第20話 しんどい

 眉間に寄ったしわを、柊がほぐしてくれた。


『雪は春アニメ何を見てた?』


 投げやすいボールをくれてありがたい。三時間は語りつくせそうな話題だな。

 だが、答え方が難しい質問だ。返答次第で俺の首は飛ぶかもしれない。夢中になって語ったばかりに、勢いあまって地雷を踏み抜く恐れがある。その確率は九十五パーセント。好きなものを語るときに、理性は制御できるものではないのだ。


 旅行が始まったばかりなのに、殺伐とした空気を自分から作るつもりか?

 そんなのよくない。柊からもらった話題を、みすみす逃すつもり?

 俺の中の天使と悪魔がせめぎ合う。熟考したふりをした後で、柊の意思を問うた。


「多少ネタバレしても怒らない?」

『悪意あるネタバレじゃなかったら、俺は気にしないよ∑d(≧▽≦*)』 


 ツブヤイターは地雷を踏まないよう、細心の注意を払って投稿していた。

 思いの丈をぶつけていいんだな? ほんとのほんとに大丈夫だよな?

 びくびくしながらも、俺の所見を述べた。


「冬アニメは豊作だったからさ。春アニメはあまり期待しすぎないように見ようと思っていたんだ。でも、そんなことすぐに忘れさせるくらい、ストーリーも作画も声優陣もすごい作品ばっかりで。想像をはるかに上回ってきたよ。特にオリジナルアニメの『きみと世界を守る旅』が化けたな。最初は感情移入できなかった主人公の友達が、四話で大きくイメージチェンジするの。原作がないからストーリーを予測しにくくてさ。キーチューブの考察動画が増え始めてるんだ」


 感動した作品への感謝の気持ちは、グッズ代として寄付したい。脚本担当によるノベライズはまだか。円盤より先に出してくれないと、ロスでぽっかり空いた穴がいつまで経っても埋まらないぞ。


『知ってる! 確か異世界ファンタジーだったよね。ストーリーと声優陣は気になっていたんだ。改めて見ると、キャラも可愛い(人´ω`*)』


 柊から公式サイトを開かせることに成功した。

 好感触だ。少し強引に押してみるか。


「全話無料配信があるから、今見ようぜ。公開期間は残り五日だったはず。余裕で消化できるよな」

『でも、俺が動画を見ちゃったら、雪は何をするの?』

「そんなもん、柊の反応を横で観察しとくに決まってるだろ」


 心の中で実況しといてやるよ。無表情でも、眉くらいは動くかどうか検証したいと思っていたんだ。


『雪も見ようよ。俺のイヤホン貸すから( '∇^*)^☆』


 LとRで違う音が鳴っているから、イヤホン半分こは推奨されないんじゃなかったか?

 最近の主流はワイヤレスイヤホンが主流だ。くっついてシェアする醍醐味は、以前より減ってきているような。


『じゃーん( ,,ÒωÓ,, )』


 コードタイプ、持っていたのかよ。しかも、めっっちゃ絡まってるし。


 もったいぶった様子の顔文字と、かけ離れた現状は落差がありすぎる。出す直前に手を後ろに回して、ささっと解くこともできたはずだ。柊の声のイメージで何でもそつなくこなせそうだと思っていたから、意外な一面を見た気がする。


 コードの両端をまとめていなければ、有線のイヤホンはいつの間にか絡まってしまう。絡まっては直す作業は、ストレスでしかないだろうに。柊は不便だと思わないのかな。それともこのイヤホンに愛着があるのか?

 どんな理由であれ、柊の優しい手つきは無限に見ていられる。裁縫や編み物でもいい。


 我に返ったときには、柊とイヤホンを分け合っていた。動画は再生され、二本目の広告が流れ始めている。本編開始まで残り二十秒もない。

 まさか無意識にコマンドを選んでいたのかよ。しっかりしてくれ、何秒か前の俺! 勝手にメインストーリーを進めるんじゃねーよ。選んだコマンドが、柊の好感度を下げることもあるはずだ。遠くない未来で、バッドエンドに行き着いたら許さんぞ。


 それにしても、イヤホン半分こなんて青春だよなぁ。もし窓際の席に人がいたら、嫉妬に満ちた目で睨まれていたに違いない。


 どれだけ柊の横顔をガン見しても、画面に集中している今だけは不審がられないのは、ありがたいシチュエーションだ。あんまり見続けていると柊に鼻息が届きそうだから、そろそろ俺も前を向いておくか。


 一話の冒頭は、詠唱の練習で噛んでしまう少女に、幼馴染の少年が励まそうとするシーンだったかな。


「アルパ、今日も練習ごくろーさん」

「レディーの頭を叩かないの、大剣使いレイ様」

「悪い。これでも手加減したんだぜ。そんなことより、早く聖女に昇格できないのか? 俺はいつ旅に出てもいい! だけど、アルパと一緒に旅をする約束があるから、我慢しているんだぞ。俺の剣も、我慢の限界だと言っている!」


 初見のときは、自分勝手で力の強いレイを引っぱたきたいと思ったものだ。こんな幼馴染は嫌だと。


 人間を滅ぼそうとする魔王の企みや、魔王軍と戦ったレイがいずれ戦死することを、アルパは予知夢で知ってしまっているんだよ。誰にも相談できずに陰で入念な準備をする苦労が分かるか? そんなことも分からないのに、早く冒険に行きたいなんて文句を言うな!


 生意気なレイに気を取られてスルーしてしまった伏線を、二度目は拾ってみせる。そう意気込んだせいか、柊よりも前のめりで視聴していた。


 折り返し地点の六話を見終わった後で、次の動画が再生されることはなかった。最大で表示されていた画面が小さくなり、俺は面食らった。


「えっ? これで終わりにするのか?」

『次の話を再生しちゃうと、岡山を通り過ぎそうだから怖いんだ。ここで止めておこうよヾ( *,,ÒㅅÓ,,)ノシ』


 中途半端になって、きゅうナイ展を全力で楽しめなくなるのは、由々しき事態だ。

 否定派でい続ける理由はなかった。


『雪がレイのことを最初好きになれなかった理由ってさ。レイがアルパの恋愛感情に気づいてくれないから?』


 さすが俺の友達だ。

 にんまりと口角を緩める。


「分かっちゃう?」

『アルパは雪が好きな金髪キャラじゃなくて、薄いピンク髪だけど。基本的に一途で健気なヒロインが好きだもんね(*´ω ` *)』


 それは乙女ゲームから受けた影響だ。最初は攻略対象に惹かれてプレイ始めたのに、だんだんとヒロインが可愛く思えてくるんだよ。


「アルパが明らかに矢印を向けているのに、友達とか言っちゃうなんてどうかしてるよな。最初に見たときは、男女の友情を成立させてんじゃねーよってツッコんでた」


 なぜだろう。既視感がある。話している途中から、背筋がぞわぞわした。

 告白とキスをされて演技だと思った人が、身の回りにいたような。

 俺を見つめる柊の目が答えだった。自分のことは棚に上げて、他人を酷評している暇なんてないんじゃないのか。そう訴えているような気がする。


 タイミングよく岡山駅に着いたことは幸いだった。意気揚々とホームに降り立つ。


 太陽が照りつけるアスファルトの上を歩くだけで汗だくになる。リュックサックにつけているユイリィは、まだ微笑んでいるだろうか。

 

 駅前広場に足を踏み入れたときには、服に残っていた冷気を全て使い果たしていた。異世界に行けるんだったら、気温が高くないところがいいなぁ。

 F賞フェイスタオルで首筋を拭いていると、袖を摘ままれた。


『ストーーーーーップ! 目的地、そっちじゃないよ。真逆の道に行こうとしてる。゚ヽ(゚´ω`゚。ヽ)』

「マジか」


 道なりに沿っていけば着くと思っていたが、方向が合っていなければ着きようがない。


「ナビは柊に頼むわ。地図を見てもよく分かんねーんだよな。マップを見ながらダンジョン探索するのも苦手でさ。追いかけられながら隠し通路に戻るホラゲーも、方向音痴のせいで何回も捕まったんだよ。あれ? しゅーう! どこ行った?」


 頼れる相棒を失い、悲痛な声を上げる。お前がいないと、俺はどうしていいか分かんねーよ。

 行き交う人の隙間から、見慣れた背中が見えた。遠く離れたところでうずくまっている。いつの間にワープしていたんだ。俺が柊の名を呼ぶと、バツの悪そうな効果音が聞こえた。


「どうした? 具合悪いのか?」

『工事現場のバリケードが可愛くて、つい( ´>ω<)人』


 切った桃の中から飛び出した、岡山県のマスコットキャラクターと目が合う。ご当地にしかない単管バリケードなら、写真に収める価値はあるか。


「急に走るなよ。見失ったら泣くぞ。本気で」


 泣いていた子どもがドン引きするくらいのレベルを、披露してやろうか。

 東京と違って道案内をしてくれる人は多そうだが、夏休みは観光客と遭遇する確率が上がる。地元民に当たらなかったら気まずい。


『はぐれないようにしとかなきゃ。手だと汗が気になるよね。俺のカバン、掴んどく?』

「いやいや! せっかくの芸術作品に触れるなんておこがましいって!」


 丹精込めて作った痛バは、軽々しく触っていいものではない。


『ごめん・゚゚(p>д<q)゚゚・』


 違うんだよ。そんな顔をさせるつもりで言ってないからな。文化祭のときは、何も言わずに手を引っ張ってくれただろ。デートの続きだって楽しそうに。今は無表情の奥にある、柊の泣き顔を見るのがしんどい。


 本当の彼女だったら、抱きしめてあげていたのかな。今の俺には何もできない。偽カノごときが出しゃばったら駄目だろ。

 いや、なーに被害者面してんだよ。俺から境界線を作ったくせに。いいオタク友達でいよーぜなんて爽やかな言葉でごまかすから、訳分かんないほど面倒な事態になっているんだろ。俺にしかできないことは、一つぐらいあるんじゃねーの?


 自問自答していると、柊が画面を見せる。


『早く会場に行こっかヾ(*。>ω<)ノ』


 何てことない顔をしても、寂しそうな空気は隠しきれてないぞ。歩き出す靴の音も、元気がなさそうだ。イヤホンで縮まった距離は、また遠ざかる。


 あー! もう、じれったい。ぐいぐい来るなら来てくれよ。それはそれで寿命が縮みそうだけど、柊が何を考えているのかヒントをもらいたい。


 柊に駆け寄り、腕を絡ませる。


「置いていくなよ。付き合ってたら彼氏失格だぞ?」


 ぽかんとした柊の唇が、彼氏の形を作る。


『人肌が暑くないの?』

「暑いよ! だけど、今はっ……この手を離したくないと、思ってしまったんだ」


 どうかしてる。

 夏の暑さで思考回路がショートしちまったのかもしれない。

 こういうとき、アニメだと小さい子に「仲良しさんがいる~」と指差しをされがちだよな。でもって、一緒に顔を赤くするんだ。


 そんなやりとりをしなくても、俺と柊は耳まで赤くなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る