第7話 長良川の合戦 ~道三死す~ (後編)

 大良から一里(約三キロ)ばかりの及川の河原で、織田軍と義龍軍は相まみえることになった。この近くには少し大きな輪中があり、そこに沿って浅瀬が続いていた。両軍は、そこでの足軽を出しての小競り合いになった。河原とはいえ多くの兵をいっぺんに展開できるほど地形は良くなく、馬も自由に走らせる地形ではなかった。

 戦は五分と五分、足軽兵は水しぶきを上げながら懸命に戦っていた。それを後方からながめる信長は馬上で歯がゆい思いをしていた。


 一方、主戦場となっている鶴山の麓では、激しい合戦が繰り広げられていた。一時は善戦していた道三の兵も、次々と繰り出される兵の多さに疲弊し、徐々に押しやられていた。

 陣を出て、河原の奥で馬上にいた道三は、いよいよ自分の最後を悟ったようだった。

「皆よう戦った。義龍は賢いが戦下手だと思おうておったが、なかなかのものじゃ。信長と義龍、わしは良い息子らを持った!」

そういうと大声で笑った。

「入道様、まいりますか。」

 そう答える斎藤利治の顔は紅潮し、目は輝いていた。もはや死の恐怖を超えた、生き生きとした目立った。すでに重臣、明智光久は前線にて戦い、生死はわからなかった。『今からともに冥土へ参るぞ、待っておれ。』そう叫んでいるようにも思えた。

「最後の戦じゃ、かかれ!」

道三の声に呼応するように兵から大きな咆哮が辺り一面に響いた。それは大きな山津波が襲ってくるような、おそらく義龍軍には大きな恐怖であったろう。群衆の中に広い道が空けられたようでもあった。

 半刻ほどして怒号の中から、一際大きな声が聞こえた。

「道三殿、いずれにおられるか! 我は長井忠左衛門にござる、一騎打ちを所望いたす!」

その声に聞き覚えがあった。代々斎藤家の重臣として使えてきた重臣の一人である。道三も若き忠左衛門に稽古を付けたことがある。

「おう、忠左衞門、斎藤道三、ここにあり!  相手に不足はござらん、一騎打ち、受けて立とうではないか。」

 すでに重臣達とは離れ、孤軍奮闘の状況であったが、そのやりとりに囲みが解かれ、右前方から長井忠左衛門が歩いて近づいてきた。

「忠左衛門、すでに馬上にはないか。」

道三は馬上にあったが、そう言って馬を下りた。

「若き頃、棒術を教わった故に、その腕をお褒めにあずかりたいのです。」

そう言うと、短い槍を手に取り、悲しそうな目で続けた。

「道三様、私は悔しゅうござる、なぜ、義龍様の悲しみ・苦しみをわかってやらぬのです。義龍様はよくできたお方、できればこのような戦をやりたくはなかったのです。今まで戦で疲れ切った我らと道三様の板挟みに遭い、苦しんでこられた。そして、親までも殺めることの罪深さにさいなまれておられるのです。今なら間に合いまする。義龍様に詫びて、沙汰に従いなされ。命まで奪おうとは考えておられぬのです。」

道三、義龍、両方に仕えた重臣としての最後の説得であった。道三はそれには耳を貸さなかった。

「領国を継ぐには父親を越えなくてはならぬ。たとえ実の父でも我が道にあだを成す者は切って捨てなければ、思うような世は作れぬのじゃ。忠左衛門、遠慮はするな。わしも存分に戦ってみせるわ。」

そう言うと、長い刀を構えた。

 このやりとりに、もはや戦の声はなく、静かな中に二人の刃が重なる音だけが聞こえた。刀を交えるごとに二人の息づかいは荒くなり、大きくなった。

何太刀めかで、道三が『うぅ』とうなった。そしてうめくように応えた。

「やりおるのう、さすがじゃ。」

その脇腹には長井忠左衛門の槍が刺さっていた。長い沈黙が訪れたように感じられるほど、静寂の瞬間が流れた。

 その瞬間、道三の後方から一人の影が一目散に道三めがけて体当たりしてきた。

「道三入道、民の声を聞け!」

そう叫ぶと、持っていた刀で背後から腹部を貫いた。戦場にいる全ての兵が、一瞬何が起きたのかわからなかった。道三ですら、気配も感じていなかったのである。道三はそのまま崩れた。それを抱きかかえるように、長井忠左衛門もひざまずく姿勢になった。

「生け捕りにせよとの下知を知っておろう!」

突き刺した刀を離して呆然としている兵に詰問した。

「小牧源太!」

 足軽の長でもある小牧を、長井はよく知っていた。今にも木立を抜き、小牧を討ち取ろうとする忠左衛門を周りの兵が必死に止めた。もはや静寂も、一騎打ちの空間もなかった。皆、何が起こったかを理解し、屍になろうとする道三の周りを囲んでいた。

「忠左衛門、最後の下知を聞け。」

血まみれの身体から、最後の力を振り絞り、道三は叫んだ。

「忠左衛門、義龍は良い領主となろう。じゃが、優しいだけではこの世の中を生き延びられぬ。そのときは信長を頼りにいたせ。ふたりなら、美濃だけでなく、天下も治められるやもしれぬ、そう義龍に伝えよ。道三は満足で死んでいくとな。」

そう言うと原から血が噴き出し、口からも血がほとばしった。

「道三様!」

 戦国の世を戦い、美濃を大きくした斎藤道三が死んだ。周りに嗚咽が伝播していった。

「義龍が家臣、小牧源太、敵の大将、斎藤道三殿を討ち取った! もはやこれよりは無益な殺生じゃ。皆の者、陣に戻り、義龍様の下知を待て。」

長井忠左衛門が涙を拭いながらそう叫んだ。あちこちから先勝の雄叫びが上がった。

敗軍となった道三の軍は、重臣達もことごとく討ち取られ、足軽兵は散り、敗走していった。

義龍が構える本陣にも道三が死んだとの知らせは程なくもたらされた。

「そうか。おわったか。」

軍議の場で、座ったままため息をついたが、すぐに立ち上がると次の命令を下した。

「全軍、稲葉山城に戻るぞ。それぞれの陣にふれを出せ。」

勝つには勝ったが、これからどうするか、義龍は浮かぬ顔であった。伝令によって道三の死は伝えられていたが、長井忠左衛門はまだ陣から戻っていなかった。援軍として出ている信長をどうするか。しばらく思案の後、稲葉良通を呼んだ。稲葉は道三から仕える信頼のおける家臣であった。

「良道、信長はどうしたものか。このままではもうひと合戦せねばならぬ。」

「この勢いで太良口の信長軍は潰せましょうが、続けて尾張へ兵を送らねばなりませぬ。ここはいったん兵を引き、信長に恩を売っておくべきかと。」

「信長は私を許さぬであろうな。」

「道三殿との仲は世間でも噂になるような仲。自分の死後、美濃を預けるのではないかと噂もあったくらいですからな。」

戦嫌いの義龍をおもんばかってか、稲葉の声は重かった。

「よし、書状をしたためよう。伝令になる者を呼べ。」

義龍は思い起こしたように命を下した。


  及川の河原で戦っていた信長軍だが、一進一退であった。すでに足軽を中心に戦死者も出ていた。義龍軍も幾人か死者は出ていたが、繰り出す兵の割には、進撃の度合いは遅かった。

「敵の進みが襲うございますな。」

佐久間がどうも腑に落ちぬ様子でつぶやいた。

「しかし、こちらも兵を温存しておかなければ肝心の援軍に兵が足りぬでは申し訳が立ちませぬ。」

 信長はいらだっていた。しかし、手の打ちようがない。そう考えていたところに、ひとりの兵がもんどり打って飛び込んできた。

「斎藤義龍の名代という者を捉えてございます。」

「なんじゃと?」

権六と呼ばれていた柴田勝家も同席していたが、驚くように応えた。

「つれて参れ。」

すぐに信長が命令した。間髪を入れず、他の兵が入ってきた。

「今、道三殿の足軽がやってまいり、道三殿、討ち死にと知らせて参りました。」

「道三殿が死んだ?」

 信長にはにわかに信じられなかった。すぐにその足軽を呼ぼうとしたが、すでに息絶えていた。

 義龍の名代と名乗る兵が引き連れられてきた。その兵は身分が低いというのは汚れてみすぼらしい装束ですぐにわかった。

「そなたが名代だと?名を名乗れ。」

権六はこのような者を名代とは馬鹿にしていると続けた。

「山中江時右衛門と申しまする。足軽の長にございまする。」

「足軽ごときが名代だと。本当に馬鹿にしておる。」

金森もあきれた様子で口走った。

「どうでもよいわ、口上を言え。」

 信長は待ちきれなかった。

「義龍様はこれ以上戦は好まぬ故、道三が死んだ以上、尾張に引き上げられよと。詳しくはこの書状に。」

そう言うと震える手で書状を差し出した。信長はもぎ取るように書状を手にすると、拡げて読みあさった。書状はホコリと泥で読みにくいほどであった。そこには信長とは戦を好まぬこと、道三殿戦になったが、道三から仕掛けてきてやむない仕儀であったこと、何かあるときは助けてくれと懇願していた。

信長は烈火のごとく怒った。なにせ父親同然の道三を討ち取られたのである。道三とは戦にならぬといっておったではないか。後ろに置いてあった刀を抜き、山中江時右衛門という男の前に突き立てた。

「このものを打ち殺せ! ふざけた物言いをする義龍への土産ぞ!」

荒れ狂う信長を佐久間が必死に押さえつけた。

「この兵では勝てませぬ。ここはいったん引き上げましょう。」

そういうのが精一杯であった。佐久間はそのまま引きずって名代を奥に下げた。

権六がすかさず信長に下知を嘆願した。

「お館様、軍勢引き上げの下知を。この権六と森三左衛門(森可成)がしんがりを務めまする。」

「何が引き上げじゃ、このまま引き下がれるか。」

さらに食い下がる信長を金森もいさめた。

こうして、信長は撤退を余儀なくされたのである。

ここに信長の転機となる長良川の合戦は信長の敗戦で終わったのである。


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