第17話  大高城の攻防 松平元康兵糧入れ

永禄三年(一五六〇年)五月一八日、いよいよ事態は動いた。今川義元は沓掛城を占拠し、大高城を前線基地にすべく、兵糧の搬入を試みるように命令を下した。命令を受けたのは松平元康、後の徳川家康である。まだそれといった軍功もなく、駆け出しの武将として、なんとしてもここは功績を挙げて生まれ故郷の岡崎城を手にする足がかりにしたかった。

 今川に寝返った城とはいえ、敵のまっただ中に飛び込むようなもの。元康は取り囲むように配置されていた丸根、鷲津の両砦をまずは攻撃し、敵を分散させて、夜になってから大高城に兵糧を運び入れる作戦に出て、見事成功した。

 ところが、この作戦を信長は数日前に見抜いていた。密かに鷲津砦と丸根城を守る佐久間盛重らを呼んで、次のように伝えていたのである。

「おそらく、敵方は大高城を尾張攻めの足場とするであろう。そなたらの役割は大きい。できるだけ攻めてくる敵兵を引きつけ、兵力を分散させよ。そして大高城から兵を引き出させるのだ。そのあと、この信長は背後を突き、一気に今川方を殲滅する。こちらも兵を分散させる故、それぞれは少数精鋭とならざるを得ぬ。多くの援軍は期待してくれるな」

 信長のこの言葉は、もし、討ち死にするような場面でも、多くの援軍は当てにするな、死んでくれ、という意味だと佐久間らは悟った。

「どちらにせよ死ぬる運命なら、派手に戦ってお館様に勝利をもたらしましょうぞ!」

 その心強い言葉に、信長は自分自身の責任の重さを痛感し鳥肌が立った。


 一方、大高城に入城した元康は、大きな使命を果たした自分に酔いしれていた。よもや信長に操られていようとは考えもしていなかった。

「このうえは、一気に先鋒(せんぽう)の役割を果たすべく、砦をことごとく攻め滅ぼしてくれる」といきまいた。


鷲津砦が陥落した頃、信長は犬山城で軍議を開いていた。近辺の武将を呼び、来る今川家の攻撃にどのように備えるか、参加した武将達に尋ねたが、こぞって良い案が浮かばなかった。

「今川の軍門に下るしかない」

「打って出てここは討ち死にじゃ」

「籠城が良い」

 口々に言い合うだけで結論は出なかった。

 そこに鷲津砦の落城の報告が入った。

「お館様、鷲津砦、丸根城が的に落ちたようにございます」

 泥まみれになった木下藤吉郎が息を切らして報告した。

「して、佐久間盛重殿らはどうした?」

 若衆のリーダー的存在になっていた柴田勝家がすぐさま問いかけた。

「討ち死にとのことにございます」

 参加していた武将の間に動揺が走った。

「お館様、ここは打って出ましょう」

 柴田勝家は血気盛んであった。立ち上がると武将達をにらめ回し、士気を鼓舞しようとした。

 信長はそれをなだめるように手で『座れ』と命じた。

「今更打って出ても城は落ちたのだ。全ては明日、命令を下す故、皆のもの、本日は帰って休め」

 周囲は大きくざわめいた。「この危機に接して余裕のある態度はなんだ」、「やはりうつけの殿であったか」諦めに似た雰囲気も漂っていたが、これ以上その場にいても進展はなく、それぞれの武将や家臣は自宅へと戻っていった。


 皆がおおよそ帰った頃、信長はまだそこにいた丹羽長秀、柴田勝家、木下藤吉郎に黙って手招きした。

 少年時代の頃のように、この四人が車座に座った。

「サル、ワシは明日、迂回して一気に今川本陣を突く。信用できそうな武将を選び、時の鐘と同時に出陣を触れよ」

「権六(柴田勝家)、足の速い足軽が揃っている者どもが多い武将を呼べ。人足が多くてももたもたした奴らはいらぬ。長秀には良い馬を集めてくれ。どんな坂も苦なく操れる馬を」

 奇襲をかけるには少数精鋭である必要があった。軍議の場で話せば、欲のあるものや軍功を焦るものから横やりが入る。信長は信用できるこの三人から情報を得、兵の準備を命じたのである。

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