第4話  信長、未だ動かず

 それから数日後、鳥谷尾の家臣、大川助九郎は、尾張にいた。彼は鳥谷尾の命を受け、信長との面会を整えるよう、命じられていた。しかし、尾張に間者は幾人か忍ばせてはいたものの、いまだ信長近くには手が伸びておらず、信長の人となりも十分に把握しているとはいえなかった。

「お館様は信長をどう見ておられるのじゃ。我にはそれほどの人物とは思えぬが。」

 鳥谷尾の下で働く助九郎ではあったが、間者の束ねも役割としておっていた。そこからもたらされる情報は尾張が未だ不安定という状況を物語るものばかりであった。

 茶店で休んでいた助九郎は、隣に座った商人とおぼしき人物と何やら会話を始めた。

 「大和屋、どうじゃ、尾張の様子は。」

「 商売は盛んにやっておりますが、戦の準備などいつもと変わりませぬ。本当に美濃に戦が起きるのでしょうか。」

いぶかしげに大和屋は言った。もちろん、街を通る荷には武器も多くあるが、周辺が不安定な尾張の地では常に一定量の荷物の流れはあった。とりたてて多くの荷物が動いている様子はなかった。

「東の今川方の動きが気になるようで、美濃に手勢は割けますまい。それに美濃に不穏な噂など、城内のなかにもありませぬ。」

概ね尾張が信長の勢力下になったといっても、東の方はまだまだ不安定で、大高城や鳴海場など、東の方は今川方との争いがくすぶっていた。

「鳥谷尾様の命じゃ。なんとか信長に会える手はずは整えそうか。」

「この大和屋、奥方様の方にはなんとか潜り込めておりますが、信長様というお方は珍しいものをお好みのようで、私どものような反物や漆器を扱うようなものとはなかなか。」

ふたりとも信長には懐疑的であり、足が重かった。

「奥方の方からでも探ってくれ。」

そうだけ言い残し、助九郎は茶店を後にした。

「いやはや、これは長くかかりそうだな。」

のんびりとした足取りは、美濃に向かっていた。先ほどの大和屋の話から、もしかすると美濃から手を回した方が早いかと思えたのである。


 数日後、助九郎は美濃にいた。噂の通り、兵糧を積んだ荷車が道を往来していた。いつもよりは多い。そのような街を歩きながら、一軒の陶器屋、伊賀屋に入った。ここも北畠の息のかかる店である。ここの店主がそそくさと出てきて挨拶した。

「これはこれは、助九郎様。わざわざのお越し、なんぞ急な用件でも。」

細身の身体ではあったが、しっかりとした腕の筋肉からは、剣術もそこそこできそうに見えた。彼は昔、伊賀の地にて剣術を学んでいたのである。いわゆる伊賀者ではなかったが、棒術の心得はそれなりにあった。

「急ぎということはないのだ。美濃の方で珍しい陶器ができたと聞いてな。」

「さようで。」

表では詳しい話はできないので、早速に奥の間に通された。

 「早速じゃが、鳥谷尾様の命で尾張の信長に会う手はずを整えようと動いておる。しかし、信長はまだまだ得体の知れないところがある。家臣も取り巻きを除けば一心にはなっておらぬ様子。これは濃姫の実家である美濃から手を回す方が早いかと思うての。」

全く困ったことだと、心底助九郎は思った。

「そうでございましたか。確かに、信長様のお噂は色々と聞こえております。まだまだ尾張は安定したともいえど、東の方はまだ騒動があるとも聞きます。」

「ただ、」

伊勢屋徳兵衛の目がキリッと間者の目に変わった。

「信長様は道三殿より格別の扱いを受けているようで。何か同じニオイを感じたようにございます。こちらでは、信長様の評判もそれほど悪くはありません。道三殿が美濃の当主に座らせるのではないかと噂も流れておるくらいで。」

妙な話だ、と助九郎は思った。斎藤家には義龍や他にも後継となる男子はいるではないか。

「義龍様は戦が嫌いなのでございますよ。通りの百姓や商人に馬上から声をかけることもしばしば。領内のことは義龍様が仕切っておられ、評判もよく、家臣達の信も厚いようです。」

「 では、この荷の多さはどうしたものかな。」

国が安定しているならこの兵糧はなんのためか。助九郎の疑問は大きくなるばかりであった。

「表向きは飛騨が豊作で、米が余るほどになっており、兵糧として買い上げているとのことですが、義龍様が道三殿に一戦しかけるのではないかと。」

伊勢屋の声が小さくなった。やはり、戦は近いのか、助九郎には妙に腑に落ちた。

「やはりあるのか。」

美濃はこのところの戦続きで、よく兵の士気が保たれているものだといささか疑問があった。

「今まで戦続きで、皆の安寧を願う気持ちが、そのような噂になっているのでしょう。」

道三は勝てるのか、意外な不安が、助九郎の心をよぎった。






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