第3話 美濃が動く
弘治二年(一五五六年)、年が明けたばかりの朝、伊賀衆と呼ばれた土豪の長のひとり、中林助左衛門忠昭の使者と名乗る男がより北畠の居城、多芸御所に使者が来ていた。
この男は名を喜助と言い、薬売りを生業とし、全国を回っていた。度々北畠領内を訪れ、様々な国の話をしていくのである。具教とはもう顔見知りで、中林助左衛門忠昭に引き合わせたのもこの男である。
「御所様、お久しぶりでございます。」
身分は相当違うが、機密情報ももたらしてくれることも多く、特別に奥の庭に通されることを許されていた。
「そうじゃな。助左衛門殿は息災か。」
「さて、私めも小田原、信濃、諏訪、尾張、美濃と諸国をめぐっておりました故、長い間逢うてはおりませぬ。」
喜助からは、しばし、ほっとした様子が見えた。しかし、この男が助左衛門の使者と名乗るときは、何か重要な情報をつかんだときであった。具教が一種の合い言葉として用いて良いと言いつけていた。このことは中林助左衛門も承知の上である。
「ところで、何か急を要することがあったのか。」
「美濃に混乱が起きそうにございまして。」
茶をいっぱいすすると、喜助は跡目をめぐって道三と息子義龍の間で確執があり、飛騨の方より兵糧らしき荷車が多く運ばれていたことなどを話した。
「信長は道三の婿じゃ。尾張と結べば義龍など勝てぬと思うがの。そうなれば、北の長野らが危なくなろう。」
せっかく北伊勢が安定してきたところなのに、なんということかと、具教は苦々しかった。
「加えて六角氏は長野氏などと昔から縁がありまする。伊賀も国境が騒がしくなります。ここを立ちましたら近江に寄り、伊賀に戻ろうかと。おやじどの(助左衛門のこと)にも支度をお願いせねばなりませぬ。」
のんびりと喜助は応えた。遠くから見れば旅の四方山話をして楽しんでいるように見えた。具教も喜助も、心を隠す術は心得ていた。
喜助が帰った後、具教は日置大膳亮と鳥谷尾を呼んだ。日置は家老の中でも古参で、具教には頼りになるひとりである。
「長野藤定の様子はどうじゃ。」
長野氏は 具教の次男・長野具藤を養子に迎えて家督を譲り、隠居していたが、数人の家臣とともに何やら画策しているとの情報も漏れ伝わっていた。
「表向きはおとなしいようですが、六角との縁も切れておらぬようで。」
鳥谷尾が何か情報をつかんでいるようであった。長野氏の動きは逐一報告が来るように何人かの間者を潜り込ませていた。
「美濃が動くやもしれん。急ぎなんとかせねばならん。できるだけ争いは避けたい。日置、どうじゃ、手はあるか。」
「すでに、台所に間者を忍び込ませてあります。針の心得もあります故、藤定の覚えめでたく、寝所にも近づけるそうにございます。」
早速下知を伝えますと、日置は腰をあげた。日置大膳亮が外に出るか出ないかで、具教は鳥谷尾に次の下知を伝えた。
「鳥谷尾、尾張と会える手はずを探ってくれ。」
「信長は道三の美濃と組みますか。」
鳥谷尾は具教が考えていることを十分に理解していた。
「なんとか探ってみましょう。」
そうだけ応えると、鳥谷尾は素早く出ていった。
数日後、『長野藤定、病死』の知らせが入った。
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