バカ野郎の決死行

「プリンセスを確保。こちらはどうされますか?」


「ほっとけ。肺に穴が空いてら。致命傷だ。助からねーよ」


「は。では、取り急ぎプリンセスの輸送を」


「ああ。デルタは隠滅。ブラボーは私と一緒に輸送だ。アルファは残って片づけ。回収は輸送車を回す」


「イエスマム」


「プリンセスは筋弛緩剤が完全に抜けるまでは呼吸器をつけとけ。捕縛はしっかりやれよ。最悪、手足は無くても構わねえ。暴れるなら切り取っちまえ」


「イエスマム」


「……しかし、エクゾスケルトン装備の小隊六人をスチールのカタナで十秒足らずで皆殺しかよ……いくら適正交戦距離じゃないとはいえ……向こうは頭でこっちは体、か……」


 虚ろな意識でレンはそんな会話を聞いていた。

 うまく呼吸ができない。苦しい。

 何をしていたのか思い出せない。

 胸が痛い。呼吸をするたびに肺が張り裂けそうなほどに痛む。


「レンよ。聞こえておるか」


 問う声に、レンが顔を上げる。

 白銀の少女、天堂地獄の姿があった。周囲には兵士の姿。

 不思議なことに、こちらに気付いている様子がない。


「そなたはどうしたい?」


 問いかけは抽象的なものだった。

 どうしたい、と来た。

 そもそも、どうなっているのかすらも分からないというのに。


「このままではそなたは死ぬ」


 それはなんとなく察していた。

 投げ出された時、これはダメだなと自然に見切りを付けてしまうほどの重傷だった。

 あばら骨が曲がり、肺を貫いたことが分かった。

 それほどの時間も保たずに死ぬと分かった。


「愛凛澄は連れ去られた。これはさほど心配はいらぬであろうがな」


 そうだ。後ろに乗っていた愛凛澄はどうなったのだ。

 連れ去られたと言ったか。


「そなたはどうしたい?」


 問いかけへの答えは初めから決まっている。

 考えるまでもない。

 レンは微かに微笑み、血の泡を吐き出しながら言った。


「ありす、さん、を……たすけに、いかなきゃ……」


 助けると決めた。ならば、それを貫く。馬鹿だと言われても。貫くと決めた。

 そう言う生き方もありなのだと知った。だから、そう生きたいと思った。

 いや、それもまた、少し違う。

 そう言う生き方が許されるのならば、胸を張ろうと思った。

 善悪と言うもの、人々が言葉を持ってより生まれた想念を超えて。

 善悪の彼岸を超越した先にあって、それもまたよしとして。

 その上で、自分がよしとしたものを貫きたいと思う。

 この世が善に満ちた喜びの世界であろうと。

 この世が悪に満ちた悲しい世界であろうと。

 それらをもよしとして肯定し、前を向きたい。

 たとえやり直すことが出来ても、同じようにするだろう。

 そうしたいと思い、そうしたいと望み、そうしたいと生きる。

 結末が死と言う終わりでも構わない。

 自分を貫くとはそう言うことで、終わったことにああだこうだと言うのはバカバカしい。

 そうすると決めた以上、そうしたことで起きる結果は全て自分のもの。

 それもまたよしと受け入れて進むだけだ。


「だから、てんど、じごく……ちからを、かして……」


 震える手を伸ばす。天堂地獄は微笑んでレンの手を取った。

 冷たく、滑らかな手だった。だが、その内に、燃えるほどに熱い何かを感じた。


「よかろう。我があるじよ。ならば、我が名を呼べ!」


 天堂地獄が大音声を発する。


「そして言祝ぐがいい! 我が生涯、我が妄執、我が悲願を!」


 レンの脳裏に紅い憧憬が奔った。

 熱を孕んだ空気が立ち込めていた。煌々と燃える炉の中、真紅に焼ける鉄。

 それを、素手で掴み出す男の姿。

 右手に槌、左手には赤く灼けた鋼。まるで己の魂を塗り込めるかのように、その鋼に向けて入魂の槌を。鬼気迫るその姿には、溢れんばかりの狂気と情熱、そして妄執が漂っている。

 強烈な羨望と悲しみ、憎悪と憧憬の入り混じった禍々しいほどに純粋な夢への情熱。

 この男は、己の夢のために鋼を鍛っている。たとえそのために己が命を落とそうとも構わないと、それほどの意気込みと覚悟で。

 これが生涯。これが妄執。これが悲願。

 男の生きざま、見果てぬ先に見た夢。そして、その最期。

 夢とは呪いだ。それが叶わぬ夢であるほどに、その心に巣食い、時と共に強く心を蝕む。

 呪われている。この男は夢に呪われている。その呪いの果てに命を落とそうとしている。

 だが、それでも、構わないと、そう思っているのだ。それが夢と言うものだから。


「さすれば、天堂と地獄の狭間にて、死を言祝がん」


 天堂地獄の言葉に意識が現世へと立ち返る。

 そして、レンの血に濡れた唇が、自然と言葉を紡いでいた。


「心に定めし刃は己が生。海よ焔の影に消えよ。汝は白銀の輝きとならん。その名は……」


 そうあれかしと願い、その命を駆け抜けた。

 揺らぎ燃える歴史の陰に消えた命。

 それは白銀の輝きとなって再誕する。

 故に言祝ごう。その名を祝福と共に紡ごう。


「……天堂地獄! 俺の鎧!」


 その言葉に、天堂地獄は艶然と微笑んだ。

 そして、天堂地獄がほどけた。

 レンの肉体に融合するように、天堂地獄が溶け結う。

 理解する。天堂地獄がなぜ今になって主と自分を認めたのか。

 天堂地獄の真の力。七十七の魔道具に比べ、児戯にも等しい力。

 だからこそ、死を言祝ぐなどと言ったのだ。

 死とは喜びであると、そう知るが故に。


『吾、眞鐵と成り果てし者。天堂と地獄の狭間にて死を言祝ぐ者。心に刃を携えし者。主よ、吾が認めし者よ。我が名を知るがよい』


「うん。忘れないよ、天堂地獄。きっと、俺が死んでも、忘れられないよ」


『そうか。それでよい。それでこそよい』


 天堂地獄の真の力。

 その名は『永燃機関・青き春』

 何故に若き事を青いと呼ぶか。

 それは、その命の燃えるさまを言う。

 若者の命は誰よりも熱く燃えている。

 青く燃える命の熱をして青春と呼ぶ。

 天堂地獄の真髄、それはその命を永遠に燃やし続ける力。


 着用者に対し、不老不死を与える力。


 天堂地獄を創り上げた者、天堂地獄となった者が、夢を追い続けるために欲したもの。

 それは皮肉にも夢の達成と同時に得られ、天堂地獄に利することはなかったが。

 そして、天堂地獄は不老不死となった者に、唯一死を与えることが出来る者。

 だからこそ死を言祝ぐと、そう告げた。たとえそれが、死と言う終わりでも。救いとなることはあるのだから。

 分かっていたのだろう。不老不死がどれほどの波乱を呼ぶものか。

 だからこそ見極めていたのだろう。レンと言う存在を。

 不老不死と言う、生きとし生ける者の見果てぬ夢を、それもまたよしと認め、それでもなお打ち捨てられるかを。

 聚楽にはそれが出来たのだろう。だから天堂地獄の使い手となった。そして、平気な顔で博物館に突っ込んでしまえた。

 聚楽には聚楽なりの考え方があるのだろう。レンにはない。ないので投げ捨てた。考えることを放棄したと言ってもいい。

 どうやら天堂地獄はレンに不老不死を渇望するようになってほしくないようであった。であれば、そうしようと思っただけのこと。

 不老不死が欲しいか欲しくないかで言えば、まぁ、欲しい。具体的にどういいものかは若いからなのか想像がつかないが、手に入るならとりあえず貰っておこうかなとは思う。レンはポケットティッシュが配られて居たらとりあえず受け取るタイプだ。

 だが、天堂地獄がそうなって欲しくないと思うのであれば、そうしようと思う程度のもの。

 だから深く考えずに投げ捨てた。あれこれ考えるのは難しい。馬鹿は馬鹿らしく、直感的に生きるべきなのだ。


「天堂地獄、行こう。愛凛澄さんを助けなきゃ」


『うむ。よいのだな?』


 天堂地獄の問いに、レンは笑って頷いた。

 分かっている。天堂地獄を装甲したことで、外傷による死は免れた。単なる外傷の治療は実のところさほどの熱量を必要としない。体の部位、または血液の損失こそが膨大な熱量を必要とする。出血量が致命的でないのが幸いだった。だが、このままであれば、死は免れ得ない未来だろう。

 これからレンは愛凛澄を助けに行く。戦うだろう。レンの戦闘技術はさほど高くはない。愛凛澄のように、研ぎ澄まされた技術を持ち合わせてはいない。それを覆す機構が天堂地獄にはある。そして、それを動かすために、熱量が必要だ。

 この体に変化してから、熱量はさほど蓄えられていない。天堂地獄を使わざるを得ない状況になって、浪費してすらいる。総合で言えば、マイナス傾向にあり続けている。

 これ以上の熱量を絞り出そうとするなら、体を削るしかない。使い過ぎれば死ぬ。

 往けば、もう帰っては来れないだろう。だが、決めたのだ。愛凛澄を助けると。理由なんてものは、助けられるから助けると言うだけで十分だ。戦う理由があるのならば、戦うのみ。


「往こう、天堂地獄。俺は俺を通すよ」


『了解。熱量損失を問わず、臨界駆動を開始する』


 そして、天堂地獄の全性能が解放される。

 その姿に周囲の兵士たちが驚く。

 彼らの眼には突如として天堂地獄が姿を現したように見えたのだ。

 幻玉・魂蔵抱の力による幻術を展開していたのだ。

 兵士たちが手にする小銃を向け、咄嗟に発砲する。


『無駄だ』


 天堂地獄の装甲に小銃弾なぞ通用するわけもない。

 レンはそれを一顧だにする事無く天堂地獄へ問いかける。


「愛凛澄さんはどこに?」


『位置は把握しておる。ヘリで輸送され、今は洋上におる。ヘリの移動速度ではないな。何かしらの船舶に居るようだ』


「分かった。なら、そこまで最速で行こう」


『了解。第一航行主機に点火。最大戦闘速度で航行する』


 天堂地獄の航行主機。その中心に位置する第一航行主機が火を発した。天堂地獄の持つ航行主機、その中で最も純粋な速力に優れ、あらゆる状況での利用を可能とする主機。それは固体燃料ロケット。天堂地獄を音速の十倍以上にまで加速させることを可能とする暴力的な推力を宿した切り札のひとつだった。

 音の壁を超え、天堂地獄は飛翔する。


 括目し覚悟するがいい、雑兵よ。

 舞い降りるは不毀なる眞鐵、天堂地獄。

 汝らが挑むは、あらゆる時代において無双を誇りし鎧。

 踊るかの如く死を振り撒き、あらゆる絶望を砕く希望の輝きなり。


 音を超えた飛翔により瞬く間に洋上に突出した天堂地獄。レンの眼に映る情報の中には地図情報があり、洋上が映し出されている。愛凛澄を示す光点は、何もない場所に存在している。


『主、愛凛澄の反応が存在する海域を目視で確認。なれど、なにも見えぬな』


「うん。こっちも確認してる。どうしてか分かる?」


 天堂地獄の背で火を噴いていた第一航行主機がパージされる。第一航行主機は使い捨て。一度点火すれば、後は燃え尽きるまで燃焼し続ける。必要が無くなればパージするほかにない。


『原理は分からぬが、何かしらの方法で光学的に存在を隠蔽しておるようだな。光が明らかに異様な迂回をしておる。空間歪曲は検知しておる。重力分布を描画する』


 視界の中に突如として船が現れる。

 天堂地獄が感知したものを図形としてレンの視界の中に投影しているのだろう。よく考えると高度や周囲の気温などの情報も数字として表示されているが、これはどういう原理で見えているのだろうか。


「でっか……これって」


『総排水量は約十万四千トンと言ったところか。ふむ。この大きさとなると大抵は反応動力を使うものだが……どうも違うようだな』


「分かるの?」


『反応動力であればな。あれは船体に工夫を必要とする。隔壁を撤去した形跡があるな』


「どゆこと?」


『改装したのであろう。艦齢も相当古い。退役した船を使っているのであろうな。反応動力は扱いが難しい。手に入れるのは困難。故にまだしも手に入れやすい動力を使ったのであろう』


「でもそれって、本来の想定した運用じゃないってことだよね」


『加えて言うとぶっ壊しても問題ないということだ。主、まずは艦載兵器類の無力化を推奨する。艦形状からして航空母艦。ゆえに数は少ないが、放置は推奨出来ん』


「分かった。天堂地獄、遠距離武器は?」


『ある、が、機動を行いながらの射撃は困難よ。ブチ当たりにいけ。吾の強度ならば問題ない。そなたが気絶せぬよう気合を入れておりさえすればな』


「なら大得意! どこを壊せばいいか教えて!」


『よし! 念像投影鏡に表示された破壊目標の色調を変更する』


 レンの視界に映る大型の船、その一部が赤く点滅する。そこが破壊目標と言うことだろう。


「って言うか、今さらなんだけど」


『うむ?』


「航空戦闘とか出来る気がしないっ!」


 言いながらレンはホバリングしていた航行主機の角度を変更し、海面に浮かぶ船へと一直線に強行降下を行った。


『そうであったな。主はこの手のものに経験がない。だが、案ずるな。黒渦星の出力を最大まで上げる。本来の航空戦闘機動は勘と技術がものをいうが、重力操作を行う黒渦星を用いれば意のままに航行可能よ』


 天堂地獄とてその程度のことは分かっている。そもそも、人型が空を飛ぶということそのものに無理があり、重力操作によるサポート無しで飛べるなどとは欠片も思っていない。如何にレンが飛翔操作が出来ぬといえども黒渦星の出力を上げさえすれば問題はなかった。


「往くぞぉ!」


 黒渦星のサポートさえあれば、本来であれば失速、あるいはスピンしての墜落を引き起こす無茶な機動すらも描くことが可能である。

 レンは空中でほぼ直角に曲がると、艦側面の構造物に向かって突撃した。

 抜刀、そして、小さな足場の上に立つ、おそらくはミサイル発射管であろうものの根元に刀を叩き込んだ。悲痛な破砕音が響き、ミサイル発射管が根元から叩き切られる。


『うまいぞ! 近接防衛ミサイル発射機は残り三基。艦対空ミサイル発射機が六基、近接防空機銃が八基。全て破壊せよ』


「分かった!」


 レンの破壊行動に艦側が反応を見せる。自身のステルスを見破られているとは露とも思わず、今までは息をひそめていたのだろう。だが、レンが気付いていると分かり、反撃に移った。

 レーダードームを背負う多砲身防空機関砲が駆動すると、レンを追って無数の火箭を吐き出す。咄嗟にレンが航行主機を吹かし、火箭から逃れる。


『弾丸は二十ミリ。発射速度は毎秒六十前後と言ったところ。希少重金属弾頭だな』


「天堂地獄なら平気でしょ!」


『無論』


 棚引く尾を引いてミサイルが次々とレンめがけて発射される。


『ミサイルも通用はせぬが、衝撃力はある。回避を推奨する』


「オッケー!」


 天堂地獄の機動力ならば回避など容易いこと。直角に曲がることすら可能なのだ。

 レンが航行主機を最大出力で吹かし、飛翔する。ミサイルを潜り抜け、機関砲弾を受け止め、レーダードームごと唐竹の一撃を叩き込む。

 間髪入れずに飛翔。未だ火を噴く機関砲を次々と叩き壊していく。


『ミサイルは全て打ち切ったようだ。機関砲も残るは全て弾切れ。主、乗り込むぞ』


「それよりもっと楽に進めよう」


『ほう?』


「根水を臨界駆動させて! 超臨界水刃で甲板を丸ごと削ぎ飛ばす!」


『よいぞ! そう言う無茶は好みだ! 根水、臨界駆動! 水ならばいくらでもある!』


 眼下の海面が蠢き、天堂地獄へと集まっていく。水は次々と集うと言うのに、小さく小さく圧縮されて行く。根水の流体操作は圧力をかけることも同時に可能とする。

 一ギガパスカル。天堂地獄が水にかけている圧力はそれであった。この圧力は仮に水圧で例える場合、深度十万メートル。世界で最も深い海溝、マリアナ海溝の十倍にも及ぶ。常温下では相転移を起こさないギリギリの圧力。それほどの圧力をかけて放つ水圧の刃。それは特殊鋼で作られた軍艦ですら容易に削ぎ飛ばす。

 本来ではこれを熱し、白金すらも腐食させる超臨界流体にすることでより破壊力を高める。

 が、そこまで必要はないと超高圧水刃のみで天堂地獄は運用していた。

 超臨界に至らせるためには温度も必要であり、十万貫、三十七万五千トンもの水を超臨界に至らせるには、膨大な熱量が必要となるためだった。


「いけえっ!」


 レンが腕を、横薙ぎに振るう。その動作に呼応するように刃が放たれる。圧縮された水から放たれた刃は容易く艦の上層を削ぎ飛ばす。甲板と船体を切り離されるとはつまり、突き立つ艦橋との連絡も切断されるということである。

 その破壊行動によって見事に艦は混乱をはじめ、抵抗らしい抵抗は見受けられなくなった。


「よし、突入して……」


『ん? 高熱源反応!』


「え?」


 レンが疑問の声を返した直後、レンが削ぎ飛ばした甲板が内側から吹き飛んだ。甲板と艦を切り離したと言っても、丸ごと全てを消し飛ばしたわけではない。一部には飛行甲板が残り、内部の様相は伺えなかった。その部分が突如として吹き飛んだのだ。


『てめぇぇええええ!』


 響いて来たのは、少女の声。つい先日、戦った少女。エマ・キャンベルの声だった。

 船から何かが飛び出してくる。それは人型だった。だが、人ではありえないほどに大きい。

 全長で言えば、五メートルほどはあるだろうか。それは高く跳躍すると、背部から火を噴き出して飛翔する。


『なんで死んでねぇ! なんで生きてる! 殺しておくべきだった! とどめを刺しておくべきだった! どうしてここまで来て邪魔をする! 日本人!』


 燃え盛る憤怒を撒き散らしながら接近して来る人型。それが害意を持っていることは誰の目にも明らかだった。人型の手に異様に巨大な銃火器が現れる。昨日の鎧を纏った状態でも突然武器を出していたが、それと同じような現象だ。


『死ね日本人!』


 発砲炎。その巨大な火の発露を見て取った直後、レンの胴体に強烈な衝撃が走った。


「かふっ!」


『なんだ!?』


 天堂地獄が狼狽する。ありえないからだ。放たれたものは見えていた。巨大な人型が持つに相応しく巨大な銃器は口径にして言えば四十ミリはザラにあるだろう。だが、その程度では天堂地獄の装甲は突破できない。

 だが、天堂地獄の胴体装甲は明確に破損し、内部のレンにもダメージを与えていた。装甲は即座に修復を行ったが、迂闊に受けるわけにはいかないダメージだった。

『はっ、記憶兵器なら通用するらしいな。この世界の日本人の技術力はそこまでじゃねえ!』

 エマが続けざまに発砲する。息の詰まったレンは反射的に航行主機に活を入れて飛翔する。通り過ぎ去っていく砲弾の姿に天同地獄はますます戸惑う。なぜならそれは装甲の突破に適さない種類の砲弾、榴弾と言われるものだったからだ。それも四十ミリどころか三十ミリ程度のものと思われた。天堂地獄の装甲を突破するには到底足りない。

 それこそがエマの言う記憶兵器。記憶兵器とは、かつて存在した記憶、かつて用いられた兵器、その力を呼び起こす兵器である。砲弾そのものにさほどの意味はなく、実際のところを言えば金属ですらない硬質プラスチックで作られている。それでいいのだ。

 記憶兵器の本質は内臓された記憶素子にあり、そこに封入された兵器の記憶が呼び起こされることで威力が発揮される。

 エマの用いる三十ミリメートル記憶砲弾には百二十ミリメートル装弾筒付翼安定徹甲弾の記憶が封入されている。見た目は三十ミリ砲弾のそれでも、実際の威力は百二十ミリ砲、それも装甲の突破に最適化された砲弾となっているのである。


「げほっ、天堂地獄! あれは一体!?」


『分からん! 命中した瞬間に突然熱量が増大した! 我では理解出来んなにかが起きている! おそらくは魔術の領域!』


 実際のことを言えば、記憶砲弾は純粋科学技術のそれによって作られたものである。しかし、あまりに高度に発達した科学力は魔法と見分けがつかない。

 科学技術が魔法の領域にまで達した世界。エマ・キャンベルらはその世界から現れた。


『避けるんじゃねえ! そうじゃなきゃ、テメェに風穴が開けられねぇだろうが!』


「そんなのは御免被る!」


 次々と放たれる砲弾をレンが必死で躱す。砲弾が追尾したり、レンの至近距離で起爆すると言ったことはないために辛うじて躱し続けられている。


『私はなぁ! テメェら日本人が大嫌いなんだよ! さっさと死ね!』


「理不尽だそんなの! 日本人が君に何したって言うんだよ!」


『私にはなにもしてねぇ!』


「さらに理不尽なこと言い出した!」


 何もしていないのに恨むとは逆恨みと言うのではないか。それで殺されては堪ったものではない。レンはとにかく砲弾を躱し続ける。


『おまえらが! 日本人が居なけりゃ! 日本さえ存在しなきゃあ! こんな惨めな真似をしなくて済んだんだ! おまえら日本人のせいだ!』


「だから日本人がなにしたって言うんだよ!」


『おまえら日本人が文明の歯車を回し続けた! そうだ! ありえないほどの速さでだ! おまえらが好き勝手に科学技術を発展させ続ける! ふざけるな! ステイツは世界の覇権を取れる国だった! 太平洋戦争だって勝てる戦いだったはずだ! 東洋のちっぽけな島国ごときに、ステイツが負けるはずなかったんだ! だが、負けた! なぜか!』


 太平洋戦争とやらがなんなのかは知らないが、戦争に負けた逆恨みなのだろうか。

 返事をする余裕もなく乱射され続ける砲弾をレンは躱す。最初の一発以降、直撃を一つも貰っていないのは奇跡だ。狙いが甘いとは言え、数が数。来ると言う予兆、風を感じ取っても本当にギリギリなのだ。


『それは、おまえたちがAA文書を持っていたからだ!』


 AA文書。それがなんなのかは謎だった。

 なにか、重要なものであるらしいことは分かるが。


『なにもかも! なにもかもAA文書のお蔭だったんだろうが! ほんの半世紀前まで時代遅れの封建政府だった国が、戦艦を作れたわけがねぇんだ! 近代化して一世紀も経たない国が飛行機なんか作れたわけがねぇ! AA文書が無けりゃ、太平洋戦争はステイツが勝ってたに決まってるんだ! 戦争にすらならねぇ! 精々、火縄銃とカタナで武装したやつらを機関銃で薙ぎ倒しておしまいの、そんな簡単な戦争になるはずだったんだ!』


「知るかよそんなのぉ!」


 弾切れか、発砲が途切れる。その間隙を狙ってレンが一挙にエマへと肉薄する。近付けばその巨大さが分かる。重厚な鋼の人型は先日戦った相手とはまるで印象が異なる。

 手にする希少金属の刀を振り被り、レンがそれを全力で叩き付ける。青い壁にそれが阻まれた。以前の戦いでもあった謎の防壁だ。


「くっ!」


『このフィールドだってそうだ!』


「ぐあぁ!」


 鋼の拳に殴り飛ばされ、天堂地獄が咄嗟に黒渦星の出力を操って空中で体勢を立て直す。その最中にエマは大型の刀剣を手にレンへと迫って来ていた。


「くぅ!」


『おまえらはこいつを千九百二十七年に実用化した! それだってAA文書のお蔭だ! なけりゃあきっとステイツが実用化してた! おまえたちよりは遅かったろうけど、それでも太平洋戦争までには絶対に造れてたはずだ!』


 打ち込まれる凄まじい衝撃。希少金属の刀が激しく揺れる。続けざまに振るわれる剣戟にレンが必死で刀を合わせる。この剣も何かしらの致命的な威力が含まれている可能性が高い。


『商用核融合炉だってステイツが実用化したに決まってる! 水晶クォーツ時計だって! おまえらはAA文書から得た技術情報で水晶クォーツ時計を作って、ステイツの機械式時計産業を壊滅させた! おまえたちは卑怯なカンニングをしてステイツの栄光を邪魔し続けた!』


「知らないよ!」


 剣を弾き返し、返す刀にエマの胴体部へと横薙ぎの一撃を入れるが、やはり青い壁に阻まれる。しかし、分かったことが幾つかある。

 エマ自身は素人だ。いや、戦いそのものに慣れている気配はあるので、その点を言えばプロフェッショナルと言っていい。だが、純粋な戦闘の技術と言うものに限って言うと、レンよりも格段に劣っていることが分かる。

 レンは学校以外で剣や刀と言うものを使ったことがない。学校でも使ったのは竹刀か木刀だが。それでいながら、エマは明らかにレンよりも剣術に劣っていることが分かる。腕力とリーチで圧倒的に勝っていながらレンに剣戟を掠らせることすら出来ていない。

 つまり、武術と言うものを全く習得している気配がない。

 だからこそこうして応対し、反撃まで出来ている。


「そもそも、この世界にありもしない国のことなんか知らないよ! そんなにステイツとやらが好きなら元の世界に帰れよ!」


 思わず怒鳴りつける。

 愛国心というものは分からないでもない。

 特に意識はしていないが、少なくともレンは自分が日本人であると自覚しているし、少なくとも日本のことを積極的に嫌っていたりはしない。なのでたぶん好きなのだろう。

 だから自分の生まれ育った国を大事に思う気持ちは分かる。だが、わざわざ別の世界にまで出て来て、人さまの国を好き勝手に貶しまくると言うのは違うだろう。

 そもそもの話、この世界の日本と向こうの世界の日本は別物なのだろう。どうも太平洋戦争とか言うものに勝ったらしいが、この世界ではそんなものは起きていない。と言うより、戦争と言えるもの自体が数百年以上勃発していない。日本で最後に起きた戦争は天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いが最後である。戦争を経験した世代など生きているわけがないほどに昔の話だ。


『うるせぇ! テメェら日本人が悪いんだ! なにもかも! 全部日本人が悪い! 移民問題も! 治安悪化も! 銃乱射事件も! GDPの下落も! 全部! なにもかも!』


「知らないったら! さっさとステイツとやらに帰れよ!」


『黙れ! 私たちはこの世界にステイツを建国する! 私たちはそのためにこの世界に来たんだ! 私たちを侵略主義者のテロリスト扱いした本国の連中だって、成功すれば掌を返す!』


「テロリスト扱いじゃなくって、正真正銘のテロリストだろうが!」


 レンが怒りと共に剣戟を振るう。青い壁は異常なほどに堅固だ。つい昨日破ったそれよりも格段に堅固に思える。


『私たちは解放者だ! 日本の邪な野望と、イギリスの専横からの! ステイツが本来手にするはずだった栄光を取り戻し、あるべき姿に立ち返らせる正義の戦士だ!』


「ふざけんなぁ!」


 怒り。裂帛の気合と共にレンが渾身の力を込めて刀を振るう。怒りに呼応し、内蔵された聖遺物が起動する。雷神の臨界出力。レンの熱量をごっそりと吸い取り、発露した強大な電撃が弾けた。


『がぁぁぁぁあああ――――!』


「なにが正義だ! なにが解放者だ! 結局おまえらは思い通りにいかなくって駄々捏ねてるだけじゃないか! それで別の世界に来て好き勝手やろうなんて! おまえらはただのテロリストだ! 平和を脅かす薄汚い悪逆の連中だ!」


 そう、なにもかも。なにかも自分勝手な言い分に過ぎない。

 ただそれだけの理由で愛凛澄を襲ったというのか。

 元の世界で思い通りに行かなかったから。

 この世界でなら、好き勝手にやれそうだから。

 ただそれだけの理由で、平和に暮らしていた愛凛澄を襲って、利用しようと言うのか。

 それが正義を名乗るなど、片腹痛いとはこのことだ。へそで茶が湧く。


「おまえたちの自分勝手な都合で、愛凛澄さんを犠牲にするな!」


 許せないのはそれだった。愛凛澄がなにをしたというのだ?

 何もしていない。ただ平和に暮らしていただけだ。セーラー服を愛好していたり、レンに邪な欲望を抱いたりと変わったところはあるが、平和に暮らす普通の少女だ。

 それが、他人の自分勝手な理由で壊されるなど。あってはならないし、許されてはならない。それが正義だと言うなら、レンは正義など信じない。そうしなければ守れない正義なら、レンは悪でいいとすら思う。


「おまえみたいなやつがステイツとやらの普通なんだとしたら! ステイツってのは、クズと外道のゴミ溜めだ! この世界に存在しなくて嬉しいよ!」


『だ、黙れぇ!』


 エマが激怒する。だが、その声には迷いが含まれていた。本人も、分かってはいるのだろう。自分が口にしている言葉が、無理筋な因縁だということが。

 AA文書と言うのが、何かしらの凄い技術情報が記されたものらしい、と言うことはなんとなくわかる。それがあったからこそ、エマの世界の日本は途方もない繁栄が約束されたのだろう。その点に関しては十分に恨んでもいいのかもしれない。

 だが、そのAA文書とやらが存在しないだろうこの世界の日本にぶつけるのは明らかにお門違いだということは、まともに考える頭があれば分かることだ。そうでもしなければやっていられないほどに追い詰められているのか、あるいは、そう言う風に思想教育をされてきたか。


『おまえたちが! おまえたち日本が悪いんだ! ステイツは規模だけが大きい二流国と世界中に嘲笑われる気持ちが分かるか! 私の愛する祖国が嘲笑われ続ける気持ちが!』


「分かんないよ!」


 やるせない思いと共に振るわれた剣戟をレンが咄嗟に掌で跳ね上げて逸らす。手に異様な震動と骨に響く痛みが走った。それを噛み殺し、流れるように肘打ちを打ち込む。しかし、やはり青い壁に阻まれてダメージとはならない。


「ぐぅ! だからってこの世界の日本をどうこうしていい理由になんてならないだろうが!」


 めまいに襲われながらもレンが剣を繰り出す。

 熱量を消耗し過ぎていることが分かった。体が重い。酷く寒いと言うのに。体中が熱をもってじくじくと疼いている。頭がガンガンする。酷い飢餓状態にあることが自分でも分かる。


「ぐ……天堂地獄! 速攻で決めよう!」


『了解した、主。障壁の性質は見極めた。突破は絶望的よ』


 単純に使ったところで落雷並みの膨大な電流と電力を叩き込むのが雷神だ。それを臨界駆動させる降束稲妻ですらも多少の感電で済むと言うなら、雷、冷気、炎の類は無意味だろう。

 天堂地獄の持つ聖遺物のいずれかに効果的な攻撃も存在するのかもしれないが、総当たりで試しているうちにレンが死ぬだろう。ならば、確実に屠れる攻撃を叩き込むほかにない。

 防御すると言う考えそのものが無意味な、空間ごと破砕するような、そんな攻撃を叩き込むほかにあるまい。そして、天堂地獄にはそれが可能である。


「決めようか、天堂地獄!」


『了解。黒渦星、臨界駆動を開始』


 天堂地獄がなんらかの大技を放とうということをエマも理解した。そして、エマは鋼の内側でにやりと笑みを浮かべた。天堂地獄の防御力の底は知れた。百二十ミリ砲弾、それも対戦車砲クラスの威力を受けて、装甲がひしゃげる程度、と言う凄まじい防御力は。個人装備と言う意味では空前絶後の防御力と言えるだろう。だが、その限界は確かにある。

 そして、エマにはその限界を確かに超える破壊を生み出すことが可能である。エマは異空潜航している武装を召喚。呼び出したのは試作型先進TCV弾運用システム。TCV弾を運用するための専用兵器である。

 TCV弾はSO弾の原型となった兵器であり、コスト、専用システムによる兵站負荷などの諸々の理由で採用されず、スピンオフ技術であるSO弾の陰に消えた兵器である。

 しかし、SO弾の倍以上の速度にSO弾とはケタの異なる大質量弾であることから、生み出される破壊力はSO弾などとは次元が違う。運用システムと砲弾さえあれば、電力も何もいらないという点も優れているだろう。エマの装備する大型エクゾスケルトンでも運用可能であるように。

 叩き出される破壊力は戦車砲の比ではなく、艦載兵器、それも大出力のレールガンと比較する必要があるほどの威力だ。先ほど垣間見た天堂地獄の防御力からして、跡形もなく消し飛ばせるだろう。


『あらゆる果ては黒き渦の裡。万象一切逃れ得ぬ終焉。絶大なる力は時空を歪め、光すらも逃さぬ。果てなき事象の地平にて黒渦星の真髄を見るがよい』


 対する天堂地獄は悠々と腕を掲げる。はた目には何も起こることはない。

 故にエマは粛々とTCV弾の運用システムの準備を終える。照準システムなど、使うまでもない。目の前にいる天堂地獄に向けて放ってやるだけでいい。

 天堂地獄を屠りさえすれば、それで全てが終わる。

 全ての儀式の準備は整っている。それを実行しさえすればよい。

 大洋の楔石。この世界に流れ着いた聖遺物。砕けた太陽の楔石は依代を求めて人間に宿った。その全ての回収が完了している。つい先日の東北地方で大火災を引き起こしつつもなんとか捉えたのが六十六人目。

 最後の一人、六十七人目であり、最も依代に適していると判断された愛凛澄も既に手の内。

 六十七人の依代の持つ大洋の楔石を融合させることで、六十七の依代が一つに結集した超人が誕生する。誕生した超人は最低でも常人の四百倍以上もの耐久力を持ち、並行世界間転移を可能とするゲートを大規模、長時間維持可能であるはずだ。

 それこそがエマら【解放者】が【見えざる熟達者】の魔術的知識から導き出した結論。現有科学力では三十五分間の維持が限界のゲートを、予測値では二十日以上に渡って展開できるゲートシステムの構築だった。

 【見えざる熟達者】が持つ並行世界運用技術の粋を集めて作られた魔術にはそれだけの性能がある。そして、それだけの性能がある魔術を使うには、超人が必要なのだ。


『私たちの夢は、邪魔させない! ステイツの栄光の礎となれ!』


 この世界に理想郷を作る。強く、国民の誰もが祖国を胸を張って誇れる国を。

 そのためにあらゆる犠牲を払うとエマは教育されている。そのように作られた。

 故に、エマは躊躇することなく引き金を引く。爆炎が巻き起こり、TCV弾が発射された。


 それは恐ろしく遅かった。


 TCV。すなわち、サード・コズミック・ヴェロシティ。第三宇宙速度弾。

 時速にして六万キロ。太陽の重力を振り切り、太陽系から離脱できるだけの速度。

 それが、目視できるほどの速度であるわけがなかった。


 馬鹿な!? なんだこれは!?


 エマが思わず叫ぼうとし、それが口から出ることはなかった。

 何も動かない。動くことがない。TCV弾は空中で静止している。自身の体までもが動かない。


『事象の地平面に近づけば近づくほどに相対時間は遅れる』


 天堂地獄の声が脳裏に響いてくる。これはなんだ。何が起きているというのだ。

 理解出来ない現象にエマが狼狽する。


『恐ろしかろう? 吾と心を繋いだそなたには通常の時空間の流れが見えておる』


 事象の地平面? それは、物理学上の概念で、情報伝達の境界面。

 光や電磁波ですらもが届き得ぬ場所。その境界を言う言葉。


 それは、ブラックホールに使われる言葉ではなかったか?


 その内部に囚われたならば、時間すらも捻じ曲がる重力によって、内部では僅かな時間であっても、外では永劫にも近い時が流れている。


『しかし、それも終わりよ』


 天堂地獄が静かに、そして、憐れむように言う。


『永劫に苦しむことはない。宇宙の終わりまで見届けねばならぬ苦痛を与えるは忍びない』


 しかして、無慈悲に。

 天堂地獄はエマ・キャンベルと言う存在の死を、言祝ぐ。


『微塵に砕け、素粒子にまで分解されよ。消え去るがよい!』


 そして、あまりにもあっけなく。

 その黒い渦は、ぱちんと消え去った。

 質量を全てエネルギーに変換され。

 そのエネルギーまでもが、天堂地獄に吸収され。

 後には何も残ることはなく。

 それが、エマ・キャンベルと言う少女の終わりだった。



「はぁっ! はぁ、はぁ……!」


『主! 無事か!』


 天堂地獄によって生成されたマイクロブラックホール。それはほんの僅かな時間で蒸発し、後には何も残さない。ガンマ線の放射ですらも熱量として吸収できるように天堂地獄が四苦八苦した末に編み出した奥義であるが故だ。

 しかし、そのマイクロブラックホールを生み出すための熱量はあまりにも膨大。激しく消耗したレンの命は今にも潰えそうなほどにか細かった。

 まるで体の内に氷を抱いたかのように寒い。指先にも力が入らない。頭がくらくらする。今にも倒れ込んでしまいたい。そうすれば、とても心地よいのだろう。けれど、それはもう二度と立てなくなることを意味するように思えてならない。


「だい、丈夫じゃ、ない、けど……これで、愛凛澄さんを……」


『うむ。ようやった! 愛凛澄を助け、全ては一件落着と参ろうではないか』


「だね……」


 天堂地獄が降下する。愛凛澄のいる場所は探すまでもなく分かる。削ぎ飛ばされた甲板。その下に見えた広々とした格納庫。その中心に愛凛澄が居る。

 レンは愛凛澄が五体満足であることを確認すると、崩れそうな足を叱咤して足を進める。


「てんど、じごく……これは、なに?」


 妙なベッドに横たえられた愛凛澄の周囲には無数のコンテナが置かれている。

 精々一抱えと言ったところで、衣装ケースくらいの大きさだろうか。

 暗い緑色に塗装され、白いペンキでナンバーが降られている。五十個以上あるだろうか。


『これは……なんという真似を……少し待て。解析する。魔術は専門外だが、それほど複雑なものではない。解析可能だ』


 そう言って天堂地獄が黙り込む。

 朦朧とする意識の中、静かに呼吸をする愛凛澄の姿に心底安堵する。

 生きている。手足もある。眼が覚めれば、きっといつも通りの日常に戻れる。

 助けると決め、助けられた。レンは喜びに零れる涙を感じた。

 自分も生きている。明日から、昨日と同じ日に戻れる。

 そしていつか、自分も男に戻れる。

 そう思うと、未来はとても輝かしいものに思えた。


『解析完了……主、悪い知らせが三つ』


「……良い知らせとかないの?」


『うぬ……では、悪い知らせが二つで、良い知らせが一つ』


 誰もなんとかして捻り出せとは言っていないのだが、天堂地獄はなんとかして朗報を作った。


「じゃあ……良い知らせから」


『分かった。愛凛澄は五体満足無事。そして、この儀式を破壊すれば万事が丸く収まる』


「それは、よかった。じゃあ、悪い知らせ、って?」


 レンの問いかけに、天堂地獄が一瞬口ごもった。

 しかし、意を決して、告げる。


『この儀式を破壊するには……光崩玉を臨界駆動させるほかに手がない。光崩玉は最も熱量消費の激しい聖遺物。僅かにでも起動させれば……』


「俺が、死ぬってことね……はいはい。それで、もうひとつの、悪い知らせ……は?」


『……儀式はもう始まっておる。周囲の魔法陣にて自動詠唱が行われておる。およそ六分後に取返しのつかぬ現象が起こる。五分以内に決めねばならぬ』


「わかった。じゃあ、やろうか」


『即決か? よいのか? 本当によいのか?』


 天堂地獄がまるで懇願するかのように言う。死ぬなと、そう言うかのように。

 それにレンは微笑んだ。


「死にたくないならさ、ここにいないよ。覚悟はもう決めて来た。あとは進むだけだろ?」


 身勝手な都合で翻弄される少女はもういない。

 明日からは、いつも通りの明日が待っている。

 そこに、自分がいないことが、酷く残念ではあるのだけど。

 もしも、叶うのであれば。生きたいと思うけれど。

 それでも、やると決めたのだから。


「やろう。天堂地獄。どうすればいい?」


 叶うのなら、愛凛澄と言う少女をもっと知りたかった。

 赤木や、鮮香と言う裏の世界に関わる夫婦のことも。

 聚楽と言う謎多き人のことも、もっと知りたかった。

 仲良くなれるかもしれない。なれないかもしれない。

 それすらも分からないほどに短い時間でしかなかった。

 思えば、体が変化して、まだ三日と経っていない。

 あの大火災の日が、まるで遠い日のようだ。


『……光崩玉。臨界駆動。儀式方陣を、内在魔力を含め完全消去』


 ぞっとするほどに冷たい感覚が背を駆け上って来た。

 首筋にまで這い上がってくるその感触は、まるで死神の指に撫ぜられているかのようだ。

 ふと、体が変化する前のことを、思い出した。

 毎日毎日、同じことの繰り返し。

 それをつまらないなと思いながら、日々を生きていた。

 でも、もし、その日々に戻ることが出来たなら。

 もう二度と、つまらないなんて……思わないのだろうな、と。

 そんな、取り留めもない想いが脳裏をよぎった。


『見えぬこと、存在せぬこと、それはよく似たる。あらゆる全ては光ありき。光なきは無』


 ひどく穏やかな気持ちだった。

 寒さはもう感じない。ふわふわとして心地よい。

 不思議な幸福感が自分を包んでいる。

 狂おしいほどの愛しさが溢れてくる。

 それが何に対する愛しさなのかもわからないけれど。

 ただ、なにもかもを許せるように思えてならない。


『光にあって崩れ消えよ。因果律より放たれ、この宇宙から抹消されるがよい』


 あまりにも神々しい光が放たれた。

 聖遺物・光崩玉。

 その力とは、指定した対象の抹消。

 ある意味で黒渦星と対極を成し、ある意味で黒渦星と同種の聖遺物。

 破壊するのでも、目に見えなくするのでもない。

 それは完全なる抹消。

 黒渦星は光すらも脱出不能な空間の歪みを創り出し、物質を構成する力すらも引き裂き、全てを素粒子にまで分解することによって対象を抹消する。

 光崩玉はただ抹消するのみ。

 理論、過程、現象、その全てを超越し、ただ抹消する。

 まるで紙に描かれた絵を消しゴムで消すかのように。

 ある意味で究極の力。

 天堂地獄の持つ聖遺物の中で最も危険な聖遺物。

 そして、それを運用する熱量は膨大の一言ではとても足りない。

 仮にレンが万全の状態であったとしても。

 最も莫大な熱量を有していた、初期の体を分解した熱量があったとしても足りない。

 レンと言う存在、その質量を全て熱量にすることで賄う。

 自分を貫き通した果ては、自分と言う存在の消滅だった。

 それでも、自分を貫き通すためならば、それでも構わない。

 そこにあった意志は、想いは、たしかにあるから。


 愛凛澄と言う守りたかったものが、たしかに在り続けてくれるなら。


『光崩玉・厭離穢土欣求浄土。せめて痛みを知らず安らかに消えよ』




 とても、とても、まぶしかった。

 俺の、こころも、消えていく。

 何もかもが光の中に消えて。

 全てが、無に帰っていく。

 打ち倒すべき物も全て。

 俺が、消えていって。

 でも、想いだけは。

 消えて行かない。

 消えさせない。

 きっと必ず。

 消えない。

 絶対に。

 ああ。

 俺。

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