるイベントが起きていますように。遠く離れた地に祈りを捧げる。

 目当ての水槽の前で足を止め、両手をうねうねさせた。


「ちんあなごぉー」


 分かる人には分かる合図だ。しぶしぶといった様子で片足立ちした紅葉は、真っ赤になりながら口を動かした。


「さかなー」

「ふふっ」


 笑ったら怒られると、頭では理解しているつもりだ。公共の場で騒ぎたがらない子が頑張って声を出したことで、ツボに入ってしまった。

 アニメキャラが作中で着ていた服に近いものをわざわざ選び、彼氏が喜んでくれると信じて熱演する。純愛だよね、これは。


 紅葉は眉をひそめて訊いた。


「ねぇ、汐亜ち。本当に需要あった? 夏じゃなくても、よかったんじゃないかしら」

「夏だからこそ、やりたかったんだよ」


 嘘をつく。夏とか関係なく、僕のために体を張る彼女が見たかったんだよね。

 紅葉以外の子が同じアプローチをしても、ときめくとは限らない。ほかのリスナーのみんなは真似しちゃ駄目だよ。


 ペンギンのゴハンタイムのアナウンスが、何組もの親子を連れ去っていく。人がいなくなった後の展示室は、足跡のない砂浜を見ているかのようだ。


「今ならいい?」


 きょろきょろと見回した紅葉が、無言のまま僕の頬にキスをした。今日は僕からしたいと思っていたのに、先を越されちゃったな。


「ペンギン見に行く?」


 紅葉が答える前に唇を重ねる。頬も嬉しいけど、こっそりキスをするなら唇の方だよね。

 余韻に浸る間もなく、紅葉の眉間がむむむと歪む。


「返事を聞く気あるの?」

「一応は。でも、考える時間はあった方がいいよね?」


 質問に質問を重ねた僕らの足は、自然とプール型水槽へ向かっていた。以心伝心が僕らの強みだ。

 

 そういえば、文化祭の打ち上げで、恋人に求める条件を話したことがあった。


 柊は言っていた。ナナカを好きなのは変えられないから、グッズを買うのを許してくれる人がいいと。

 僕も同感だ。「セスナ兄さんに貢ぐのをやめないと別れる」と脅されたら、彼女にも同じ愛情をあげる。推しのためにバイトをしているようなものだもん。


 セスナ兄さんのグッズは、最悪きゅうナイがサービス終了しても、手元に残しておける。それを避けるために、コンテンツが続くためのお布施を払っているのだが。価値が分からない人にとっては、ただのアクリル板やプラスチックのシートにしか見えないだろう。それでも無駄な費用とは認識してほしくなかった。

 呼吸の仕方は体に沁み込んでいても、推し活ができなくなったら生きていけない。必要経費なのだ。

 可愛い彼女との時間も譲れない。譲る気はない。


 今日のデートは、紅葉の母から救援を求められたことが発端だった。


 毎日配信以外の夏休みの宿題を全部終わらせた上で、自主的な勉強を最低十二時間はしている。たまには、どこか息抜きに連れていってほしい。そんな文面が送られた。


 僕と紅葉が喧嘩していると思ったようだが、ストレスの原因は友達だ。ダブルデートができると浮き足立っていたところ、彼女役に選ばれたと報告を受けた。「せっかく新しい水着を買いに行こうと思っていたのに。ぬか喜びしちゃった」と僕に泣きついてきたのも無理はない。なだめた結果、雪が間違いを自分で見つけるまで、待つ覚悟を決めたみたいだった。とはいえ待つのは性に合わないのか、意識を勉強に向けないとやっていけないらしい。雪から日帰り旅行の予定を聞いたときは「岡山遠征ですって。こっそりついて行こうかしら」なんて言うから、首輪をつけるために予定を入れた。


 ペンギンが餌を食べる様子に、幼い子どもと一緒になって歓声を上げた紅葉は、いい力の抜け方をしていた。思わず横顔を撮る。ペンギンを撮るついでに。


 カレー屋とアイスクリーム屋をはしごした後、中古グッズショップに行ってもいいと許可をもらった。出かけているついでなんだしと。


 行きつけの店に入ると、きゅうナイのグッズがある最短ルートを進んだ。

 角を曲がれば、セスナ兄さんの悪口が聞こえた。


「たくさん売りに出されているじゃない。こんな子のどこがいいの?」


 聞き慣れていても苛立ってしまう。美少女キャラが多いきゅうナイで、セスナははずれ認定されていた。中古で売っていたバッジだけで痛バが組めるほど、売られている量は多い。

 上等だね。売られた喧嘩を買ってあげる。セスナ兄さんの魅力について、高速早口で解説するよ。


 ずかずかと棚へ歩み寄ると、いなくなっていた。


「気のせいだったのかな」


 僕の殺気に恐れをなして逃げたのだとしたら、まだまだ修行が足りないなぁ。

 置いてきてしまった紅葉のところに戻ると、通路で中腰になりながらガッツボーズをしている。

 こんなに感情的な動きをする紅葉は初めて見た。ライブに行っても、椅子から立たずに静観していたのに。イベントのチケットが当選したのかな。


 凝視していることに気づいた紅葉は、咳払いをする。


「えびせん、アニメ化するみたいよ! ようやく夢に見た、動くメイラが見られるの!」


 適切な日本語にはうるさい紅葉が、頭痛が痛いみたいなことを言っている。クッションの触り感いいと僕がうっとりしているときに、手触りねと現実に引き戻した人が。同じ文章に、似た言葉は使っては駄目だと指摘する人が。


 相当嬉しいんだね。僕はメイラじゃなくてお姉さんの方が好きだから、二期まで待つ覚悟で見守るよ。もしかしたら一期最終話でチラ見せがあるかもしれないしね。ワインレッドのフレームと栗色の髪が映ってくれさえすれば、寿命は伸びる。声優さんの情報が解禁してくれたらなおよし。


「来年の夏かぁ。まだまだ先だと思っていても、あっという間に来そうだね」

「すぐ来るわよ、きっと。早く雪にも伝えなきゃ! でも、せっかく貴崎くんと一緒なんだし、後にしておいた方がいいかしら。汐亜ち、どう思う?」


 通り過ぎようとしていたオフショルダーのセットアップから、舌打ちがこぼれる。

 せっかく可愛いハーフツインの巻き髪と厚底サンダルでおしゃれしているんだから、見た目を下げるような行動は慎みなよね。

 トートバッグの反対側には、推しのバッジをつけているんじゃないの? 自分だったら、推しをけなされたときに理性を保っていられない。


 紅葉に怒気をぶつけないよう、優しい口調を思い出す。

「岡山を出発したら僕に連絡が入るから、もう少し待っててよ。十六時くらいには動きがあると思うよ」

「あと二時間も? 汐亜が時間を潰してくれる?」


 来年の夏まで待てるんじゃなかったの?

 笑いかけた僕の耳に、ねっとりとした声がまとわりつく。


「岡山? 帰ってくるとしたら十九時あたりかな? 早く会いたいよ、柊くん」


 怖い、怖い! 見かけによらず、ヤバい奴なんじゃない?

 黒一色の脳内に、危険の白い文字が某アニメの次回予告みたいに流れた。「第拾参話 天敵、侵入」じゃあるまいし。

 あの声とは関わらない方がいい。本能が全身に語りかけていた。後ろ姿に声をかけようとしても、喉が動かない。推しに語彙力を奪われたときとは訳が違う。


 つきまとわれている奴と、柊の縁が切れますように。力及ばずでごめんね、柊。


 僕は深い溜息をつく。

 セスナ兄さんは仲間のピンチを救ってくれるのに、僕には情報を回すことしかできない。


 それだけでも嬉しいよと、柊のイケボが聞こえた気がした。

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柊の棘は甘すぎる 羽間慧 @hazamakei

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