第6話 長良川の合戦(前編)

それから数ヶ月、信長のもとに堀田道空なる人物が早馬を仕立ててやってきた。

「お館様、道三殿から使いが参ってございます。」

まだ百姓上がりの身なりの貧しい姿の日吉丸(後の秀吉)であった。この頃まだ名を持ってはおらず、周りからサル呼ばわりされていた。

「そうか、通せ。」

足早に去った後、堀田道空が息を切らせて中庭に通された。着ている物ははだけ、泥だらけで息は荒れていた。

「信長じゃ。そなたは何者か。」

先日、道三との会談の折、聞いたことのある名前であったが、会話を交わしたことはなく、よく知らない人物であった。

「斎藤道三の使いを務めておりまする。今日は名代として書状を預かってまいりました。」

書状とは、いよいよ戦をなされるか。覚悟はしていた。

 しかし、 この切迫した雰囲気はその覚悟がまだまだ足りないと思わせられるだけのものがあった。

「して、道三殿の様子はいかがか?」

「道三様、仮御所にしておりました山県の大桑城を出立、鶴山城に向かうとのことにございまする。」

差し出す書状をもぎ取るように手に取った信長の表情がにわかに変化し、青ざめた。

「堀田殿、ご苦労。すぐさま駆けつけるとお伝え願いたい。」

静かな庭に高らかな声が響き渡った。まだ書状は読み終えていなかったが、急を要することだけはすぐにも察しられた。

「義父殿、どうか持ちこたえておってくれ。」

そう願う信長であった。

 「佐久間と金森可近を呼べ!」

  切迫した信長の声に、足音を立ててふたりの男が普段軍議を図る広間に入ってきた。すでに金森は戦装束であった。金森の出生は美濃であり、美濃の地形などに詳しく、知った者も幾人かいた。

「佐久間信盛、金森可近、ただいまここに。」

ほとんど同時にふたりが応える。そのかけ声に間髪入れずに信長は言い放った。

「道三殿の加勢に参る、戦の支度じゃ!可近、道案内をせよ!」

「はっ!」

 立ったまま返事をすると、そのままきびすを返し。戦支度に城を出た。

 一五五六年四月一八日、斎藤道三が陣を張る鶴山には、斎藤利堯、斎藤利治 、明智光久ら約二七〇〇、一方の斎藤義龍には、安藤守就、稲葉一鉄、氏家卜全、不破光治、日根野弘就ら、多くの武将が集まり兵の数は約一万七〇〇〇もの軍勢となっていた。もはやこの勝負には歴然とした差があった。

 遅れて出た織田信長は、木曽川・飛騨川を舟で越え、大良(現在の岐阜県羽島市)の戸島・東蔵坊まで、軍を進めて道三の命令を待っていた。

 圧倒的に兵の数では負けるけれども、信長と挟み撃ちにできれば、勝機はあると、道三も信長も考えていた。それには相手の体制が整う前に仕掛けなくてはならぬ。

 しかし、道三は信長に命令をなかなか出さなかった。『もし負ければ、自分の後継者はいなくなる』との一抹の不安が二の足を踏ませていたのである。

「信長の手を煩わすでないぞ。何、兵の数は少なくとも、ここに集まった皆は戦上手ばかりじゃ。すぐに負けはせぬ。」

道三はそう言って兵士を鼓舞し続けた。

 四月二十日、長良川対岸で対峙する両軍は、義龍軍からの先制攻撃で始まった。

多くの足軽で責め立てる斎藤義龍軍に対し、道三の家臣達は弓矢で応戦。一時は相手方の対岸にまで撤退させることに成功した。

 一方、信長の兵は、道三の命を待って待機していた。正直、信長は焦っていた。先遣隊として前線を物見に走らせた者から伝令が帰ってこない。苦戦を強いられているか。信長はサル(日吉)を呼んだ。

「サル、物見じゃ」

返事もせず、すばしっこそうな若者は駈けていった。

 一刻ほど立って、日吉は戻ってきた。

「お館様、大変です、近々は義龍殿の軍勢が多く、とても道三様の陣まで近づけませぬ。

 その進撃の速さに信長は驚いた。これでは道三の援軍どころではない。

「金森、どうする。」

「もはやここで一戦する他はありますまい。ここから一里ほどさかのぼれば、浅瀬になる故、そちらから攻めましょう。」

「よし、北へ動くぞ!」

 二七〇〇の兵がこぞって移動を始めたが、義龍はすでに予想していた。二千余りの兵を信長が向かった先へと進軍させた。

「よいな、尾張の信長軍は足止めだけで良い。それよりも兵や武器を失うな。くれぐれも深追いしてはならぬ。」

 信長軍の相手を任された不破光治には、義龍の下知が十分に理解でき、家臣団にも周知されていた。

 数時間後、織田軍と義龍軍の戦闘が始まった。

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