バカ野郎、セーラー服狂いと逃げる

 風呂から上がると服が用意されていた。

 レンは鮮香のもの、愛凛澄は日向のものだそうだ。鮮香の服は愛凛澄には小さすぎる。レンにしても少しばかり小さい。着れなくはない程度だが。


「下着はどちらも無理そうだな。私なんかジュニアブラが普通に入るからな。カップが小さすぎるが」


「ちなみに、バスト幾つなんです?」


「D五十五だ」


「どう考えても特注品ですね……Dで五十五って」


「迫水がひいきにしてる仕立屋で買ってるよ。あそこくらいしかアンダー五十五を普通においてる店はないからな。私が見栄で購入したD六十のブラもあるが」


「レンさんがC六十だから小さめのDなら合うかもしれませんね。カップは小さめですか?」


「メーカーごとに同じDでもばらつきがあるが……どこのだったかな? あと、スケベなデザインのなやつだが大丈夫かな? 色は白なんだが」


「大丈夫じゃないと思います」


「ま、レンくんは私のカップ付きキャミが入るさ。愛凛澄くんは乳首を浮かせていたまえ」


「どういう言い方ですか。まぁ、ノーブラなのは仕方ないですね。いつもはナイトブラを使っているのですが」


「賢い選択だ。やはり就寝中が一番バストが崩れる原因になるからな」


「そうですね。まぁ、クーパー靭帯の伸びなんか内養功で治りますけど」


「マジか。今度気功治療師に頼んでみるか……」


「お礼に私がやってもいいですよ。内養功は得意ですし」


「うむ、頼む」


 そんな会話をしつつ着替えを済ませ、脱衣所を出る。

 リビングでは赤木がソファーに寝転がりながらスマホを弄っていた。


「上がったか」


「うむ、いい湯だった。あと、楽しかった!」


「そうか。レンちゃん、うちの嫁がすまん……」


「分かってたら止めてくださいよぉ! お、おれ、俺!」


「レンくん、こういう時はお嫁にいけないと言うんだ」


「おれ、もうお嫁にいけません!」


「……嫁に行くつもりがあったのか?」


「……なかったです」


 よく考えなくともそうである。なんてことを言わせるのか。


「さぁさぁ、風呂から上がったらあとは寝るだけだ。女同士で寝ようではないか!」


「嫌な予感しかしない……!」


 なんかもうすごいことされそうである。朝起きたら何も着てなかったとかありそうだ。


「あ、あ、あの、お、おれ、赤木さんといっしょに……」


「妻の目の前で夫を寝取ろうとはすごい度胸だな」


「そういうことじゃないです!」


「しかし、日向くんと一緒に寝て、日向くんが寝ぼけて君を襲ったらどうするね? 百パーセント勝てんぞ? 私の子供たちに弟妹を作ってくれると言うなら止めはせんが。君の子供ならさぞかし可愛いだろう。私は可愛い同居人が二人以上増える。最高だな」


「浮気を推奨しないでくれ」


「妻の合意ありだから浮気じゃない」


「そういうことじゃなくてな」


「お、俺どうしたら!?」


「普通に客間があるから……」


「そ、それです! 俺、そこ使わせてもらいます!」


「愛凛澄ちゃんもそうしな。こいつといっしょに寝た場合、明日まで清い体で居られる保証ができないから」


「そうさせていただきます」


 赤木からしても鮮香は信頼に値しないらしい。

 鮮香がそれはどういう意味だと赤木に詰め寄っているが、ハイハイ可愛い可愛いと雑に対応されている。

 客間の場所を教えてもらい、向かう。愛凛澄も普通についてくる。そこで嫌な予感がしてレンは尋ねる。


「あの……まさか、一緒に寝るの……?」


「ええ。私もさすがにまだ清い体でいたいので」


「そ、そうだよね……」


 まさか愛凛澄と同衾することになるとは露とも考えていなかったレンが硬直する。

 客間はふたつないのだろうか。まぁ、普通はないだろう。ひとつもないというのも珍しくないのだから、客間があるだけ上等と言える。

 入ってみると、ダブルサイズのベッドに書き物机。そして小さいテレビが一台置いてあった。昔使っていた品なのか、多少ながら古ぼけた雰囲気がある。

 ソファでもあれば自分がそこで寝るつもりだったのだが、そんな贅沢は出来ないようだ。


「まだ十時ですけど……色々あって疲れましたし、寝ましょう」


「そ、そう、だね……あの、俺、床で寝るね……」


「え? いえ、普通にベッドで寝ましょうよ。風邪引きますよ?」


「えと……あの……俺、床で寝るのが大好きなんだ!」


「は?」


「ゆ、床が好きで好きでしょうがないんだ! 一日三回頬ずりしてる!」


「は、はぁ……」


 レンは自分にどんな設定を付けたしたいというのだろうか。


「でも、今朝はベッドから落ちていませんでしたか?」


「え、あっ、それは! 実はベッドに寝てた拒絶反応で落ちちゃって!」


「はぁ……」


 こいつは何を言ってるんだろう、と言う眼で愛凛澄に見られていたが、レンはいっぱいいっぱいだ。


「まぁ、理由は分かりました」


「そ、そうだよね! じゃあ、俺は床で……」


「まぁ、待ってください」


「ひえっ!?」


 背後から突然抱き着かれたレンが素っ頓狂な声を上げる。そっと首筋に腕が絡められる。

 背中には愛凛澄の柔らかな二つの塊を感じる。ノーブラだ。その感触はあまりにも明快。

 背中がそれほど正確な皮膚感覚を持っていないにしても、明らかに感触が分かってしまう。


「あ、あ、愛凛澄さんっ、な、なに、なにを」


「私と一緒に寝るのが申し訳ないので無茶な言い訳をしているのは分かります」


「そ、そんなことは……」


「その辺りのことは気にしないようにしましょう」


「そう、言われても…………」


 そこでレンの意識は途絶えた。

 なんでかって、愛凛澄がレンを裸絞めで落としたからだ。ここにレンと同衾したいがために力技で気絶させる女がいる。

 しめしめとレンをベッドの中に連れ込み、愛凛澄はレンを抱き抱えて体を横たえる。

 レンの小さな体がジャストフィットして心地よい。最高だ。やはり、捗る。


「では、おやすみなさい」


 当然ながら返事はなかった。そもそも意識自体なかった。当然、合意だってない。



 翌朝、目覚めると同時に一波乱あったがレン以外の誰も気にも留めなかった。

 というか、起きた時点で赤木しかいなかった。


「おはよう。っても九時過ぎてるが」


「おはようございます。寝過ごしてしまいましたね」


「おはようございます……」


「レンちゃんすごい疲れた顔してるがどうした」


「お、起きたら愛凛澄さんと一緒に寝てて……」


「え? ああ、そうか? そうか」


 それのなにが問題なんだ? と言う顔をする赤木。赤木からすると同性で同衾してもさほどの問題はないようにしか思えない。男同士ならはた目から見ても気持ち悪いが、女同士ならさほど問題ないだろう。仲が良ければ当人同士も気にしないだろうし。


「鮮香さんは……いない……んですか?」


「安心しろ、仕事に出てったよ。あいつは闇医者やってるから」


「闇……」


「医師免許は持ってるけどな。開業届を出してないって意味で闇医者だ」


「はぁ」


「子供たちは学校」


「そう言えば……お子さんが居るって言ってましたね」


「ああ。昨日はもう寝てたけどな」


 それを思うと昨日あれだけ騒がしくしたのが申し訳なく思える。

 というか、そうだとすると、子供たちが寝ている家で鮮香はどういう神経をしてあんな真似をしていたのだろうか。


「さて、二人はこれからどうする?」


「どうする……って、えっと?」


「別にうちに永住するなら鮮香が喜ぶから構わんが、すると来月までに愛凛澄ちゃんはともかくレンちゃんの貞操は見事に散らされているだろう」


「嫌ですよ!」


「そうだろ。家に帰れん原因である聖遺物組織に対して、どう対応するかが問題だ。【見えざる熟達者】どものそれと言う話だが、ハッキリ言って一結社の行動じゃない」


「そうですね……私は多少ながら銃火器に詳しいつもりですが、見たことのない銃火器で武装していましたし、明らかに正規軍並みの練兵を受けています。国家レベルの暗躍を感じます」


「だろ? 生憎、装備は大して回収できてないから、どこの国が……ってのは分からんが。ヤツカハギが回収した兵士への尋問はまだ済んでないそうだし」


「あ、それでしたら拳銃だけですが回収しています」


 愛凛澄がエマ・キャンベルに向けて発砲したそれだ。一度捨てていたが、その後に回収している。学生鞄の中から拳銃を取り出し、それを赤木へと手渡す。


「自動拳銃か……これは。馬鹿な! コルトガバメントだと!?」


「え? 有名な銃なんですか?」


「私は知らないのですが……ガバメント……と言うと、官給品ですかね。軍用ですか?」


「これはアメリカ軍が西暦千九百十一年に採用した自動拳銃だ」


「アメリカ……?」


「アメリカって、どこの国ですか?」


 愛凛澄とレンが疑問を呈する。


 アメリカなんて国、聞いた事もない。


 お互いに世界の地理に詳しいわけではないが、愛凛澄は軍で採用されていた品だと言うのに自分が知らなかったことに疑問を抱く。


「アメリカはこの世界には存在しない。異界漂流……つまり、異世界や並行世界から渡って来た人間がたびたび証言する国だ。アメリカが成立した世界はこの世界とは歴史が違い過ぎて、歴史背景から説明しないと分かり難いんだがな……」


「と言うことは、この世界にも存在する土地に存在した国ではあるんですね。その歴史的背景が違い過ぎて説明に時間がかかるだけで」


「ああ。この世界では単に新大陸って世界的に呼ばれてるあそこだ。英国が植民地としていた地から独立戦争を起こし、アメリカ合衆国として成立した国家だ」


「はぁ……?」


「えっと、なんとなく場所は分かりました。それがどうしてこの世界に?」


「分からん。分からんが、個人で対処できるレベルの話じゃなくなって来たぞ。異世界からの侵略だぞ。一体いつからSFの世界に鞍替えしたんだ。この世界は現代伝奇だったはずだ」


「剣豪ものと言う説も」


「あ、それもあるな。いや、それはどうでもいい。重要なのは、相手が単なる一組織じゃなく、国家レベルの支援を受けている可能性のある組織だと言うことだ。分かるか?」


「ええと……なにかまずいだろうなー、と言うのは分かるのですが……具体的にどうまずいと言われると、分かりません」


「単なる組織とは実行力と言う面で次元が異なってくる。この世界に地盤を持たない組織である以上、無茶な真似は出来ないだろうが、大義名分を御旗にしてとんでもない真似をしでかさないとも限らん。向こうには戦術核兵器もあるはずだ」


「かくへーき?」


「核分裂反応を用いた兵器だ。この世界だと反応兵器と呼ばれてるが。アメリカはこれを大量保有している、はずだ。個人携行可能なレベルのものもな」


「そんな無茶な。個人携行可能なレベルの反応兵器は使用者の被ばくが避けられない非人道的兵器として開発されなかったはずでは?」


「向こうじゃ作っちまったんだよ。作ったやつはウルトラバカだがな。もう退役してるらしいが、作る技術はまだあるはずだ。そんなもんを持ち出されたら大惨事だ。それに何より、意図的にこっちに渡って来れるとしたら、もっとまずい。十六年前の異界融合事件並みの話だ」


「異界融合事件?」


「十六年前、この世界が異世界と融合しかけた事件があった。どうなるかは融合してみなきゃ分からんと言うのが本音だが、少なくとも愉快なことにはならん。と言うのも、この世界は物理法則が完全には安定していない。一見して不自然は何も無いが、簡単に物理法則は破綻する。内勁使いなんかその典型だし、気や生命力を使う連中も物理法則からは逸脱してる」


「それはまぁ、そうですけど、そう言うものでは?」


「そう言うものがありえないのが物理法則が安定した世界なんだ。仮に世界が融合した場合、世界はより安定する方を選択するはずだ。その結果、どうなると思う?」


「ええと……既存の武術流派の殆どは再編を強いられる?」


「それだけで済めばいいな。半妖とされるものはほぼ全てが死ぬし、妖怪は存在すら許されなくなる。鮮香も死ぬし、俺の子供たちも、死ぬ。いや……俺もおそらく死ぬ。俺は半妖じゃないが、人間からは半分近く逸脱した身だ」


「そんな……」


 赤木の悲痛な言葉に愛凛澄の顔が蒼白になる。


「ど、どうにかならないのですか?」


「どうにかする。俺は今から明石洋裁店に行ってくる」


「はい? 明石洋裁店って……戦闘服を取り扱ってるところですよね?」


「そうだ。あそこの店主は十六年前の異界融合事件でも異界を分離するための術を構築した魔術師だ。俺の知ってる限りの魔術師に声をかける。あとは国連に働きかける」


「できるんですか、そんなの」


「分からん……少なくとも日本は動かせる。俺がヤツカハギをやめるって言えば一発だ」


「なるほど……分かりました。私たちは何が出来るでしょうか」


「捕まらないことだ。愛凛澄ちゃんの体の中に大洋の楔石とか言うものがあるんだろ? 相手がそれが目的と言うことは、それを手に入れた時点で活動を休止してひきこもる可能性が高い。それが一番まずい。なにより、相手の目的がその聖遺物を使ってこちら側へ移住とかだったらまずいどころじゃない」


「では、どうすれば?」


「最高なのは聚楽さんに助力を頼むことだ。あの人は縮地……武術ワープが使えるから、だれにも追跡できない場所に隠れられる。だが、あの人は携帯電話を携帯しない人だから……」


「仕事が終わって戻ってくるまではコンタクトが取れないと」


「ああ。だからもうとにかく逃げまくってくれ。あのバイクで成田までいけ。で、可能ならそのままヒースローに飛べ。委任状を書いてやる。俺の特A級ライセンスを使えば全パスで国際線に乗れる。ヒースローに直接飛べないなら新千歳に飛んで政府専用機を使え」


「使えるんですか?」


「使える。空いてればだが。あれなら直行でロンドンまで飛べる。後で使用予定がないか確認してやる。ダメなら千歳基地で自衛隊の機体をパイロットごと徴発しろ。あそこにはふがくがある。直通でロンドンまでいけるはずだ。諸々の飛行許可はヤツカハギが頑張ってくれる」


「ふがくは爆撃機だから難しいのでは?」


「戒厳令を出させろ」


「特A級ライセンスってそこまで出来るんですか……?」


「できるぞ。ただ、それでも複数国の領空侵犯は難しいかもしれん。無理そうだったら新大陸に飛んで、王府国際空港で給油してからロンドンにいけ」


「分かりました。ではレンさん、運転をお願いしても?」


「うん、いいよ。とりあえず成田空港までいけばいいんだよね」


「はい。それと、赤木さん、すみませんが刀を一本譲っていただけませんか?」


「庭の倉庫にある。すぐに使える状態のやつが三本くらいはあったはずだ。たまに整備してるから問題なく使えると思う。万全を期すなら耐錆鋼刀の方がいいかもな」


「材質は?」


「CV一三四」


「よく作れましたね。あれはナイフならともかく作刀には向かなかったような」


「あれは最終工程の刃付けにやり直しが殆ど効かないだけだ。歩留まりは悪いが作れる」


「そうなんですか。では、私は刀の方を調整しますので」


「レンちゃんは……鮮香の戦闘服を着てけ。殆ど使ってないから気にしなくていい」


「そんなのあるんですか?」


「ある。サイズはギリギリ合うだろう。今持って来てやる」


 赤木が戦闘服を取りに行き、すぐに戻ってくる。

 手にしているのはクリーニングしてから着てないんだろうな……と言う風情の一そろいの服だ。戦闘服と言っても軍隊のそれと言った雰囲気はなく、シックな黒と紫を基調とした町中でも着れそうなデザインの服だ。強いて言うならミニスカなので四十代には別の意味でとてもキツそうな服装だということくらいだろう。


「鮮香さんこれ使ってたんですか……?」


「十代の頃に作ってからデザイン変えてないらしい。最後に使ったの十五年くらい前だし」


「なるほど……」


 十五年前に幾つだったかは不明だが、まぁ、二十代なら……。

 なかなか失礼なことを考えつつもその服を受け取る。

 鮮香の身長は百五十センチに少し足らない程度のようだが、レンの身長は百五十センチを少し超えた程度。体格は鮮香の方が多少細いようだが、元々フィットしたサイズと言うわけでもないのか問題なく着れそうだ。


「ありがとうございます。お借りします」


「気にしなくていい。愛凛澄ちゃんには俺の戦闘服が入るかな……デカすぎるか?」


 などと言いつつもう一着持って来ていた服を日向が確認する。


「…………日向さんもスカートなんですか?」


「スカートっぽく見えるが、正確には腰から下だけのマントだ。鎧で言う佩楯だな。太ももの保護用の防具。これは俺が十六の時に使ってたやつだからギリギリ合うとは思うんだが。佩刀も考慮してあるから愛凛澄ちゃん向きだとは思うんだがな」


「なるほど。とりあえず、俺はこれを着てみます」


「着方が分からなかったら……あー、愛凛澄ちゃんに聞いてみてくれ」


「はい」


 さっそく着替え始める。

 これと言って特殊な構造ではなかったので、なんとなく流れで着こんでいく。腕を伸ばした時に若干肩が突っ張るような感じがするが、それほど邪魔にはならないようだ。そうして着替えていると、愛凛澄が戻って来た。倉庫にまで赤木が届けたのか、赤木の持っていた戦闘服を着こんでいる。少し大きいようだが問題なさそうだった。


「お待たせしました。行きましょうか」


「うん。結構似合ってるよ」


「あら、レンさんもとてもよくお似合いですよ」


「う、うーん、あんまり嬉しくないかな。ともかく行こうか……って、天堂地獄は?」


「そう言えば……昨日、お風呂に入ってから見ていませんね?」


 二人そろって天堂地獄を探し回る。

 結論から言うと車庫に居た。


「おお、おはよう。見よ! バイクを改造しておいたぞ!」


 言葉通り、天堂地獄が改造していたのだろう、昨夜レンが操っていたバイクが変貌していた。フレーム周りの強化の他、エンジンもさほど外観は変わっていないが何かしら弄ってあるようでよく分からないパーツがついている。


「……赤木さんのバイクが悲惨な姿になってますけど」


「ちょうどよいところにパーツが取れるものがあったのでな」


「ひどい……」


 その代償として赤木のバイクが再起不能になっていた。


「ど、どうしましょうね、これ。これってたしか、赤木さんが個人でカスタムを依頼したオーダーメイド品のはずなんですけど……六百万くらいかかったとか言ってたような……」


「ふん、吾から言わせればつまらんカスタムよ。エンジンに構造強化の魔術を鋳込んで、ブースト圧を限界まで高めてあるだけ。それでも回るように効率も強化してあるが、本当にそれだけよ。それに合わせて多少フレームも強化してあるがな。六百万とはボラれたものよ」


「ぼったくりなんですか」


「これをやったやつには覚えがある。あやつがやったなら正味のところ三十万もかかっておらんのではないか? パワーバンドが少々狭いだけで、クルーズする分には素直というのもやつらしい仕事よな。回した分だけじゃじゃ馬になるがな」


「それはまた壮絶なぼったくりですね……」


「ぎ、技術料とかかも?」


「なんでもよいわ。赤木はもう一台バイク持っておるし、車もある。そっちを使うであろう」


「そう言う問題かなぁ……?」


 まぁ、やってしまったものは仕方ないのでこのまま行くことにする。後で謝っておこう、と二人で心に決めて。


「というか、メーカーも排気量も規格も違うと思うけど、よくパーツ合ったね」


「無理やり合わせたのだ」


「あ、そう……」


 言いつつエンジンをかける。昨日とはやはりエンジン音が違うが、本来のエンジンとも違う。


「うん、問題なさそう。じゃ、行こう」


「はい、おねがいします」


 天堂地獄が鳥の姿になってレンの肩に止まる。

 レンはそれを確認すると、バイクを発進させる。


「成田ってどうやっていけばいいのかな?」


「昨日降りたところと同じ場所から首都高に乗って、首都高七号の……小松川線でしたかね? それに乗ってください。たぶん看板があると思うんですが……」


「うん、分かった。ナビがあれば楽なんだけどね」


「ほう……吾にナビ機能を搭載せよということだな?」


「違うけど」


「しばし待て。まずは吾が利用できる衛星通信を確立せねば」


「GPS機能まで搭載しなくていいから」


 どこに行こうと言うのか天堂地獄。


「って言うか、大丈夫かな? 昨日みたいに高速で襲われたりしないよね?」


「どうでしょう。正直言って分からないというのが正しいですね。どのルートも危険であることに違いはないでしょうから、まだしも対応し易いバイクで移動しろと言うことなんだと思います。車やヘリだと身動きがとりづらいですから」


「なるほど」


 次善の策と言うことだ。いずれにせよ、対応が後手後手に回ってしまっているらしいことは分かる。その辺りは自分たちの対応の拙さが原因なのだろう。昨日の時点で赤木に相談していれば、もっとうまい対応もあったのかもしれない。

 そんなことを考えながら一般道を走っていき、首都高速に乗る。ノーヘルであると言うことで何度か止められたが、愛凛澄がヤツカハギの身分証を見せたら一発だった。

 そうして高速道路に入ると、昨日とは違って普通の車両が何台も走っている。さすがに昨日のように高速道路で張っているということはなかったようだ。一安心と言える。


「俺、国際線って乗ったことないなー。ビーフオアチキンって聞かれるのかな?」


「私も乗ったことないですね。飛行機は修学旅行で沖縄に行ったくらいで」


「へぇー。それにしてもロンドンかぁ。半日くらいかかるんだよね?」


「ええ。丸半日だと聞いています。うちの道場では、走った方が速いとか、ワープ出来るから五秒でいけるとかそう言う超人ばっかりなので又聞きですが」


「うーん、異次元!」


 愛凛澄の通っていた道場がどんな場所なのかちょっと気になったレンだったが、行ったら頭がどうにかなってしまいそうな気がしたので気にしないことにした。

 そんな風に雑談をしながらしばらく走行を続ける。朝の心地よい空気でドライブ。

 逼迫した状況であるはずなのに、なんとも穏やかな気分だ。

 そんなことを思っていると、バラバラと聞き慣れないエンジン音を聞く。


「あ、ヘリコプター。すっごい低いところ飛んでるね」


「本当ですね。なんだか厳ついヘリですね」


 レンと愛凛澄がそんなのんきな会話をして空を往くヘリコプターを観察する。

 黒っぽい茶、あるいは黄色と言う塗装がされており、妙に厳つい。

 そのヘリが空中で旋回し、機首を愛凛澄とレンの方向へと向ける。


「なに!? レーザー照準されておるぞ!?」


「え?」


「下のターレット! あそこで射撃管制を」


 天堂地獄がそう言った時にはもう、ヘリの胴体に装備されていたチェーンガンが火を噴いていた。一瞬後にはバイクの車体前部が消し飛んでいた。その恐ろしく精密な火箭は搭乗者を傷つけることはなく、バイクだけを正確に破壊した。

 突如として前輪を喪い投げ出されるレンと愛凛澄。愛凛澄が咄嗟に軽身功を練り上げ、宙で身を翻し、飛散するバイクの破片のひとつを足場に空中で跳躍。そして、あともう一歩と言うところで軽身功が切れた。勁を練り上げる時間があまりに不足していた。

 辛うじて着地に成功するが、レンを助けることには失敗し、レンは地面へと投げ出された。激しくバウンドしながら壁面に叩き付けられてレンは辛うじて止まった。


「あ……レンさん……」


 辛うじて受け身を取っていたのは見えた。柔道では徹底的に受け身を叩き込まれる。それが無意識に受け身を取らせたのだろう。だが、それでは対応しきれないほどの高速で投げ出されていた。地面に体を叩き付けられ、壁に激突。おそらくだが、致命傷だ。

 愛凛澄が慌てて駆け寄ろうとしたところでヘリが愛凛澄の目の前に威嚇射撃を行った。


 頭が煮えるほどの怒りと、酷い耳鳴りがしたのを愛凛澄は感じた。


 瞬間的に軽身功を練り上げる。内勁が今までにありえないほどに冴えている。昨日よりも、ずっと強く練れている。跳躍。高々と六メートルほど宙に舞い上がる。

 だが、ヘリまでにはとてもではないが届かない。そのままでは地面へと落下するだけ。だが、いまの愛凛澄の軽身功の冴えは、常識ではありえない跳躍を可能とする。

 愛凛澄が再度跳躍した。空中に舞う、目に見えないほどに微細な塵。それを足場にするという軽身功の最奥、その一歩手前に相当する技を行使して見せた。跳躍し、愛凛澄の刀が翻る。

 ヘリの前面、防弾強化ガラス、フレームを薄紙の如く切り裂き、その奥に座するパイロットの首を裂く。ヘリに取りつき、そのまま内部に入り込み、異常な跳躍で飛びあがって来た愛凛澄に慄くもう一人の兵士の頭を左手で掴んだ。


「死ね!」


 直後、兵士の眼、鼻、口、耳、穴と言う穴からどす黒い血が溢れ出した。

 黒龍崩山掌。愛凛澄の剣術、招独破静剣の技のうち、素手で用いる技の中で最も破壊力に優れる技だ。胴体に打ち込めば五臓六腑が破裂し、頭に打ち込めば脳が弾ける。体の中心部に打ち込まれれば即死は免れず。結末は七孔噴血あるのみ。一触必殺の絶技である。

 二名のパイロットを喪い、瞬く間に制御を喪って墜落していくヘリから愛凛澄が飛び降りる。墜落していったヘリが地面に激突する破砕音がどこか遠い。

 レンを見やれば、レンは手で上体を支えて身を起こしていた。そして、咳込みながら血を吐いていた。恐ろしく鮮やかな、真っ赤な血だった。


「いけない!」


 鮮やかな血は動脈血。酸素が多分に含まれている証拠。気管、呼吸器のいずれかを傷つけた可能性が高い。事故の状況からして、肺を肋骨が傷つけたか。

 駆け寄ろうとした愛凛澄の前に陽光を反射して煌めく鎧が現れた。それは、昨日エマ・キャンベルなる者が纏っていたのと同系統のもの。そして、あからさまな害意を伴っていた。


「――――退け」


 その何処までも透明な殺意に溢れた声に、兵士たちが硬直する。

 溢れんばかりの激情を凝集し、一点の曇りもない殺意へと転化する。その鬼気迫る姿に気圧されたのだ。だが、兵士たちは己らの職責を思い出し、使命感を胸に愛凛澄の前へと立ちはだかる。願うはひとつ、我らが祖国の栄光。それが、この剣鬼の前にどれほど無謀であったかなど、彼らが知る由もない。


「そうか。では、死ね」


 りんっ、と、鈴の鳴るように軽やかな音色が響いた。

 残像すらも許さぬ神速の斬撃。

 鋼を断ち切ったことなど露とも伺わせぬ音色。

 斜め下方から頭部を切り上げられた兵士が絶命する。

 そして、愛凛澄がゆらりと前進する。

 距離感を狂わせる異様な歩法。

 距離感を見誤り、接近警報が骨伝導イヤホンを通して届いた時には既に遅い。

 とん、と愛凛澄の嫋やかな手が鎧の頭部に触れ、内部の兵士の脳髄が爆ぜる。

 ひょう、と愛凛澄が重力を感じさせない動作で跳躍する。

 跳び越えられた兵士の頭部が縦に断ち割られ、その先に居た兵士が唐竹に両断される。

 また一歩、歩みを進め、兵士が腰から横一文字に両断される。

 そして最後の一人の心臓に無造作に刀を刺し込んだ。

 自分の胸に突き立った刀の姿を信じられないと兵士が思わず刀に手を伸ばし、愛凛澄がぐりりと捩じりながら刀を引き抜いた。

 ひゅん、と鋭い風切り音を鳴らして刀を血振りすれば、一呼吸の間にエクゾスケルトン装備の兵士を六名屠った剣鬼がレンの元へと辿り着いた。


「レンさん!」


 激しく咳き込むレンは反応しない。呼吸が出来ず、意識が朦朧としているのだろうか。血の泡が混じった喀血の量はかなりのものだ。早急に処置しなくては命に関わる。


「今すぐ治療を。外科手術では間に合わないかもしれませんが、内養功を使えば、こんなのは……あ……」


 愛凛澄は自分が致命的なミスを犯したことを悟った。

 それを悟った時にはもう、愛凛澄の肩に薬剤の入った注射器が突き刺さっていた。

 意を悟ると言うのは、所詮は攻撃の前兆を知ることに過ぎない。銃弾の軌道を見切ることすら可能であっても、応対が遅れれば直撃は当然のこと。レンの治療に逸る気持ちが愛凛澄の油断を誘い、無様な直撃を許した。


「く……これは……」


 即座に引き抜いて捨てるが、その時にはもう愛凛澄は自分の体が自由にならないことを悟っていた。まだ手足は動く。だが、遅からずに麻痺する。筋弛緩剤。それも相当に効き目の早いものを打ち込まれた。

 まだ動く体で、レンに内養功を施す。自分の解毒は間に合わないことは分かっている。内養功は怪我には優れた効き目を発揮するが、毒物にはさほどの効用を齎さない。呼吸が麻痺し、内勁を練れなくなる前にレンに応急処置を施さなければ、レンが死ぬ。

 必死の思いで愛凛澄はレンに応急処置を施し、やがて自分の呼吸が麻痺していくのを感じ、意識を喪失した。



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