怪物の巣

 優樹は怪物の口の中で、懸命に助かる方法を考えていた。

 (どうにかして、抜け出さないと!)

 優樹は怪物の口の中で、もぞもぞと身体を動かした。そして、わずかに動かせる顔を下に向けると、さっき落ちた湖が見えた。かなり広い湖のようだ。口から抜け出すなら、今しかないと優樹は思った。怪物はしっかりと優樹の身体を咥えてはいたが、怪物の歯は、わずかに優樹の身体に触れている程度に感じられたので、思い切って身体を動かせば、簡単に抜け出せそうに思えた。しかし……万が一、そんな事をして、怪物を怒らせでもしたら……がぶりと食べられてしまうのではないかという考えが頭をよぎった。優樹は怖くなって、下手に動くのは止める事にした。唯一、自由に動かせるのは、怪物の歯と歯の間から外へ出ている左手だけだった。優樹は恐る恐る、左手で自分の身体の上にある怪物の歯を触ってみた。怪物の反応は無い……優樹は思い切って、自分の身体の上にある怪物の前歯を握ってみる事にした。優樹はぷるぷると震える手で前歯を握ると、そのまま静かに、怪物の様子を伺った。怪物は触られている事に気づいていないのか、何も反応しなかった。そこで、優樹は今度はぐっと手に力を込めて、歯を上に押し上げてみた……が、歯は微動だにしなかった。それもそのはずだ。怪物の歯は、優樹の胴体程の大きさがあるのだ。小学生の女の子の力で動かせるわけがない。優樹は、懸命に他の方法を考えた。

 (そうだ!大きな声を出せば、怪物は驚いて私を離すかもしれない!)

 優樹は、ありったけの力を振り絞って大きな声を出した。

「ぎい"あ"あ"あ"ぁぁぁー!!!」

 しかし、怪物が動じる気配は全くない。

「う" お"お"お"お"ぉ"!」

 今度はドスの効いた、野太い声を出してみた。すると、わずかだが少し口が開きかけた。

 (やった!!)と、心の中で叫んだのも束の間、怪物はすぐにまた口を閉じてしまった。こうなったら……話しかけて説得してみようと思い、優樹は思いつくままに、怪物を褒めてみた。

  「……あ、あなたって、大きな翼が力強くてとってもステキね!口は……うっ…ちょっと臭うけど、歯は真っ白だし、牙はとっても鋭くて怖……ううん、かっこいい!それに見たところ……あなたって綿毛のように白い体毛が生えてるのね、まるで天使みたい!天使みたいなあなただから、きっと私を離してくれるよね?ねっ?!」

すると、怪物の前足が自分の顔の前に来たので、優樹は、(やった!私の思いが通じたんだ!きっと前足に私を乗せて地上に降ろしてくれるつもりなんだ!)と、勝手に解釈をして、お礼を言おうとした……しかし、「怪物さん、あり……」と、言いかけたところで、怪物は前足で優樹の口を塞いでしまった。

もはや、為す術もない優樹は気力を失いかけていた。もう私は、この怪物のエサになるしかないのかもしれない……せめて、痛くありませんようにと優樹は願った。すると、だんだんと飛ぶスピードが遅くなり、突然、怪物は優樹を口から離した。優樹は一瞬、体が解放感に包まれたかと思うと、そのまま一気に落下した。

 「きゃあーー!!」

 ドスンッ!体中に痛みが走った。

優樹がしばらく動けずにうずくまっていると、片足が何かに引っ張られている感覚がした。恐る恐る視線だけ足元に移すと、あの怪物にそっくりな小さな黒い怪物が、足を咥えて引っ張っていたのだった。

  「ひゃあああ!!」

 気が動転した優樹は、変な叫び声を上げると、無我夢中で怪物の鼻先をもう片方の足で思いっきり蹴った。その衝撃で怪物が足を離した隙に、急いで逃げようとしたのだが、足が何かに引っ掛かってスムーズに動かせない。優樹が焦りながら自分の周りを見ると、木の枝がなぜかいっぱい落ちている……優樹は慌てて辺りを見渡した。すると、そこには一面びっしりと木の枝が、まるで鳥の巣のように敷きつめられていたのだった。

 優樹は息を呑んでその光景を眺めた。どうやらここは、あの小さな怪物たちの巣らしい。そして、ここにはもう一頭小さな白い怪物と……陸がいた。

 「りく!」

 優樹が叫ぶと、陸がはっとしたように顔を上げて、キョロキョロと周りを見ている。

 「りく!私だよ!ゆうじゅだよ!」

 優樹も急いで起き上がり、陸の方に駆けていった。途中、枝に足を取られそうになりながら、陸の元へと行くと、陸は小さな白い怪物にパジャマをはぎ取られ、上半身が裸だった。

 「ゆうじゅ〜助けてよ〜」

 そう言って、優樹を見上げる陸の顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。

 「何なの!この怪物!?何で、陸の服を取ろうとしてんの?!」

怪物は、さらにズボンもはぎ取ろうと、裾の部分を咥えて引っ張っている。陸は取られまいと、必死でズボンを押さえていた。

 優樹は、とっさに足元にある木の枝をつかむと、「離しなさい!」と言いながら、小さな白い怪物の鼻先をぺしんっと叩いた。すると怪物は、「キャンッ!」と鳴いて、あっさりと陸の服を離した。

 やっと怪物から解放された陸は、優樹の腕にしがみつくと、「僕たち、こいつらのエサになっちゃうんだ!こいつらはあの怪物の子どもなんだよ!ここに居たら、僕たち食べられちゃうよー」と言って、更に泣き始めた。

 「りく!何とかしてここから逃げよう!」

優樹はもう一度辺りを見渡した。しかし、見渡す限り、青い空と雲しか見えない。悪い予感に胸がドキドキした。優樹は陸の手を引くと、巣の端まで、途中、枝に足が取られそうになりながら、走って行った。そして、恐る恐る下を覗いて見てみると、遥か遠くに地上が見えた。そのあまりの高さに、優樹は足がすくみ、へなへなとその場に座り込んでしまった。

 「ゆ、ゆうじゅ!ここからどうやって逃げる?!」

 陸も腰を抜かしたまま、優樹の隣に座り込んで、半べそをかいている。

 「わからない……」

 優樹が絶望的な気持ちになりながら、後ろを振り返ると、あの怪物の子どもが二頭、こちらに迫ってきていた。

 優樹は、そばにある木の枝を急いでつかむと、よろよろと立ち上がり、身構えた。陸はその後ろで、ぶるぶると震えている。小さな怪物……とは言っても、ライオン程の大きさはあるのだ。優樹は恐怖のあまり手が震えた。震える手で必死に木の枝を握りしめた。二頭の子どもの怪物は優樹の手前で止まると口を大きく開けた。やはり、私たちを食べるつもりなのだ。優樹はその時、バッサバッサとあの大きい黒い怪物が、こちらに向かって飛んで来る姿が目に飛び込んできた。優樹の動きは一瞬にして止まった。

 小さな怪物たちも、その動きを止めると、大きい黒い怪物に向かって、「キュイーン、キュイーン」と、鳴き始めた。怪物は何かを口に咥えている様だった。優樹は、じっと目を凝らして見た……するとそれは、太一だった。 黒い怪物は巣の上空まで来ると、ぱっと、太一を口から離した。

 巣に落とされた太一は、「いってー!」と、言いながら、しばらくその場にうずくまっていた。怪物の子どもたちは、太一の方に気がそれたのか、今度は太一の方に向かって、ゆっくりと歩き始めた。優樹は陸の手を取ると、急いで太一の方に走って行った。

 「たいち!大丈夫?!」

優樹の声に、太一は驚いて、ぱっと顔を上げた。

  「ゆうじゅ!……りく!お前たち、生きてたんだ!」

二人の姿に喜んだのも束の間、太一は二人の背後に迫る怪物の子どもに気づくと、慌てて立ち上がり、二人を自分の方に引き寄せた。

 「あれ、何だよ!?」

 太一が、前方を凝視しながら叫んだ。

 「多分、あの怪物の子ども!」

 優樹がそう言うと、太一は自分の足元にある、木の枝をがむしゃらにつかんだ。優樹と陸も太一に続き、木の枝をつかむ。そして、三人は身構えた。子どもの怪物とはいえ、自分たちよりはるかに大きいのだ。到底、力ではかなわないだろう。二頭がこちらに近づいて来て、口を開けようとした瞬間、太一が黒い怪物の子どもの鼻先を木の枝で叩いた。怪物の子どもは、「キャイーン!」と、弱々しく鳴いて、後ずさりした。 

 白い怪物の子どもの方は、相変わらず、陸のズボンをはぎ取ろうとしている。陸は震え、木の枝を握りしめたまま、何も出来ずにいた。優樹がそんな陸を見て、代わりにべシンッと怪物の鼻先を叩くと、白い怪物の子どもは、弱々しく、「キャイーン!!」と鳴いて、ぱっとズボンを離した。二人に叩かれた二頭は、怯えながらこちらの様子を上目遣いで見てきた。

(もしかして……攻撃するつもりはないのかもしれない)

 と、感じた優樹が、木の枝を下ろすと……バッサバッサと翼が羽ばたく音が背後から聞こえてきた。音は次第に大きくなり、そして、ピタッと止んだ。嫌な予感がした……三人は目を見合わせ、そして、振り返った。するとそこには、「ウウゥゥゥゥ…」と、牙をむいて唸る、黒と白のあの大きな怪物が、二頭いたのである。


おそらく、自分の子どもの鳴き声を聞きつけて、やって来たのだろう。今度こそ、絶体絶命だ。逃げ場も戦う術も無い。ただ三人は息を呑み、立ちつくした。太一は目を見開いまま、身じろぎ一つしない。陸は優樹の腕をつかんだまま、恐怖でおののいている。優樹は頭の中が真っ白になり、目の前の黒い怪物を呆然と見つめていた。白い怪物は、黒い小さな怪物を愛おしそうになめている。どうやら、この二頭の怪物はつがいのようだ。三人を見下ろす黒い怪物の口からは、よだれが次から次へと垂れて落ちていった。優樹は無意識のうちに、よだれが垂れるのを目で追っていた。すると、よだれが落ちたところに、怪物の子どもにはぎ取られた、陸の青色のパジャマがあった。青色のパジャマは怪物のよだれでぐっしょりと濡れていく。

 (……あ~あ、汚いなあ……青色のパジャマが紺色になっちゃった……紺色……ネイビー……ネイビー!?)

 すると突然、優樹の頭の中である言葉が響いた。

"困ったことがあったら、自分自身をよく見てみるのよ"

それはネイビー妖精の言葉だった。優樹は反射的に自分の体を眺めると、急いで身体中をまさぐった。

(何か、何かがあるはず!)

 夢中でまさぐっていると、パジャマのポケットの辺りでガサッという音がした。急いで手をポケットに突っ込むと、ザラッとした感触の布の様なものが手に触れた。慌てて取り出すと、それは口が紐で結んである小さな麻袋だった。  

麻袋は二つあって、一つは”小さくなる”と書かれてあり、もう一つは”浮かぶ”と書かれてある。優樹は、”小さくなる”と書かれてある袋を開けようとした。しかし、早く紐をほどかなければと焦れば、焦るほど指がもつれてほどけない。こうしてる間にも怪物はジリジリと三人に迫ってきていた。

優樹が懸命にほどこうとすればするほど、紐は逆にどんどん締まっていってしまう。

 「ああ!もう何で開けられないの!」

優樹が焦って叫ぶと、

 「俺に貸して!」

 と、太一は優樹から袋を奪った。

その様子を陸がハラハラしながら見ていると、背後から、またもや白い怪物の子どもが、陸のズボンの裾をくわえて引っ張ってきた。

 「ねえ、やめてよ!今、それどころじゃないんだよ〜」

 陸は泣きながら、ズボンを押さえた。しかし、怪物の子どもの力は強く、陸の体はズボンごと後ろに引っ張られてしまった。そして、ずりずりと引きずられていった。


黒い怪物は、「ウウウゥゥゥ」と、唸りながら近づいてきた。焦る太一は、力まかせに紐をほどこうとした……そして、何とか開ようと思いっきり紐を引っ張った瞬間、勢いにまかせて、袋は明後日の方向に飛んでいき、そのまま長い放物線を描くと、あっという間に崖の下に落ちてしまった。

 二人はがく然として、その場に立ちつくした。頭上では、今、まさに黒い怪物が、二人を飲み込もうと口を開けようとしていた。怪物の荒い息づかいに、はっとして、上を見上げた優樹は、慌てて太一の腕をつかんだ。腕をつかまれた衝撃で我に返った太一は、優樹と一緒に急いで後ろに下がったが、二人の目の前には、怪物の大きな口が迫って来ていた。もうだめだ!二人が死を覚悟した、次の瞬間、二頭の怪物に向かってキラキラ光る粉がかけられた。すると、途端に怪物はみるみるうちに小さくなっていき、子犬程の大きさになってしまった。

 二人が驚いて後ろを振り向くと、陸が麻袋を持って、満面の笑みで立っていた。

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