妖精国へ
妖精国へは、ちょうど森の入口の反対側を抜けて行く。途中、また陸の足首が痛んで歩けなくなってしまったので、青ジイが”ケガが癒える”粉をかけた。
森を抜けるとすぐに、階段を数段登ると石の壁で出来たアーチの入口があって、それをくぐると緑のつるがアーチ状に絡まっているトンネルがあった。所々に薔薇の花も咲いている、美しく輝くエメラルドグリーンのトンネルだった。200m程続く、このトンネルを抜けると、横に長く続く背の高い石の壁があり、その壁にはアイアンで出来た扉が三か所あった。扉と扉の間の壁には黒のランタンがぶら下がってい
て、扉の真上には、アンティークの時計が掛けられていた。そして、三か所の扉の側には赤い制服を来た警備員がいた。
黒ジイは警備員に、「今日もご苦労さん!」と言って、入国許可証を見せた。続けて金ジイと青ジイも見せる。警備員はそれを確認すると、真ん中の扉を開けた。中には門番が一人居て、その門番の側に、もう一つ大きな扉があった。黒ジイたちは門番にも入界許可証を見せた。門番は入国許可証を確認すると、優樹たち、三人に目をやり、
「そちらの子どもたちは?」と、聞いた。
「この子らは、妖精魔法学校の仮入学候補生じゃ。今日は本部に、この子たちを連れていくんじゃ」
「なるほど。では、三人はこちらにサインをして下さい」
と、門番は言うと、優樹に羽ペンを差し出した。門番が用意した入国者名簿の紙には、住所と年齢と名前を書く欄があった。三人が順番に記入を終えると、いよいよ妖精国へ入国だ。門番は自分のウエストに付けてある、何個かある鍵の内、ひときわ大きく、金色に輝く鍵を手に取ると、扉に差し込んだ。優樹はその様子を瞬きもせず見つめた。その隣で、太一が唾をゴクッと飲み込んだ。陸は優樹の服をつかみながら、後ろからそっと見ている。門番が鍵をぐるっと回すと、「ガチャリッ」と、はっきりと鍵が開く音がして、扉は「ギギィィィー」という、重い鉄のきしむ音と共に開いた。瞬間、眩い光がサーッと射し込み、その長い光は、優樹たち三人の顔を照らした。あまりの眩しさに思わず三人は目を閉じた。扉はさらに大きく開かれ、心地のよい風がフワーっと三人の体を撫でた。
「ほら、ここが妖精国じゃ!」
黒ジイの声と共に三人は目を開けた。そして、目の前に広がる光景に三人は息を飲んだ。そこは今まで見たことのない程、明るい色彩に満ちた輝かしい世界だった。
「うわ~、すげー!おもちゃの世界みたい!俺はもうちょっとかっこいい感じのが好きだけどね!まあ、いいんじゃない?こういうのも」
と、太一が言うと、
「建物が全部パステルカラーだぁ……かわいいね。僕はこういう雰囲気好きだな」
と、陸が言った。
「私も大好き!こういう感じ!何かマシュマロが転がってるみたいで、すっごくかわいい!」
優樹は目をきらきらと輝かせている。そして、真っ先に優樹の目に飛び込んで来たのは、白い大きな噴水だった。
「なに!?あの噴水!」
優樹が駆け寄って見てみると、噴水からは、虹色に輝く水が四方八方に噴き出ていた。その水はまるで宝石のような輝きを放っていた。優樹はしばらくの間、虹色の水が流れる様を見つめていた。
「キレイだね、この水……パーティーカラードトルマリンみたいだ」
いつの間にか、優樹の隣に陸が来て言った。
「なに?パーティー……なんとかって?」
「石の名前だよ。パーティーカラードトルマリン。虹色に輝くきれいな石なんだ」
「りくは、石が好きなの?」
「うん!僕、きれいな石を集めるのが好きなんだ」
「私も好き!特に表面がつるつるしてて、丸い石なんていいよね?りくは?」
「つるつる?僕は……そうだな。つるつるしているとかはあまりこだわらないけど、水晶やトルマリンとか……青い石も好きかな」
「ふーん、そうなんだ。つるつるの石はね、道端に時々落ちてるんだけどね。落ちてた時はラッキーって感じで、拾って家に持って帰るんだ。今、家にはね~1、2、3……」
と、言いながら、優樹は指を1本1本曲げていく。
「……17個あるの!もっといっぱい集めるんだ」
「そっか。また見つかるといいね!僕も協力するよ」
「ありがと。りくは石、何個位集めたの?」
「僕は、いつもお小遣いで買ってるから……まだ10個くらい」
「お金出して買ってるの?すごいね!私なんか、タダだよ。りくの石も道端に落ちてるといいのにね!」
優樹がそう言うと、陸は苦笑いした。
「……妖精界だったら、キレイな石が落ちてそうじゃない?!」
優樹はキョロキョロと広場を見渡した。
この広場は噴水を中心に、白い石畳が環状に敷かれていて、その周りには色とりどりのパステルカラーのお家が広場を囲む様に建っていた。
「あっ!白い石!」
優樹は自分の足下に落ちている、白いかけらのような石を拾った。きっと、陸が喜ぶだろうなと思い、ウキウキしながら陸の方へ走っていった。
「ねえ、りく!キレイな石が落ちてたよ!」
優樹の声に陸が振り返る。
「ほら、見て見て!この石!」
優樹が手のひらに乗せた白い石を陸に見せると、
「わあ、キレイな石だね!」
と、陸はその石を手にとって、太陽の光にかざした。
「白翡翠にそっくりだ……すごいなぁ……」
陸が石に見入っていると、その様子に気づいた黒ジイが近寄ってきた。
「ここの広場には、全部そのルピナスブライドって石が敷いてあるんじゃよ。きれいじゃろー?夜になると光るんじゃよ。じゃから、この広場は、夜は明かりなしでも歩けるんじゃ」
「ルピナスブライド?初めて聞く石の名前だな……光るとこ、見てみたいなぁ」
陸が石を眺めながらつぶやいた。
「ねえ、じいさーん!」
突然、太一が大声で呼びながら、走って来た。その声に黒ジイと優樹と陸が、一斉に振り返る。陸は石をそっとポケットにしまった。
「この広場って、すげーいっぱい屋台があるのな!」
太一に言われて、優樹は改めて広場を見てみた。すると、10台程のオシャレな屋台があって、色々な食べ物が売られていた。わたがし屋さんに、アイスクリーム屋さん、ハンバーガー屋さん……どれもこれも人間界で売られているような普通の食べ物に見えた。
「俺、何か食べたいな。ねえ、ここの世界の食べものって、人間が食べても大丈夫?」
「まあ、大丈夫じゃけど……ちょっとばかし、人間界では使わないような食材を使ってたりもするけどね」
「へえー!どんな?」
「そうじゃの〜、例えば、あそこにある、わたがし屋のわたがしは、天国にある雲が材料じゃ」
「わぁ~素敵だね!どんな味がするのかな?」
優樹がうっとりとした口調で言うと、
「雲だから、無味じゃね?」
と、太一が答える。
「あんたって、なんかムカつく……」
「それより、俺、アイスクリームが食べたい!じいさん、買ってよ!」
優樹の言葉を遮るようにして、太一が言った。
「たいち……食べない方がいいんじゃないかな?異世界のものなんか食べたら、お腹こわしちゃうよ……」
陸は不安げな表情を浮かべている。
「大丈夫じゃよ!基本的に人間界の食べ物とさほど変わらんよ~」
黒ジイはそう言って、にっと笑った。
「なっ?じいさんがそう言うんだから大丈夫だって!行こうぜ、りく!」
そう言うと、太一は陸の手を引いて走って屋台まで行ってしまった。
「"じいさん"はやめて!黒ジイって呼んで!」
黒ジイはそう言いながら、二人の後を追いかけた。太一はガラスケースの中のアイスに目が釘付けだ。りくはたいちの後ろから、ガラスケースを覗き込んでいる。
「えーっと、すみましぇん」
黒ジイは、雑誌を見ている渦巻きアイスの様な髪型した女の店員に声をかけた。すると、女の店員は雑誌から顔を上げて黒ジイをチラッと見ると、また視線を雑誌に戻してしまった。
「……あれ?聞こえんかったのかな?あの~、すみましぇん!」
さっきより少し大きな声で言うと、女の店員は、視線を雑誌に落としたまま言った。
「……しゃいっす……」
「……へ?あの~……今、何ておっしゃったのかな?」
黒ジイが聞くと、女の店員は、今度は顎をくいっと上げて言った。
「……しゃいっす!」
可愛らしい外見に似合わない、女の店員の雑な言葉遣いと態度にたじたじの黒ジイは、やっとの思いで言った。
「あっ、はい……あの~すまんが、アッ、アイスを下さらんかの」
「……あーさーすか?」
「は?……あの~、すまんが、もう一度言ってもらえる?」
「あー、さーあーさすか?」
何を言っているのか、さっぱり理解出来ない黒ジイは、横にいる太一に助けを求めた。
「た、たいちちゃん、こ、この方は何とおっしゃっておるのかの?」
「え?何?」
どのアイスにしようか考えていた太一は、ふいに声をかけられ、目をぱちくりさせながら黒ジイを見た。黒ジイは太一の耳元で、
「この女の人が、何を言っているのか、ぜーんぜんわからんのじゃ……もう一度、わしが話しかけてみるから、お前さんも一緒に聞いて、わしに通訳して!」
と、ささやいた。黒ジイは、恐々と女の店員に話しかけた。
「あ、あの、すみません。わしね~最近耳が遠くての。ちょっと、聞き取れなかったもんじゃから、もう一度おっしゃってくれる?」
「あさーす……どーあーいすっか?」
「……た、たいちちゃん、この方は何て言ってるのかの?」
黒ジイが額に脂汗をかきながら、太一に小声で聞いた。
「……多分ですけど、どのアイスにしますか?ってきいてるんじゃない?」
太一が答えると、黒ジイは
「あっ、なるほど、なるほどね!はい、はい。たいちちゃん、サンキュー、サンキューね!えーとね、それじゃあ……って、お前さんたちは、何のアイスにするんじゃ?」
「うーん……何かさ……どれも変な名前なんだけど……大丈夫なのかな?例えば、この"みつばちのげろアイス"って?」
「多分じゃけど……みつばちじゃから、ハチミツの事じゃないかの」
「そっか!じゃあ、俺はこのげろアイスにするよ!でもさ、"みつばちのげろ"って……マジでネーミングセンスないよな!まずそーだもん!」
言ってから、太一が笑った。女の店員の耳がピクッと動く。
「ねえ……ばらの血まみれアイスって?……何か動物の血かなんかが、かけてあるの?」
優樹が不安そうに聞く。
「それは、絶対あり得んから安心しなしゃい。妖精は動物の肉は食べないからの。まあ、赤いばらの汁がかけてあるだけじゃろ」
と、黒ジイが答えると、優樹はほっと胸を撫で下ろした。
「それじゃ、私は、ばらの血まみれアイスにします。りくは、何にする?」
優樹の隣で陸はジーッと考え込んでいた。
「……僕は、ラベンダーのアイスがいいんだけど……このアイス、本当に鼻くそがついてるの?……ついてたら嫌だな」
「そうだよねぇ、なんかどれも……名前が変だし……血まみれアイスだなんて……やっぱり、怖いなぁ……」
そう言って、優樹が顔をしかめた直後、ガタッと音がしたかと思うと、女の店員が椅子から立ち上がって言った。
「さっきから聞いていれば、何て失礼なガキどもなのかしら?うちのアイスクリームはとっても美味しいって評判なのよ!言葉通りに受けとるなんてね、ほーんと人間って、頭が固くて嫌になっちゃう!血も鼻くそもついているわけないじゃない!ほーんとアホね!じじいの言った通り、血じゃなくって、バラの花びらのエキスがかかっているだけだし、鼻くそだって、ラベンダーの花のつぼみがかけてあるだけよ!全く!普通わかるんじゃないかしら?ほーんと、人間って想像力のかけらもないんだから!」
女の店員は、一通りいい終えると満足したのか、再び椅子に座り、雑誌を読み始めた。
黒ジイと優樹たちは、さっきとはうって変わって、饒舌に話し出すその様子を、ポカーンとした顔で聞いていた。
「今度は何て言っておるのか、わかったの……」
黒ジイがつぶやいた。
◇◇◇
優樹たちは、アイスクリームを食べながら歩いた。広場から真っ直ぐ延びている狭い路地に入って、まもなく出てくる十字路を右に曲がると、道の両側にもパステルカラーの家が建ち並んでいた。そして、その家並みを抜けると、ガラッと雰囲気が変わり、通りの片側には茶色の屋根にレンガの壁の古びた家が建ち並び、その家並みが途切れると、今度は農場や田園が目の前に広がる田舎の風景に変わった。その中央を通る道を歩いて行った。
「ねえ、天国の雲って、あれかな?」
優樹はアイスクリームを舐めながら、空を見上げている。青い空に、ぷかぷかと綿菓子のような雲がいくつか浮かんでいた。
「まっ、そんな感じじゃよ」
黒ジイが答える。その後ろで、いつの間に買ったのか、金ジイと青ジイがアイスクリームを食べていた。
「なあ、青ジイ、その鼻くーそアイスは美味しいのか?」
「うまいぞー、食べてみるかー?」
「嫌じゃよ、青ジイのよだーれがついてるアイスなんか食べたら、口が腐るーわい!」
「そうかいらんのか……何だか申し訳無いの……」
「それーはどういう意味じゃ……!!」
金ジイがカッと目を見開いて言った。
「みつばちのげろアイスもなかなかうまかったじゃけど……わしは鼻くそアイスの方が好みじゃな」
「……まさーか!」
金ジイが慌てて、手に持っている自分のアイスクリームを見ると、コーンを残したままアイスクリームの上の部分は全部無くなっていた。
頭に大きなこぶをこしらえた青ジイは、半べそをかきながら歩いていた。
「何もそんなに本気で叩かんくとも……」
すると、金ジイは青ジイを睨みながら言った。
「食べ物の恨みは、キャサリーンよりも怖いんじゃ!」
◇◇◇
しばらく歩いていくと、木々が生い茂っているひっそりとした場所が現れた。そこへ入っていく細い道を歩いて行くと、第1妖精国のお役所があった。
お役所は明るい茶色のレンガで出来た高い塀に囲まれていた。その塀には木で出来たアーチの形にアイアンの取っ手が付いた白い扉があり、塀の大部分はツルで覆われていた。
「ここが本部じゃよ」と、黒ジイが手で示した先には、緑の尖った屋根に白いレンガの壁の高い建物が建っていた。三人は思わず、
「うわぁぁー!」と、歓声をもらした。
お役所なのにまるでお城みたいな建物に、優樹は感激した。
「ようやく着いたのぉ…はあ、疲れたわい!おっ?ここに良さそうなベンチが…ちょっと座るとするかの…」と、青ジイがベンチに座ると、「このアホ!ベンチじゃなくて、ワシの頭じゃボケ!!」と、ベンチがしゃべったので、びっくりして青ジイは飛び退いた。よくよく見てみると、それは疲れて地面に座っていた金ジイの頭だった。
「お前じゃったんかい!」
「もう!お前たちはうるさいんじゃー!」
と、黒ジイは怒ったが、すぐに深刻そうな顔つきになって言った。
「そんな事よりも……誰がノックするんじゃ?」
「……黒ジイがノックすればどうじゃ?」
青ジイが静かに言う。
「駄目じゃよ。怖いもん」
「……じゃあ、金ジイがノックすればええよ」
青ジイは是が非でも自分ではノックしたくないらしい。
「イヤーじゃ!青ジイがノックすればーええじゃろ!」
と、自分もノックしたくない金ジイは言った。
「…じゃあ、誰がノックするんじゃ?!」
黒ジイが困った顔で言った。すると、ずっとイライラしながら、その会話を聞いていた、太一が言った。
「俺がノックしますよ」
「うむ!では頼む!」
黒ジイが即答した。
「一体何で、そんなにノックしたくないんだか…」
太一は首をかしげた。
「たいち…ノックしない方がいいよ…おじいさん達が嫌がっているんだから、とてつもなく恐ろしい人が出てくるんだよ…」
陸がビクビクしながら言った。
「でも、そんな事言ってたら、いつまでたっても買い物に行く事が出来ないだろ!」
「たいち、そんなに買い物に行きたいの?」
優樹は意外に思いながら聞いた。
「当たり前だろ!見知らぬ街で……っていうか、妖精界で学用品を揃えるとかワクワクするじゃん!」
「そうだよね!私も早く買い物したいもの!どんなお店があるのかな?!楽しみだね!」
太一は笑顔でうなずくと、すっと真顔に戻り、黒ジイに言った。
「よし……じゃあ、ノックしますね」
「…嫌じゃ!」
「はい?」
「悔しいぃぃ!やっぱりわしがノックするぅぅ!何でたいちがノックしようとしてるんじゃよ?!」
黒ジイが叫んだ。
「だって、さっき俺がノックするって事で、じいさんも納得してたじゃん!」
「ダメーじゃ!こーの金ジイが開けてみせーるわい!」
と、いきなり金ジイがしゃしゃり出てきた。
「駄目じゃ!わしの方がカッコイイって所をこの子たちに見せてやりたいんじゃ!じゃからわしが!」
と、今度はあんなにノックするのをあんなに嫌がっていた青ジイも、なぜかしゃしゃり出てきた。
「じゃあ、ジャンケンで決めるのはどうじゃ?」
黒ジイが提案した。
「ええぞ!」と、金ジイと青ジイも同意する
と、三人はジャンケンを始めた。
「よーし!皆!わしに任せろ!皆の事はわしが守るぅ!」
ジャンケンに勝った黒ジイが、鼻息も荒く、ドアの前に立った。すると、後ろから金ジイと青ジイが、「黒ジイ…!!」と感激の声を上げた。黒ジイは覚悟を決めると、ぷるぷると震える手で扉をノックしようとした……その時、ガチャっと急に扉が開いた。そして、そのまま扉は勢いよく開き、扉の前で突っ立っていた黒ジイの頭に思い切りぶつかった。その衝撃で黒ジイが後ろに吹っ飛ぶと、後ろにいた金ジイと青ジイが黒ジイを抱えるようにして、そのまま三人は一緒に後ろにぶっ倒れた。黒ジイは扉にぶつかった衝撃で気を失った。
「…あら?何かぶつかったかしら?」と、キャサリンが扉から顔を覗かせると、黒ジイを抱えたまま、金ジイと青ジイは、「……で、出たー!」と、叫んだ。
その叫び声に、キャサリンは目を大きく見開くと、
「……私は、妖怪か何かかしら?」
と、少しムっとしながら言った。しかし、気を失っている黒ジイに気づくと、
「まあ!大丈夫ですか?!」
と、そばに駆け寄り、声をかけた。その声で目を覚ました黒ジイは、キャサリンの姿を見るなり、「ぎゃぁぁ〜で、出た〜!」と、叫んだ。
◇◇◇
キャサリンの案内で、皆はやっと建物の中に入った。キャサリンは、平静を装っているが、明らかにその顔は不機嫌だった。始終無言のまま、皆を誘導し、エレベーターに乗ると、9階に降りた。そして、長く続く廊下を真っ直ぐに進むと、一番奥の左側の応接室のドアをキャサリンがノックした。
「所長、候補のお子様がいらっしゃいました」
「…入りなしゃい」
キャサリンはドアを開け、黒ジイ、金ジイ、青ジイに続き、太一、優樹、陸の順で部屋に入ると、最後に
キャサリンが入り、ドアを閉めた。すると、そこには所長のアンドリューが、足を肩幅に開き、片手は腰に当て、顔を斜め上に向けてドリンクを飲むような姿勢で立っていた。
「……アンドリュー、お前さん、何をやっとるんじゃ?」と、黒ジイが聞く。
「タッピオカジュースを飲むフリをしてるんじゃ!」
アンドリューは顔を斜め上に向けたまま答える。
「……ターピオカジュースが飲みたーいのか?」
と、金ジイが聞く。
「そうなんじゃよ!でも、キャサリンちゃんが許してくれんのじゃ……」
アンドリューはうなだれた。
「所長、今日は大事なお客様がいらっしゃるので、その応対が終わりましたら、タピオカジュースを飲みに行ってもよろしいと私、言いましたよね?」
キャサリンの真面目そうな茶色の瞳がキラッと光った。
「おお……やはりキャサリンは怖いのう……」
と、青ジイが言うと、三人のジジイ軍団は、肩を寄せながら、プルプルと震えた。アンドリューは、それでもあきらめきれず、
「でも〜 もう、お店閉まっちゃうよ?お話は〜先にタッピオカジュースを買ってからでいいんじゃないかの?みんなの分もね、買ってくるからの!だって、喉乾いたじゃろ?ねっ?キャサリンちゃん?じゃから、わし〜、買いに行ってくるね〜」
と、言って、アンドリューがドアに向かって歩き出した……その時、スーッと足元にキャサリンの足が伸びてきて、それに気づかなかったアンドリューは、ツンッとつまずくと、「おっ…おっ…おーっと!」とよろめいた。が、すぐに体勢を立て直し、まるで体操選手が競技で見事、着地した時のように、スチャッとポーズを決めた。
「おお〜!アンドリューさすがじゃ!その軽い身のこなし……とても、九百歳には見えん!」
と、黒ジイは称賛した。そして、その言葉に伴い、部屋が拍手の渦に包まれた。
アンドリューは、乱れた白いパナマ帽を整えると、
「拍手をありがとうじゃ……では」と、言い残し、足取りも軽くドアを開け、部屋を去っていった。
キャサリンは、バタンッと閉まったドアを見つめながら、深いため息をついた。そして、皆の方を向くと、
「所長は急用のため、しばらく戻りませんが、私が代わりに応対させて頂きますので、よろしくお願いします」
と、頭を下げた。
「改めまして…私はたった今、部屋を去っていった所長アンドリューの秘書のキャサリンと申します。本来であれば、所長の方から、伝えるべき事ですが…私が代理として伝えさせて頂きます」
キャサリンは太一、優樹、陸の顔を順々に見ると、笑顔を浮かべ、
「おめでとうございます。三人とも試練、見事合格です!」
と、言った。
三人は一体何の事か分からずにキョトンとした。
「あなたたちは、仮入学の試練に合格したのです。これで、正式に仮入学が決定されました」
「私たち、いつの間に……試練を受けたんですか?」
優樹は疑問に思って聞いた。
「マジで…俺たち、いつ試練なんて受けたの?!全然わからなかったよな。なっ?りく」
「……うん、僕もわからなかった……いつ受けたんですか?」
すると、キャサリンはふっと笑って言った。
「知らない間に受けるのが試練です。今回はペリウィンクルの森で起きた出来事が試練でした。とても……大変な試練だったけれど、あなたたちは見事クリアしましたね!」
(ペリウィンクルの森でって……あれしかないじゃない!)
そう思った優樹が、
「あっ!もしかして……落とし穴に落ちて、怪物に食べられそうになったのって試練だったの?!」
と言うと、太一が首を振りながら、
「違うって!沼で溺れて死にそうになったのが試練だって!」と、言った。
「あれ、マジでやばかったよ!本当に死ぬかと思ったけど……試練だったんだね!試練、マジで怖っ!」
すると、キャサリンが首を横に振りながら言った。
「ゆうじゅが言ったのが、試練だったのです……沼って……死にそうになったって……一体どういうことですか?」
キャサリンは眉間にシワをよせると、探るような目で優樹たちを見た。
「えー?!違うの?じゃあ、あれってマジなやつ?……」
太一は、いつになく体を震わせた。
「……お前さん達は、一体、どこの沼に行ったんじゃ?」
黒ジイの声は珍しく真剣だ。
「そうじゃ!一体、どこの沼に行ったんじゃ?!」
金ジイがオウム返しのように言うと、その横で青ジイも、
「そうじゃ、どこに行ったんじゃ!」と、聞いた。
「あの……プットバックの木の周りが沼で囲まれていたんです。木まで行くには、沼を渡るしか方法がなくて……それで俺たち三人は、沼に入って木まで歩いて行こうとしたんだけど、途中で誰かに足をつかまれて沼に引きずり込まれたんです。俺たち、マジで死ぬかと思ったけど……魔女みたいなおばあさんに助けてもらって死なずにすんだんです。なっ?ゆうじゅ、そうだよな?」
「そうなんです。たいちもりくも私が見つけた時には、息が止まっていて……私、本当にびっくりして。二人とも死んじゃったと思ったから……でも、二頭の聖獣が助けに来てくれて、おばあさんの家まで運んでくれたんです。それで、おばあさんがたいちとりくに魔法をかけて助けてくれました……」
それを聞いた黒ジイは、目を大きく見開いたまま、
「なーんてことじゃ!ま、また昔と同じ事が起きたとは!……わ、わし、倒れそう……」
と言うと、白目を剥いて本当に倒れてしまった。
「黒ジイ!大丈夫かあ?!」
金ジイが慌てて体を支えた。
「嘘じゃ、ウソじゃー!」
その隣で、青ジイがぷるぷると震えている。
「あの、おじいさんたちは誰の仕業か知ってるんですか?」と、優樹が聞いた。
「昔起きた事件の犯人なら知っとるが……もう、そやつは居ないんじゃよ~!なのに……なーんで、また沼が現れるんじゃ~!」
青ジイが叫んだ。
黒ジイは完全に倒れてしまい、金ジイが黒ジイを抱き抱えたまま、自分の帽子でパタパタと扇いでいる。キャサリンは黒ジイの側に座ると軽く頬をペシペシッと叩きながら、「大丈夫ですか?」と呼び掛けた。しかし、全く反応がないことが分かると、警備員を呼び医務室まで運ばせた。金ジイと青ジイもその後を付いていった。
◇◇◇
キャサリンはその姿を見送ってから、優樹たちの方を見て言った。
「わたくしは、昔に起きた沼の事件については、噂で少し聞いたことがあるくらいで、あまり詳しくは知らないのですが……今回の件については至急、調べておきます。それまで、プットバッグの木には警備員を配置させますので、安心して下さいね」
正直、優樹の気持ちは複雑だった。もっと妖精界を知りたい気持ちと知るのが怖い気持ちとが半々だった。沼の一件で、必ずしも楽しいだけの世界ではない事がわかったからだ。きっと、太一と陸も同じ気持ちに違いないと二人の方を見ると……太一は、なぜか遠い目をしながら、にやっと笑っている。陸の方はというと……怯えたような目をしながら、身じろぎ一つせず立っていた。陸の態度は理解できるが、太一の態度は理解不能だ。優樹は思わず聞いた。
「ねえ、何でにやけてるの?」
すると太一は不意をつかれたのか、えっ?と、優樹の方を見ると、「俺、にやけてた?気づかなかったよ!」と、言った。どうやら、自覚がなかったらしい。
「にやけてたよ?……たいちは、怖くないの?沼の事があったのに……それでも、妖精界にまた来たいと思う?」
「あったり前じゃん!マジでわくわくするよ!たしかに……沼の事件は怖かったけどさ!楽しいだけじゃ冒険じゃないだろ?こういうのって、ゾクゾクするよな!映画の主人公になった気分だよ!」
「映画の主人公って!本当にたいちは呑気だよね!本当に死んじゃったらどうするの?!」
優樹はそう言ってから、はっとした。夢の世界で死ぬと現実でも……死んでしまうのだろうか?!優樹が心配になってキャサリンに聞こうと口を開きかけた時、その気持ちが伝わったのか、キャサリンが先に言った。
「夢の世界では、それがどんな死に方であろうと、現実で死ぬような事はありませんのでご安心下さい。まあ、痛手を負ったときなどは、多少現実でも体が痛むことはあるかと思いますが、痛むだけで、実際に傷などはできませんので大丈夫ですよ」
瞬間、太一は目を輝かすとガッツポーズをして喜んだ。
「マジで!?やったじゃん!もう思いっきり暴れようぜ!」
「あの、水を差すようで申し訳ないのですが」
キャサリンの冷ややかな声に太一の動きが止まる。キャサリンは言葉を続けた。
「夢の世界で亡くなられると、もうこちらの世界には来られません。亡くなられている事になっているので」
それを聞いた太一は、「ええー!!」と、残念そうに叫ぶと、大げさなくらいにガクッと首をうなだれた。その様子を見ていた優樹は、ぷっと吹き出した。
「ふふっ…残念だね、たいち!あんまり調子に乗って暴れると、死んじゃって二度と妖精界に来れなくなるって!」
「俺は死なない自信がある!だって映画の主人公は絶対に死なないもんな!」
「あんたがいつ、映画の主人公になったのよ?」
優樹はジロッと太一を睨む。
「いいだろ?別に。どうせ、これはぜーんぶ俺の夢なんだからさ!」
「あんただけの夢じゃないでしょ!私だって、りくだって見てるんだから!」
「……ぼくは主人公にはなりたくないから、たいちが主人公でいいよ……ぼくは、出来ればあまり目立たない役のがいいな……」
陸がボソッと言った。
「何言ってるの?りく!たいちが主人公じゃあ、話がめちゃくちゃになっちゃうじゃない!」
「それ、どういう意味だよ!」
太一はムッとして言った。
「だって、本当の事でしょ?いっつも無茶な事ばっかりしてさ!」
「お前たちが、ビビりなだけじゃん!俺がいたから試練だってクリア出来たんだろ?」
「な、なにそれ!私とりくだってめちゃくちゃ活躍したもん!たいちだけのおかげじゃないもんね!」
「へえー、例えばどんな事で活躍したんですか?」
太一がバカにしたように言ったので、優樹はますます怒った。
「あんたって、すっごく性格悪いよね!信じらんない!」
「ねえ、もう二人ともケンカしないでよ……これは映画じゃないんだし……誰が活躍したとか関係ないよ」
陸が二人の間でオロオロしながら言った。すると、ずっと黙って聞いていたキャサリンが、
「りくさんの言う通りですよ。試練においては、誰が一番活躍したかはあまり重要視されません。それよりも、どれだけ仲間と協力し合えたかどうかの方が重要なのです。……それに、これは夢の世界の出来事ですが、現実なのです。映画のように撮り直すことは出来ないのですよ」
と、戒めた。そして、真剣な眼差しで三人を見つめて言った。
「……沼の一件では、皆さんとても怖い思いをしたようですね。これからも、もしかしたらこういった怖い場面に出くわす事もあるかもしれません。仮入学を今なら取りやめる事ができますが……どうされますか?」
「もちろん、俺は絶対仮入学します!だから取り消しません!」
太一が真っ先に返事をした。
「私は……」
優樹は迷った。もう怖い思いをするのは嫌だったからだ。でも、それと同じくらいブルーエルフィン妖精魔法学校にも興味があった。優樹は考えた末に、
「少し考えてから、返事をしてもいいですか?」
と、言った。
「……わかりました。でも、考える時間は一日です。仮入学の準備の都合上、それだけしか猶予を与えられません。大丈夫ですか?」
「はい」
「では、明日の晩、また妖精国の本部までお越し下さい。入界許可証はまだ与えられませんので、おじいさんと来て下さいね。返事はその時に伺います」
キャサリンがそう言うと、優樹は黙ってうなずいた。
「りくはどうされますか?」
キャサリンは視線を陸の方に移すと聞いた。
陸は黙ったままうつ向いている。優樹は心配になって声をかけた。
「りく?……りくはどうするの?」
陸は優樹を見つめると、「僕は……」と言ったきり、またおし黙ってしまった。すると太一が、
「りく……お前まさか、行くのやめるって言わないよな!?」とつかみかかるように聞いた。
「……ごめん、僕は行けない。怖いんだ……」
陸はそう言って唇を噛み締めた。
「りく……そうだよね。私も怖いもん……だからわかるよ、その気持ち……」
優樹も一緒になってうつ向く。
「なんだよ!二人とも情けないなあー!ちょっと怖い思いしただけで、行くのやめちゃうの?わくわくするような冒険が待ってるのに?行くのやめたら、絶対後悔するよ!」
「たいちにはわかんないよ!この気持ち……たいちは鈍感だもんね!」
「何だよ、それ!俺だって怖いけど、俺にはそれに勝る勇気があるんだ!」
太一は自分の事を親指で指差しながら言った。優樹は心底ため息をつくと、
「ともかく、私は一日考えてから決めるよ」
と、言った。するとキャサリンが、
「りくさんも、そうすぐに決めてしまわずに、一日考えてみてはどうでしょう?」
と、提案した。陸は少し考えてから、
「……わかりました」と、答えた。
「たいちは仮入学する事に決めたようですから、たいちだけ先に入界許可証に使用する写真を撮りますか?そうすれば、今日、発行できますけれど…どうされますか?」
キャサリンに問いかけられると、太一は少し考えてから、優樹と陸を代わる代わる見て、
「今日はいいです。りくたちが仮入学するかどうか決めてからにします」と、答えた。
◇◇◇
黒ジイがなかなか目を覚まさないので、帰りは金ジイと警備員が妖精界の門まで付いてきてくれた。
「それじゃあ、お前さんたち、気をつけて帰るんじゃよ。プットバックの木まで、こちらの警備員さんが付いていってくれるから心配はいらんよ」
金ジイは優しく笑った。優樹はしばらく妖精界の噴水を眺めていたが、やがて視線を金ジイに移すと、「送ってくれてありがとうございました」と、お辞儀をした。そして、くるっと金ジイに背を向けると、みんなより先に門から外へ出た。後ろで手を振る金ジイに、太一が手を振り返している。陸はペコリとお辞儀をした。そうしてから、太一と陸は優樹を追いかけるようにして門を出た。
ブルーエルフィン妖精魔法学校とペリウィンクルの森 ローズマリー @yumiko7728
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