バカ野郎3日目

バカ野郎、ハイウェイを暴走する

 夜。ビルの立ち並ぶ繁華街。気分よく酔っぱらって道を往く者、気落ちしたような様子で歩く者、浮かれ切って足取りも軽い者、バカップルの癪に障るいちゃつき。行きかう人々には、それぞれのドラマがあるのだろう。

 そしてそれは、繁華街の一店舗。メガ盛りチャレンジメニューで有名なラーメン店も同じことであり、今宵もメガ盛りチャレンジメニューに挑む者のドラマが繰り広げられていた。


「す、すげぇ……」


「あの子、異次元に胃袋が繋がってるんじゃないか……」


「体積以上食ってるだろあれ……」


 周囲の客たちが目を向け、とんでもないものを見た、と言う顔で言い募るのは、メガ盛りチャレンジメニューに挑む少女。

 黒く艶のある髪に、一筋の赤い髪が混じる少女。ほっそりとした体に優美ですらある嫋やかな指先。それこそ茶碗一杯のごはんでもお腹いっぱいになってしまいそうな愛らしい少女だ。

 その少女の前には、メガ盛りチャレンジメニュー。それも、三つ。

 麺五玉のジャンボラーメン、普通の餃子百個分のジャンボ餃子、一升分の米を使ったジャンボチャーハン。食べ切れば料金無料。残せばラーメンは四千円、餃子は一万円、チャーハンは五千円の支払いだ。

 三つ同時に挑むなど、無謀過ぎる挑戦だ。全て残すか、一つだけ食べ切って終わりというのが関の山。だが、少女は餃子をあっさり片づけ、ラーメンとチャーハンを交互にハイペースで食べている。ペースが落ちる様子はまるでない。

 隣に大盛りラーメンにチャーハン三人前を平らげる大食い女子もいるのだが、少女のあまりのフードファイターっぷりに見事に霞んでいた。

 そして、少女があっさりとメガ盛りチャレンジメニュー三品を平らげて見せた。


「ごちそうさまー! あー、おいしかった」


 店内に歓声が巻き起こる。メガ盛り三品セットを平らげる胃袋ブラックホール少女に感服したのだ。

 店主は驚きつつも喜び、明日からメニューにメガ盛り三品セットを追加しようとか考えていた。こいつしか食べ切れないからやめておけ。

 その少女、レンは気分よく店を出た。無料でお腹いっぱい食べられるなんて、メガ盛りチャレンジメニューはなんて素晴らしいのだろう。燃費悪過ぎる系女子であるレンはメガ盛りを毎食食べるくらいがちょうどいいのだ。なにせ毎食二千キロカロリーほど取る必要がある。


「余裕でしたね」


「うん。あ、デザートにクレープ食べようよ」


 あれだけ食べて、まだ食うらしい。


「次は賞金のあるお店にしましょう。賞金のあるお店は賞金を渡したくないから、より一層大盛りらしいですよ」


「へぇー。次はお肉が食べたいな。ステーキとか」


「ステーキ二キロにごはん二キロのチャレンジメニューがあるそうで。賞金は一万円です」


「いいね!」


 お腹いっぱい食べられる上に、賞金までもらえるなんて。レンは喜んだ。レンがチャレンジメニューのある店に出禁を喰らうまで、そう遠くはない。


「それにしても、ごはん食べに来てよかったのかな?」


「大丈夫です。彼らはそれが仕事ですから」


 【見えざる熟達者】のエージェントと思われるエマ・キャンベルに襲われた二人はしばらくしてからようやく駆け付けたヤツカハギの者たちに現場対応を丸投げしていた。愛凛澄とレンに出来ることは何もないので邪魔にならないように立ち去ったと言えなくもない。


「そっか。でも、俺じゃなくて愛凛澄さんが……」


「はい」


 襲われたのは自分が原因である。愛凛澄がそう言ったのにレンはまず混乱した。

 愛凛澄は純粋な剣士である。天堂地獄もそれは認めていた。

 それが聖遺物を狙う組織になぜ狙われることになるのか。

 愛凛澄は自身を襲ってきた姿の見えない敵対者を寸刻みにして聞き出していた。

 愛凛澄は敵意と言ったものを感じ取ることが出来る。姿形が見えなくとも、意が見える限りは戦える。エマを察知できなかったのは、エマに愛凛澄を害する意志が無かったからだ。姿を消して不意打ちをしようとしたのならば、愛凛澄に見事に反撃されていただろう。


「私の中に聖遺物がある……にわかには信じがたいですが、あれほど執心するなら分からなくもありません」


「愛凛澄の中にある、なぁ。吾には何も感じられんがな」


「オーシャンズ・キーストーン。大洋の楔石、あるいは要石と言ったところですか。それが私の中にあるのだそうです」


「石か。石な……厠で出たりせぬか?」


「尿路結石じゃないですから」


 天堂地獄のあんまりと言えばあんまりな言葉に愛凛澄が苦笑いする。


「しかし……吾は人より長く生きておるゆえ、聖遺物も数多く知っておる。余人の知らぬような代物もな。だが、大洋の楔石なぞ聞いた事がない」


「詳しいことは分からなかったのですが……ニュー・レインボー・プロジェクトなる計画の際に発生した遺失物、それが大洋の楔石だそうで。本来は聖遺物などではなく、単なるコンクリートの塊でしかないのだそうです」


「それが聖遺物になると?」


「内容が支離滅裂で分かり難かったのですが、そのニュー・レインボー・プロジェクトはレーダー・アブソーベント・フィールド? なるものの実験だそうですが、偶発的な失敗の結果として空間転移が発生。太陽の楔石はそれで転移したコンクリート塊。その転移の結果、そこにあるけどない状態になった……だから割れても本来の形を覚えているから修復可能で、それを利用する……らしいです。その特異性を利用して何をするかは不明ですが」


「ふむ。そこにあるが、ない、か。魔術師の領域であるな……」


 天堂地獄が困ったと言う顔をする。


「愛凛澄は魔術師の伝手はないのか?」


「ないですね。いえ、まったくないわけではないのですが、魔剣鍛冶師とかの方が多いので」


「うぬ……いずれにせよ、そなたとレンだけで対応できる段階の話ではなくなってきておる。ヤツカハギからの応援を恃むべきであろうな」


「東北の火災で殆ど出払ってます。安倍氏とか加茂氏の国内の事態でないと出張れない人たちが大張り切りで出払ってしまったので……」


「馬鹿かあやつらは! そなたの伝手はないのか?」


「その類はさっぱりですね。そもそも私は高校に入るまでは裏界隈にはほとんど関わらなかったので。伝手を作るほど長くかかわっていないのです」


「むぅう……レン、そなたはどうだ」


 突然話を振られてレンは困る。


「そんなのないよ。俺、ちょっと前まで裏のことなんて全然知らなかったんだし」


「そうか……しかし、手が足りんと言っていられもしまい。ヤツカハギになんとかしろと言え」


「そうは言いましても、私にヤツカハギは動かせませんよ?」


「そんなもの聚楽を使え。立っている者は親でも使えと言う故事成語を知らんのか。自分を見捨てると聚楽が激怒して内戦が始まるとでも言え」


「その手がありましたか」


 聚楽が無茶な言い訳の材料に使われている。愛凛澄は本気でその言い訳を使うつもりなのか、スマホを取り出すと電話をかけ始めた。


「そう言えばさ、天堂地獄」


「うむ? なんだ?」


「……家、どうなってる?」


「……まぁ、窓ガラスは割れておろうなぁ」


「だよね……」


 晩御飯をお腹いっぱい食べて人心地ついたレンは、強行出撃によって大惨事になっているだろうマンションを思う。一度屋上とかに出てからやるべきだった。今となっては後の祭りだが。

 愛凛澄にはまだ伝えていない。さほど物があるわけではなかったので大事なものが壊れている、と言うことはないだろうが、部屋が大変なことになっているのに違いはない。家に帰り付いたらきっと怒られるのだと思うと暗澹たる気持ちになる。


「はぁーあ。俺のお金でハウスクリーニングとか頼むべきかな?」


「そこは誠意をもって自分で掃除ではないのか」


「俺、掃除って得意じゃないからなぁ。部屋のものを全部捨てれば綺麗になるって言うと、それは掃除とは言わないってよく言われるんだ」


「当たり前であろう……そなた部屋のもの全て捨てるのか?」


「うん。あ、さすがに布団とかは捨てないよ?」


「むしろそれ以外は捨てるのか」


「うん」


「断捨離にも限度があると思うがな……」


 などと会話をしていると愛凛澄が戻って来た。


「お待たせしました」


「おお、戻ったか。どうだ、ナシはつけられたか?」


「はい。聚楽様をけしかけると脅しつけました。ヤツカハギとしても聖遺物探索組織には屈しない心積もりでいますから、特A級エージェントを回してくれるそうです」


「ほう! なにやらすごい響きだな、特A級エージェント! うむ! で、誰だ?」


「赤木ヒナタ氏です」


「ほほう、世界最高峰の霊的戦闘能力と召喚術士としての実力を併せ持ったあやつか。迫水に婿入りしたと聞いていたが」


「職場では旧姓で通してるそうです。赤木さんに保護していただけるそうなので、このまま赤木さんの家に向かいましょう」


「え? 家はいいの?」


「構いません。家賃は半年分既に払っていますし。鍵は閉めてありますか?」


「うん。窓から出て来たし」


「であれば問題ありません」


 まぁ、レンと天堂地獄が問題を作ってしまっているのだが、愛凛澄は知らない。

 タイミングを見て告げ、愛凛澄には誠心誠意謝ろう。レンは心に決めると愛凛澄の後をついて歩く。向かう先は駅だ。


「ところで、その赤木さんって人はどこに住んでるの?」


「赤坂ですね」


「赤坂?」


「港区の赤坂ですが……」


「え。東京じゃん」


「ええ」


「遠くない?」


「いえ、そんなに遠くはないと思いますが……」


「あれ?」


 おっかしーなー? とレンが首を傾げる。


「レン、そなた気付いておらんようだが、ここは東京ぞ」


「えっ」


「やはり気付いておらなんだか。あれほどの大火災があってこうまで平然としているわけがあるか。遠く離れておるのだ」


「そ、そうだったんだ……全然気づかなかった……」


 しかし、さすがに県をいくつも越えた遠い場所に居ながらまったく気づかないのはいかがなものか。レンは自分のうかつぶりにちょっと落ち込む。色々とあり過ぎてそこらに気が回らなかったと言えばそうなのだが。


「しかし、赤坂な。東京の地理は疎いのだが、どれほどかかる?」


「千代田線で真っすぐ赤坂までいけますよ。三十分もかかりません」


「存外近いな。いや、電車が速いのか?」


「さぁ、どうでしょうね」


 そんな会話をする中、レンは周囲をきょろきょろと見渡して初めての東京をつぶさに観察する。昨日から東京に居たのだが、その時はまるで気付いてもいなかった。レンからすると、思っていたよりも大都会と言う印象はなかった。それは単に今いる場所がベッドタウンにほど近い場所であるからなのだが。


「それとレンさん、気を付けてください」


「え? うん、なにに?」


「赤木さんにです。赤木さんは男性ですから、無防備に行動してはいけませんよ」


「あはは、大丈夫だよ。俺、下着姿で出歩いたりしないタイプだから」


「そうですか? それならいいんですけど……そう言えば、着替えくらいは用意しないとですね。買っていきましょう。セーラー服が売ってるといいんですが」


「そうだね。一度家に戻るのもちょっと危ないかもだもんね!」


「ええ。私たちの家の場所は既に割れていると考えるのが自然ですから。あそこは呪的防御は優れていますが、泥棒に入られる程度にはセキュリティは雑な場所ですからね」


「え? そうなの?」


「ええ。物理と呪的防御には優れていますが、セキュリティは普通のマンションですよ。爆撃されても壊れませんが、ピッキングされると開きます」


「どうしてそんなアンバランスなのだあの物件……」


「予算の都合だそうで」


「ううむ、世知辛い」


 どこにもついて回る現世のしがらみ。致し方なきことかと天堂地獄が呟く。そして、直後に斜め後方に振り返る。


「しまったっ」


「え、なに、どうしたの」


「いま、一瞬だけ赤外線レーザーの照射を受けた。振り返ってしまっては察知したことが露見しよう。ぐぬ、迂闊なことを……いや、それはいい。いずれにせよ、吾ら狙われておるぞ!」


「そう言われても……いけない!」


 愛凛澄が突然レンの肩を掴んで引き寄せる。直後、ビシッ、と乾いた音を立ててレンのすぐ近くの道路に穴が空いた。


「狙撃!」


「今の……大丈夫! 次は避けれる!」


 さらっとレンが無茶なことを言い出し、天堂地獄がこいつは大丈夫かとうろんな眼で見るが、愛凛澄が光明を見出したように頷く。


「レンさんにも意が?」


「意? 俺のところだと風って言ってたけど……あんまり感じれたことないんだけど、いまのは凄く分かりやすかった。うぐっ!」


 突然レンが無理やり体を捻った。直後、レンの足元に穴が空いた。


「やっぱり!」


「なるほど……相手は武術的には素人ですから、意を悟らせずに戦う術がない……たしかにあからさまだとは思っていましたが、これなら……」


「でも、人混みの中はいけないよ! 巻きこんだら悪いし、なにより避け切れなくなる!」


「ええ。裏路地を通って、避けやすい場所に向かうしか……しかし、ここから赤坂まで二十キロはありますよ。全て避けながら走っていくのは私ならともかく……」


「うん、俺が避け切れなくなる。俺ばっかり狙ってくるしぃ!」


 言いながらレンがまたも狙撃を避ける。天堂地獄が銃弾とはそうも簡単に避けれるものだったかと本気で頭を悩ませていた。


「足を調達するほかあるまい。これ以上吾の航行主機を使えばレンが死ぬ。夕頃の一分程度の航行だけで五万キロカロリー近く使っておる。これ以上は許容できん範疇ぞ」


「足って、足……」


 レンが周囲を見渡す。そして、眼に入ったバイクショップに全員でなだれ込んだ。

 突然三人の美少女がなだれ込んできたのにバイクショップの店員が目を丸くする。


「えっと、天堂地獄、どれがいいの!」


「電子制御が出来る限り入っておらん方がいい!」


「えと、えっと、これだ! お兄さん! これちょうだい!」


「カードです! 限度額二百万なので即金で買えます! 後日取りに来ます! 暗証番号は1021です!」


 レンが目を付けたバイクを勝手に店外に持ち出し、愛凛澄がカウンターにクレジットカードを叩き付けて出ていく。それだけで運転していいわけがないのだが。色々と登録とかが必要だし、ナンバープレートもついていない。

 が、今は非常事態なので勘弁してもらう。後でヤツカハギの職員が色々と弁解してくれるので問題ないはずだと愛凛澄は対処をヤツカハギに丸投げすることを決める。


「レンさん、燃料は?」


「大丈夫、ちょっと入ってる!」


 レンが淀みなくキックスターターを押し込み、デコンプレバーを握り、指先の感覚でクランク位置を気取ると指を離し、キックスターターを蹴ってバイクのエンジンを始動させる。今の時代にキックスターターを使うしか始動方法がないレトロな機構のバイクだ。


「よし、良いぞ! なんとも古臭い機構よ! これならば吾が制御できる!」


 言って、天堂地獄がほどけた。そしてそれはバイクへと絡みつき、一瞬後にはレトロスタイルのバイクが装甲バイクの如く武骨な外見へと変化していた。白亜の装甲を纏ったそれは、鋭角的なデザインから攻撃的な雰囲気を強く匂わせていた。


「これ大丈夫なの!? 車重凄そうなんだけど!」


「ふん、吾の熱量変換機構を甘く見るな! 排気量を倍にする程度は容易いわ!」


「レンさん! お早く!」


 飛来して来た狙撃を愛凛澄が咄嗟に学生鞄で払いのける。セラミックプレートが仕込まれているので、防弾装備として使えるのだ。


「わ、わかった! ノーヘルだけど、行くよ!」


 レンがバイクを始動させる。幾度か乗ったことのあるはずのバイクだが、エンジンの駆動音はまるで別物だった。その甲高い駆動音はまるでガスタービンエンジンのようだ。天堂地獄が何かしらの細工を行ったのだろう。そして、吐き出されるパワーもまるで別物だった。


「うわっ! すごいパワーだ!」


「当然よ。元の排気量は四百足らずと言ったところか。今は千二百近いぞ!」


「お、俺、普通二輪免許しか持ってない!」


「ええい! 細かいことを気にするな! よいか! 運転に大事なのは、ハンドルを握ること、前を見ること、そして度胸だ!」


「そんな無茶な!」


 言いながらもレンはバイクを疾走させる。

 狙撃を受けている状況で止まるわけにもいかない。


「このまま通りまで出て、首都高速に乗りましょう! 六号です!」


「しゅ、首都高って乗ったことないよぉ! って言うか、有料区間乗っちゃっていいの!? 俺たちノーヘルだよ!?」


「細かいことを気にしないでください! ヤツカハギのエージェントは超法規的措置を取れるので、無免許無帽運転くらいは無視出来ます!」


「しゃ、社会の闇ぃ!」


 叫びながらレンがバイクを疾走させる。普段着で運転と言うこともあって、いつもバイクを運転する時とは体に感じる風がまるで違った。スカートでなくてよかった、などとレンが内心で思う中、愛凛澄は片手で必死にスカートを抑えていた。


「レンさん! もっと蛇行して運転させてください!」


「ええ!? 危ないよ!?」


「狙撃されてるんですよ!」


「そ、そっか! 分かった! しっかり捕まって!」


「はい!」


 レンが言われた通りにバイクをメチャメチャに蛇行させる。こんなことしていいのかと疑問に思ったが、超法規的措置と言うのを信じてレンはバイクを疾走させる。狙撃らしいものは感じ取れないが、先ほどからうまく言葉に出来ない冷たいモノを感じている。狙撃を避けた時にも感じた、風だ。

 おそらく、愛凛澄が防いだか、バイクの速度に追いつけずに狙撃に失敗しているだけで、狙撃そのものは受けているのだ。速度計が百二十キロを示し、車と車の間を無理やりに潜り抜けていく。信号も無視だ。止まるわけにはいかない。

 クラクションを鳴らされまくり、急ブレーキの音を置き去りに。この体になったことで備わった超人的な反射神経でレンは辛うじて事故を避けていく。以前の体だったらとうの昔に事故っている。そも、天堂地獄の言う通りにパワーは凄まじいが、それに見合わないほどに車重が軽い。重くはなっているのだろうが、パワーに見合うほどではなく、それは震動としてレンの腕を揺さぶっている。こういうのをじゃじゃ馬と言うのだろう。その癖に素直に曲がるのがとんでもなくおっかない。


「真っすぐ進んで! 都心環状線に! 向島線まで!」


「分かった!」


 アクセルを唸らせ、さらにレンは加速する。百六十キロまで表示する速度計は振り切れ、夜の首都高へと白亜の暴れ馬が切り込んでいく。こんな乱暴な運転したことない、とどこか現実逃避気味にレンが思う。

 夜の首都高に流れる光、狙撃に追い立てられるように、あるいは、狙撃者を誘い込むように。

 白亜の装甲が風を切り裂き、唸るエンジンはますます回転数を上げる。そして、レンの後を追うように、複数台の車が寄せてくる。一見して高速走行など出来ないような大型の車両だ。速度計を見やれば振り切れている。百六十キロ以上出しているということだ。


「これって……」


「誘い込まれた……ようですね。いえ、複数のルートに伏兵を置いていた……? なんて大掛かりな真似を……」


「天堂地獄、もっと飛ばせる?」


「回せるだけ回す。しかし、熱量以上には出せん。最悪、そなたから賄う。吾が直接航行するよりは消耗も少ない」


「分かった!」


 レンがさらにアクセルを捻る。大気の壁に挑みかかるように、速度の向こう側に到達せんとばかりに。寄せてくる車をすり抜け、それを置き去りにせんとする。それに呼応したかのように、大型車両のボディが開いた。


「このスピードでウイングボディを開けるなんて!」


「言ってる場合じゃありません! 撃ってきますよ!」


 開いたウイングボディから顔を覗かせたのは、夕方に襲ってきた兵士たちと同様の装備をした男たち。だが、夕方に襲ってきた兵士たちよりも一層物々しい装備に身を包み、手にする銃はより大型の物騒な代物だった。唯一、人数が僅かに四人ばかりであるのが救いだったが、都合四台の車両には合計十六人もの兵士が乗っていた。


「ハッ!」


 愛凛澄が裂ぱくの気合と共に竹刀袋から刀を抜き放ち、飛来して来た弾丸を弾き飛ばした。びぃん、と激しく金属のぶれる音がした。それに愛凛澄が舌打ちをする。無様に弾いたせいで刀身に負担がかかったのだ。

 銃弾の側面、あるいは下面を掬い上げるようにしなくてはならない。弾いた際の火花の様子からして、フルメタルジャケット弾と呼ばれる貫通力に優れた弾丸だ。まともに刀身で受ければ圧し折れるか貫通される。

 内勁を込めた剣は硬い脆いで計ることはできはしないが、物理限界を超えるわけではない。あくまでも、己の硬さ以上のものを切断し得る、と言うことを意味するにすぎず、銃弾をまともに受ければ圧し折れることに変わりはない。

 バイクの震動、高速走行による風圧、着座して振るわねばならない状況、精妙な剣戟に対する障害は無数にあり、完璧な受け太刀は不可能だった。


「レンさん、せめて震動を抑えて走れませんか!」


「ごめん、無理! 車重が足りないんだ! 速度を落とさない限りは!」


「分かりました。何とかします!」


 愛凛澄があまりに困難な状況に渋面を作るが、それを踏み越えんと覚悟を決める。レンが狙いを絞らせないためにバイクを蛇行させるが、あまりの高速走行の最中に車体を揺らし過ぎれば転倒する。控えめな蛇行はさほどに狙いを絞らせない効果は望めなかった。

 マズルフラッシュの直前に意を感じ取り、愛凛澄が内勁を込めた剣を振るう。響く刃鳴に、奔る火花。銃弾を捌いた直後、その間隙を狙うかのように銃弾が車体の側面を襲い、弾き飛ばされる。天堂地獄の装甲強度に変わりはない。

 それを理解したのか、兵士たちが運転するレンに狙いを絞る。ある者はタイヤを狙い、ある者はバイクの走行先を狙う。高速走行時には路面の僅かなコンディション変化が致命的な事態を招く。

 この状況でバイクから投げ出されても愛凛澄には生還する自信があるが、おそらくレンは不可能だ。天堂地獄が助ける可能性も高いが、いずれにせよ逃走は失敗する。


「レンさん」


「なに!」


「今から立ちます。曲がる時は教えてください」


「えっ。いや、無茶苦茶な! いま二百キロ近く出してるんだよ!?」


「やります!」


 愛凛澄が覚悟を決め、足を上げる。その意図を汲み取ったように天堂地獄の装甲が形状を変化させ、足を置くに相応しい場所を作る。その頼もしい援護に愛凛澄は薄く笑みを浮かべ、膝立ちの姿勢を取る。

 運転するレンにさえぎられていた風が愛凛澄の背中に直撃する。自身の体重制御に失敗すれば、そのまま投げ出されるだろう。呼吸を調える。練気、調息、練勁。

 愛凛澄は聚楽の教えを脳裏に思い浮かべる。

 曰く、三陰三陽十二経、六五四経穴を己が意のままにした時、身体は入神の域に至り虚空にあって如意となる。

 己の肉体を完璧に操った時、それは神々の領域へと至り、虚空にあって意のままとなる。

 ならば、足場があるこの状況がどれほどに容易いことか。

 愛凛澄は今までに挑戦したことがない領域の軽身功に挑む。内勁を練る者が気を用いる者に挑むにあって必須の技法。己の肉体を軽やかとし、最大限に極めた者は宙を舞うことすら可能とする技法である。

 身を軽くすることは風圧の影響を受ける最中にあって、一見して自殺行為と言える。だが、銃弾に挑む、それも複数の銃器からのそれであることを思えば、重力の軛から逃れ、速さを得なければならない。そしてなにより、重い一撃、速い一撃、それを相反するかのように軽い一撃、遅い一撃でいなすが内勁の使い手の真髄。ならば、愛凛澄に襲い掛かる重い風圧を、軽き我が身を以って捌き切ることが出来るのならば……。


 風と銃弾、その二つを同時に捌き切る困難に愛凛澄が身震いする。

 愛凛澄は天才ではない。内勁を掴むまでにおよそ十年の歳月を必要とした。それは恐るべき速さと言えるが、それは愛凛澄の持つ天稟がゆえではない。

 師である聚楽が天才なのだ。愛凛澄を生かさず殺さず完璧に指導して見せたからこそ。そして、聚楽の過酷極まる修行を類稀な精神力によって耐え抜いたことによるもの。

 全ては努力が故である。腕を圧し折られたことも、腹を破られたこともある。生かさず殺さず、限界を超え続ける日々。武術と言う世界において、時として努力が天稟を凌駕することがある。なぜならば、武術とは凡人が天才に挑むべく編み出したものであるが故に。

 百の努力、千の努力では天才に届かないかもしれない。だが、万の努力、億の努力を積めばどうか。天才が積む以上の努力を、苛烈極まる精神力によって積み続けたのならば。天才を凌駕するべく、天才を屠るべく、凡人が弛まぬ研鑽を積み続ければ。

 聚楽の言葉が愛凛澄の脳裏に自然と蘇ってくる。

 愛凛澄が幼かった頃、修行を始めたばかりの頃だ。凄惨を極めたと言ってよいほどに過酷な修行の日々に決して折れずにいた愛凛澄を聚楽が評した言葉だ。


 ――愛凛澄、率直に言えばそなたに才能はさほどない。

 ――私は無論のこと、今までに教えを授けて来た弟子の誰にも劣るであろう。

 ――だが、そなたにはひとつのことを極めんとする情熱がある。

 ――そして、才能の無さはそなたの力となるであろう。

 ――武とは弱者が強者に打ち勝つために練り上げた術。

 ――己の弱さを認め、それを乗り越えんとする者のための力。

 ――天稟を持たぬこと、己の弱さを卑下することはない。

 ――そなたにはそれを力に出来るだけの強さが備わっている。

 ――そして、己が世界、外なる世界。それを合一することこそが内勁の極致。

 ――奥深さに果てはなく、人の矮小さ、脆弱さなぞ飲み込む。

 ――迷ったならば、調息し、氣を練り、己を細くせよ。

 ――おのずと答えは見えよう。

 ――見えなければ剣を振れ。

 ――剣を振っていればなんとかなる。

 ――少なくとも、何もせぬよりずっとよい。


 くす、と愛凛澄が笑う。聚楽はことあるごとに剣を振っていればなんとかなると口にする。本当にことあるごとに言うので、どう考えてもどうにもならない事態にも言い出したりするのだが、それはある意味での真理だった。

 なにもせずに嘆くよりも、研鑽に努めることの方がずっとよい。己の弱さを認め、邁進し続けることで道は開ける。言葉が足りずにいるが、そう言うことなのだ。

 聚楽の薫陶を受けた身で、無様は許されない。


 調息、練氣、練勁。

 息を調え、氣を練り、勁を練る。

 身体の重さが消え、手にする刀の重さまでもが消えて行く。

 空に舞い上がれそうなほどに体が軽い。

 ひょうひょうと吹き付けてくる風が、どこか遠い。

 膝立ちの姿勢から、愛凛澄がすっと立ち上がった。


 時速二百キロを超えようかと言うほどの速度で疾走するバイクの上で、それは限りない自殺行為だった。

 だが、愛凛澄の体は揺るぎもしない。入神の域に至った身体制御、そして吹き付ける風すらも読むほどに鋭敏となった皮膚感覚がそれを可能とした。

 りんっ、と鈴の鳴るような音が響く。

 火花を散らすこともなく、放たれた銃弾が僅かに軌道を変えて飛翔していく。

 残像すらも許さない神速の斬撃。

 放たれる銃弾。

 舞う剣戟。

 火花すらも残さぬ神技。

 兵士たちに動揺が奔る。

 銃弾を剣で弾くほどの腕前とは聞いていた。

 だが、銃弾を火花すら残さずに捌くなど、ありえない。

 そも、発射の瞬間をどう読んでいるというのか。

 一発八百ドルもするSO弾ではないと言え、高速の小銃弾は音速の三倍もの速度で飛翔する。

 それを打たれる前に察知し、ただの刀で捌くなど、ありえない。

 しかし、そのような神技がそう長く続くわけもなく。

 都合二十七発の弾丸を捌き切った時、愛凛澄は自身の軽身功に揺らぎを感じた。

 身の丈を遥かに超えた絶技の制御なぞ、そう長く続けられるわけもない。

 風に煽られ、微かに重心が崩れたことを感じた愛凛澄は即座に膝を落とし、膝立ちの姿勢を取った。直後、軽身功が破綻し、全ての重さが戻って来た。


「はっ、はぁ、はぁ……くっ……」


 汗が噴き出してくる。あまりにも冴えた軽身功をもう一度行使できるか? 否、不可能。先ほどのは奇跡に近い。

 兵士たちが動揺し、射撃の頻度が落ちたことで辛うじて命脈を繋ぐが、限界は近かった。

 過ぎ去っていく看板を眼にし、目的である加平まではまだ僅かに距離があることを愛凛澄は知る。それまで凌ぎ切れるか?


「レンさん」


「今度はなに!?」


「銃弾を喰らったことは?」


「あるわけないよ!」


「そうですよね。銃弾を受けても急所でない限りは熱く感じ、痛みがすぐに襲って来ますが、吹き飛ばされたりバランスを崩すほどの衝撃はありません」


「なにそのレクチャー!?」


「高速の小銃弾は手足が千切れ飛ぶほどの威力を発揮することもありますが、おそらくレンさんの肉体強度であれば穴が空くだけです。気合で耐えてください」


「そんなぁ!」


 被弾を覚悟してのレクチャーにレンが思わず泣きそうな声で叫ぶ。

 だが、愛凛澄の受け太刀も限界が近い。既に愛凛澄の手にする刀は一部に抉れた傷、罅が入っていた。あと何発捌けるか分からない。先ほどの神技級の軽身功が可能であれば、千発だろうが捌き切る自信があったが、それは不可能だ。

 また飛来して来た弾丸を弾く、手にする刀に異様な震動が奔る。おそらく、あと数発で折れる。愛凛澄が覚悟を決め始めた時、遠方に光を見た。


「あれは……」


 時速二百キロ近い疾走を続けるバイクとトラック群に猛追をかける存在。

 ひとつのランプが灯す輝きは、それがバイクであることを物語っている。

 何より、今までの無茶な走行を続けられてきたことは、首都高速に何かしらの手段で人払いが仕掛けられていることを意味する。それを踏み越えて来られるのは、異能者の側にいる存在だけである。


「赤木さん!」


 原型が分からないほどの異様な改造が施された大型二輪車を駆るのは黒髪の秀麗な顔立ちの青年だった。その青年が右手を持ち上げると、その手には大型の回転式拳銃が握られていた。

 兵士たちの自動小銃とは異なる発砲音が響き、直後、トラックのタイヤが弾けた。高速走行を可能とするためか、パンクしても走行し続けられるような備えはされていなかったらしく、トラックが急激に速度を落としていく。

 平然と追いついて来た赤木の姿に兵士たちが驚くが、銃弾を捌き続ける愛凛澄はいったん置いて置き、追跡者を始末するために銃を向ける。

 複数のマズルフラッシュが煌めき、赤木が銃を収め、腰に備え付けられた剣を抜き打ちで振るう。自身の顔に直撃するコースの弾丸のみを強引に弾き飛ばし、それ以外は受け止める。小銃弾を受けて貫通しない異常なほどの頑健さを持つ衣服を頼みにしての行動だった。

 そしてさらに加速すると、赤木がトラックに速度を合わせ、荷台を掴んだ。そして、引っ繰り返した。

 人間がトラックを引っ繰り返すと言う異常な光景にレンが目を剥く。


「前を見てください!」


 直後に愛凛澄に頭を叩かれてカーブを曲がっていく。

 赤木も同様にコーナーを抉るように曲がっていくと、懐から銀の筒を取り出した。

 そしてその筒が独りでに開くと、そこから光が飛び出し、赤木の真横に可愛らしい顔立ちの少女が現れた。その異常事態にまたもレンが目を剥き、また愛凛澄に頭を叩かれる。


「はっ! 俺様の足が必要ってか! 任せとけってんだよヒナタぁ!」


 吹き付ける風の音の中で、異様なほどによく通る声だった。

 可愛らしい声にはあまりにそぐわない乱暴な口調。そして、赤木の横に現れた少女が路面へと足をつけると疾走した。

 少女が凄まじい速度で疾駆する。赤木を見る見るうちに引き離し、トラックに追いつくと乗っている兵士に飛び蹴りを放った。トラックから叩き落とされて兵士が後ろへと遠ざかっていく。少女が次々と銃弾で撃たれるが、まるで意に介した様子もなく次々と兵士をトラックから蹴り落としていく。


「いっちょ上がり!」


 少女が言う間に赤木はもう一方のトラックを銃撃でパンクさせて落伍させる。

 都合四台のトラックを瞬く間に無力化すると、赤木がバイクを駆ってレンに並走する。


「次で降りろ! 下道を行くぞ!」


「しかし、一般市民を巻き込むわけには!」


「この先にも張ってる奴らが居る! おそらくおまえの電話を傍受したんだ!」


「なんですって!?」


「おまえの電話を傍受して即座に行動ってあたり、相当な練度の連中だ! まともにやりあってられん! 正規軍並み、それも特殊部隊の連中だぞ!」


「しかし、下道で大丈夫なんですか!」


「迫水に応援を頼んである! もうとっくの昔に下道に展開済みだ! 鬼八流の免許皆伝がごろごろいるんだぞ!」


「それなら……レンさん! 次で高速を降りてください!」


「分かったぁ!」


 速度を緩めぬままに疾走し、レンは言われた通りに次の降り口を目指す。

 夜の首都高でのカーチェイスは終わりを迎えようとしていた。

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