【完結】TSバカ野郎の命は何色に燃えているか

朱鷺野理桜

プロローグ


 途方もない大災害、あるいは、大事故だった。

 空を焼き焦がすほどに燃え盛る炎。

 アスファルトに煌めくガラスの破片。

 どこか遠い人々の悲鳴と嘆き。

 それらを認識しながら、篠瀬蓮治は逃げ惑っていた。


 人の生涯と言うもの、人生というものは、ありきたりとすら言える悲劇ひとつで容易にその在り方を変えてしまう。

 容姿、成績、能力、どれをとっても凡庸。心優しいことだけが唯一の取柄と言われる蓮治も、そのようにして人生の大きな変転を迎えていた。

 肩、そして脇腹に突き刺さったガラス片は致命傷ではなかろうか。いま、歩けていることが奇跡だと、血を喪った頭で蓮治はぼんやりと考える。

 足は止まらない。ここで足を止めれば、人生というものの歩みを止める時だと知っているかのように。


(なにが、起きたんだ……?)


 うろんな思考に満たされた頭に浮かぶ疑問はそれだけで、歩いていることはただ恐怖に突き動かされてのそれに過ぎなかった。

 ある意味での現実逃避。蓮治はただ茫然と足を進める。

 逃げる先はどこなのか、そも、なにから逃げているのか。それすらも分からずに、しかし、足を止めることだけはできず。

 蓮治が足を進めることすらも出来なくなるまでに、さほどの時は要しなかった。

 もとより、致命傷と言って差し支えないほどの深手であった。

 それに無理を押して歩き続ければ、限界を迎えるのは当然のこと。

 歩くことも叶わずにくずおれ、それでもなお這って進む。

 それは生への執着、死の恐怖が為せる業であった。


 だからか、それに出会った。

 紅蓮の炎に満たされた町並み。

 その中にあって、燦然と煌めく、銀。

 銀の髪が熱を孕んでうねる風に躍る。

 赤と黒の中にあって、白く玲瓏たる肌。

 そして、焔の緋よりも一層美しく映える瞳。


「ほう。中々に根性のある坊がいるな」


 その銀は蓮治を前にして、感心したような姿を見せた。

 酷く、非人間的な、いやさ、非生物的な美しさを持った少女だった。

 その美しさは感嘆や感動ではなく、恐怖や嫌悪を呼び起こす。

 それほどまでに美しい少女だった。


「だが、ここから先は地獄ぞ。そなたの歩んだ道行は誤り。悲しきことよな」


 少女は眉根を寄せ、蓮治の前に開けた未来など無いことを物語った。

 蓮治は逃げる先を誤った。それは絶望である。

 絶望を突きつけられた蓮治はしかし、それに対する悲嘆を見せる事無く、問うた。


「きみは……にげなくて、いいのか?」


 問われ、少女は自身の顎を撫ぜながらひとくさり笑った。


「この状況で人の心配をするか。そなた、よほどの阿呆、あるいは大物よな」


 からからと笑いながら少女は言い、そして、がらりと表情を変えた。

 射殺すように鋭い視線を投げかけられた蓮治は硬直する。


「よいぞ。坊。力が欲しいか?」


 問われた蓮治は少女の言葉を理解するのに、たっぷり五秒ばかりの時間を要した。

 血を喪い、朦朧とする頭で。しかし、その言葉の意味を解すると、蓮治は少女に答えた。


「ほしい。ここからにげるために……それに……」


「ほう、それに?」


「ちからが、ないと、きみをせおって、にげれない」


「なるほど、大馬鹿でありつつ大物であったか」


 再び少女は顎を撫ぜながらひとくさり笑う。

 そして、大音声を響かせ、問うた。


「ならば、我が手を取れ! 我が名を呼び、言祝ぐがよい! さすれば天堂と地獄の狭間にて汝の鎧とならん!」


 差し出された手に、蓮治は鉛のように重い腕を持ち上げ、その手を取った。

 瞬間、蓮治の脳裏に電流の如く言葉が奔った。

 それに戸惑う間もなく、少女が蓮治を見据え、再度の問いを発した。


「宣誓せよ! 吾を纏いし勇者なれば! 吾を纏うに相応しき心得を述べよ!」


 脳裏に浮かんだその言葉を、蓮治は無意識のうちに朗々と歌い上げるかの如く言祝いでいた。


「人みな忍びざるの心あり、惻隠の心なきは人に非ざるなり。ゆえ我に忍びざるの心あり」


 それがどういう意味なのか、言った当人である蓮治にすらも分からなかった。だが、少女にはそれが分かった。その言葉が、どのようにして紡がれたものであるかを知るが故に。

 宣誓は絶対の真実として紡がれる。宣誓の瞬間、二人の心は繋がる。少女は蓮治の心を知り、その心を己の持つ言の葉で表し、蓮治はそれを発する。

 心で紡がれた言葉が、少女の言の葉によって形作られ、蓮治の口より発せられた。それは嘘偽りの在り得ない、至誠の言葉である。


「よかろう、坊よ。吾は天堂地獄! そなたに力を貸してやろう!」


 瞬間、少女がほどけた。

 その身を数百の鉄片へと変え、宙を舞い、蓮治を取り囲む。

 それは不思議な暖かい心地だった。

 血を喪い、酷く寒かった体が、暖かい。

 救われるとはこういうことなのだと、脳ではなく心で分からされた。


『心に刃を携え、鋼を鍛つは焔駆る忍の道。美にさぶらいて、己を鋼と為さん。美濃慎吾郎貞好が至高の作、天堂地獄。推参仕った』


 どこからか、少女の声が聞こえた。

 それが自身の脳に直接届けられた言葉だと蓮治が理解するにはしばらくの時間が必要だった。


『坊。大幅に失った血を賄うため、同時に吾を用いるために肉体を再構成した。吾に搭載された機構を用いるにも十分の余剰がある。どうする?』


 問われて、蓮治の脳に明瞭な思考が次第に戻ってくる。


「この状況を、どうにかできる?」


『どうにかの内容次第ではあるがな。この火災を鎮めろと言うのならば、中々に厳しいものがある。不可能ではないが、熱量を大幅に失う。死にはせぬであろうが……後遺症があるぞ?』


「それができるのなら」


『やれというのだな。よかろう。それが坊の選択なれば』


 少女の声が響き、そして、蓮治の腕が独りでに動く。

 その異常な感覚に蓮治が思わず目を向けると、そこには純白の鋼に覆われた腕があった。


「こ、これは?」


 思わず発した問いに対し、応えはない。


『坊、吾の機構がひとつ、風神を臨界駆動させる。超広域大気操作ゆえ、気を張れ。さもなくば、せっかく拾った命を捨てる羽目になるぞ!』


 蓮治の腕が指揮者の如く持ち上げられ、同時、蓮治を冷たさが襲った。

 熱と言う熱が奪われて行く。それは這い上がるかのような冷たさだった。

 その冷たさに全身が満たされれば、死ぬのではないかと。そう思わされた。

 熟練の指揮者の如く振るわれる腕に呼応するは、風。うねる風が炎を嬲った。

 うねる風は勢いを増し、目に見えるほどの風が引き起こされる。

 それは大気圧の差によって光を捻じ曲げるほどの風であった。

 熟練の指揮者は幾千の聴衆を魅了する名演を作るのだろう。

 しかして、いまここで揮われる暴風の指揮は幾千の人々を救うのだろう。

 その真実を誰もが知る事無く、ただ奇跡と伝わって。


『風は火を育てる。しかして、真空を引き起こすほどの風の前に、火は立ち消えるのみよ』


 自慢げな少女の声を聞きながら、蓮治は静かに意識を喪失していった。

 なにもかもが限界だった。

 血を喪い過ぎたこと。熱量を喪い過ぎたこと。そのふたつによって疲弊し切っていた蓮治の精神は、遂に限界を迎えた。

 這いあがる冷たさの中、もう二度と目覚めることができないのではないかと、恐怖に怯えながら、蓮治は静かに眠りに落ちて行った。

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