エピローグ

バカ野郎の命は青く燃えている

 ふと目覚めた時、レンは蕩けるような温かさとシーツの心地よさに包まれていた。むにゃむにゃと口がひとりでに動いてしまう。上下の唇の触れ合う音を感じた。

 薄っすらと開いた目に見えた天井は白い。マンションに与えられた自室のクリーム色の天井とは異なる清潔感のある白。横へと目線を向ければ、天井と同じ白い壁。なんだかちょっと前にも見たような内装だ。そう考えてから、まさにちょっと前に目覚めたのと同じ病院の病室であろうことにレンは気付く。

 どうして病院で目覚めるのか。そこが分からずレンは混乱する。

 その時、きゅるると可愛らしくお腹が鳴った。そして、悲しくなってくるようなひもじさ。


「はら、へったぁ……」


 とてもとてもお腹が空いている。いまなら食べ放題の店を三店舗くらい閉店に追い込めそうだ。とにかくなんでもいいから食べたいぞう。

 その時、病室のドアが誰何の声もなくがらりと開かれた。


「レンさん!」


 入ってきたのは、愛凛澄だった。

 手にしていたものを放り捨て、恐ろしく軽い身のこなしで愛凛澄が跳躍する。

 そして、文字通りに飛び込んできた。


「ぐえっ」


 レンは愛凛澄に押し潰された。

 あれ、おかしいな、とレンは感じる。

 飛び込んで来る愛凛澄はとても軽い。

 それなのに、それを受け止めることが出来なかった。

 体重が軽くなってしまっているから、分からなくもないが。

 だが、差し出した手も、背中も堪え切れずに押し倒されるほど貧弱ではなかったはず。

 随分と長いこと寝ていたのだろうか。そのせいで、体がなまっているのかも。


「レンさん、本当によかった!」


「う、うん」


 抱き着いてくる愛凛澄に戸惑うレン。抱き着くというか、押し倒されているのだが。

 そして、開けっ放しのドアから白銀の少女が顔を覗かせた。


「おう、目を覚ましたようだな、レンよ」


 天堂地獄だ。いつもと変わらない姿でそこに立っている。


「天堂地獄。えっと……えーと……あの、なんで、というか、俺はどうして?」


「ふむ、混乱しておるようだな。まぁ、そうであろうが」


 天堂地獄はすたすたと病室の中に入ってくると、椅子にどっかりと腰掛ける。


「光崩玉を用いるにはそなたを全て分解せねばならんほどの熱量が必要だった。単純な、エネルギーは質量に光速度の二乗をかけた、と言ったような数値ではないが、それに近しいほどの膨大な熱量が必要なのだ」


「う、うん。それは分かってた。だから、俺はあれで死ぬはずだったんじゃ……」


「まぁ、そうなのだが。その前に、黒渦星でけったいな鎧を消し飛ばしたであろう?」


「うん」


「質量をエネルギーに分解する。黒渦星はそのようなことが可能だ。分解する質量次第では投入熱量よりも多くを回収できる。あの鎧を消し飛ばした熱量も回収しておった。それを踏まえて、そなたを分解し切ってようやく熱量が賄えると言うほどだったのだが……」


「だが?」


「実は、あの時点で愛凛澄には意識があったらしい」


「え? そうだったの?」


 思わず自分の胸に顔を埋めている愛凛澄に問いかける。


「あ、はい。筋弛緩剤のせいで殆ど動けませんでしたが、自発呼吸は出来ていました」


「そうだったんだ。それで、天堂地獄。愛凛澄さんの意識があると、なにか変わるの?」


「うむ。最初の試算では、愛凛澄に流れてしまった魔力も消さねばならなかった。が、愛凛澄は既に呼吸が出来ておった。それゆえ、内勁を練って浸透して来る魔力に抗っておった」


「かなりキツかったですけどね。十全に呼吸が出来ていたわけではありませんでしたから」


「そのおかげで最初の試算よりも必要な熱量は僅かに少なくて済んだ。結果、熱量に余剰が得られ、なんとかギリギリそなたを残すことが出来たのだ!」


「そうだったんだ……」


「まぁ、ほんとのほんとにギリギリだったのだがな。その関係でそなたの体をまた再構成した」


「再構成した?」


「うむ。極上の筋肉、極上の神経、極上の骨と取り揃えていたが、その辺りの維持も無理であった故、今のそなたは体格相応……いや、まったく鍛えられておらん上に脂肪もほぼないので、不相応なほどに弱っておる。腕を見てみよ」


 言われて自分の腕を見る。一回り細くなっていて、骨と皮一歩手前、と言うほどにやせ細っている。悲しくなってくるような状態だ。


「う、うわ、うわわ……」


「ま、生きておるのだ。気を落とすな!」


「う、うん……」


 また男に戻れる日が遠のいてしまった。トホホ、とレンが内心で涙する。

 しかし、天堂地獄の言う通り、生きているのだ。

 まだまだやれることがいっぱいある。

 それは、とてもとても素晴らしいことだ。


「うむ。うむ? なんだこの状況は?」


 そこで出入り口から声。

 そこには胴着に袴と言う病院にはあまりにも似つかわしくない姿の麗人。


「聚楽さん?」


「うむ。我が名は聚楽」


 すたすたと聚楽が病室に入ってくる。

 愛凛澄が以前に大抵いつも胴着と袴と言っていたがまさか本当だったとは。


「レンよ。まずは謝罪させて欲しい」


 聚楽はそう言うと突然頭を下げた。


「え? えと?」


「此度の件は、どうやらそなたではなく、愛凛澄に関係していたそうだな。いわば、そなたを愛凛澄の因縁に巻き込んだということ。愛凛澄の師として謝罪させていただく」


「あ、いえ、そんな。俺は俺がやりたいことをやっただけですから……」


「そうか。そうだな。私の頭なぞ下げたところで、なんの意味もありはせぬな。誠意と謝意は後日また別の形をもって示そう」


 聚楽は頭を上げる。


「それでだが……」


「えっと、その前に……」


「うむ。なんであろう」


「愛凛澄さんをなんとかしてもらえませんか……?」


 未だに抱き着いている愛凛澄を指差して言う。

 先ほどからずっと押し倒されたままだ。

 聚楽をスルーして抱き着いたままの愛凛澄も凄いが、それをスルーして謝罪を始めた聚楽もなかなか凄い。師弟揃ってスルー能力は一流だ。


「そうだな。愛凛澄よ、とりあえず離れよ。いつまでレンの胸に懐いておるのだ」


「分かりました……」


 とても名残惜しそうに愛凛澄がレンの胸から離れる。

 なんでそこまで自分に抱き着きたがるのかレンにはさっぱりわからない。


「さて、それでだが。まず、そなたらを襲った組織【見えざる熟達者】だが、そなたらの得た情報は赤木日向と天堂地獄より聞いておる。並行世界の侵略があったそうだな」


「……改めて聞くと、まんまSFの話ですね」


「であるな。本隊に関してはレンの働きによって壊滅。と言っても、ほぼ並行世界のアメリカ軍が由来の過激派組織【解放者】であったそうだが。残党の掃討には既にヤツカハギが動いておるので安心せよ」


「そうですか……よかった」


「諸々の面倒な処理はこちらでやっておく。連中の使っていた空母……艦は既に処分したし、諸々の兵器類も片づけた。異界融合に関してはこれからだが、急を要すると言うほどではないようだ。問題なく対処できよう。故に案ずることなくそなたは体を休めよ」


「はい」


「では、私はこれにて御免する。体がよくなったら道場を訪ねて参れ。稽古をつけてやろう」


「はい! その時はおねがいします!」


「うむ」


 そう言って聚楽は立ち去っていく。

 立ち去っていった後、なにかを思い出したように愛凛澄が足元に投げだしていたものを拾い上げる。竹刀袋だが、通学時に使っていたものと異なり、一本しか入らないタイプのものだ。

 それを手に戻ってくると、封を解いて中身を取り出した。取り出されて行くのは一本の刀。


「これはお父様が初めて私にくれた刀なんです」


「へぇー。そうなんだ」


 なんで病院に刀を持ってきているのだろうか。それが分からずにレンが首を傾げる。


「お父様は刀剣の収集をされていまして、女の子だから魔を祓うとされる刀がいいだろうと、これを下さったんです。病気平癒に力を表す、なんて言う伝承もあったので、レンさんの枕元に置いておこうと思ったんです」


「あ、なるほど」


 刀を枕元に置いたところ、病が治ったとか、病の原因になっていた妖怪を祓ったという逸話は様々な刀に見られるものだ。それにあやかろうとしたのだろう。


「この刀、レンさんに差し上げます」


「えっ。いや、そんな、愛凛澄さんが貰った刀をもらうなんて……」


「いいんです。これは私の持つもので一番大事なものですが、だからこそ、差し上げます」


「な、なんで?」


「レンさんには命を救われました。その恩義にこの太刀を奉じ、あなたのために刀を振るうことを誓いましょう。それがなんであれ、私は斬りましょう。あなたのために」


 真摯な瞳で愛凛澄が言う。

 レンのためならば、なんであれ挑もうと、そう言うのだ。

 それは不器用なやり方だったかもしれない。

 だが、レンはそう言うのが嫌いではなかった。

 だから、笑ってその刀を受け取った。


「ありがとう。必要な時、迷わず愛凛澄さんに言う。俺のために刀を振るってくれるかって」


 愛凛澄はくすりと笑うと、レンの唇にそっと人差し指を当てた。


「その他人行儀な呼び方はもうやめてください。愛凛澄と呼んでください」


「う、うん。じゃあ、愛凛澄さん……あ、えっと、愛凛澄も……俺のこと、レンって」


「ふふ、それはどうしましょうか。私、必ずさん付けするタイプなので」


「ええ? そりゃないよぉ」


 そんな会話を天堂地獄は静かに眺めていた。

 理屈や道理など、蹴っ飛ばして生きている者がいる。

 それに寄り添う者も、理屈や道理など蹴っ飛ばして生きている。

 こういう型破りな者たちを見ていると、飽きることがない。


「ふ……思えば、聚楽もそうであったな」


 今は遠い昔の出来事に思いを馳せて、天堂地獄は笑う。

 この二人の型破りな生き方をもうしばらく見つめていよう。

 少なくとも、退屈だけはしなさそうだった。



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【完結】TSバカ野郎の命は何色に燃えているか 朱鷺野理桜 @calta

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