織田信長と北畠具教 天下安寧を夢みたふたりの男
@ts_sakamoto
第1話 戦国と伊勢国司北畠具教
この物語は戦国時代のただ中、後に天下布武の名の下に戦を繰り返し、あと一歩で天下統一を成し遂げるまでに至った織田信長と、伊勢の国司として、稀代の剣豪として知られた北畠具教の物語である。
北畠具教は、天文二二年(一五五三年)、父・晴具より家督を相続して、第八代当主となり、早くも四年の月日が経っていた。 京の都を焼き尽くした応仁の乱の余波を受けて、紆余曲折のあった北畠の家も、父の代には盛り返し、長らく争ってきた北伊勢地域に勢力を持つ長野、工藤の両氏族ともようやく決着が見えてきていた。
「満栄、やっと北も安心じゃと思うが、次なる一手を考えておかなくてはならぬのう」
北畠当主の館となっている多芸(多気)の館(現在の三重県津市美杉町にある)からは当然、長野氏らの領地は見えない。具教は遠くを眺めると振り返って忠臣、鳥谷尾満栄を見つめた。
鳥谷尾は長らく北畠の名代として、多くの大名などと交渉ごとを行ってきた。現代で例えるなら優秀な外交官、外務大臣といっても良いだろう。痩せた体つきからは想像もつかぬ、足の速さを誇り、ときには間者のような役割も果たしていた。
「近頃、尾張のうつけと呼ばれていた織田信長が、勢いを増しているようでございまする。どのような人物かは直に見てみぬとわかりませぬが、長野、工藤の両家に何か仕掛けるとも限りませぬ。今のうちに手を打っておかねばと、配下の者を忍ばせておりまする」
「信長か。ただのうつけでは、ここまではのし上がってはこれぬと思うが、これから先、その勢いが衰えるか、ますます増長するのか、わしにはわからぬ。じゃが、長野らと組み、この勢いで襲ってくるなら我らとて勢いを抑えることはかなり難しくなるであろう。北の内状、逐次見張っておくことが肝要じゃ」
「はっ」
静かに後ずさりすると、鳥谷尾は部屋を出て行った。
「織田信長」
具教はまた開いた障子の向こうに見える景色を眺めると、『逢ってみたい。』と信長という人物に想いをはせた。
織田信長が注目されるのは桶狭間の合戦において今川義元を討ち果たしてからといわれている。だが、それが起こるのは この時より三年も先のことである。
にもかかわらず、具教がなぜ織田信長を『勢いのある』人物とみていたのであろうか。一つには、多くの武将や豪族が領地の拡大富を増やすために戦に明け暮れていた時代だったことにある。信長が家督を継いだ頃、有力な大名としては斎藤道三、今川義元、武田晴信(武田信玄}らがいた。それ以外にも三河の松平、近江の浅井勢や六角氏など、多くの武将がいた。それらが虎視眈々と尾張国を狙っていたのである。だから、本物のうつけなら、斎藤道三の娘を嫁に迎えた時点で、命を取られているか、斎藤道三の意のままに動いていたことであろう。
しかし、織田信長は本家筋、大和守信友を謀を持って暗殺し、清洲城を手にしていた。また、家臣団についても、父親のものをそのまま受け継ぐのではなく、家柄の良くない若者なども家臣として召し抱えていた。
このような情報は、全国に散らばる縁者や、修行僧、または京の公家などからもたらされていた。特に修験者や旅を続けながら剣を磨く剣豪(剣客)は、情報源としては重要な意味をなしていた。だからこそ、この時点でまだ若い信長の底知れぬ魅力のようなものを感じていたのである。
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