静かな森
太一と陸が部屋でゲームをしていた頃、優樹は父親と美空の三人で、公園に遊びに来ていた。母親が、「天気がいいんだから、外で遊んできたら?普段、家にいるんだから運動不足でしょ?」と、言ったからだ。
たしかに、優樹は四年生になった頃から、ほとんど学校に行かなくなっていたので、体育の授業には全く参加してなかったし、平日は少し公園で遊ぶ程度だった。だから、お休みの日ぐらいは思いっきり体を動かして遊んで欲しかったのである。母親にとって、娘の健康は学校の勉強よりも大事なのだ。
幸運にも、家から車でほんの10分足らずの所に、アスレチックのある大きな公園があった。普段は母親が連れて行くのだが、今日は土曜日で父親が休みだったので、連れて行ってくれるように頼んだのだ。母親は束の間の休息を楽しんでいた。
皆んなが普段と変わりない普通の日常を送っていた……その延長線上で、三人の子どもたち……優樹と太一と陸は、この日の晩、それぞれ自分たちの部屋で、思いもよらない不思議な体験をするのである。
◇◇◇
この日の夜、三人はそれぞれ夜遅くまで、自分の部屋で思い思いに過ごしていた。親の方も春休みという事で、多目に見ていたのだろう。
陸はベッドの上で寝そべりながら、大好きな鉄道の本を読んでいた。特に蒸気機関車が好きでいつか乗ってみたいと夢見ていた。10時を過ぎた頃、様子を見に来た母親に、「もう遅いから寝なさいね」と、言われたので、本を閉じて眠る事にした。
太一は机に座って、最近ハマっている、模型作りに取り組んでいた。夢中になると時間も忘れてしまう性格だ。やっと完成した飛行機を満足そうに眺めていた。ふと視線を時計に移すと、針は11時を指すところだった。すると、急に眠気が襲ってきて、大きなあくびをすると、そのままベッドに倒れ込み、数秒で寝てしまった。
優樹はベッドの中で、妹から借りた妖精大図鑑を読んでいた。この本には妖精について、こう書かれてあった。
・妖精は人間に似た姿をしており、人間より小さく、 背中に虫の羽の様なものが生えています。
・裸か自然の植物から出来た服をきています。
・性格はいたずら好きで、気まぐれ、子どもの様に無邪気です。
・自然の中に住んでいて、自然を守る役目があります。
ぱらぱらっと本をめくっていると、優樹はあるページに釘つけになった。そこには、頭に角が生えた白い馬の背に、妖精が乗っている絵が描かれてあった。幻想的な美しい絵で、優樹は一瞬にして、この絵の馬を好きになってしまった。そういえば昔、幼稚園で読んだ絵本にこんな馬が出てきたなと思いながら、絵の題名を見ると、「ユニコーンと風の妖精」と記されていた。「ユニコーンって、きれいな馬だけど……現実にはいないよね」と、少し残念な気持ちになった。「はぁ~」と、ため息をつきながら次のページをめくると、花を椅子にして座ってい子どもの妖精たちと、その前で本を片手にお話しをしている先生のような妖精が描かれていた。題名は、「妖精学校の授業」。
「何の勉強をしてるのかな?」優樹はそう呟くと、クスッと笑った。その絵の下には、一列に並んだキノコの上を、ピョンピョンと飛んでいる妖精たちが描かれている。
「体育の授業かな?楽しそう。私は体育嫌いだけどね……」
優樹は時々、この人間の世界は自分には合わないと感じるときがある。言葉では説明できない違和感……それが一体何なのか考えてみるけれど、いつもわからない。何でみんなは普通に、当然のように学校に行けるのだろう?と優樹はいつも考えるのだ。夜、寝る前は特に考えてしまう。けれど、今日は昼間、公園でたくさん遊んだせいもあってか、すぐに瞼が重くなってきて……夜の10時をまわる頃、いつの間にか寝てしまった。
◇◇◇
優樹は冷りとした固い感触で目が覚めた。そして、本を読んでいる途中で寝入ってしまったのだろう...開いたままの本が目に入り、思わず、「あっ……」と声を上げた。なぜならば、よだれの跡がしっかりと付いていたからだ。
「美空に怒られるな……」
優樹がそうつぶやきながら体を起こすと、いつもの見慣れたピンクのシーツではなく、茶色のシーツが目に飛び込んできた。優樹は驚いて飛び起きた。すると、自分が部屋にいるのではなく、外に居る事がわかった。茶色のシーツに見えたのは、地面の土の色だったのだ。ここは一体どこなのだろうと、優樹は確かめるように辺りを見渡した。ふと、自分の手の平を見てみると、うっすらと土が付いている。
優樹は全く状況が飲み込めなかった。寝ぼけて外に出てしまったのだろうか……それとも、まだ、ここは夢の中なのだろうか……と、頭の中で色々な考えがぐるぐると巡る。混乱しながらも、辺りをよく見てみると、少し離れたところに、木々が生い茂る森がある事に気づいた。優樹が、(こんな森、近所にあったっけ?)と思いながら、その森をじっと見つめていると、何だかおもちゃの森の様に感じられた。やけに色彩が鮮やかで、作り物の様に見えたからだ。やっぱり、これは夢だと思いながら、優樹はまるで、導かれるように森の方へと歩き出した。
森の近くまで来ると、木製の矢印型の看板が目に入った。 "森の入り口”と書かれてある。その看板が指し示す先には、森の奥へと続く、真っ直ぐな小道があった。その小道の両脇には、一本ずつ大きな木が生えていて、互いの枝がアーチ状に重なり合い"森の入口"をまるで門のように飾っていた。優樹は何かに誘われるかの様に、”森の入口”にある、木のアーチの門ををくぐった。しばらく、ぼーっと歩いていると、目の前に大きな樹が現れた。"大きな樹"とはいっても、想像を遥かに越える大きさだ。
小道は、この樹の手前で二股に分かれている。優樹はどちらのに進もうか迷った。立ち止まって、しばらく悩んでいると、木の幹に何か看板のような物が付いている事に気がついた。看板は、アイアン製の枠の中に文字が書かれている木の板がはめられてある。それが幹の側面にいくつか付いていた。
いくつかある看板の中で、”妖精の家”と書かれてある看板が、真っ先に目に飛び込んできた。それをじっと見つめていると、突如、なぜか、ここに行かなくてはならないという気がしてきた。看板は左の道を指している。優樹の足は自然と左の道に向いていた。
森を歩いていると、優樹は、自分が”不思議の国のアリス”のアリスになった様な気分になった。なぜならば、どの樹もとてつもなく大きく、そばに生えているキノコも自分の背丈より大きかったからだ。もしかしたら、”チャシャ猫”が出てくるかもしれないと思ったが、この森はやけに静かだった。森なら聞こえるはずの鳥のさえずりも聞こえないし、動物たちの気配もしない。風も全然吹かない。全くの無音だった。それでも不気味に感じないのは、木々の間から射し込むやわらかい光のお陰だろう。優樹は、不思議そうにキョロキョロと森を眺めていた。しばらくすると、また二股に分かれた道に出た。優樹は立ち止まり、どちらに曲がろうか迷ったが、”妖精の家”の看板が右の道を指していたので、右に曲がることにした。
しばらくは順調に歩いていたが、10分程経ったところで、急に歩みが止まった。優樹の胸に、だんだんと不安が襲ってきたのだ。次の案内の看板はなかなか出て来ないし、本当に、”妖精の家”に辿りつけるのだろうか?そもそも、”妖精の家”に行って大丈夫なのだろうか?もし、そこににいるのが優しい妖精ではなくて、いじわるで悪い妖精だったらどうしよう?……と、優樹の頭の中では、様々な想像が膨らんでいた。その内、優樹の目にじわっと涙が浮かんできた。そして、みるみるうちに目は涙であふれ、ぽとり、ぽとりと頬を伝って流れ落ちた。
どれくらい泣いていただろう……静かな森に、自分の涙でしゃくり上げる声と、鼻水をすする音が響く中、微かに何者かが近づいてくる足音が聞こえた。優樹は一瞬、ドキンッとして息を止めた。空耳かもしれないと耳を澄ましていると、ヒタッヒタッヒタッという足音が確かに聞こえてきた。優樹が身動ぎ一つ出来ないまま、その場に突っ立っていると、その足音はだんだんと大きくなり、やがて背後でピタッと止まった。
優樹は背筋がゾクッとした。振り返って正体を確かめようと思うのに、首が石のように固まってしまって動かない。バクッバクッと自分の心臓の音だけが聞こえてくる。バクッバクッバクッ……
「ねえ、君……大丈夫?」
不意に背後から、ためらいがちに発する声がした。優樹は一瞬、体がビクッとなった後、恐る恐る後ろを振り返った。すると、そこにはパジャマ姿で裸足の男の子が立っていたのだった。サラサラとした短い黒髪に、ぱっちり二重の意志の強そうなその目は、まるで珍しい動物でも見ているかのように大きく見開かれている。その男の子は、驚いて口も聞けずにいる優樹に向かって言った。
「ところで君は…妖怪?!」
優樹は、その失礼な言葉に、泣いていた事も忘れ、気がつけば大きな声で叫んでいた。
「私、妖怪じゃないもん!」
「じゃあ、人間なの?」
「人間に決まってるでしょ!」
「やっぱりそうだよね!良かった〜」
男の子はほっとしたように、ふう~っと息を吐いた。
「俺さ、部屋で寝てたはずなのに、起きたらこんな所にいてさ、最初はわくわくしながら森の中、歩いてたんだけど……なんか、この森って、すっげー静かじゃん?だんだん怖くなってきちゃってさ……そしたら、なんか変な泣き声が聞こえてくるし……マジで何だろうと思って、ビビったよ」
と言いながら、男の子は50cm位の長さの木の棒をゆらゆらと前後に揺らしている。優樹がその棒をじっと見つめていると、男の子がその視線に気がついて言った。
「あっ、これ?もし君が妖怪だったら、これで気絶させて逃げようと思ってさ!でも……君を見て、多分俺と同じ人間なんだろうなと思ったよ!」
「えっ、どうして?」
「だってほら……君もパジャマで裸足だったからさ!」
それを聞いた途端、優樹は自分の顔がカーッと赤くなるのがわかった。それは、自分の髪の毛も寝ぐせでぐしゃぐしゃに違いないと思ったからだ。しかし、そんな事を思ったのはほんの一瞬で、すぐに、これからどうすればいいのだろうという不安で胸がいっぱいになった。
「……君、大丈夫?」
急に静かになった優樹に、男の子はさっきの口調とはうって変わって、心配そうに声をかけてきた。
「……これから私、どうすればいいのかな?」
優樹は不安げな目で、男の子を見つめた。
「”妖精の家”に行ってみるしかないんじゃない?」
男の子は、きっぱりとした口調でそう言った。優樹は、不安な胸の内を話したが、男の子は、どっちみち自分たちは、自分の家へ帰る方法も分からないのだから、どんな奴がいるのか分からないけれど、”妖精の家”へ行って、そこに住んでいる人(妖精?)に教えてもらうしかないよと言った。優樹はその考えには、あまり乗り気ではなかったが、他にいい考えも思いつかなかったので、仕方なく、男の子の言う通りにする事にした。
二人は歩きながら、お互いの事を話した。男の子の明るい口調に、優樹の不安は、だんだんと和らいでいった。男の子の名前は太一。優樹と同じ10歳だ。そして、二人とも部屋で寝ていたのに、起きたらこんな場所にいた事と、”妖精の家”という看板を見て、ここまで歩いて来てしまった事などを話した。なぜ、自分たちの身に、こんな事が起こるのかまでは、お互い分からなかった。
「きっと、他にも俺たちと同じ様なやつがいるはず!」と、太一が言ってから、しばらくすると、数十メートル先に人影のようなものが、木の根元に座っているのが見えた。「あっ!」と、優樹は思わず声を上げた。その横では、太一が既に駆け出していた。
「ちょっと待って!もし、人間じゃなかったらどうするのー?!」
優樹は走る太一の背中に向かって叫んだが、太一の耳には届かないようだった。
太一はためらうことなく突っ走って行くと、その人間じゃないかもしれない人影の前に立った。優樹もひと足遅れて追いかけたが、少し離れたところで様子を伺っていた。その正体は……パジャマ姿の人間の男の子だった。
「えっ?お前……陸?!」
太一が驚いたように目を見開きながら言った。その声に、座っていた男の子は、はっとして顔を上げた。頬には涙が乾いた跡がある。男の子は、一瞬、「えっ?…」と、驚いた顔をした後に、その表情はみるみるうちに笑顔になっていった。
「太一!?」
陸という男の子が嬉しそうに叫ぶ。
「……二人は知り合いなの?」
優樹は驚きながら、太一と、陸という男の子を代わる代わる見た。
「知り合いじゃなくって親友!」
二人は声をそろえて言った。
「マジで、こんな所で陸に会うなんて思わなかったよ!やっぱり、陸も目が覚めたらここにいたって感じ?」
「うん…」
「で、”妖精の家”って看板見つけて、ここまで歩って来た?」
「うん…」
「だけど、途中で怖くなっちゃって、一人で泣いてた?」
「別に……泣いてないけど……」
「まあ、強がるなよ!俺がきたからもう大丈夫だろ?」
「じゃあ、行くか!」と、太一が元気良く言う。
「えっ?どこに?」陸が慌てた様子で、太一を見上げて聞いた。
「もちろん、”妖精の家”だよ」
「で、でも、危なくないかな?もし変なのがいたら……」
「まあ、そうかもしれないけど…そしたら、逃げればいいだろ?」
「でも……」と、陸は尚もためらった。
「じゃあ、ずっとここにいるのか?どうやって帰るのかも分からないのに?ここはきっと異次元の世界なんだよ!だから、妖精だかなんだか知らないけど、そいつらに教えてもらわないと帰れないんだよ!」
と、太一は息づかいも荒く言った。
「そうだよね……うん、わかった…行くよ」
陸は太一の迫力に押され、渋々頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「よし、行こう!」
太一は安心させるかの様に笑顔を浮かべると、陸の肩にすばやく手をまわし、歩き出した……が、数歩歩いたところで、陸が後ろを振り返り、優樹をじっと見つめた。
「この子は?僕たちと一緒に行かないの?」
瞬間、太一の顔がはっとした表情になって、 「あっ!忘れてた!」と叫ぶと、立ち止まってい る優樹を振り返った。
「ほら、優樹も行くぞ!」
何か偉そうな口調が気になった優樹だったが、黙って二人の後をついていった。
途中、何度か看板が出てきた。”妖精の家まで1km”、”妖精の家まで500m”という風に。歩きながら陸が、「ねえ、大丈夫だった?太一が君に迷惑かけたりしてない?」と、心配そうに優樹に聞いた。
「うん、大丈夫だよ。でも……『君は妖怪?』って言われた…」と、優樹はふてくされた表情で答えた。
「太一!何で、そんな失礼な事言うの?!」
「だってさ、妖怪っぽかったんだもん…髪がすっげーボサボサでさ、後ろから見たら本当に妖怪だったよ?」
"妖怪"という言葉を聞いた途端、優樹は立ち止まり、バッと太一の方を見た。
「だから、私は妖怪じゃないって言ってるでしょ!あんただって、私より、髪の毛ボッサボサで妖怪みたいじゃない!」
優樹は憤慨したように頬っぺをふくらますと、そっぽを向いた。
「ごめんって!……でもさ、いきなりこんなとこに来たら妖怪かもって、思っちゃうだろ!」
すると、陸が仲裁しようと二人の間に割って入りながら言った。
「もう……二人ともケンカしないでよ…ほら、二人とも妖怪みたいだったって事にしておけば……いいんじゃないかな?ね?」
「何それ!」優樹は二人の事を交互に睨んだ。
「だからー、後ろ姿がちょっと…妖怪に見えただけで、正面から見たら全然……そんな事ないかも」
太一がボソボソッと言う。
「"かも"って何?!"かも"って?!……私、”妖精の家”に行かないといけないから、もう行くね!」
優樹はズンズンと一人で歩き出した。その後ろを太一と陸はそそくさとついて行った。
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