バカ野郎、セクハラの限りを尽くされる

 首都高を降り、下道を走っていくと、妙に人通りが多いとレンが眉根を寄せる。

 それも、なぜだか子供が多い。

 高く見積もっても高校生、下手をすると小学生のような子供がゴロゴロいる。

 不審に思っていると、並走している赤木が何かに気付いたように教えて来た。


「迫水家の人間は総じて若く見えるんだ。五十過ぎでも十代に見える。さすがに六十過ぎると歳食って見えるが、八十過ぎでも精々三十代だ」


「え、じゃあ……全員迫水の人なんですか!?」


「そうだ。迫水家は土蜘蛛六家で一番人数が多い。分家筋も全部含めれば、三万人近くいる」


 ひとつの家系の人数とは思えない数だ。その全てが居るわけではないのだろうが、それほどの人数ならば数百人単位で応援を頼めることに不自然はない。

 しかし、迫水はたしか鬼の迫水と言われていたはずだ。どう見ても全員普通の人間だ。いや、異様に若く見えるのはともかくとしてだ。


「東京にいる六百人近い迫水家の人員が広範に散らばって展開している。全員が鬼八流で言う達者。他流派で言う免許皆伝だ。つまり、超一流のゲリラだ。特殊部隊だろうが楽勝だ」


「すごいですね……いや、なんかこう……すごいですね」


 それしか言えなかった。


「鬼八流の使い手は卑劣極まるのが特徴だからな。人の嫌がることをやらせれば超一流。合戦流派だから現代戦もこなせる。合わさればゲリラコマンド向きってわけだ」


「……すごいですね」


「ああ。真似したくないが、すごいんだ」


 赤木がああなりたくないとハッキリ言いつつもすごいことは認めた。

 それからはなんとなく無言になって赤木の先導に従って下道を往く。

 先ほどまでのカーチェイスのせいで、下道を法定速度で走るのが妙にもどかしい。

 うっかりスピードを出し過ぎそうになるのを堪えて走るうちに、戸建ての立派な家に辿り着いた。家には明かりがついているのが見える。


「ここだ。車庫はこっち」


「あ、はい」


 促されるままに車庫にバイクを止めると、天堂地獄が分離して少女の姿になった。


「あれ、天堂地獄。いたのか」


「居たぞ」


 赤木が天堂地獄の姿を認めて少しばかり驚いたような仕草を見せるが、知己のような素振りにレンが訝る。


「ああ。天堂地獄とは昔の事件で知り合いなんだ。こいつ、結構昔から日本中放浪してるぞ」


「うむ。吾が博物館から逃げたのは十五年前だからな!」


 はっはっは、と天堂地獄が胸を張る。そんなに長い間を放浪していたのなら現代社会になじんでいるのも納得できると言う物だ。


「さ、ともかく上がってくれ。嫁が晩飯を用意してくれてる」


「え、あ、はい」


 もう食べて来た、とは言い難かったのか愛凛澄が頷く。レンは普通に食べる気満々だった。

 赤木に誘われて家の中へと入っていくと、広々とした屋内が出迎える。赤坂にこんなに大きい家を建てるなんてお金持ちなんだなー、とレンが素直に関心する。下手をしなくても億単位の額だろう。土地代だけでも相当だ。

 そしてリビングに入ると、茶髪の少女がヒマそうにテレビを見ていた。入って来た赤木に気付くと、こちらへと顔を向ける。


「お、帰って来たな。そして久し振りだな、愛凛澄くん」


「お久しぶりです、鮮香さん。レンさん、こちらは迫水鮮香さん。赤木さんの奥様です」


「奥様!? えっ、いやっ、えっ?」


 どう見ても中学生くらいの少女を奥さんと紹介されレンが戸惑う。


「犯罪じゃないからな。鮮香は俺より一回り年上だぞ」


「一回り……? え、じゃあ、鮮香さんって三十歳くらい……」


「それは俺だ」


「はい……?」


 どう見ても高校生くらいの赤木。どう見ても中学生くらいの鮮香。

 赤木が三十と言うことは、一回り年上の鮮香は少なくとも四十二歳と言うことになる。三十と言うのが三十歳ちょうどではなく、三十代と言う意味ならもっと上だ。

 レンの頭がこんがらがっていく。


「え? え? 赤木さんが三十ぐらいで、鮮香さんが一回り上で……え?」


「そんなに混乱しなくても……迫水の人間が若く見えるって言ったばかりだろう。どう見ても中学生くらいだが、大学も出てる正真正銘の成人だぞ」


「……迫水家っていろいろすごんですね……」


「ああ、色々とすごいんだ」


 赤木はそれで片づけた。

 迫水家の人間はそれで片付くが、十代に見える三十代の赤木の謎は残ったままだった。まぁ、特に理由らしい理由もないのだが。


「それで、そっちの子がレンくんか。ほほう、元は男の子だと言う話だが、どう見ても女の子だな」


 言いながら鮮香がレンの胸を鷲掴みにした。


「ひゃう!?」


「鮮香さん!」


「減るもんじゃあるまい? ほほう、細身だが胸自体は結構大きいな。Cカップと言ったところか。シリコンでもパックでもない、本物としか思えんな。脂肪注射でもここまで完璧にとは……しかし、元が男の癖にブラをしているのだな。手触りが硬い」


「鮮香さんっ! それは私のです!」


 愛凛澄が鮮香の腕を掴んで止める。一応言っておくと、レンの胸はレンのものであって愛凛澄のものではない。作ったやつと言う意味で言えば天堂地獄のものになるだろうし。


「まぁまぁ、ちょっとくらいはいいだろう。ほほう、腰もしっかりくびれている……」


「ひゃんっ!」


「ですからそれは私のだ!」


「尻もまろやかだ。体は完璧に女だな」


「ひいんっ!」


「ああもう! レンさんの胸は私のものですから!」


「あうう!」


「では尻は私がもらう」


「ひゃあ!」


「だったらレンさんの口は私が!」


「んみぃ!?」


「じゃあ、下の口は私が」


「そ、そんなとこ触らな……ひんっ!」


「それはゆずれない!」


「あうあうあう!」


「じゃあ後ろだな」


「ひぃっ!」


 レンの体が好き勝手に取引される中、赤木は呆れたように三人を見ていた。


「レンちゃんだったか。鮮香はバイだから気をつけてな」


「最初に言っておいてぇ!」


「すまん。俺が悪かった。ほら、二人とも、レンちゃんで遊んでないで晩飯にするぞ。もう九時だぞ。さすがに腹が減った」


「ああ、そうだったな、すまんすまん。レンくんの体のオークションは後でやろう」


「レンさんの体は全部私のものです!」


「俺の体は俺のだよ!」


 愛凛澄の無茶苦茶な言葉にレンが思わず抗議するが、聞き届けてもらえることはなかった。

 鮮香は台所に引っ込むと、鍋を運んできた。スパイシーな香りが漂う。カレーだ。


「辛口だが、二人は平気かね?」


「私は大丈夫です。それからレンさんの体は私のものです」


「俺も大丈夫です。あと俺の体は俺のだから」


「ほう……そんなに気に入ったのか。戻さなくともよいな?」


「そう言うことじゃないから!」


 今まで黙っていた天堂地獄がここぞとばかりに突っ込んできた。

 さっきからおもちゃにされっぱなしのレンである。

 からからと鮮香が笑い、赤木は苦笑している。


「なぁに、私は夫の日向くん以外の男に興味はない。安心したまえよ」


「そ、そうですか……日向くん?」


「俺の本名。迫水日向。赤木ヒナタはエージェントとしての偽名」


「あ、そうなんですか」


 エージェントって偽名ありなんだ、などとレンが関心している間に鮮香がカレーをよそっていく。スパイシーな香りにレンのお腹がくぅくぅ鳴った。メガ盛り三品も食べたのに。しかし、カレーの食欲を誘う魔性の香りはそんな道理を踏み越える。愛凛澄がキツそうな顔をしているのでレン限定の話だろうが。


「おや、愛凛澄くんは胃の具合でも悪いのかね?」


「いえ……先ほどまで激しく動いていたので」


「ああ。運動をすると血糖値があがるからな。食べているうちに気にならなくなる」


「そうですね……」


 実際は大盛りラーメンにチャーハンをどっさり平らげて来たせいなのだが、せっかく用意してくれたものを断るのも申し訳ないと愛凛澄は無理をする。

 レンは欠片も無理せず、遠慮なく大盛りで頼んでいた。


「いただきまーす!」


 レンが猛然とカレーライスに挑みかかる。

 その食べっぷりに作った鮮香も思わず笑顔になる。おいしそうに食べてくれるというのは嬉しいものなのだ。


「おいひいです! お料理上手なんですね!」


「ふふん、迫水家の女はみな料理上手だ。なぜなら人数が人数だからだ」


「本家だけで百人はいるからな……朝飯とか戦争だぞあれ」


「一度お邪魔したことがありますが、あれはたしかに……すごいですよね」


「十升炊きの電気釜だけでも五台あるからな。人数もそうだが、全員が鬼八流の剣士だ。食べるのは当然だな」


 迫水家の凄まじい大家族っぷりを話題にしつつ、夕食は恙なく進んでいく。

 愛凛澄がなんとかカレーを平らげ、レンは大盛りカレーを平らげた上でお代わりまでした。

 十二ラウンドのボクサー並みにグロッキーな愛凛澄に赤木と鮮香は不思議そうにしていたが、レンの食べっぷりでさほど気にならなかったようだ。


「あー、おいしかった。ごちそうさまでした!」


「うむ、お粗末様。たくさん食べてくれると嬉しいぞ。愛凛澄くんは胃薬いるかね?」


「いえ、大丈夫です……」


 テーブルに突っ伏している愛凛澄を鮮香が気遣っている間に赤木は食器を片付けていた。片付けは赤木の担当なのかもしれない。レンも手伝った。


「食器は洗いますか?」


「食洗器だから大丈夫だ」


「あ、そうですか」


「ああ、ありがとな」


 ぽんぽんと赤木がレンの肩を叩く。見た目は若いが、なんとなく父親っぽいというか。それなりに歳は重ねているのだな、と言う雰囲気と仕草だった。


「おや、浮気かね。私も混ぜたまえ」


「浮気じゃないし、混ざったら浮気とは言わん」


「そう言う説もある。レンくんは妻妾同衾と言う言葉を知っているかね?」


「知らないですけど……なんですかそれ?」


「妻妾同衾と言うのは……」


「純朴な少女に穢れた概念を教えるな」


 赤木が鮮香に抑止力チョップ。痛いなどと言って鮮香が笑う。


「しかし、こういう純朴な少女だからこそ色々と教えたくなるではないか」


「あほ言うな。レンちゃん、愛凛澄ちゃん、風呂入っといで。こいつは俺が食い止める。なに、俺は不可能を可能にした男だぜ、死にはしないさ」


「私がまるで美しく妖艶な女幹部のような扱いなのだが?」


「誰も美しく妖艶なんて言ってないんだが?」


 漫才染みたやり取りをする二人にレンが笑いつつも、好意に甘えて風呂を借りることに。

 この時、レンは赤木がレンと愛凛澄二人に言ったことに対してさほど気に留めていなかった。

 実際、赤木もレンと愛凛澄に風呂を使うように勧めただけで、深い意味はなかった。

 愛凛澄がその言葉を都合よく解釈し、レンと一緒に入浴しようとしたのは純然たる愛凛澄の欲望が原因だった。やはり、捗る。


 




「あ、あう……あうあう……」


 レンの視界にはクリーム色の滑らかな壁が映っている。

 浴室の壁である。特にこれと言って珍しい材質ではない。別に珍しい材質であっても真剣に見つめたりしないが。単に、ここ以外を見るわけにはいかないという決意があってのことだ。


「おいおい、レンくん。女同士だぞ。何を気にすることがあるね?」


「気にしますよぉ!」


 背後からかかるのは鮮香の声。結局、赤木は鮮香を止められなかった。赤木は成人男性であって、女性が三人もいる風呂場に乱入出来はしない。それが妻である鮮香だけならばさほど気にすることも無かったのだろうが、愛凛澄とレンが居ては無理である。脱衣場まで強行突破されては赤木に出来ることはなにもなく、鮮香は堂々と浴室に入って来てしまったのである。


「やはり、若い少女の瑞々しい体と言うのは、滾るな!」


 エロオヤジのようなことを言う四十代女性。見た目は十代であるものとする。

 その毒牙にかかるのは十代女性。元は男性であるものとする。

 もうなにもかもがめちゃくちゃな状況である。レンの思考回路はショート寸前である。

 その間に座する十代女性、心も十代女性の愛凛澄に良心回路はない。


「レンさんの体は私のものだ。私のものだ!」


 鮮香にさせてなるものかと立ち塞がる愛凛澄が頼もしいが、言っている内容は敵が二人になっているだけではないだろうかとレンが思う。とは言え三つ巴の戦いは救いである。呉越同舟よろしく愛凛澄と鮮香が共闘して襲い掛かっていたらレンは女性暦三日未満にして大人の階段を上る羽目になっていただろう。無理やり大人になる日など来てほしくはない。

 というか、どうして自分はこんなにモテているのか。それが分からない。男だった時にこの状況が来てほしかった。今そうなっても貞操の危機を感じるだけで嬉しくもなんともない。


「お堅いなぁ」


「鮮香さんは赤木さんと好きなだけ乳繰り合っていてください」


「言ったろう? 日向くん以外の男に興味はない。つまり、女になら興味があっても問題ないということだ!」


「どういう理屈ですか」


 鮮香の無茶な理屈にどこか聞き覚えのあったレンが首を傾げる。

 愛凛澄が初対面の時に言った、好きな男がいるのでそれ以外の男に興味はない、と言う理屈に似ているということにレンは気付かなかった。つまり女に興味ありありだとしても、言い分に破綻はない。なお、この二つの理屈から分かるのは、愛凛澄と鮮香が内面的には割と似ているということである。


「まぁまぁ、いいではないか。レンくん、背中流してもらえるかね?」


「ダメです! じょ、女性の肌に触るなんて! そ、そ、それも、旦那さんがいる方に!」


「女同士だ、女同士。気にすることはない」


「そうだとしても俺は元は男なんです! 俺が気にするんです!」


「今は女だぞ」


「鮮香さん、私が背中を流してあげますから」


「その握力すごそうな手の力を抜いてから言いたまえ。それに愛凛澄くん、よく考えてみたまえよ。私の背中を流せるなら、君の背中も流せるのだということを」


「……なるほど」


 残念、ここに呉越同舟が決定されてしまった。


「さぁさぁ、レンくん。背中を流してくれたまえよ。なーに、愛凛澄くんと違って私は四十過ぎのおばさんだぞ? 子供だって三人いる。そんなのに懸想する方がおかしいのだよ」


「い、いや、そう言う問題じゃ……」


「じゃあ、愛凛澄くんの背中流すかね?」


「そ、それはもっと無理です!」


「では私の背中を流すしかないではないか! ほらほら!」


 そもそも背中を流さないという選択肢はないのか。

 しかし、哀しいかな。レンはそもそも体育会系の人間。道場の合宿があれば、兄弟子たちの背中を率先して流していた側。目上の人間がいれば背中を流すのは当然のこと。

 それ故にレンは見事に騙された。純然たる年長者である鮮香か、居候先である愛凛澄。どちらかの背中を流すしかない。そう言う結論が出てしまった。

 夫がいる身で、本人の言が正しければ三児の母である鮮香。現役女子高生である愛凛澄。どちらがマシかと言えば、まだしも鮮香の方がマシであるという結論が出た。人によって意見は分かれそうであるが、少なくともレンはそのように考えた。


「う、うう、わ、分かりました……お背中を流させていただきます……」


「よしよし、頼むぞ」


 そうして浴室用の椅子に腰かける鮮香。当然ながらタオルなんか巻いてはいない。四十代とは言うが、見た目は十代半ばと言った風情の女性だ。レンはめまいがしそうだった。

 浴槽から出る時に愛凛澄の素肌が見えてしまったが、努めて忘れつつレンは鮮香の後ろにつく。本当に四十代とは信じられない。迫水家の人間はみんなこんな外見なのだろうか。


「じゃ、じゃあ……えと、スポンジとかは……」


「君のその可愛らしい手で頼む」


「えっ、いやっ、直接は!」


「そうか。では、このネットで」


 手渡されたネットを石鹸で泡立たせ、レンは鮮香の背中を優しく擦る。鮮香の身長は、百五十センチもないのではないだろうか。非常に小柄だ。


「あ、あう、あう……う、う……」


 レンは頑張った。鮮香の肌の感覚を気にしないように頑張った。

 とにかくもう無心で背中を流したのだ。


「前は洗ってくれないのかね?」


「む、無理です! 無理です! それ以上を求めるなら俺は腹を切ります!」


「人のうちで切腹しないでくれ」


「だ、だから、無理です! 無理! お、俺は! 俺は! 俺はぁ!」


「いっぱいいっぱいみたいだから勘弁してやるか」


 妥協してやる、みたいな雰囲気を出しながら鮮香が言う。


「じゃあ、レンさん。私の背中も流してもらえませんか」


「む、むむ、無理ィ! な、なに言ってるの愛凛澄さん!」


 突然の要求にレンがたまげる。

 むしろ愛凛澄としては規定事項だったので説得は考えてある。


「鮮香さんの背中は流していたであはりませんか。私は無理ですか?」


「だ、だって、だって! 未婚の女性に! そ、それも、十代の女の子に! む、無理! 無理だよ! お、俺、俺、お風呂から上がったら切腹しなきゃいけなくなる!」


「いや、江戸時代じゃないんですから。それにレンさんだって十代の女性ですよ? 以前はどうだったのか知りませんが、今はそうなんです。女の子どうしでは普通です! 普通! 普通なんですよ? これくらいできなくてはいけません」


「そ、そうなのぉ!?」


「よく考えてみてください、レンさん。レンさんは柔道をしていたそうですね。合宿などもしていたのではありませんか? その時、兄弟子や師範の背中を流してはいませんでしたか?」


「た、確かに流してたけど……」


「男の時は同年代の男性の背中を流していたということでしょう。それは女でも変わらないはずですよ。それがなぜ今できないのですか?」


「そう、言われると……お、俺が変なのかなぁ……?」


「はい。変です」


 キッパリと愛凛澄が言い切る。実際は変でもなんでもないのだが、自信満々に断言されると、いくら嘘くさくても信憑性と言うものが生まれてしまうものだ。

 頭ぐるぐるのレンちゃんはいっぱいいっぱいだ。勢いで押し切られては弱い。

 結局、愛凛澄の背中も流すことになってしまった。

 最初の愛凛澄か鮮香かという選択肢はなんだったのか。


「では、おねがいしますね」


「は、はい、わかりましたぁ……」


 愛凛澄の滑らかな背中にレンはめまいを感じる。

 自分はいったいなにをしているのかという疑問がわき上がってくる。

 というか、鮮香とさほど肌質が変わらないように思える。愛凛澄の肌年齢が四十代相当であると考えるよりも、鮮香の肌年齢が不自然に若いと考える方が自然に思われる。不自然なのに自然とは変な話であるが。


「あうぅ……お、俺は……おれは……」


 無心で背中を洗うことにレンは専念する。不埒な欲望を抱くのは許されないと自分を律してだ。デリケートな場所とか見てはいけないし、触ってもならない。素肌に自分の手で触ったりなんかしたら切腹しなくてはいけないと自分を追いつめる。

 聚楽が言っていた、愛凛澄が不埒な真似をしたら切腹する、と言うのとほぼ同じことを考えていたりするのだが、レンはそこには気付かない。

 そしてこの状況を聚楽に報告したら愛凛澄は切腹させられるだろう。おそらくそれも承知の上だが。自分の命を賭け金にしてまで背中を流してもらいたいとは、ほとほとまともではない。


「お、終わったよ」


「前は……」


「無理ィ!」


「ですよね」


 愛凛澄が自分で背中を洗い流す。そして、くるりと振り返る。咄嗟にレンが自分の眼を手で覆う。見てはいけない場所が見えるところだった。


「では、せっかく背中を流してもらいましたし、レンさんの背中は私が」


「えっ」


「おいおい、待ってくれたまえよ。そこは私にも手伝わせてくれたまえ」


「ええっ!?」


「しかたないですね。では、レンさん、座ってください」


「えええええええ!? じ、自分で洗うよ!」


「背中を流してくれたお礼ですよ。遠慮なさらず。ほらほら、座って座って」


「うむうむ。自分では手が届かない場所も、誰かがいればやってもらえる。こういう助け合いが大事なのだ。人は手を取り合えるのだ」


 レンは無理やり座らされ、二人がかりで背中を流されることになる。

 レンはぎゅっと目を瞑ってされるがままだ。


「おっと、いかんな。体を洗う道具がひとつしかない。片方は素手だな!」


「それはいけませんね。不公平です。ここはひとつ、どちらも素手と言うのは?」


「それだ。愛凛澄くんは天才だな」


「それほどでも」


 しかも素手だ。愛凛澄のほっそりとした手が背中を撫ぜ、鮮香の小さな手が背を擦っていく感触が如実に感じ取れてしまう。レンの思考回路はショート寸前だ。

 この時間が速く過ぎて欲しいと必死でレンは願う。男だった時なら最高にうれしい時間だったろうが、今はただただ身の危険を感じる。男に迫られると言うならまだしも分からなくはないが、どうして女になった身で女に迫られているのだろうか。


「うーむ……しかし、これは……まるで赤ちゃんの肌のようだな」


「ええ。こんなに綺麗な肌の持ち主は早々居ませんね」


「天堂地獄を使うと美容効果があるのだろうか……私にも使えんかな」


「お肌のために聖遺物を使わないでください」


「まぁ、実際は日向くんの生命を吸って若さを保っているから問題ないんだが。肉体年齢は十代だぞ、十代。凄かろう?」


「今さらりと邪法の使用が示唆されましたね」


「単なる房中術だ。本来の房中術と言うのはお互いの精気を交換し合って健康を保つ術だ」


「と言うことは、赤木さんがお若く見えるのは……」


「いや、私が一方的に吸ってるのでそれは関係ないな。彼の生命力は強大過ぎるからな……私が返しても誤差なんだ」


「やっぱり邪法ですね……」


「いいんだよ。日向くんは妻がいつまでも若く美しくてうれしい。私は若さを保ててうれしい。こういうのをwin-winの関係と言うんだ」


「そうですか……」


「君もパートナーが出来たら房中術を覚えるといい。いいことづくめだぞ」


「いえ、既に覚えてます」


「なんと。聚楽氏と実演でもしたのかね」


「いえ、内勁を習得する類の武術では基本技法の一種ですよ。あれは要するに内養功の一種ですから。他者に対して内養功を用いる技法ですから、ある種の治療ですし」


「なるほど。彼は世界屈指の気功療養師でもあるからな……」


 そんな雑談をしながらもレンの背中は卑猥な手付きで洗われて行く。

 レン当人は気付いていないが、愛凛澄と鮮香は明らかにレンの肌を味わうようにしている。

 必死で眼を閉じている姿が可愛らしいというのもある。


「どれどれ、前も洗ってやろう」


「おっと、私も」


「ひゃうっ!?」


「ほう、これは! 実に張りがあっていい胸だ!」


「手にすっぽりと収まり、なおかつ揉める程度の大きさ……」


「うーん、絶品絶品」


「なんで俺の胸を揉むんですかぁ!」


「穴があったら突っ込む、胸があったら揉む、尻があったら撫でる。当然の心理だ」


「それは男のそれのような……」


「なぁに、どちらでも構わん。こんなにおいしいおっぱいを放置するのは冒涜だ」


「なるほど、それはたしかに」


「まぁ、あんまりいぢめると可哀想なのでこれくらいにしておいてやろう」


「そうですね」


 それからは本当に何もされなかった。普通に体を洗い、髪の毛を洗ってもらってだ。

 長い髪の毛を自分で洗うと言うのは中々に大変なので、洗ってもらえるのは助かる。

 こんなことを世の女性は毎日自分でやっていると思うと感心し通しだった。

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