バカ野郎2日目

バカ野郎、中世美容整形技術の驚異を知る

 午前五時三十分。レンがパチリと目を覚ます。


「ふぁあ……うしっ」


 ぱちぱちと自分の頬を二回叩き、レンが起き上がる。


「早いな」


「うええぇ!?」


 突然横からかかった声にレンが驚き、ベッドから転げ落ちる。

 その音に呼応し、部屋の外でバンッと勢いよくドアを開いた音がした。そして部屋のドアが開け放たれると、部屋に飛び込んできたのは刀を手にした愛凛澄だった。


「何事ですか!」


「吾が朝の挨拶をしたら、そこの阿呆が寝床から転げ落ちたのよ」


「はぁ。それだけですか?」


「それだけだ」


 ベッドから転げ落ち、床で混乱していたレンはようやっと脳味噌が再起動を始めていた。

 突然声をかけてきたのは天堂地獄で、飛び込んできたのは仁和寺愛凛澄。そして、自分は昨日、突如として女になってしまい、ヤツカハギとか言う組織のエージェントに……。


「うぅ、おはよう……ごめん、突然声がしたから、襲われるのかと思って……」


「はぁ。夜討ちの対応訓練のし過ぎですか?」


「そんな特殊訓練したことないよ……」


 神経が過敏になっていたのかもしれない。レンは二人に謝罪すると、立ち上がった。


「昨日はサボっちゃったから、今日はちゃんと朝練しなきゃ」


「大事なことですね。柔道、ですよね?」


「うん。柔道やってる。あんまり本気ではないけどね」


 世の中には長期休暇になる都度に山籠もりをすると言うガチ勢もいる。そう言った面々に比べれば、レンはさほど本気でやっていない部類に入る。それでも毎朝五時半に起きて一時間ほどの練習を積み、寝る前などに二時間ほどの練習を積むと言った程度の熱心さはある。


「愛凛澄さんもなにかやってるんだよね?」


 レンは他流試合の経験は殆どなく、見ただけで相手の強さを推し測れるほどの眼力はない。だが、なにか武道を嗜んでいるな、ということくらいはなんとなく分かるものだ。


「私は剣ですね。鬼八流合戦術を」


「へぇ……」


 鬼八流合戦術。鬼一法眼が伝えた剣術、京八流剣術を祖とすると伝わる流派だ。名が合戦術であるのは、剣術流派の枠組みを超え、合戦に対応、特化した総合戦闘技術であるからだ。

 その特徴は、卑劣極まることにある。

 通常の相手は三人で囲み、達者は十人で囲め。決闘を申し込まれたならば、弓兵を十人臥せておく。土下座するフリから相手を不意打ちで仕留める技が複数存在する。刀を投げて目晦ましをし、相手を引っ繰り返して寄って集って仕留めるなどが平然と使われる。

 現代に入って鬼八流合戦術はより洗練され、対戦相手のインスタグラムやツイッターを炎上させておくなどの陰湿かつ卑劣な戦術も生まれている。

 一般人気のある流派ではないが、マスメディア戦略と人を取り込む巧みさから門下生は全国で百万人を超えるほどの数がいる。


「と言っても、それを基礎に剣を習ったので、鬼八流の剣士ではないんですけどね」


「そうなの?」


「ええ。さすがにちょっとついていけなくて……」


「ああ、まぁ、うん……」


 なにせ、鬼八流が巧みになるほど人としての品性が下がると言われるほどだ。

 免許皆伝に至れば立派な人でなしとは誰もが認める事実である。

 ついていけなくてほどほどに留める人は多い。


「こほん。ともあれ、レンさんも朝練でしたら、一緒にやりましょう」


「うん、いいよ。でも、他流経験はないから、試合とかはなしね」


「ええ。私も他流試合はやったことないですから」


「そうなの?」


「はい。試合は」


 じゃあ試合以外はやったことがあるのか。

 思わず尋ねそうになったが、命のやり取りだったら数え切れないほど、とか答えられても困るので聞かないことにした。

 とりあえず、レンは動きやすい恰好に着替える。愛凛澄はセーラー服だった。もしやパジャマもセーラー服なのだろうか。さすがにそこまではいかないと思うが、運動用のセーラー服くらいは持っていてもなんらおかしくない。

 愛凛澄を少し理解出来たようでうれしいようなうれしくないような。微妙な気持ちになりつつもレンは外に向かった。愛凛澄がいつも練習をしている場所を教えてくれるらしい。


「と言っても、普通にマンション前の広場なんですけどね。実動員は体を動かす人が多いですから、運動用に整えてあるんですよ」


 まだうっすらとしか日が昇っていない朝。マンション前にあるそれなりに広い広場には結構な人影が見えた。ヤツカハギの実動員、と言うからよほどエキセントリックな人間が多数いるのかと思ったが、一見してみると普通の人たちばかりだ。


「普通の人が多いね」


「まぁ、異能者と言ってもあからさまに人外の見た目をしているわけではないですからね。たまにそう言う人もいますけど、普段は人の姿になれる人の方が圧倒的に多いですし」


「いることにはいるんだ」


「ええ。私に槍術を教えてくれたお姉様は戦意が高まると、額に目が現れて突きだし、髪の毛は全て逆立って七色に光り輝き、筋肉は膨れ上がり、額の眼からは殺人光線を発するバトルマックスモードを持っていたりします」


「こわい」


「介者剣術を教えてくれたお姉様は眼が七色に輝いたり、額に閃光が奔ったり、やはり額から謎のビームを放ったりとかします」


「七色になる人多いね。流行ってるの?」


「さぁ?」


 ビックリ人間が多いな、とかそんな会話をしながら、二人は場所を確保して朝練を始める。

 レンは型稽古から始まり、全体的な肉体鍛錬。昨日さぼってしまったこと、そして体が激変してしまったこともあって、コンディションの確認の意味が強い。


「ふぅ、ふぅ……なんだか、運動能力が落ちた感じはしないなぁ。むしろ、前より体が軽いような……」


「当然であろう。吾が再構成した肉体の質は極上。身体能力も反射神経も超一流よ」


「そうなんだ」


「締まりもいい」


「なんの話……?」


 突然下世話な話が出て来て思わずレンが突っ込む。愛凛澄は捗る。


「無論、感度もだ」


「だから、なんの話……?」


 愛凛澄はますます捗った。


「わけわかんないこと言ってないで、天堂地獄も手伝ってよ。柔軟するから」


「仕方あるまい。手入れもしてくれたことだしな」


 レンの肩に止まっていた天堂地獄が飛び降りると、空中で白銀の少女へと変じた。明らかに体積が変化しているが、もうそう言うものなのだと思ってレンは突っ込まなかった。


「そら、手伝ってやるぞ。なにをするのだ?」


「うん、背中を押してもらえる? あんまり無理に押さないでね」


「うむ」


 ぐいー、と天堂地獄がレンの背中を押す。


「おおー、体が柔らかい……んひぃいっ!」


「そら、感度が最高であろう」


「ななな、なにすんだぁ!」


 突然耳の後ろを指先でなぞられたレンが悲鳴を上げ、思わず天堂地獄を前方へと投げ飛ばす。座った状態から相手を投げれるとはなかなかの腕前である。

 レンの悲鳴に周囲の目線が集まるが、特に何も無いと判じたのか視線は散っていった。


「レンさん、大丈夫ですか?」


「う、うん、なんとか……」


「柔軟は私が手伝いますよ」


「おねがいね……天堂地獄、次やったら塩水に漬けるからね……」


「吾の六員環連鎖多層同軸管状黒紙複合超密装甲は塩水如きに負けはせぬぞ」


「……手入れしなくても錆びないなら手入れはなしね」


「すまん! 吾が悪かった!」


 天堂地獄が速攻でゲザった。ゲザるとは土下座をするの意である。


「詫びの印として、これを!」


「なにこれ?」


 天堂地獄が差し出して来たのは妙な棒状の物体だった。

 根元に水と記された球体が埋め込まれている。


「吾には複数の聖遺物が内臓されておる。火事を鎮めた風神も、本来は気流操作に特化した風神と言う籠手型の聖遺物よ。それは根水。流体、殊に液体操作に特化した聖遺物ぞ。本来の形ではそなたに扱い切れぬ故、機能を制限して刃を形成することに特化させた。吾を扱うほどの状況でないときなどには便利だぞ」


「へぇー……」


「一斤ほどの水があれば必要十分。最大で十万貫の水を蓄えることが出来るぞ、十万貫もの水を蓄えた時は、超臨界水刃と言う最強奥義も……」


「護身用の道具ってことだよね。うん、ありがとう。剣とか使ったことないけど……」


「ぬ、ぬぅ! では、髪結玉だ! 髪の毛を自由自在に操る暗器よ! 髪の毛を刃とし、鞭とし、縄とも出来る! 首を護ることにも繋がり、命を守るには便利ぞ!」


「いや、そう言うのとりあえずいいから。天堂地獄の気持ちは分かったよ。手入れはちゃんとする」


「レン! 吾はそなたを信じておったぞ!」


「安いなあ……」


 そんなに手入れが大事なのだろうか。鎧の気持ちなど分かるわけもないので、その辺りの必死さが分かることはない気がした。


「って言うかさ、天堂地獄って、一体どういう存在なの?」


「うん? 吾のことを知りたいか。吾こそは美濃慎吾郎貞好が至上の傑作、天堂地獄。天堂と地獄の狭間たる葦原中国にて生み出されし鎧よ」


 天堂とは天上世界、いわゆる天国で神仏が住まうとされる宮殿のことだ。そして、地獄とは知っての通りに地の獄である。その二つの間である、葦原中国、つまりは現世。天堂地獄とはその葦原中国を表す名なのだ。


「うんと、その辺りは分かるんだけど……そもそも、聖遺物ってどういう存在なの?」


「ふむ。その辺りは少し難しい。吾もよく知らぬ。愛凛澄に聞く方がよかろう」


「ええ、いいですよ」


 柔軟を手伝っていた愛凛澄が頷く。


「そもそも、聖遺物と言うのは最近になって出来た言葉で、古くは魔道具だとか呪具と言われていたものです。そのうち、今となっては製法が喪われてしまったもの、人間には作ることができないもの、いわゆるロストテクノロジーとなったものを聖遺物と呼びます。ちなみに、聖遺物とは言いますが、本来はレリックです。日本語訳した時の誤訳ですね。諸外国ではそう言う聖なるものの方が多かったので」


「へぇ……」


「聖遺物は強大なものが多く、詳細な能力が知られていないものもあるので、対処が難しい部分があります。そのため、野心を持つ者たちはそれらを悪用しようと考えるのでしょう」


「そうなんだ……だから、天堂地獄も、俺も狙われるんだね」


「はい。天堂地獄さんは使い手を選ぶそうですが、その場合、選ばれた使い手をどうにかしてしまうというのが分かりやすい解決方法ですしね」


「うう、捕まったら改造手術とかされちゃうのかな……」


「良心回路を止められる前に逃げないとですね」


「日曜日の朝アニメみたいだ……」


 でも改造と言う意味なら既に天堂地獄にやられている。


「聖遺物は分かったけど、天堂地獄はそのうちどういうものなの?」


「ふむ。吾は先に述べたように、美濃慎吾郎貞好が創り出した鎧よ。慎五郎は己が創り出した魔道具を内臓した至上の魔道具として吾を創り上げた」


「魔道具を作ってた?」


「当時は呪具などと呼んでいたがな。慎五郎はそうした道具を作る技術を持った一族の者だったのだ。慎五郎はその中でも優れた作り手であった。生涯最後の傑作として吾を作ったのだ」


「生涯最後……病気とかだったの?」


「いや、世を儚んで自殺した」


「……なんで?」


「慎五郎は醜かった」


「は?」


「醜いだけならまだしも、恐ろしく人相が悪かった。悪人面であった」


「え、うん」


「そのあまりの面相の悪さに、慎五郎は魔道具の実験体に幼子を使っているとか、色々と根も葉もないうわさを立てられていた」


「うわ、つらい」


「慎五郎は水あめを作る魔道具とかわけの分からんものを作ってまで一族のものと仲良くしようとしたのだが、ダメであった。もっと疑われた」


「悲しい……」


「そして、慎五郎は美しい存在になりたいと夢を持ち、吾と言う至上の傑作を創り上げることを夢見た。慎五郎は全ての技術の粋を集め、吾と言う傑作を創り上げた。そこに、己自身の魂と肉体までもを塗り込めてな」


「え?」


「慎五郎の妄執と憎しみを込めた槌は、己の体を変じさせた。慎五郎の肉は、吾を構成する神経線維へと変じ、その魂は吾に宿り、それを管制する人格となった。つまり、吾よ」


 天堂地獄は堂々とした態度で言い切る。


「吾は美しかろう? これが古の美容整形手術よ」


「代償デカすぎない……?」


「まぁ、そう言う説もあろうな。吾は別に後悔しておらぬが。今は美しく強い。最高だ」


 愛凛澄も相当変な人だが、天堂地獄はもっと変なやつだった。

 自分の周りには変なやつしかいないのか。

 この調子だと、聚楽も相当変な人間なのかもしれない。

 レンはなんだか悲しくなって来た。


「天堂地獄さんはとても可愛らしくてお美しいですけど、生前はどういうお姿だったんですか?」


 愛凛澄がなんとなくと言った調子で尋ねる。

 すると、天堂地獄が首を傾げると、その白銀の髪の毛が一人でに持ちあがり、それが蠢いて形を為した。胸像のような形で人の姿が創り出されたのだ。本物のような異様な質感だった。

 そして、創り出された胸像の面相は……たしかに、凄まじく悪かった。


「たしかにこう、幼い子供を実験体とかにしてそうな人相の悪さというか……」


「漫画に出て来たら絶対に悪役だね……落ち武者風味のマッドサイエンティスト?」


 疑われた内容は酷いが、そう思われても仕方ないくらいに人相が悪い。むしろ、こんなに人相が悪いのに水あめを作って仲良くなろうとしたとか違和感がすごい。


「ふん。まぁ、こんなのは過去の姿よ。そも、吾は慎五郎の魂を元として生まれた天堂地獄であって、慎五郎ではないからな。記憶や感情は引き継いでいるが、違う存在ではあるのだ」


「そうなの?」


「うむ。人格の連続性と言う意味では慎五郎とも言えるがな。しかし、吾はこの姿こそが本来の姿であると自然と思う。こちらの姿はどちらかと言うと……まぁ、父のようなものと感じられる。吾は吾であって慎五郎ではないのだ」


「ふーん。まぁ、姿形は別物だしね」


「であろう? であろう? ところで、日も高くなってきたが、時間はよいのか?」


 言われて、愛凛澄が時計をたしかめる。


「いけない、もう六時半」


「そっか、今日って平日だよね。学校?」


「はい。汗を流してお弁当を作らないとですから。レンさんはまだ続けますか?」


「ううん、俺もこれくらいにしておくよ」


 互いに切り上げ、部屋へと戻る。

 愛凛澄が汗を流しに行く間、レンは昨日購入した諸々の品からコーヒーミルとドリッパーを取り出す。レンはコーヒーにはちょっとこだわりがある。


「ほう、コーヒーか。吾も相伴にあずかってよいか?」


「うん、いいよ。カップはどうしよう?」


「ふん、そんなものは吾に内蔵された聖遺物がひとつ、石動いするぎで……」


 天堂地獄が石で出来たカップを作りだす。ちなみにこのカップ作成によってレンが男に戻ることを夢見て溜めた熱量貯金が勝手に浪費されて行く。


「吾は昔からコーヒーが好きでな。舶来品として渡って来た当時は、焦げ臭くて賞味に堪えぬなどと言われていたが、吾には茶よりも好ましく思えたのだ」


「ふーん、そうだったんだ……って言うか、その頃から好き勝手動いてたの?」


「うむ。天下泰平の世であったしな。吾が必要な事態なぞ早々無かった」


「まぁ、そうだよね」


 強い力と言うのはいつでも必要なものではない。天堂地獄ほどのものとなれば、必要になる事態は滅多にあるものではないだろう。

 天堂地獄が変わりものであることは、ある意味でいいことなのかもしれない。闘争を求めるような性格だったならば、どこかに封印とかされていたかもしれない。


「天堂地獄、キリマンジャロとモカシダモどっちがいい?」


「よく分からんので任せる!」


 好きだが詳しいわけではないらしいとレンは納得すると、キリマンジャロの豆を挽くことにする。昨日、個人経営のコーヒーショップで購入したものだ。焙煎度合いも頼めるいい店だった。今後ひいきにするつもりだ。


「って言うか、天堂地獄って鎧の癖にコーヒー飲めるの?」


「ぬぅ! 鎧差別ぞ! 鎧が飲み食いしてはいかんのか!」


「鎧差別って初めて聞いた。普通の鎧は飲み食いしないと思うよ」


「ふん、吾は至上の鎧。故に飲み食いも可能よ」


「そうなんだ……」


 鎧に飲み食い出来る機能はどう考えても要らないと思うが、レンは突っ込むことを放棄した。面倒臭かったからだ。今日と昨日だけで随分と自分も変わったものだとレンはしみじみと思う。でも、よく考えると周囲の変人っぷりを受け流す技能を身に着けただけなのかもしれないとも思った。

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